009:境界の内側へ〈上〉
「初代の部長は高峰先輩で、副部長が沢城先輩だったっけ?」
「そうそう。高峰さんは真面目だったけど、おちゃらけてた沢城さんが意外と貢献してたり……」
「へぇ〜、何時か会ってみたいなぁ。色々面白そうな話も聞けそうだ」
いいよもうこの展開は。どうせ三人で喋ってると僕が入る隙間なんて無いんだから。
夕暮れの街並み。見知らぬ道を歩くのは少し戸惑うが、迷う事無く目的地へと進んでいく。
特に何かエピソードがあった訳で無いバスの旅と宿をすっ飛ばし、只今向かっているのは守矢神社。本格的に話を聞くのは明日にして、今日は下見だけだとか。
「……ん、お囃子だ」
微かに聞こえてくる笛の音と太鼓の響き。ウチでは録音したのを使い回しでいるが、此方ではどうなんだろう。一応神職の身では少し気になる所。
「夏祭りかぁ。いいねぇ、安っぽいソースの匂い、無駄に甘い駄菓子、どう見てもぼったくってる露天商……これこそが祭りの醍醐味だよ凪人!」
「知らないよ買うの早いよ買ってるんじゃないよ」
財布の紐が頭のネジと同じ位緩い人だ。秘封倶楽部の二人も苦笑いしている。
「お兄さん、その子らになんか買ってやんなよ。女の子は綺麗なのが好きだからね」
「遠慮しときます」
よッ、色男! とか言いながら寄ってくるのはアクセサリーを取り扱っている店の主。しかし残念ながらこの旅行中は完全なヒモなのでどうしようもない。
「じゃあ私が記念に買ってあげよう。お二人もお好きなのをどーぞ?」
「おお、嬢ちゃん太っ腹!」
「やだもう、嬢ちゃんだなんて」
ワハハと笑い合う露天商と幽夜。大阪のおばちゃんじゃないんだから。と言うかあんたらひょっとしてグルかなんかじゃなかろうか。サクラ的な意味で。
「じゃあお言葉に甘えて、私はこのブレスレット」
「それじゃあ……ネックレスで」
宇佐見さんは赤い宝石の様な物で飾られたブレスレットを。ハーンさんはスミレ色に光るネックレスを選んだ。二人共、何というかそれらしいです。
「ありがとさん。……んじゃあ、そこの甲斐性無しのお兄さんはどれにするんだい?」
カチンと来る言い方だが、さっさと決めないとからかわれそうなので黙って商品を見る。アクセサリーをこうやって見るなんて初めての経験かもしれない。
「……この指輪で」
選んだのは薄い青色の石が美しい、銀色の指輪。サイズに合うか分からないが、元から付けるつもりが無いので気にしない。
「おや、指輪かい。だったら二つセットにしといた方がいいかな?」
「凪人ったら、もう告白する人が決まってるんだ?」
「出会って一週間で指輪のプレゼントかぁ。でも残念、私にはメリーと言う妻が……」
「勘違いも甚だしいから三人共。安いから選んだんだよ」
大体、夜店の指輪で告白だなんて受け取る奴がいる訳が無い。そう言う問題でも無いか。
散々面白がられた結果、一つサービスで貰ってしまった。別に不満は無いのだが、かしまし娘達の薬指のサイズに合う様なのを選んでいたのが癪だった。
◆◇◆◇◆◇
気が付けば傾いていた日も沈み、薄ぼんやりとした電球提灯が辺りを照らしていた。
「下見だとか言っときながら、本当は遊ぶ気満々だったんだろあんたら」
僕の呟きが射的に興じている幽夜と宇佐見さんに届く訳も無く、隣のハーンさんを苦笑いさせただけだった。
「けど、楽しいからいいじゃないかしら」
「……そうですか?」
毎年毎年の面倒くさい行事と言う認識しか無い僕には楽しさが余り伝わらない。大変だろうなぁ、と労いの思いが出てくるのはその代わりだろう。
「凪人君はもっと周りの空気に呑まれちゃえばいいのよ。何時も堅ければいいって訳じゃないです」
「あんまり面倒なのって好きじゃないんです。こう、みんなとワイワイって言うのは」
「面倒だなんて、主催者も楽しむのが祭りの決まり――――」
「それなら大丈夫だよ。ちゃんと楽しんでるから」
女の子? 空耳か?
透き通る声に振り返ると、茶色い帽子を被った子供と、真っ赤な服を着た女性が立っていた。
「こんばんは。守矢神社へようこそ」
薄暗い所為か顔がはっきり見えないが、それでも視線を感じる。手汗が気になる程に。
「こんばんは」
喉の奥に舌が詰まる感覚を飲み込んで、なんとか挨拶を返す。分からない。分からないが、ナニカに睨まれている。
「立ち聞きで申し訳無いけど、そちらの人は同業者かい? ここは一つ、助けると思って賽銭でも入れておくれよ」
近頃の神社は何処も参拝客不足なのか。親指で示された先には本堂と賽銭箱が辛うじて見る事が出来た。
幽夜でも呼んでみようか、と一瞬思ったが、賽銭程度なら自腹でいいだろう。神社へと歩こうとした時、
「ダメ」
いきなりハーンさんが手を掴んで、静止の言葉を呟いた。
「あの人達の前の石畳。彼処に『境界』がある」
「境……?」
「……彼処から向こうは、普通の場所じゃない」
声に遊びが無い。彼女の言葉におふざけは無いと分かる。
分かるが、何を示しているか分からない。
「幽夜さんの所まで一気に逃げましょう。何か分からないけれど、あの人達に関わっちゃダメ」
「い、一体何を見てるん――――」
ですか、まで言えなかった。僕にもソレが見えてしまったから。
彼女達が立っている場所と僕達の場所は、明らかに違う。そう認識出来てしまった。
まるで怪物の口の様に/それは不可視の壁が如く
エサを受け入れていた/あらゆる敵を拒んでいた。
「な…………んッ」
アレは人が許される領域じゃない。あの石畳から先は何人たりとも侵入してはいけない。
彼処に入ったら最後――――――喰われる。
「どうしたの、お兄さん?」
裏表が無い子供の声。だけれど、今はどうしても負に傾いた聞き方しか出来ない。
逃げたい。ハーンさんの言う通り逃げ出したい。だと言うのに、逃げる思考が畏れの感情に塗りつぶされる。思考も、実行も、視覚も味覚も嗅覚も聴覚も触覚も、全てが許されない。
嗚呼、忘れていた。この場所の名称も、どういった場所かも。
此処は『境内』――――とっくに、腹の中なんじゃないか。