010:境界の内側へ〈中〉
「なにやってんのさ二人共」
一週間前から絶えず聞いていた声が現実へと引き戻す。再び振り返ると、かき氷を片手にストローのスプーンをくわえた銀髪の女性がいてくれた。
「幽夜……」
思わず安堵の声が出る。いや、寧ろ声が出せた事に安堵する。
そんな事はお構い無しの幽夜がイヤに口角を歪めて可笑しそうな声を出す。
「手ぇ繋いでお詣りだなんて、何時の間にそんな間柄に……って、あれ?」
幽夜が茶化すのを止め、突然前に出てしまう。ダメだ。彼方に行っては――――いや、一刻も早く此処から出ないといけない。早く此方側に戻らなきゃダメだ。
そうだ、例えるなら此処が蛇の巣穴なら、彼方は蛇の口の中だ。僕達はそこに迷い込んだ無知な蛙。さっきのは正しく『蛇に睨まれた蛙』と言う状況だったんだろう。
必死に手を伸ばして引き戻そうとするが、幽夜に届く事は無い。そのまま石畳を踏み越えて――――
「洩矢サンに八坂サン、お久しぶりー」
――――誰がどう見てもフレンドリーに話し掛けた。
◆◇◆◇◆◇
「私は洩矢諏訪子。さっきはゴメンね、脅かしちゃって」
「八坂神奈子。諏訪子にはキツく言っておくから、許してやってよ」
守矢神社、境内、宴会場と化したブルーシートの一角。目の前には有名な銀色男の炭酸飲料が入った人数分の紙コップと焼き鳥と枝豆。ビール持ってこい。
先程の威圧感(体感的には威圧なんてものじゃなかったが、本人達曰く「少し睨んでいただけ」だとか)を放っていたお二人……洩矢さんと八坂さんと僕達一行は座っていた。
「む。なにさ、神奈子だって調子に乗って罠まで仕掛けて誘ってまでいたクセに」
「ところで幽夜、そちらの三人は?」
口を尖らせる洩矢さんを無視して、此方に話題を振ってくる八坂さん。って、やっぱりアレって罠だったんだ。危ねぇ。
「こっちのワイシャツの子は宇佐見蓮子、ナイトキャップの子はマエリベリー・ハーン。二人共大学生で、『秘封倶楽部』って言うサークルで超常現象を調べてるんだって」
「……私達の特徴ってそんなもの?」
「ナイトキャップって……」
「気にしない気にしない。んで、こっちのハーレム君が赤瀬凪人。『水香神社』の……神主? だよ」
「ハーレムじゃないから。決してハーレムじゃないから」
複数の女性に愛されるのってあんまり好きじゃない。だからと言ってホモでは無い。否、断じて否。
「こんだけ人を巻き込むのなら元気なんだね。安心したー」
「ちょっ、洩矢サン。それどういう意味ですかー」
「そのまんまの意味だよ。幽夜ってば歩いただけで迷惑掛ける様な存在だし」
洩矢さんの一言に全員が頷く。その様子に照れくさそうに頭を掻く幽夜。誰も誉めてないから赤くなるな。さっき感謝して失敗だった。
「三人も大変だったでしょ。どうせコイツに無理矢理連れて来られたり」
「いやーははは……そんな感じです、ハイ」
「やっぱり」
ハァ、とこの場にいる全員を代表した溜め息。いや、もしかしたら全員が溜め息を吐いたのかもしれない。
「けど、幽夜さんのお陰で此方の神社まで連れてきて貰ったので、そんなに迷惑は……」
「駄目だよ、そんな風に恐縮してちゃ。コイツはどんどんつけあがるタイプだから、嫌なモノはスパーンと言ってやらないと」
「あれ、なんか何時の間にか私が糾弾される話になってるのかなコレは」
「良い機会だ。もっといてこまされてろ」
「ちょっと今凪人君からどす黒いのが出なかったかなぁ? 後で社務所裏来ようか」
何時のヤンキーだ。普段弄ってるんだから弄られる日があってもいいだろう。
「そう言えば赤瀬君。神主だって? 若いのに苦労してるねぇ」
「あ……いえ。他にやる人間がいなかったからやってるだけで、仕事も少ないですから……苦労って程じゃあ無いです」
八坂さんの如何にもおばさんらしい口調。苦笑いしながらそれに返答。世間話って言うのは、どうにもやりにくい。
