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狂気と写像

作者: kirabosi_y

 今でこそ、僕は家族というものをもっているが、数年間僕には家族が居なかった。

 両親が死んで、丁度一年たった頃、僕は妹まで失った。それは、僕が七歳になって一カ月たった後の話だ。その時妹は、まだ四歳で、僕の後ろをちょろちょろと付いてくるばかりの頃だった。

 それは、偶然にも、両親と同じ轢死であり、両親の事と合わせてニュースになったりもした。しかし、今になっても明らかになっていないのは、なぜ妹がそんな事になったのかという事である。

 勿論、なぜ死んだのかと言えば、それはただ、列車にひかれたからであると、そう言うしかない。しかし、その頃僕たちが暮らしていた叔父の家から妹が死んだ踏切まで、二百メートルほど離れている。その距離は、大人にとってはそれほどのものではないが、しかし、当時四歳の妹からしたら、それなりの距離だろう。

 何よりも妹は、その危険性を知っていたはずなのである。両親を踏切事故によって失った子供が、同じ死に方をするだろうか。むしろ、人一倍僕はその危険性を、知っていた。間違いなく死んでしまうという事実を、この目で見て知っていたのだ。両親の事故現場に居合わせたのは、僕だけではなく、妹も同じ事だった。

 そんな妹が、なぜそんな死に方をしてしまったのか。ただ幼かったという事実だけで片づけてしまうのは、あまりにも子供を見くびり過ぎているだろうと、僕は思う。勿論、子供は子供で、思いこみやすく、そして信じやすい生き物である事は、否定しない。僕もまたそうであった事は、事実なのだ。

 ただ、ほんの少し、僕は目を覚ますのが早かったというだけの事だ。それが、僕と妹の命運を分けたとは言わないけれど、しかし、妹は死ぬまで目を覚ます事は無かったのだろう。信じたままだったからこそ、死んでしまったのだろう。

 今でこそ、そう言う事が出来るけれど。両親にしたって、同じようなものなのだろう。

 例えば、ある特集番組では、僕の両親は無理心中を図ったのではないかと、そんな事を言った。今にして言うまでも無く、その頃の僕ですら、それが的外れな推測にすぎない事を、理解していた。

 叔父や叔母に言われるまでも無く、僕の両親がそんな人間ではない事を、僕は知っていたのだ。無理心中をしなければならない理由など、彼らには無かった。幸せな家庭というならば、両親が死ぬまでの僕の家族こそ、幸せな家庭だった。影なんてものはどこにも無かった。

 借金があったとか、そんなありふれた不幸とは、無関係な家庭だった。ありふれた家庭ではあったが、しかしそれでも、ありふれた不幸だけはそこに存在していなかった。妹が小さい頃で、それこそ、今となっては僕にも理解できるが、可愛い盛りだっただろう。

 失ってしまったのはお互い様だ。僕は両親を失い、両親は僕たちを失った。あの頃の僕は、それを不幸だと受け取っていなかった。

 そう言う子供であったという以上に、今もそう言う人間だろう。

 妹が死んだ事について語るのならば、それ以前にまず、僕の両親について語る事から始めなければならない。もしも、それに始まりというものがあったならば、間違いなく両親が死んだ事なのだから。

 普通の仮定と言ってしまえばそれまでだが、やはり、僕の両親である以上、そこには僕が知っていた人格というものが存在しているのだし、過去と、事情が存在していたのだ。仕事もしていたし、僕たちを可愛がってもいた。

 父は公務員で、母は専業主婦。その頃について思い出す事は、新しい家で自分の部屋をもらった事と、父のお下がりのビデオカメラをもらった事だ。

 父は、それなりの映像マニアだった。もともと、結婚する以前から映画マニアで、新築の家にもシアタールームをつくるくらい、性根の入ったマニアだったらしい。大人になると、それがどれ程の性根の入りようであるのかが分かる。あの頃は、むしろそれが当然であるとすら思っていたが、決してそんな事は無かった。

