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GREY  作者: 柿谷巡
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8話「鏡合わせの少女」

 部屋に入ってきたヒューバートン男爵は、ため息交じりにそう言いました。


 「全く信じられん」そして彼はグレイシアの前まで大股でずかずかとやって来ました。「お前がリリィの代役か」男爵はグレイシアの顔をまじまじと見てそう言いました。


 「容姿は確かにそっくりだ。だが、そんな馬鹿げたことをこの私が本当に許すと思っているのか?」男爵はぴしゃりとそう言って夫人を睨みつけました。男爵の言葉にはぞっとするような凄みがあり、夫人は思わずひるんでしまいました。


 「ええ…リリィの具合が悪いものですから‥」夫人は急にしおらしくなり、慎み深い態度でそう言ったものですから、グレイシアは、夫人は男爵に逆らえないのだと思いました。


 「おい、そう言えばリリィとメアリーはどこだ?茶会はもうとっくに終わったぞ」男爵は思い出したように夫人に言いました。夫人は平静を失っていましたからリリィとメアリーのことなどすっかり忘れていました。


 「ええ、あの二人はどこへ行ったのでしょうか。もうじき帰って来るとは思いますが」夫人は心配そうに早口でそう言いました。


 単純に男爵は確認しただけではありませんでした。茶会はとっくに終わったはずなのに、時間が経ちすぎています。男爵の顔がとても恐ろしい形相に変わったので、夫人は彼の機嫌をとろうと思い、慌ててこう言いました。「でも、リリィは茶会の後、ジルフォード侯爵の息子のダニエルに呼ばれたんですよ。なんでも二人きりで話がしたいとダニエルが直々に申し出たとか」夫人がそう言った途端、男爵の表情が少しだけ和らぎました。


 「それは大いに結構だ。ここに戻るのが遅くなっても仕方あるまい。リリィは、どこかの誰かと違って我が家に貢献する姿勢が見られるようだな」男爵は満足気にそう言うと、軽蔑するような視線をルーシャスに向けました。


 「ええ‥!きっとそうですよ。だからもうじき、戻って来ますわ」夫人はわざとらしく明るく言いましたが、彼女の瞳からは不安の色が見えました。


 それもそのはず、リリィはあそこまで具合を悪そうにしていたにもかかわらず部屋にまだ戻っていていないのです。それに同行したはずのメアリーもまだ戻って来ていません。それは親であれば誰でも気にする問題でした。


 「…リリィはあの調子じゃ流石に舞踏会に出るのは無理だと思いますわ。ただでさえリリィはダンスが下手で社交の場でも引っ込み思案でうまく立ち回れないというのに、おまけにあんなに具合が悪そうにしていたら悪目立ちもいいところよ」夫人は眉をひそめて憂鬱な表情を浮かべてそう言いました。


 「やむを得ないか」男爵も眉間を抑えながら言いました。すると2回扉をノックする音が聞こえ、メアリーが血相を変えて部屋へ入って来ました。


 「旦那様!!奥様!!リリィ様はここに戻られておりますか?」メアリーは悲壮な表情を浮かべて、そう言いました。彼女は言葉を言い終わると、ぜえぜえとその場で苦しそうに呼吸を繰り返しました。


 ローラはメアリーがいつもの落ち着いた穏やかな雰囲気とは明らかに異なる雰囲気を纏っていたため、心配になって彼女のそばに駆け寄りました。


 するとそんなメアリーと入れ違いになるようにリアンとミアが勢いよく、部屋を出ていきました。


 しかし、リアンとミアへの注目は全く注がれていなかったため、彼らがどこへ行ったかどうかなど誰も気にしていませんでした。「リリィはまだ戻ってないわよ!!」夫人は目を丸くして叫びました。


「一体どういうことだ?メアリー、説明しろ」男爵はあまり状況を飲み込めていない様子でそう言いました。


 「奥様はご承知の通り、リリィ様は茶会が終わった後の客間でダニエル様と二人で話をすることになっておりました。


 私はリリィ様に客間の外で待っていても良いか聞きましたが、ダニエル様が、話が終わり次第、リリィ様をこの部屋まで使用人と共に送り届けるからその必要はないと言いまして‥私は少しの間客間を離れてこの部屋に戻っておりました、しばらく待ってもまだお戻りになられないので、心配になって客間に向かいましたらそこには誰も居なくて‥‥」メアリーは早口でそう言いました。


