017:現状把握
ドアを開けると、着替えを済ませた紅さんが立っていた。帽子を被らず、タオルを首に巻いてる所を見ると、お風呂から上がったばかりなのだろうか。
「お昼ご飯持ってきました。ちょっと早いですけど、一緒に食べませんか?」
その手を見ると、銀色の盆の上にサンドイッチが数個乗った皿が二つ。そう言えば、朝どころか昨日の夜から何も食べてない。
礼を言って紅さんを部屋に通し、部屋の端から上品な椅子と小さめな丸いテーブルを持ってくる。こういう見た目に重きを置いた物はあまり機能的とは言えなそうなんだけど、軽食になら丁度良い。
盆を置き、向かい合う形で座る。
「そう言えば、幽夜は?」
「まだ寝てますよ。服を脱がせても水を被せても起きなくって」
少々呆れた笑いを浮かべる紅さん。その光景が容易に想像出来てしまい、溜め息が出る。
「迷惑ばかり掛けて本当にすみません」
「いえいえ」
人が良さそうな紅さん。むぅ、だけれどこちらは素性も分からない厄介者だと言うのに。優しすぎて少し困る。
「あ、そうだ。迷惑ついでに少し訊ねたい事が」
「なんですか? 私が答えられる範囲で良ければお答えします」
どこから話そうか。少し迷うが、どうせなら一から話した方が楽だろう。そう思い、二個目のサンドイッチに手を着けながら、疑問であった事を少しずつ打ち明けていった。
◆◇◆◇◆◇
そうして、サンドイッチの代わりに食後のお茶が用意された頃。窓から入る日差しに照らされるベッドは橙色に染まっていた。
「すみません。一気に喋ってしまって」
「いえ………成る程、そうでしたか……」
此処に至るまでのエピソードを全て語ったので、少々喋り疲れた。適度な温さになった焙じ茶で喉を潤す。
……って、別に全部言う必要は無かったんじゃないか? ただ単に変な女性に連れて来られた此処はなんですか、とかで良かった……いや、それじゃ幾ら何でも短すぎるし。
頭の中で纏まったのか、独りごちていた紅さんが顔を上げ、少し真面目な顔をする。
「分かりました。この土地、幻想郷についての簡単な説明をします。と言っても、私も見聞が広い訳では無いので詳しい事は言えませんが……」
「構いません。今はどんな情報でも欲しいので」
了承すると、紅さんによる幻想郷の説明が始まった。
成り立ち云々、創設者云々は飛ばすとして、どうやら幻想郷とは日本の何処かにある隠れ里と言う認識で良い様だ。
「外の世界……赤瀬さんが居た世界の情報が幻想郷に流れてくると言う事があまり無い所為で、此処の生活レベルはそれ程高くありません。紅魔館は当主の意向で外の知識を出来るだけ多く取り入れてはいますが、それでも恐らくは外の世界よりずっと遅れていると思います」
『外の世界』とわざわざ区分している訳を訊いた所、予想の斜め上の回答が返ってきた。
「幻想郷は『博麗大結界』と呼ばれる大規模結界によって外界との繋がりが完全に……と言う訳では無いですが、九分九厘絶たれています」
「結界、って言うのは?」
「あーっと……それは、私も良く分からなくて。幻想が消えない為の処置らしいですけど」
結界の効能について訊いた訳では無いんだが、取り敢えず把握した。
やっぱり此処はオカルトちっくな世界なんだ、と。
「幻想郷は忘れられたモノが集まる土地です。それは物品だけでなく、心霊現象、妖怪、人間もです。赤瀬さんの場合は少し特殊な事情ですから、外にはちゃんと赤瀬さんが居た記録も記憶も残ってると思います」
「人間も忘れられるんですか?」
「ええ。忘れられていなくなっているのですから、いなくなっても忘れられたまま。幻想郷には流されたそういう方を、私達は外来人と呼んでいます」
「外来人は良く来るんですか?」
「まちまちですね。ついこの間は三人一辺に来たり、半年間誰も来なかった……いえ、来たのに気付かなかった事もあります。来たとしても元の世界に戻る人もいるので、留まってる人はそんなにはいませんが」
ストップ。今何て言った。
「も、戻れる!?」
「ええ、少し運は必要ですけど」
そんな事を事無げも無く言い放った。さっきまで外界から絶たれてるとか言ってそれかい。
