第四話 八尺様の影
朝の光が差し込む教室。
いつもより少し早く登校した杏奈は、自分の席に座りながらカメラを机の上に並べて整理していた。
レンズを拭き、フィルムの確認をし、静かな時間を過ごしている。
「……よし」
小さく呟いたその時――
教室の入り口から、少し気弱そうな声が響く。
「……おはよう、神村さん」
杏奈はハッと顔を上げる。
そこには、前髪が目にかかるほど長い亮が立っていて、珍しく自分から声をかけてきていた。
「あっ……おはよう、影山くん」
一瞬、杏奈の胸がどきりと跳ねる。
普段あまり人と関わらない彼が自分に挨拶してくれるなんて――
それだけで少し嬉しくて、思わずカメラを抱きしめそうになる。
亮は気まずそうに目をそらしながら、
「……早いんだね、今日」
と呟く。
杏奈は照れ隠しのように笑って、
「うん、ちょっと整理してて……」
と返す。
その短い会話に、不思議とあたたかい空気が流れていた。
教室の空気はまだひんやりとしていて、人影も無い。
机に並べたカメラを整理している杏奈の隣に、ぽつりと亮の声が落ちる。
「……神村さん、カメラ好きなんだね」
杏奈は驚いて振り向く。
彼の口からそんな言葉が出るなんて、思ってもみなかった。
思わず、にっこりと笑ってしまう。
「うん! ちょっと見てみる?」
彼女は嬉しそうにカメラを操作し、今まで撮りためた景色の写真を液晶画面に映し出す。
港の海、夕焼けに染まる町並み、校舎裏の桜――
一枚一枚が、杏奈にとっては大切な記憶だった。
亮は静かに画面をのぞき込み、ほんの少しだけ口元をゆるめる。
「……すごい。どれも、きれいだね」
その言葉に杏奈の胸は高鳴る。
嬉しさが込み上げて、頬が自然に熱くなる。
ふと、二人の肩が触れた。
杏奈は心臓が跳ねるのを感じ、亮もわずかに体をこわばらせる。
画面を覗き込む距離は近すぎて、息づかいが混ざりそうで――
お互い、言葉を失ってしまう。
その時。
廊下から足音と話し声が近づいてきた。
「っ……!」
「……」
慌てて二人は距離をとる。
さっきまでの温度が嘘のように、机一つぶんの間隔を空け、何食わぬ顔をする。
教室に人影が差し込むと同時に、杏奈と亮はそっと目線を外した。
気まずいような、でもどこか温かい空気を共有していた。
教室の片隅。
杏奈と亮は、互いに少し距離を空けたまま、そっと目を合わせた。
言葉はない。
でも――たしかにさっきまでの近さ、肩が触れ合ったあの瞬間の熱がまだ残っている。
杏奈は胸の奥がじんわりと温かくなり、亮も気まずそうに視線を逸らしながらも、どこか優しい表情を浮かべていた。
教室に人が入ってきたわけでもないのに、ふたりの間にだけ秘密の空気が流れている。
それはまるで、誰にも触れられない小さな約束のように――。
杏奈はカメラを抱きしめるように胸に寄せ、心の中で小さく呟く。
「……誰にも言わない。私と影山くんだけのこと」
亮もまた、机に視線を落としながら、耳の先を赤く染めていた。
静かな朝の教室に、ふたりだけの秘密の余韻が溶けていった。
放課後
カーテン越しの夕日が差し込み、教室の机が長い影を落としていた。
杏奈は一人、机の上に散らばったノートやカメラをカバンにしまいながら、ため息をつく。
――そのとき。
「……あの」
不意に声をかけられ、杏奈は顔を上げた。
入り口に立っていたのは、影山亮だった。前髪に隠れた瞳が、こちらをちらりと覗いている。
「神村さん、もしよかったら……一緒に帰らない?」
小さな声。
でも、その言葉は杏奈の胸に強く響いた。
杏奈の手が止まる。カメラのストラップを持ったまま、心臓の音が急に大きくなる。
「え……えっと……」
返事が喉でつかえて出てこない。
亮は気まずそうに頭をかき、視線を逸らした。
「……無理なら、いいけど」
その弱々しい言葉に、杏奈は慌てて首を振った。
「ち、違うの! 無理とかじゃなくて……! わ、私も……一緒に帰りたい、です」
口に出した瞬間、顔が熱くなった。
亮は一瞬だけ目を丸くして、それから小さく微笑んだ。
「……よかった」
窓の外で夕焼けが赤く広がる。
杏奈の心もまた、じんわりと暖かく染まっていった。
二人は校舎を出て、夕焼けに染まる坂道を並んで歩き出した。
最初は互いに言葉が出てこない。靴の音だけがコツコツと響く。
杏奈は心臓がうるさくて、隣をちらっと見ることすら勇気が出なかった。
でも視線の端に、亮がほんの少しうつむいて歩く姿が映る。
その横顔が、夕陽の光で赤く照らされていた。
「……」
亮が何か言いかけて、やめた。
杏奈も声をかけようとしたけれど、同じように口を閉じてしまう。
沈黙。
だけど、不思議と居心地が悪くなかった。
――秘密を共有した仲だから?