 「なんだと!!全く使用人の分際で私の娘から目を離すとは…恥を知れ!!」男爵はそう言って狼狽えるメアリーの頬を思いきりひっぱたこうとしました。


 しかし、ローラが瞬時にメアリーに覆いかぶさるようにして、それを阻止しました。「やめて!!メアリーは悪くないもん!!」ローラは懸命にそう言いました。男爵は振り上げた片手を下ろすと苛立ちを隠さずにこう言いました。


 「おい、メアリー。この私の信頼を損ないたくないのであれば、今すぐにこの小汚い小娘に夜会服に着替えさせろ。そして徹底的に社交界のマナーを頭に叩き込め」男爵は低い声でメアリーにそう命じた後、意地の悪い笑みを浮かべてこう言いました。「その小娘は所詮、この舞踏会だけのリリィの代理だ。後で本人にはしっかりと仕置きをしないとな。こんな大事な時に熱を出すとは罰が必要だ」男爵の言葉にメアリーは戸惑い、リリィを守ろうと強い口調でこう言いました。


 「旦那様!!どうしてそのような酷なことをおっしゃるのですか?リリィ様はこの船に乗る前から既に具合が悪そうにしておりましたよね。それでも、メアリー様は無理をして茶会にまで参加したというのに…どうか、おやめください!!」彼女は懇願するような目で男爵を見つめました。


 しかし、彼女の態度を差し出がましく思ったのか、男爵は遂にメアリーの頬をぴしゃりと叩きました。「おのれ‥この私に意見するとは何事か!!」鋭い剣幕で男爵は怒鳴りました。


 ローラはメアリーにしがみつき、大声で泣き始めました。この一部始終を見ていたグレイシアとエリオットは思わず呆気に取られていました。ヒューバートン男爵家は、精神的にまとまりがなく、常に混乱している家庭なのかもしれないとグレイシアは思いました。


 「お前、いつの間に男爵の娘のふりをすることになったのか?」エリオットはふと我に返り彼女にそう耳打ちしました。グレイシアもうまくいくのか心配になりましたが、静かに頷きました。実は男爵がメアリーに怒鳴りつけているこの間に、もっととんでもないことが起きていました。


 なんと、ルーシャスがリビングを抜けて、男爵と夫人の部屋に入り、鋭く光る男爵自慢の長剣を勝手に奪い、この部屋を出ていこうとしたのです。それに気づいた男爵は慌ててこう言いました。「貴様!!どこへ行くつもりだ。その剣は私のものだぞ!!」


 しかし、ルーシャスは何かに憑りつかれたかのように、男爵の言葉を全く気にも留めず、力強くこう言いました。「お父様、これから俺は決闘でルイスに勝ちます。アイツは今この船のデッキで俺を待っているはずです!」男爵は急に息子から剣を奪われ、訳の分からないことを堂々と告げられて、思わず言葉に詰まってしまいました。


 「この剣で‥‥ルイスを切り刻んで殺してやる!!!」彼は鬼気迫る表情で、そんな恐ろしいことを言い残し、勢いよく部屋を出ていきました。彼がとんでもないことを口にして部屋を出ていったので、皆、思わず呆気にとられていました。ルーシャスはヒューバートン男爵家の中で一番気性が荒い性格でしたが、まさかここまで酷いと思わなかったからです。


 しばらく沈黙が流れた後、ジェイスが口を開きました。「じっとしている場合ではありません!ルーシャスを追いかけますよ。エリオットさん」彼はそう言ってエリオットの肩を持つとにこりと微笑み、部屋を颯爽と出ていきました。


 「え?俺も?」エリオットは思わずそう呟きましたが、グレイシアの方を見ると、彼女はエリオットの目を見てしっかりと頷きました。エリオットは思わず渋い顔をしましたが、仕方なく彼を追いかけることにしました。


 エリオットがルーシャスを追いかけている間、男爵と夫人はジルフォード侯爵の手下の協力を得て、本格的に居なくなったリリィの捜索を始めました。


 男爵と夫人は見つけた彼女にどんな仕置きをしようか企んでいるようでした。ローラは、悪だくみをして意地の悪い表情を浮かべる両親に身震いして、メアリーにずっとしがみついていました。


 もはやメアリーのエプロンはローラの涙でぐちょぐちょで、しわくちゃになっていました。メアリーは怯えるローラに気を取り直してもらうべく、グレイシアに着せる夜会服を一緒に選ぼうと言いました。