「里の外れにある『マヨヒガ』と言う猫屋敷に、時々化け猫や妖狐がいるんです。その二人に頼めば、幻想郷の管理人に取り合って貰えると思います。……本当は、赤瀬さんが通ってきた場所に神社があったんですけどね」
「神社?」
「い、いえ。何でも無いです」
マヨヒガ……確か、東北の民話だっけ? 在るもの全部が財宝だとかなんとか。まぁ猫屋敷って事は名前だけ取ってるみたいだけど。
「けど、赤瀬さんは戻れないかもしれないです。それに、幽夜さんも」
「……その心は?」
少し迷う様な素振りをしながら、紅さんは口を開いた。
「……赤瀬さんを此処に連れてきたのは、幻想郷の管理者、八雲紫。それが力尽くで連れてきたと言うと、戻してくれるとはっきりは言えません」
……確かに、わざわざご足労頂いているのに、こっちの我が儘だけで戻してくれるかは分からない。人権侵害とか言っても相手は妖怪らしいし、どうにもそんな事は言えなさそうだ。
と、そこで。少し引っかかっていた事について尋ねる。
「……なんで八雲紫は、僕を連れてきたんでしょう」
アイツは変な力を持っているから、だとか言っていた。だが、たかがその程度で連れてくる理由になるのだろうか。
「理由は幾つか考えられますけど……多分、赤瀬さんに『能力』があるからだと思います」
「能力?」
「ええ。例えば……」
と、喩えを探す紅さんは、突然僕の手を握ってきた。
「え、ええっと?」
「ジッとして下さい」
言われた通り、ジッとする。だが、少々突飛な行動にどぎまぎしてしまう。
すると――――紅さんが握っていた手から頭に掛けて、ナイフに触れた時の感覚が霧散した。
「……どうですか? 体が楽になったりしてません?」
「え、ええ、確かに……これが、紅さんの?」
「ええ。私の能力、『気を使う程度の能力』です」
……程度、の部分にはツッコむべきなのだろうか。
「今のは、赤瀬さんの身体の中の乱れた『気』の流れを正したんです。『気』がどう言う物かの説明は……ちょっと勘弁して下さい」
アハハ、と済まなそうに笑い掛けられる。だが、説明されても多分分からないので結界オーライ。
「こんな具合に一人一人の固有の力があると、幻想郷に呼ばれたりする事があるらしいです」
「固有の能力……か」
真っ先に思いつくのは、自身の異常な治癒力。痛みがあり血を流したかと思えば傷は無く、すぐさま身体が元通りになる。前に一度、小指が切断寸前になった事があったが、ギザギザになった傷口同士が見る間にくっつき合うのを見てしまった。尤も、痛みに関しては言うまでも無い。暫く小指は動かす事すら出来なかった。
紅さん曰く、能力には生まれついての特異体質と技の極地が能力へと昇華されたモノ等があるらしい。僕の場合は生まれついてのモノが身体に眠っていて、幽夜に会った時にでも活性化したのだろう、と。
「そう言えば、幽夜も変な事をやってたんだっけ。人形を好き勝手に動かしたり」
「幽夜さんに能力の自覚があるかは分かりませんけど、能力を見たのが引き金になって顕現われ始めたのかもしれませんね」
本当の事を言うと十数年前からあったと言えばあったのだが、話の腰を折るのは面白くない。
紅さんに僕の治癒力については言わず、何かあるのだろうと言う事にしておいた。
……そう言えば、帰れない他の可能性は何なんだろうか?
「そうですねぇ……赤瀬さんが人外の類であったら、そう簡単には出られないですね。妖怪は積極的に幻想郷に呼び込む様にしていますから」
「――――――」
耳に蘇る、あの声。
『貴方は此処にいてはいけないの。あなたは人間じゃあないんだから』
まさか……まさか? 確かめる方法が無い以上、何も言えない。だが、記憶に留めておいた方がいいだろうか。
悶々としていると、紅さんが立ち上がり伸びをする。
「さて、と……少し長居してしまいましたね。咲夜さんに怒られるかな」
「そう言えば紅さん、門番なんでしたっけ」
「ええ。本当はお昼ご飯を持ってくるだけだったんですけど」
サボる口実にしちゃいました、とペロッと舌を出す。
職務怠慢を推奨するつもりは無いけれど、そんな姿を見せてくれるなら、少し位はサボって欲しい、と、思ってしまった。不覚。