 結婚して、子供が生まれた頃。つまり、僕が生まれたことで、映像を記録する事も始めたらしい。今も僕の手元には、父の遺産がわりとして膨大な映像記録が残されている。

 誰だって、それを見れば、父や母が無理心中を図るような両親では無かった事を分かってくれるだろう。その量が愛を示すとは言わないが、しかし、その映像の中身は、愛に溢れていた。

 母も負けず劣らず、愛をそそいでくれていた事を覚えている。僕にも、妹にも。

 その頃の僕は、まだ現実を知らない子供だった。父や母を見て、無条件に信頼しているような、普通の子供だった。僕が大人になっても、両親は生きているのだと思っていた。生憎、祖父母は僕が物心つくより以前に無くなっていたので、そう言ったビジョンは持っていなかったけれど、きっと、年寄りになっても生きていると思っていたのだろう。

 もしかしたら、老けるという発想すら、抱いていなかったのかもしれない。

 今となっては、父の残した膨大な映像記録と、母が残した写真アルバムでしか、僕は両親の顔を見る事が出来ない。純粋に、両親ともに移っている映像は、両親が死ぬ寸前に僕がビデオカメラを持った時の映像しかない。その映像によって、両親の死の真相が開かされる事を警察や、無関係な社会すら望んだものであったが、残念な事に、というかなんというか、まさにその直前、踏切の閉まる時になる音が入った直後に、映像は途切れてしまっていた。まさか、その一瞬後に死ぬ事になるとは、その時の両親も思っていなかっただろう。

 間違いなく。そんな事は欠片ほども思っていなかった。

 それだけ分かってもらえれば、どれだけの事であったのか分かってもらえるだろう。家族だって、父の弟にあたる叔父夫婦だって、結局僕の両親がなぜ死んでしまったのかが分からないのだ。

 どんなに調べても、どんなに探っても、真相にたどり着く事は無い。現実は、狂気よりも狂っている。僕を含めたすべての人間の目は、常識というものに囚われ、濁っているからこそ、真実を見通す事は出来ない。

 僕にしたって、例えば今、あの頃僕の周囲で起こった事件と同じ事が日本のどこかで、あるいは僕の周囲であったとしても、真実にたどり着く事は出来ないだろう。全く同じ経験であっても、そんなものだ。

 両親が死ぬとすぐに、僕と妹は父の弟にあたる叔父夫婦に引き取られた。それに伴って、僕たちは父の立てた新しい家から、叔父の家に映る事になった。

 しかし、僕たちの生活する環境が大きく変化したというわけではなかった。僕は六歳になったばかりで、まだ小学校には通っていなかったし、何よりも叔父の家は、僕たちの家に良く似ていたのだった。

 子供の頃こそ、顕著だと思うのだが、僕が妹に感じたように、兄弟姉妹というものはお互いにとって最大の理解者なのではないだろうか。似ているというのであれば、やはりどこか共通して来るものだ。例えば、そのわかりやすい例が、双子の間にあるという特別なきずなであったりするのだと思う。

 生活環境が同じであれば、似たような人間が出来上がる。家庭環境というものは、人格形成において大きな割合を占めるものだろう。

 僕と妹の間にあったように、あるいは男兄弟であるからこそ、それ以上に、父と叔父は似ていたのだろう。僕と妹の類似性異常に、父と叔父との間にそれを見てとる事が出来た。あの頃の僕は、妹の考えている事をほとんど正確に読み取ることが出来たし、何をしたいのか、何を隠しているのか、手に取るように分かった。

 しかしそれらの事は、あくまでも一方通行に過ぎない。妹が僕の考えている事を読み取っていたとは考えられないし、そうであったならば、こんな事には成っていないだろう。少なくとも、あの時に関しては、違った結果になっていたはずだ。

