016:備え
身体を拭き終わったタオルを、湿りきった服が入ったバスケットの中に放り込む。本当なら自分で洗う所だが、お客にそんな事はさせられないの一点張りだった。なんか情けない。
用意されていた着替えは白いワイシャツに赤黒いスラックス、ベスト、ネクタイと、上着があれば正装として十分通用しそうな服。袖を通すのも恐れ多いと言うのが感想だ。
「……なんて言うか、馬子にも衣装?」
姿見に映る自分の格好は給仕か下男か、ともすれば執事にも見えなくはないのは背景が西洋風だからか。着こなせてない感が醸し出しているのはコスプレと言う印象だけだ。
髪を整えると、右側の視界が少し暗くなる。そろそろ散髪するか、と考えられる程今の自分の状況を気にしていない所に苦笑いする。
水浸しになった僕と紅さんを止めたのは、この館のメイド長――紅さんが呼んでたいたが、サクヤ、とか言うらしい。自己紹介まではしなかった――だった。紅さんと少しばかり言葉を交わすとふっといなくなり、何時の間にか入館の許可を得ていた。
そして、紅さんの案内で連れてこられたのが今いる客室。部屋ごとに風呂があるってだけで高級感が、と言うかそんなんがあろうが無かろうが絨毯一つ取っても一級品だと分かる。
「何なんだかなぁ」
まるでたった今シーツを張り直したかの様な白いベッドに腰を下ろしながら呟く。紅さん曰く、ちょっとした事をして貰えるなら暫くの間此処にいても構わないだとか。何を頼まれるのかは分からないが、出来ればお言葉に甘えたい。まだ自分は幻想郷の事について何も、それどころか今いる場所が幻想郷なのかすらも正確には掴めていない。情報が足りないんだ、情報が。勿論、危険を被りそうな仕事なら止めておく。
取り敢えず、少なくとも一晩は屋根の下にいる事が保証されているのだ。今の内に出来る事を考えねば。
時計の針は午前11時を指している。夕食は午後9時で、その時に此処の当主と滞在するかどうかの話が出来るらしい。当主と言う言い方にも驚いたが、その当主とやらは随分と面倒くさがりなのだろう。普通、いきなりの来客なら自身で曲者かどうか見極める位はするんじゃないだろうか。しないのが常識ならいいんだが、余程使用人を信頼してる表れか。
とにかく、午後の9時までは館の中を自由に見て回っていいとの事。……人の家を見て回るってのはおかしいだろ、常識的に考えて。とツッコめば良かった。お陰でどうすればいいか全く分からない。
言葉を鵜呑みにしてうろうろするのもまぁ一つの選択肢だろう。だが、そんな風にするのは不躾と言う物だ。そこまでフリーダムに生きられない。
うーむ、と唸りながら全身をベッドに委ねる。いっそこうやって寝ておくのがいいかもしれない。ベッドで寝るなんて初めての経験だから少し好奇心もあるし、これから先ゆっくり寝るなんて出来ないかもしれない。
そう思いながら瞼を閉じて――――――背中に違和感を感じた。
「なん、だ?」
起き上がり、ベッドを確認する。人の形にシワが出来た以外に異変は無い。念の為、背中を置いていた部分を探るが何も無し。
とすれば、問題は服にある。ベストを脱いで、裏返しにしてみる。
裏地の部分には不審な点は……ん?
「ポケットか? コレは」
縫い目も隠され、入れ口すらも巧妙なカモフラージュで紛らわしているが、細長いポケットの様な部分がベストの裏地の真ん中にあった。
ペンか何か入ってるのかと思い、ポケットに人差し指と中指を突っ込む。思った通り、固い何かが入っているのを指先で感じた。
「背中にペンなんて変わってる……なッ、と! ……と?」
摘まんだモノをポケットから引きずり出す。が、それは所謂知らぬが仏と言う物だったのだろうか。
摘まんでいた部分は、ソレの柄。何の皮を使っているのか、柔らかく握りやすそうな代物だ。
其処から中程前まで行くと、一般的に鍔と言われそうな部分に当たる。金色の金属で、これといった紋様は無い。だが、とても優しい光を放っている。
そして、先端までの金属片。指尺一つはありそうで、片側のみを研いだソレ。
その何の変哲もないナイフは、鏡の様に僕の顔を映していた。
――――――――遠い昔。
妖怪を■る人間が居た――――――――
「ッくぁ!?」
刃先に触れた指先から脳髄の最奥にまで、冷たい電流が走る。
まるで弾けた様にナイフは指から離れ重力に従い、ベッドを跳ね紅い絨毯へと落下する。
「い……今のは……?」
瞬間的に入り込んできた、映像の奔流。回想や走馬灯の早送りが、一瞬の内に身体を過ぎていった。
恐る恐るナイフを拾い上げるが、今度は異変は無い。只の、古いナイフだ。
――――そうだ。只のナイフだと言うのに。
何故これに、鮮血が付いている様に見えたのか。
知らない内に額に浮かんでいた汗を拭うと、ノックの音がした。