――それとも、彼の優しさを知ってしまったから?
自分でもわからないまま、杏奈はそっと息をついた。
二人の間に流れる空気はぎこちなくて、だけど温かい。
ふと足元に伸びた影が重なっているのに気づき、杏奈は小さく笑ってしまった。
その声に気づいた亮も、わずかに唇の端を上げる。
言葉はなくても――
その瞬間、確かに「二人で歩いている」という実感があった。
二人で歩く帰り道。
沈黙はやっぱり気まずいけれど、杏奈は勇気を振り絞って口を開いた。
「ねえ、影山くん……付き合ってくれない?」
亮の足が止まった。
「えっ!?!?」
大きな声が夕暮れの通学路に響き、杏奈は一瞬キョトンとした顔を見せる。
亮は真っ赤な顔で慌てふためく。
「そ、そんな急に……!だって僕たち、まだ……」
彼の言葉を遮るように、杏奈は小首をかしげて、少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なに? 写真撮るの、付き合ってくれない?って意味なんだけど」
「……っ!」
亮の顔はさらに真っ赤になり、言葉を失う。
杏奈はぷっと吹き出して、肩を震わせて笑った。
「もしかして、影山くん……別の意味に聞こえたの?」
「ち、ちがっ……!いや……その……」
亮は視線を逸らし、耳まで赤く染まっていた。
杏奈の胸はどきどきしっぱなし。
でも、笑いながらも「もしも本当に“そっちの意味”でも悪くないかも」なんて、ほんの少しだけ心の奥で思っていた。
夕暮れの通学路。
さっきの「付き合って」騒動でまだお互い赤面が残る中、杏奈がふいに足を止めた。
「ねえ、影山くん……商店街、寄っていかない?」
「え? 商店街?」
首をかしげる亮に、杏奈はカメラを抱き直して、にっこり微笑んだ。
「せっかくだからさ、ちょっと写真撮りたいの。人が多くて、いろんな景色があるから練習になるんだよ」
そう言って、彼の袖を軽く引っ張る。
亮は一瞬ためらったが、杏奈の瞳のきらめきに押されるように頷いた。
「……わかった。じゃあ、ちょっとだけ」
夕方の商店街は、すでに夕飯の買い物をする人たちで賑わっていた。
焼き鳥の香ばしい匂い、八百屋の呼び込みの声、子どもたちの笑い声。
杏奈はカメラを構え、シャッターを切る。
「ほら、影山くん、あの看板の明かりすごくきれいだよ」
「ほんとだ……写真だと、なんか雰囲気が違うな」
二人の距離は自然と近くなる。
杏奈が夢中でシャッターを押すたび、亮の横顔もフレームに映り込みそうになって、杏奈の胸がまた高鳴った。
「影山くん、ちょっと立ってて」
杏奈は商店街の赤ちょうちんの下に亮を立たせ、パシャリとシャッターを切る。
「な、なんで僕まで……」
「えへへ、だって雰囲気出てるんだもん。いい写真になったよ」
杏奈の笑顔に、亮は耳まで赤く染めてうつむいた。
彼にとっては、ただ一枚の写真。
でも杏奈にとっては――その一枚が、かけがえのない宝物の始まりに思えた。
杏奈と亮が並んで歩いていると、駄菓子屋の前で地元の小学生たちがはしゃぎながら話しているのが耳に入った。
「なあなあ、"八尺様"って知ってる?」
「知らなーい、誰ー?」
「なんかさ、真っ白なワンピースを着た身長240センチもあるでっかい女の人だって!」
「えー!なにそれ、怖ーい!」
「しかもさ、男の子だけ襲うらしいよ!」
「えええ!?ほんと!?こわっ!」
声をひそめつつも興奮気味な子どもたち。
そのやりとりを耳にした亮は、ふっと笑いながらつぶやいた。