 何にせよ、そう言った意味で僕たちの生活はあまり変わる事が無かったという事である。伯父と父が良く似ている以上、選んだ女性も似ていたという事だろう。子供が居なかった叔父夫婦は、僕たちを本当の子供のように可愛がってくれた。あるいは、もっと長く彼らと一緒に居たら、本当の息子になっていたのかもしれない。

 伯父と父の類似性は、前述のように建てた家に顕著に表れていた。同じような環境で育ち、同じような趣味を持った結果なのだろう。

 叔父はそれに関してあまり良い顔をしていた記憶は無いが、叔父のシアタールームは、僕と妹にとって主な遊び場になっていた。決して良い顔をしなくても、それを禁じなかったのは、僕たちが父の思い出に浸っているかもしれないと考えていたからだろうし、僕たちが何か壊したりすることが無かったからだろう。

 その頃の妹というか、まあ、妹が居たのはその頃までだったのだが、僕によくなついていた。いつも僕の後ろを、ちょろちょろと付いてくる、そんな妹。環境が大きく変わったとは言わないまでも、当時それなりに僕たちの両親の事はニュースになっており、僕たちはあまり外には出ないように言われていた。だから、その頃妹と二人で居る時間は長かった。

 はじめの頃こそ、叔母も一緒だったのだが、手のかかる子供ではないと判断したのだろう、僕たちが遊んでいる間家事をこなしている事が多くなった。後になって知った事だが、僕たちを引き取るにあたって、叔母はそれまでの仕事をきっぱりと止めていたらしい。その辺りの事からも、やはり、ゆくゆくは本当の子供にするつもりだったのかもしれないと、そう思う。

 その頃、シアタールームで映画を見る事は少なかった。僕は父のシアタールームで飽きるほど映画を見ていたので、叔父のコレクションに興味を持つ頃は無かった。その辺りは、今になっても変わる事がない。あれだけ映画を見せてもらっておきながら、映画好きには成らなかったあたり、僕は親不孝者なのかもしれない。

 だから、僕がシアタールームで見ていたのは、もっぱら、父がビデオカメラで録画した映像だった。そればかりではなかったが、ほとんどの時間それを見ていた。そんなとき、妹が退屈することもあった。なので、そう言う時、僕たちは宝探しゲームというものをしていた。

 例えば、シアタールームで遊ぶ事は許可した叔父であったが、ある一定の区画は僕たちが触れる事が出来ないように施錠されていた。それは、叔父のコレクションの中にあって貴重なものも存在していたが、それ以上に、僕たちが見るのにふさわしくないと判断されたものである。叔父のコレクションは幅広く、もしかしたら、映像と名の付くものを手に入る限りすべて網羅していたのかもしれない。そんな中にあっても、叔父はスプラッターというものに興味が無かったらしい。見ても面白いとは、思えなかったそうだ。

 しかしその辺り、叔父は度量が広かったらしく、いつか面白いと思える時が来るかもしれないと、思っていた。自分の感性が鈍いからこそ、価値を見つける事が出来ないと思っているような、理想的なマニアだった。

 まあ、刺激的である以上に、スプラッター映画の中には列車に轢かれて死ぬ事があるからこそ、僕たちの手が届かないところに保管していたのだろう。確かにそれは、そうした事によって両親を失った子供には、見せるべきではない。

 しかし、そんな叔父の配慮に関係なく、それを手に届かないようにするための鍵は、僕たちにとって探すべき宝のようなものだった。

 それを探して、何をするわけでも無かったが、見つけた事がばれないように元に戻すことまでが、ゲームだった。まあ、やはりそれ以上に、過去の映像を見る事の方が多かった。あるいは、父の残したビデオカメラを使って妹の様子を記録している事が、その頃の僕の主な過ごし方である。