「そう。でも、神様に仕えるなんて大変だろう?」
「仕えるだなんて……子供の頃からの習慣があるだけで……」
やはり同業者だからか、其方関連の話ばかりが飛び出てくる。余り好くないとは言え、野球やサッカーの話なんかが出てくるよりはマシだ。
「けど、君みたいなのが子供の頃から神職に携わるなんて、苦労が無きゃおかしいだろう」
「ええ――――そりゃあ。簡単じゃあ無かったです」
――――――思い出すのは、とても厳しく、愚かだった父親。
五歳に満たない僕に叩き込んでいたのは、全てが神社の為の事。この冷めた思考を培うには十分な『修行』だった。
幼い僕には分からなかった。何故僕がこんな事をしなければならないのか、では無く、何故父は見えもしない『神様』なんてモノを信じられたのかが。
そんな考えを見透かす様に、父の『修行』は激しくなっていった。途中で倒れようものなら罵り奮い立たせ、小さな自我を極限まで削らせた。
まるで『神様』を信じ込ませたい様に。
そんな環境での唯一の慈悲の心は母親にあった。
父親に強く言えず、積極的に助けはしなくとも、なんとか生きていける位に命を救っていてくれた。
それだけでも、僕は母親からの愛は感じていたと思う。例えそれが父親に命じられた母の愛だとしても、満足だった。
「………………」
少しの沈黙を紛らわせる為に、ジュースを一口飲む。弱まった炭酸が口内を刺激する。
僕は、苦労したのだろうか。他人より大変だったのだろうか。
……答えは出ない。出る訳が無い。僕は僕以外の人生を知らないから。それに、どんな生にもそれ相応の苦労がある筈だ。それを同じ尺度で見るなんて出来ない。
「ん? どしたの凪人」
余程暗く見えたのか、幽夜が声を掛けてくる。どうも昔を思い出すと塞ぎ込んで仕方無い。
「いや、何でもない。そう言えば幽夜、此処にはどういう理由で来たんだ?」
「え? あぁ、祭りがあるって言うから」
「お前こそ社務所裏に来い」
冗談だと分かってはいるが真顔で過去進行させてたモノを聞くのはプチンと何かクる。
「まぁいいや、どうせ僕は関係無いだろ? ちょっとその辺歩いてくるよ」
「ん、分かった」
特に引き留める事は無いのか、ひらひらと手を振る幽夜。それはそれで何か虚しいが、このまま空気に漬け物石を置いていても仕方が無い。靴を履いて、出店の方向へ歩いていく。
……八坂さんとの会話の終始感じていた威圧感を振り払う為に。
◆◇◆◇◆◇
「チッ、逃げられたか」
凪人が歩いていくのを見ながら、ポツリと八坂サンが零した。
「さっきから凪人にゾッコンですね、八坂サンは」
「ふん」
下らない、とばかりにコーラを一気飲みし、何処からか取り出した発泡酒を取り出す。私も頂きながら、不快そうに語る八坂サンに付き合う。
「……幽夜、本ッ当にお前は迷惑な奴だな。此処に初めて来た時と変わってない」
「お褒めに預かり……」
「褒めてない」
ボケにも付き合ってくれない。悲しい。
確かに凪人を連れてきたのは気に障るかと思ったけれど、まさかここまでとは思わなかった。
「八坂サンから見て、彼はどーでした?」
「お前と一緒じゃなければ境内に入った途端に『隠し』てたか『潰し』てた」
まだ中身が残ってる紙コップを握り締めながら、毒ずく様に声を絞り出す。その様子は流石にゾクリとする。
「ありゃりゃ、結滞なお出迎えで。そんなにですか」
「……アレを人間と言うには澱み過ぎている。だけど、妖怪と言うには澄み過ぎている」
つまり、どっちでも合って、どっちでも無い。私の時と似たような事を言うんだなぁこの人。
考えを見透かす目線を向けてきたのは心の声が終わった直後だった。
「お前はもっと酷い。お前の本性が一番黒く淀んでる」
「やだなぁ、これが都会で今流行ってるギャップ萌えって奴ですよ」
「どうやら燃やして欲しいみたいだな良し分かった」