「……"八尺様"か。都市伝説なんて、懐かしいなぁ」
杏奈は一緒に笑ってみせる。
「そうだね。子どもの頃、よく友達と話してたよね、そういうの」
けれど――心のどこかで、杏奈は小さな焦燥を覚えていた。
(……なんだろう。この感じ。普通なら笑い飛ばせばいいのに……)
子どもたちの無邪気な声が、なぜか不吉な前触れのように耳に残る。
夕暮れの商店街を抜け、杏奈は自宅の前にたどり着いた。
少し冷たい風に肩をすくめながら「ただいま」と小さく呟き、玄関の扉を開ける。
その瞬間――
「おかえりー!お姉ちゃん!」
勢いよく飛び込んできた小さな影に、杏奈は思わずよろける。
抱きついてきたのは、まだ小学4年生の弟・舜だった。
「わっ……舜くん!」
「えへへっ、びっくりした? お姉ちゃんが帰ってくるの、待ってたんだ!」
杏奈は自然と笑顔になり、舜の頭をやさしく撫でる。
「ただいま。……待っててくれてありがとう、舜くん」
舜は嬉しそうに目を細め、さらにぎゅっと抱きついてくる。
その温もりに、杏奈の胸の中で少しざわついていた「八尺様」の噂や「亮のこと」も、ほんのひとときだけ和らいでいった。
玄関で舜を抱きしめ返し、そのまま二人で並んでリビングに入ると、キッチンから包丁の軽やかな音と、だしの香りが漂ってくる。
「おかえり、杏奈。ちょうどいいところに帰ってきたわ」
エプロン姿で振り返ったのは母の南だった。穏やかな笑みを浮かべ、長い髪を後ろでざっくりとまとめている。
「お母さん……ただいま」
杏奈は靴を脱ぎながら小さく笑う。
舜が元気よく答える。
「お母さん! お姉ちゃん帰ってきたよ! 晩ご飯なにー?」
「ふふ、今日は舜の好きなハンバーグよ。ほら、杏奈も手を洗ってきなさい」
杏奈の顔に驚きと笑みが浮かぶ。
「え、ハンバーグ? ……やったぁ」
「もう、高校生にもなってそんな子どもみたいな反応して」
南がクスクスと笑いながら振り返ると、杏奈は頬を赤くして「いいでしょ、好きなんだから」と返す。
舜は満面の笑みで杏奈の手を引っ張る。
「一緒に洗おうよ、お姉ちゃん!」
「はいはい、わかったから引っ張らないで」
洗面所へ向かう姉弟の後ろ姿を、南は優しげな目で見つめていた。
その背中に、学校や街で背負ってきた不安や緊張が、少しずつ溶けていく。
家は、杏奈にとってやっぱり「帰れる場所」なのだ。
ちゃぶ台の上には、湯気を立てるハンバーグやサラダが並び、舜が「いただきまーす!」と元気に声を上げる。
杏奈と南も手を合わせ、三人で笑いながら箸を伸ばした。
「舜、ソースこぼさないでね」
「大丈夫だよ、お母さん! お姉ちゃんのほうがこぼすじゃん!」
「ちょ、舜くん!?」
姉弟の掛け合いに、南はおかしそうに笑った。温かい家族の時間――そのはずだった。
ところが、テレビの画面に突然「臨時ニュース」のテロップが流れる。
『本日夕方、市内に住む小学4年生の男の子が行方不明になっています』
「……小学生?」
南の箸が止まった。舜の背に手を置きながら、真剣な表情で言う。
「舜、知らない人について行っちゃダメよ? 怖い事件もあるから」
「うん……わかった」
舜は口を尖らせながらも頷いた。
杏奈は胸がざわつき、テレビに目を釘付けにする。
ニュースキャスターの声が続いた。
『なお、目撃情報によりますと、友人の女児が「白いワンピースを着た、背の高い女性を見た」と証言しており――』
その瞬間、杏奈の心臓が跳ね上がる。
(白いワンピース……? 長身の女性……これって……八尺様……?)