 電気をつけなければ真っ暗になるシアタールームは、まさに宝の洞窟のようだった。僕にとってそうであって以上に、妹にとってそこはまさに宝の洞窟だった。

 忘れてはならないのは、そう言う場所には魔物が潜んでいる事があるという事だ。妹が死んだ事は、それを知らなかったからこそではないだろうか。

 妹の様子がおかしくなったのは、僕たちが外に出ることを許可された頃だ。その辺りの時期から、僕はあまり妹と行動を共にする事が少なくなる。それは、僕が妹から距離をとったというよりも、妹の方が僕について来なくなったのだった。

 その辺りの事情はいろいろと考える事が出来るし、妹が何を考えていたのかも、僕には簡単に理解することが出来た。つまり、僕の後をついて歩く以上に、過去の映像を見る事の方が興味深かったというだけの事である。その時の妹を見ていれば、誰だってその程度の事は分かるだろう。

 外に出て僕が新しい友人を見つけている間、妹はシアタールームで独り過ごしていた。いつ、どんなタイミングで何をしていたのかは分からないが、大まかな所に関して予想する事が出来た。

 宝探しと過去の映像。

 まあ、いくら僕が妹の事を理解していたとは言っても、妹がアトランダムに選択した映像が、どのテープであったのかを予測する事は出来ない。それはあくまでも偶然に過ぎないし、そこまで予測できたのなら、今僕はサラリーマンではなく占い師でもやっている事だろう。

 ともかく、その頃から妹の様子は変わったのだった。

 おそらく、最初にその変化に気が付いたのは叔母だっただろう。僕とはなれた妹の一番傍に居たのは彼女だったのだし、僕と妹が別行動をしていてもそれについて何も言う事が無かったのは、妹が叔母の目が届く範囲に居たからこそである。

 取り立てて奇行に走っていたわけではなかったが、様子は変わった。

 その変化を叔父と叔母がどのように受け取っていたのか、それは分からない。気には掛けていても、子供を育てた事がない二人であったのだから、その変化を子供の成長に伴う変化であると捉えていたのかもしれない。

 実際その時点で、妹の変化に気が付いていたとしても、それで結果が変わったとは思えない。あの時点で、全ての結果を見通すことが出来るようであれば、そもそも、叔父と叔母は僕たちを引き取る事が無かっただろう。

 具体的な変化を叔母が深刻に受け止めた時、彼女はそれを、何かが乗り移っているようだと表現した。その表現は、まさに的を射ていたのだと思う。子供が影響されやすいという以上に、妹は子供らしくないもの言いをして、また子供らしくない振る舞いをした。

 それは、僕の父のような物言いであったり、僕の母のような振る舞いだった。両親を失った子供が、過去の映像を見てそれに影響されたと言えば、それまでだった。しかし、おそらく両親の記憶というものをほとんど、あるいはまったくと言っていいほど持っていない妹がそんな行動に至るというのは、大人である叔父と叔母にとっても不可解だった。

 何よりも叔父と叔母は、妹にとって実際の父と母よりも近い存在であり、お父さん、お母さんと呼んでいたのは、むしろ叔父と叔母の方だった。だからこそ、彼らにとってその変化は不可解だった。

 そして、良く口にするようになったのは、父と母に会いたいという事だった。それもまた、単純に叔父と叔母が本当の両親でない事を理解して、その結果そんな事を言ったのかもしれないと、叔父や叔母も考えただろう。

 しかし、どんなふうに諭されても、父と母に会う事は出来ないといわれても、妹は頑なにそれを言い張った。叔母がうんざりするくらい、それを繰り返していた。まるでそれは、叔母に対するいやがらせのように叔母には聞こえた事だろう。

 なので、しばらく経つと、叔母は僕に対して妹を連れて遊びに行くように言いつけるようになった。

 妹を外に連れ出した時は、あまり僕の友人と遊ぶ事は無かった。ほとんど二人で、大抵僕は妹の話を聞いているか、妹に聞かれた事に答えていた。僕たちの話題は、いつだって、どうすれば両親に会う事が出来るのか、という事についてだった。そして妹は、僕以上に熱心にそれについて考えているようだった。それから、時折、妹はそのちっちゃな手に鍵を握ってきて、僕に見せたりもした。