 「グレイシアは男の人じゃないの?」メアリーがきょとんとした顔でそう言ったので、メアリーは思わず笑って彼女が女性であることを言いました。


 ローラは今の今まで、彼女が勇敢にギャングから自分を助けてくれたことや、彼女の身に着けているものは全てベンのおさがりだったものですから、男性だと思い込んでしまったのです。


 そして、二人はグレイシアと共に、リビングを出て衣装棚と化粧台のあるリリィとメアリーの部屋へと向かいました。メアリーはローラと相談しながら、持ってきた沢山の豪華なドレスやアクセサリーの入ったクローゼットを眺めていました。


 「やっぱり今流行の白いドレスが良いかしら、でもお嬢様のお好きなピンク色のドレス方が…」メアリーはそう呟きながらドレスを取り出してはあれやこれやと悩んでいました。すると、しばらくしてローラが目を輝かせながらこう言いました。


 「これがいい!!グレイシアにピッタリ!!」ローラはそう言って衣装棚から一着のドレスを指差しました。メアリーはそのドレスを見た後に、グレイシアの方を横目見てから、うんうんと納得したように頷きました。そして、メアリーはそのドレスをグレイシアに見せました。


 そのドレスは、紫色の絹の生地に、金色の糸の刺繍や細かい宝石が散りばめられ、同色のベルベッドのフリルがあしらわれたとても美しいドレスでした。グレイシアはそのドレスを見た瞬間、目を輝かせて小さく感嘆の声を上げました。


 メアリーは早速そのドレスを彼女に着せ、髪を整えて化粧を施しました。全ての準備が終わった後、グレイシアは姿見を目にして驚きました。彼女は幼い頃から着てみたかったドレスを、今こうして着ている実感が沸かず、何度も瞬きをしました。「凄いわ…私じゃないみたい。ありがとうございます」彼女はメアリーにお礼を言いました。メアリーは微笑み、ローラは嬉しそうにその場で小刻みにジャンプしました。


 「とてもよくお似合いです。着飾ると本当にリリィ様にそっくりだわ。いや、アンドレア女王にも似ていますね」メアリーはグレイシアの姿を眺めながらそう言いました。グレイシアは彼女が思いがけないことを口にしたものですから、すかさずこう聞き返しました。


 「アンドレア女王って‥確かこの国に居た亡くなった女王様のことですよね?」彼女の言葉にメアリーはぱちぱちと瞬きをしました。彼女はすぐにしまった、口を滑らせてしまったと思い、口元に手を当てました。しかし一度口にした言葉を取り消すことなどできません。メアリーはグレイシアに話すことにしました。「ええ、今は貴族が政権を握っておりますが、前は王族が長きに渡りこの国を治めていました」メアリーがどこか遠い目をしてそう言いました。


 グレイシアは思いを馳せるような彼女の横顔を目にして、彼女がいつもとは違う感情に囚われているように感じました。グレイシアが住んでいるヒューバートンの土地や、離れた位置にあるジルフォードの土地など、それ以外にも様々な土地が存在し、それらを貴族達が治めておりました。


 そして、それらの土地は隣り合い、ルーヴァントという一つの国を成しているのでした。前はこの国は王族であるアンドレア女王が治める王国でしたが、現在はヴァンチェスター公爵という貴族が治めている公国であることをグレイシアはベンから教えられていました。


 「リリィ様はアンドレア女王とお顔立ちがよく似ていると思っておりましたので…でも王国が廃れた今、このような話をするのは貴族の間では好ましくないとされていますがね」メアリーは少し後ろめたそうに早口にそう言いました。


 「いいえ、お気になさらず。こんな時にいうものじゃないかもしれませんが、素敵なドレスを着ることが出来て嬉しいです」グレイシアは丁寧に感謝の言葉を述べると、はっと我に返りこのドレスを本来着るはずだったリリィのことが頭をよぎりました。


 「メアリーさん。私もリリィ様を探しても良いでしょうか」グレイシアは先程ボイラー室に行く前に、具合の悪そうなリリィの姿を直接目にしておりましたから、彼女のことが心配になりました。メアリーは彼女の言葉に深く頷きました。


 「そうですね、私達も手分けして探しましょう」彼女は真剣な表情でそう言うと、クローゼットを閉じて化粧台の引き出しを閉め、エプロンを外して気持ちを切り替えました。しかしそんな彼女にグレイシアはこう言いました。