「偶然だよ……偶然……!」
自分に言い聞かせるように首を振る杏奈。
けれど次の瞬間、画面に「目撃証言」として怯えた女の子の声が流れる。
『す、すっごく背が高くて、にこにこ笑ってた……』
杏奈は立ち上がり、椅子がガタンと音を立てた。
「偶然じゃ…………ない!!」
南と舜が驚いて杏奈を見つめる。
温かな夕食の団らんは一瞬で凍りつき、杏奈の中には「怪異の影」が迫ってくる確信だけが残った。
杏奈は箸を置き、
「ちょっとごめん!」と母と舜にだけ言い残して食卓を飛び出した。
廊下に出ると、心臓がバクバクと音を立てている。
スマホを握る手が汗ばんで震えていた。
杏奈は慌てて連絡先をスクロールし、「カコ」の名前をタップ。
――プルルル、プルルル……。
数回のコール音のあと、あの明るい声が響いた。
「もしもし? 杏奈ちゃん? どうしたの?」
杏奈はほとんど叫ぶように言った。
「カコちゃん! 八尺様が出た! ニュースで……言ってたの! 白いワンピースの背の高い女の人って!」
電話の向こうで一瞬沈黙があり、次にカコの呑気な笑い声が続く。
「えぇ~? 杏奈ちゃん、それってただの変質者とかじゃなくて~?」
「ち、違うよ! 本当に“それ”なんだって!」
必死の杏奈に、カコの声が次第に低くなる。
「……八尺様。うわさだけだと思ってたけど、本当に動き出したのかもね」
杏奈の喉がゴクリと鳴る。
「ど、どうしよう……弟もいるし……」
カコは息を整えるようにしてから、いつもの調子を少しだけ取り戻し、
「安心して、杏奈ちゃん。私も準備するから。――明日の朝、ちゃんと集まって対策を考えよ!」
と力強く告げた。
杏奈は震える声で「うん……!」と返事をする。
その声には、恐怖と同時に「頼れる仲間がいる」という安堵も混じっていた。
翌日
土曜の昼下がり。青空の下、子供たちの笑い声が響く公園。
杏奈・カコ・コンの三人は、ベンチに腰掛けながら小声で作戦会議をしていた。
「まずは聞き込み調査!八尺様に狙われやすい子供達にいろいろ聞いてみよ」
カコがニコッと笑って言う
杏奈は「うん!」とカメラを握り、コンはこくりと頷く。
カコは立ち上がると、近くで遊んでいた小学生グループに声をかけた。
「ねぇねぇ、みんな! 最近、このあたりで背の高~いお姉さん見なかった?」
最初は警戒していた子供たちも、カコの人懐っこい笑顔と明るい口調にすぐ心を許す。
「見た見たー! この前あっちの公園で見た!」
「うそだー!」
「ホントだって! すごい背高かったもん!」
カコは「うんうん」と頷きながら、まるで先生のように優しく子供たちの話を聞き出していく。
杏奈も少し緊張しながら、別のブランコに座る女の子に話しかけた。
「ねぇ、白いワンピースのお姉さん、見たことある?」
女の子は最初戸惑ったが、杏奈が「私、こう見えても弟がいるお姉ちゃんなんだよ」と自然に微笑むと、安心したように頷いた。
「……うん、見たことある。すごく背が高くて、声が変だったの」
「声……?」と杏奈が聞き返すと、女の子は真似をしてみせる。
「ぽぽ、ぽぽ、って……」
杏奈は背筋がゾクリとしながらも、必死にメモをとった。
一方その頃、コンは子供たちに取り囲まれていた。
「その仮面なにー? カッコイイー!」
「取ってみせてー!」
「やだよー! 今度俺にも貸して!」
無口なコンは身動きがとれず、棒立ちのまま。
「…………。」
(助けて、杏奈、カコ……)と心の中でつぶやいているのが仮面越しでも顔に出ているようだった。
カコが振り向き、「あはは、コンちゃん人気者じゃん!」と笑うと、杏奈も思わず吹き出してしまう。