 言うまでも無く、それは叔父のシアタールームの宝物だった。妹の宝探しは続いていて、妹の興味はどこに行っても変わらなかった。妹の目は、過去に向いていた。あるいは、誰かによって過去へと向けられていたと言えるのかもしれない。

 雨の日や、外へ行く気がしない日は、以前と同じように叔父のシアタールームで過ごした。妹が望みの映像を見ている間、僕は過去の記録を整理したり、叔父のコレクションに目を通したりしていた。僕が叔父のコレクションの広さに気が付いたのは、その頃の事だ。もしもその事実に、僕がもっと早く気が付いていたら、結末は変わっていただろうか。

 いや、今になって考えた所で、その程度で何かが変わったとは、やはり思えない。

 その頃になると、妹の興味は過去の映像から、叔父のコレクションの一部へと移っていた。妹の興味の変化について、僕は何も言うつもりは無かった。妹が望むものを好きに見ていればいい、とだけ考えていた。叔母は、僕たちが静かに過ごしている事、妹の様子が再び変化して、以前のように両親に会いたいといわなくなったことで、満足していた。僕と一緒になることで静かに過ごす妹を見て、叔母は僕を褒めてくれたものだった。

 妹と顔を合わせる事を恐れている節さえあって、実際、僕を褒めてくれる時も妹が何か映像を見ている時、僕だけを外に読んで褒めてくれた。

 それから少したつと、僕は小学校に入学し、僕が学校に行っている間は、叔母が妹の様子を見なければならなくなった。その間も、妹の様子は変わる事が無かった。僕が小学校に行くようになるよりも前に、シアタールームで独り過ごす分には、何一つ不自由することが無くなっていたので、叔母の手を煩わせる事は無くなっていた。叔母の言う事にもきちんと従っていたし、問題は何もないようだった。

 しかし。

 僕の七歳の誕生日が過ぎて、次の日は僕の両親の命日となったその日、妹が死んだ。その日どの映像を見たのか、映写機からテープが取り出されておりどれであったのかは分からなかったそうだ。

 踏切に飛び込んでの自殺。

 それは、両親と同じ死に方だった。






 その事実は、世間に取り上げられるには十分だった。両親の後を追うように死んだ幼い子供なんて、あまりにも絵に描いた様な可哀そうさで、誰もが思い描く事が出来る。その頃の流行は、僕と妹のそれまでの人生についてあれこれと推測を重ねる事だった。大きなお世話も甚だしいが、今でも時折、あの頃の子供は今と銘打って、僕に取材がやってくることもあるほどである。そこまで言えば、それがどれ程大きく取り上げられたのかを、わかってもらえるだろう。

 まるで両親の霊が乗り移って、妹は操られるように死んだのではないか。

 そんな推測が山のように積み上げられた。数多くの報道のうち、半分ほどはそのような事を言っていた。妹が死ぬ前に両親の映像を見ていた事、両親が乗り移ったかのようにふるまっていた事、それらはその推測を裏打ちしているかのようであった。

 しかし僕は、それに対して断固異を唱えよう。そんな幻想は、幽霊や霊魂のようなあやふやなものであって、確固たる現実を前にしてどこまでも無力だ。人を殺す事が出来るのは、現実と人間だけである。

 そんな事は社会において最低限存在する常識であって、言うまでも無い事である。

 だからこそ、報道の内の半分はそのような論調であった。家からほとんど出る事の無かった幼い少女。兄だけに心を開いていた妹。それらの事実を元に組み立てられる事は、ただ一つだ。