「燃やすべきはその体脂bいやいやいやその棒下ろしましょうよオンバシラでもなんでもいいっすけど人前でそんなド派手なパフォーマンスはやめて止めて洩矢サンも笑ってな」
◆◇◆◇◆◇
なんか神社の方から二本同時はらめぇーとか悲鳴が聞こえた気がするが別にそんな事は無かった。
境内から出た所に並ぶ出店まみれの商店街を歩きながらふとそんな事を考えた。
「結構盛り上げてるんだなぁ」
提灯の灯りがどこまでも続いているのを見ると、守矢神社の派手さ加減がそれなりに分かる。こういう提灯って神社の近くだけで十分だろうに、わざわざ人通りが多い所まで伸ばして。呼び込みに苦労してるんだ。
「……その苦労は報われてるのかどうか」
正直な所、疎ら。出店に立ち寄る人間はいても、そのまま神社に足を運ぶ事は無いみたいだ。
まぁ境内は(ウチと比べたら)賑わっていたし、そこまで客寄せに必死では無いと思う。別に悔しいだなんて思ってないです。妬むなんて、まさか、ねぇ?
「……やる事無いし先に帰ってるか、いやでも携帯電話無いし……」
お互いの連絡手段が無いとこういう時厄介だ。携帯電話なんて持ってなければ気楽だし金掛からないからいいけど不便だし、持った途端に依存しやすそうだし。
歩きながらどうしようか考えていると、何の偶然か件の品を発見。
「緑色の携帯って……どういう神経してんだろ」
正確になら若草色とでも言うべきか。カエルのストラップが付いた薄い携帯電話と蛇の刺繍が入った巾着。少し路地に入った所に落ちているせいか、誰にも気付かれなかった様だ。
「ええっと、どうすればいいんだっけ。自宅に連絡しとけばいいんだっけ」
ウチの祭の時にお手伝いさんが使っていたやり方だけど、こういうのって勝手に開けていいんだろうか。ちょっと疑問に思いつつも、液晶画面を覗いてみる。
見慣れない液晶画面には『110』の数字。『発信』の文字に選択カーソルが合わせられていた。
「………………………………」
なんか、凄く面倒な事が起こってる気がする。もし想像通りなら…………いや、想像の翼を広げすぎるのは宜しくない。取り敢えずコイツを交番に届けてやればいい。だってほら、常識的に考えてありえないだろ、110入力されてそのまんまとか。ははは。
「―――――? ―――!」
「――! ――!」
路地の奥から男女の声。複数の男性の怒鳴り声らしきモノと、女性の叫び声らしきモノが耳に入ってしまった。
全力で無視したい。つか今すぐ宿に帰って寝たい。忘れたい。
けれど残念な事に僕の好奇心と僅かながらの良心が、路地へと進ませる強制力となった。
電灯の灯りも届かない、コンクリートの壁の間。灰色の筈の壁が灯りと闇が混ざり青紫色へと色を変えていく。
そうやって周りを見る暇は1分も経たずに無くなった。
「……あちゃあ」
路地の最奥。騒ぎの発生源である集団がそこにいた。
「――――!」
「―――!? ――! ―…………」
何を言ってるかはハッキリしないが、恐らく罵りながらじたばたする何故か巫女服の髪の長い女性と、今時いるとは思えないモヒカン頭とリーゼント頭とスキンヘッドの男。どう見たって強ホニャホニャ目前な状況。
出来る事なら助けたい……が、そんな義理も力も勇気も持ち合わせていない。ここまで来れたのはあくまで野次馬根性。このまま踵を返しても……うーん、それはそれで目覚めが悪い。
悶々と考え込む事30秒。腹を括り足元を見てみる。丁度良い具合の缶を発見。
靴紐の準備はおーけー。それではピッチャー振りかぶって……………………ストライク。
「――――ぅぇぇぇえええ! か、顔になんか!? なんだぁ!?」
「きったね、なっ○ゃんじゃねぇかコレ! 誰だこんなひでぇ事すんのは!」
「おいそこのガキ! 人様に飲みかけの缶投げるなんて業の深い事……って、逃げてんじゃねぇ!!」
作戦もへったくれも無く、ただ缶をぶん投げて注意を引くだけ。後はあそこの女性と自分が逃げられれば任務完了!