 

 「でも、もしかすると、リリィ様がこの部屋に戻って来るかもしれません。私は探してきますから、お二人はこの部屋で待っていただけないでしょうか。すぐに戻ります」メアリーは自分も探しに行く気でいましたが、彼女の真意を汲み取りこう言いました。


 「分かりました。グレイシアさん、よろしくお願いします。あと‥これは私の勝手な憶測ですがね」メアリーはグレイシアに神妙な面持ちで言いました。「リリィ様は一人になりたがっているんじゃないでしょうか。だから、彼女は人目につかない場所に身を潜めて隠れているのですよ。私がリリィ様の立場だったらそうしますとも、なにせこの部屋に戻れば仕置きが待っているのですから」メアリーは眉をひそめて言いました。


 「それにリリィ様は本当に可哀そうです。この間の舞踏会で初めて正式に社交界に出たというのに、そんな記念すべき日にあの公の場でルイスに階段から突き落とされたのです。彼女に会ったらどうか責めずに優しい言葉をかけてあげてください」メアリーは真剣な表情でそう頼みました。グレイシアはしっかりと頷くと、直ぐに部屋を出ました。


 グレイシアが部屋を出ると、廊下にはまばらに人がいました。グレイシアは足早に長い廊下を抜けて、ロビーへ出ました。「人目につかず…誰でも入ることが出来て、隠れられる場所」彼女はそう呟くと、目の前にあった階段を登りました。


 彼女はしばらく人気の少ない通路を選んで歩いていると、その部屋の仰々しい装飾が施された扉が目に入りました。その扉には宝物庫と書かれたプレートが張られていました。


 そしてその部屋の前には退屈そうに壁にもたれながら腕を組んでうたた寝をしているジルフォード侯爵の手下が居ました。 グレイシアがその手下を見つめていると彼ははっと目を覚まし、上品に会釈してこう言いました。


 「宝物庫へようこそ、お嬢様。ジルフォード卿自慢のコレクションをご覧あれ。どうぞ中へお入りください」その手下は快く彼女を宝物庫の中へと通してくれました。


 その部屋に入るとグレイシアは思わず息を呑みました。なんとそこは何十人も入れそうな程広く、床には赤い金色の糸で刺繍が施されたふかふかの見事な絨毯が敷かれていました。


 頭上には大きなシャンデリアが飾られており、銀色に輝く立派な鎧が飾られていました。そしてずらりと美しい天使や恐ろしい悪魔の彫刻、見たこともないような奇妙な動物の形を模した彫刻など、あらゆる様々な彫刻が並んでいました。


 壁には金の額縁に飾られた重厚感のある絵画や宗教画の描かれた迫力のある美しいタペストリーが飾られ、そしてその側には銀で作られた食器やナイフ、宝石のついたネックレスがずらりと並んでおり、目が眩むほどの輝きを放っていました。


 彼女はそれらを目の当たりにして、思わず自分はワンダーランドにでも迷い込んでしまったのかと思いました。そして、ふとある本棚に目をやりました。そこにはずらりと戯曲集が並んでおり、グレイシアが知っている作品もありました。


 「侯爵の宝箱みたいな場所ね。本当にここに居るのかしら」彼女は小さくそう呟くと、この場にあるものはどれも最高級の素材で出来ており、希少性の高いものなのだろうと思いました。なんだかジルフォード侯爵の財力をありありと見せつけられたような気がして、彼女は辟易しました。


 「貴方もここへ暇を潰しに来たのですか?」突然、彼女は背後からそう声をかけられて、予期せぬことに驚きました。彼女が後ろを振り向くとそこには一人の青年が立っていました。彼は、アッシュグリーンの長髪を後ろで束ね、フリルのついたブラウスに、大粒のアクアマリンのついたネックレスをした、刺繍の施された豪華な深緑色のコートを着た美しい青年でした。


 その身なりや品のある態度は自然と彼が貴族の息子であることを感じさせました。グレイシアは自分よりもやや年上に見える大人びた青年を目にして、自分の正体が彼にバレないようにやり過さなければと思いました。「やはり、リリィ様でしたか。先ほどの茶会でお会いしましたね。ご体調は大丈夫ですか?」彼は心配そうにグレイシアを見つめて言いました。