 妹を殺したものがあったとしたら、それは、叔父と叔母の二人である。当時の報道の半分、しかも、まともにものを言っているとされる者のほぼ全てが、そのような論調だった。

 僕が知っている事実として、叔父や叔母が本当に僕たちを思ってくれていたということすら、僕が学校に行っている間に妹が死んでしまった以上、無意味であるとされた。勿論、そんな事を当時、僕が言う機会は与えられなかったが、今それを言った所でそんな扱いである。当時に至っては、僕はあくまでも、運良く生き残った被害者に過ぎなかった。妹と僕の運命を分けたものが運だなんて、お笑い草も良い所だった。

 妹が死んだ理由はただ一つ、過去の写像を見たからこそである。妹を誰よりも理解していたという自負とともに、僕はそう断言しよう。夢と現実の区別がつけられるほど、妹は成長していなかった。それだけの事だ。


 しかし、そんな事に関係なく、その後しばらくたって叔父と叔母が死んだ。彼らの死に方もまた、踏切事故による轢死だった。両親がそうであったように、妹がそうであったように、叔父と叔母もまた、まともに死体が残るような死に方では無かった。

 僕が思うに、それは考えられる限り最も無残な死に方の一つなのではないだろうか。まあ、この場合の無残を、遠慮のない言葉に置き換えれば、汚いとしても良い。

 世間から槍玉に挙げられて、在りもしない責任を押し付けられた結果、彼らは死を選ぶにいたった。

 例えば、踏切事故によって両親を失った二人の子供を、踏切から二百メートルほどしか離れていない場所で引き取った事。それは、配慮が足りなかったのではないか。

 例えば、父親が建てた家に似ている家に引き取った事は、正しかったのか。それはむしろ、子供にとって混乱を生んでしまったのではないか。

 例えば、スプラッター映画を見る事が出来た環境というものは、目の前で両親を失った子供たちにとって、決して良い結果を与えなかったのではないか。

 そんな、どこまでも的外れで、結局どこまで行っても、悪意をもって見てしまえばそう捉える事が出来る事ばかりだった。しかしそれらの悪意は、確実に叔父と叔母の精神を蝕み、狂気を抱かせた。

 駄目押しは、妹が写っている映像記録を見た事なのかもしれない。あるいはそれに加えて、僕の両親が死ぬ瞬間の映像を見た事が、彼らの死に方を決めたのかもしれない。

 映像の中の妹はこう言っている。

 死んだ人と同じ死に方をしたら、きっとその人に会える。

 両親は踏切事故による轢死で、妹はそれを実際には目撃していないし、その日の事すら覚えていなかったけれど。それでも。映像からその瞬間を知る事は出来た。


 何にせよ、僕はそうして家族を失い、その後は施設に引き取られる事になった。叔父や叔母以外にも親戚は居たのだが、いくらなんでもその時の僕を引き取ろうなんて親戚は現れなかった。叔父や叔母の結果を見れば、彼らの選択は賢かったと言えるのかもしれない。

 その後の僕は、絵にかいたような人生だった。不幸な生い立ちに負ける事無く、優秀な成績を残し、学費免除で大学を卒業し、優良企業に勤める。美人の奥さんを貰い、幸せな家庭を築く。

 だからこそ、時折僕を取材するメディアもあらわれるのだろうが、僕にとってそれが大した負担にはならない。

 生憎、子供に恵まれる事は無かった。何かの呪いでもあるように、僕の妻は二度流産し、子供が産めない体になってしまった。その事について、妻は深刻なダメージを受けてしまった。しかし、僕は、それもまた運命であると考えている。

 そうなったら、仕方がない。世の中は結局、なるようにしかならないのだから。子供が産めなかったのなら、それはそう言う事であったという事だ。妻にそれをそのまま言ったりするほど、僕は人でなしではないけれど、そう思っているし、それを何らかの形で妻にも伝える事になる。







 ――――――ああ、そういえば。

 妻は明日辺り死ぬだろう。僕の予定では、そうなっている。



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