怒声を揚げながら走ってくる男達。大通りまで来れたらなんとかなると信じながら逃げる僕。
後数秒で灯りの下に、と言う所で決着がついた。
「う、わッ」
急いだせいで脚が絡まったか、額を強かぶつけた。起き上がろうとした所に背中への打突が決まる。
「馬鹿だコイツ、自分で転びやがった」
「オラ、コッチ来やがれ! お前みたいのは俺達が教育的指導してやる、よッ!」
髪の毛を掴まれ、頭がそれに反応する前に頬へと右ストレートを食らう。痛みの前に視界が揺れて気持ち悪い。
ズルズルと引き摺られ、またもや薄暗い場所に逆戻り。途中何度か蹴られたりしたお陰で服が汚れた。
目の端に入った女性を見てみれば、スキンヘッドに捕まえられ口まで押さえられていた。よく考えてみれば、三人が一気にこっちに向かってくる訳無いじゃないか。嗚呼、自分の無駄な正義感が憎い。
「この野郎、ヘラヘラしやがって。俺の面を砂糖まみれにした癖に生意気なんだよ! オラッ!」
鳩尾に丁度入る膝打ち。胃袋が収縮するのを感じながら、自分の顔に意識を集中させる。どうやら自嘲が漏れていた様だ、失敗失敗。
久々の喧嘩……いや、こんなのは喧嘩なんて言わない。一方通行の暴力だ。思い返せば、殴り合いの喧嘩なんてやらかした覚えが無い。
こういう状況はなんと言うんだったか。丁度良い言葉があったと思うが……はて。
「ヒーローにでもなりたかったのか? あぁ!? このクソガキ!」
こめかみに拳骨がクリーンヒット。滲む視界が壁にまで飛び、脳味噌が芯から揺らされる。
……思い出した、今の自分の状況。
関係無い事に首突っ込んで、結局どうにもなって無くて。
『無様』って言うんだっけ。
「胸糞悪ぃ……いいやもう、その女連れてどっか行こーぜ」
モヒカン頭がそう言い、僕の胸倉を掴んで反対側の壁に投げつける。転がる先にはコンクリートの堅い地面。
「じゃあオレんち行こうぜ! こっからすぐ行けっし」
「お前んトコ汚ねぇじゃねぇか。あんなゴミ溜め行けるかよ」
遠ざかっていく声。視界を無理矢理持ち上げる。
その背中を見ると悔しくは……多少ある。惨めな気持ちは胸一杯。だが、もっと多い感情は――――疑問。
男達が後数十秒で通り過ぎる光と闇の境目。其処には、あの場所と同じモノが見える。
『……彼処から向こうは、普通の場所じゃない』
ふと、ハーンさんの台詞が耳に蘇る。あれはどういう意味なのか、そもそも同じモノを見ていたのか。それすらも分からない。
だが、今なら少しは理解出来た。あの境界線から向こうは……いや、此方側が『普通の場所』じゃない。寧ろ彼方側が『普通の場所』なのだろう。少なくとも、今は。
口角が再び上がる。だが、僕の意識は自分の意思を理解出来ていない。
指先が自然に動く。中空で境界線上をなぞる様に。
その行為自体になにか意味はあるのだろうか。今は分からない。だけど、なぞった瞬間、酷く頭が痛んだ。
彼らにはどう見えたのだろうか。光と闇が分断される光景が。
彼らはどう感じたのだろうか。現実が幻実に変わる瞬間を。
飛び込んだ蜘蛛の巣の恐ろしさを僕達が知るのには、そう時間は掛からなかった。