 グレイシアは自分の正体が見破られていないことに安堵してこう言いました。「ええ。お気遣い感謝いたしますわ」グレイシアはそう言って上品に会釈しました。


 「もしお暇でしたら、僕と少し話しませんか?正直、これから始まる舞踏会が憂鬱でね」彼は芝居がかったようにそう言うと肩をすくめました。


 「すみません。一人になりたいのです」グレイシアは心底申し訳なさそうに言いました。そして彼女は彼から離れると、この部屋にリリィが居ないか辺りを散策することにしました。


 部屋の隅々に目をやると、奥の方に装飾の施された重厚な素材できた扉があることに気づきました。人目を引くその大げさな扉は、よく目立ちました。


 グレイシアは一応リリィがその扉の向こうに隠れていないか確認したいと思い、真っすぐにその扉の前まで歩きました。しかし、扉には大きなダイヤル式の錠前がかかっており、それを開けないと中に入れないようでした。


 「流石に…この中には居なさそうね」彼女は小さく呟くと、背後から先程の長髪の男性と思われる声が聞こえました。


 「その扉の先は、ジルフォード卿の書斎へと続いています。立ち入り禁止ですよ。先ほどのロビーでのジルフォード侯爵の説明を聞いていなかったのですか?」彼女が再び振り向くと、先程分かれたはずの長髪の彼が居ました。彼はやや不審そうな顔でグレイシアを見つめてそう言いました。


 グレイシアは彼が後を付けてきたのだと思い嫌悪感を覚え、これ以上接するとボロが出そうだと感じました。「一人になりたいのです。私に構わないでください」グレイシアは彼をあしらう訳にもいきませんからやや強くそう言うと、早足で扉から離れました。


 今度は彫刻の辺りを調べてみようと思い、彼女は辺りを見回しました。


 「誰かを探しているんでしょう?」その瞬間、長髪の彼が思いがけないことを口にしたものですから、グレイシアは心臓が飛び出しそうな程に驚きました。しかし彼女は冷静を装うことが人の倍得意だったため、自然に振り返りました。


 「お見通しですよ。さしずめ貴方は、ここでこのクルーズの主催者の息子であるダニエル・ウィルキンスが来るまで待っているんでしょう?どういうわけか、本命がありながら貴方に首ったけですもんね、彼」彼は少し呆れたような口調で、早口にそう言いました。


 グレイシアはてっきり自分の思惑が見抜かれたのではないかと思いましたから、拍子抜けした気持ちになりました。「それなら、尚更私を一人にして頂けないでしょうか」グレイシアは素っ気なくそう返しました。もはやしつこい彼のことを無視しても良いかもしれないと思いましたが、後をつけられていると思うと落ち着いてリリィを探すことも出来ないので、グレイシアは内心少し苛立っていました。


 「貴方は存外つれない人の様だ。やはり興味深い」彼はグレイシアの意に反して、何故か不敵な笑みを浮かべてそう言いました。グレイシアはいよいよ彼をどう扱ってよいか分からなくなりました。グレイシアはまた早足で再び彼から離れると、彫刻の前まで移動しました。


 天使や女神、ドラゴンなどの大きな彫刻が並び、どれも見入ってしまうほど美しく、繊細なその造りに公爵の美意識が感じられました。グレイシアはその中で、馬にまたがった騎士の彫刻の方に目をやりました。騎士は力を誇示するかのように甲冑を着て盾を持ち大剣を掲げており、馬は今にもこちらへ向かってきそうな程、躍動感がありました。


 グレイシアはその石造りの騎乗像に目を奪われ見入っていました。するとなんと、一瞬何かが動いたような気がしました。彼女はその瞬間を見逃さず、その彫刻をじっと見つめていると、自分と似た灰色の瞳の少女と目が合いました。慌てて少女はその彫刻に顔を引っ込めました。


 グレイシアはすぐにその彫刻の後ろ側に回ると、そこには彫刻の陰に身を潜めてうずくまっている、艶やかなブロンドの髪に灰色の瞳をして、コルセットで内蔵がはみ出しそうな程ウエストを絞り上げ、ダイヤモンドがあしらわれた豪華な薄いピンク色のフリルドレスを身に纏い、歩きにくそうなかかとの高い靴を履いた少女の姿がありました。


 彼女はやはり熱がありそうな火照った顔をして、自分と似た容姿をしていましたから、先ほど部屋で会ったリリィだとグレイシアは一目で分かりました。


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