ベンチに戻った杏奈・カコ・コンは、持ち寄ったメモをもとに作戦会議を始めた。
「やっぱり公園だね……」杏奈がカメラを握りながら真剣に言う。
「夜に行くのは危ないから、まず昼に様子を見に行こっか」カコが提案。
コンもコクリと頷き、ようやく三人はまとまった方針を決めた――その時だった。
「ねぇねぇ、お姉ちゃんたちも一緒に遊ぼうよー!」
「仮面の人、鬼ごっこやろー!」
さっきまで情報提供してくれていた子供たちが、一斉に三人を引っ張りはじめた。
「えっ、ちょ、ちょっと待って! 私たち今、大事な話――」杏奈が慌てるが、
カコは「まあまあ、ちょっとくらいならいいじゃん!」と笑顔で輪の中に入ってしまう。
鬼ごっこ
「じゃあ、お姉ちゃんたちが鬼ね!」
元気いっぱいの小学生たちが宣言すると、カコは「任せときな!」とノリノリで鬼役に。
子供たちが一斉に四方八方に散っていく。
杏奈は「ちょっと、待って!私も!?」と半泣きになりながら走らされる。
コンは本気で走って子供達を次々捕まえていく。
「大人気ないーー!!」と子供達に反発され、「ごめん……」と言ってシュンとなる。
カコはというと、手加減して走りながらも、素早く子供をタッチして「捕まえたー!」と大はしゃぎ。
杏奈は汗だくになりながらも、弟と遊ぶ時の要領でうまく立ち回り、数人を追い込んで捕まえていた。
サッカー
次はサッカーが始まる。
「仮面の人、ゴールやってー!」と子供たちに指名され、コンは無言でゴールポスト前に立つ。
ボールが蹴り込まれると――
バシィッ! コンは片手でキャッチ。
「うわっ!? 止めた!!」と子供たちは大興奮。
その後も、どんな強シュートも冷静にセーブするコン。
「え、プロ選手?」「すごい!」と子供たちに尊敬の眼差しを浴びせられるが、コンはただ一言「……疲れる」と小声で漏らすだけだった。
カコは「よーし!私も点入れるぞー!」と本気でドリブルを始めて子供たちに本気で止められていた。
杏奈は「ちょ、そんな強く蹴ったら!」とボールを追いかけて転びそうになり、子供に助けられる始末。
かくれんぼ
最後はかくれんぼ。
鬼になった杏奈は、目を覆って数を数える。
「いーち、にーい、さーん……」
数え終えて目を開けると――影が一瞬でわかる。
「あ、見つけた!」と次々に子供を発見。
「なんでそんなに早いの!?」「チートだ!」と抗議されるが、杏奈は「えっ、そんなことないよ!?」と慌てる。
一方カコは、隠れるのが下手で木の後ろから髪が丸見え。すぐ杏奈に見つかり「うそでしょー!」と大声をあげる。
コンはというと、ベンチに普通に座っていて「……隠れる気ないの?」と杏奈に突っ込まれていた。
気づけば空はオレンジ色に染まり、三人と子供たちは芝生の上に座り込んで笑っていた。
「また遊んでねー!」と子供たちが帰っていくと、杏奈は「はぁ……なんでこんなに遊んでるの」と呟き、汗を拭く。
カコは「楽しかったじゃん!」と満面の笑み。
コンは無言で立ち上がり、「……かくれんぼ、……本気で隠れてたのに」とぼやく。
「ええ!?そうだったんだ……」
(いやいや、座ってるだけにしか見えなかったんですけど……)
杏奈は心の声を堪え、コンに申し訳なさそうに謝る。
カコはそれを見て「コンちゃんあれはさすがにふざけてたでしょ!」と笑い、コンは「カコも、……すぐ捕まってたし……」と呟く。
「ええーー!?そんなことないよー!」
カコが叫び、杏奈はクスッと笑った。
三人の間には、妙に温かい“チーム感”が芽生えつつあった。
結局調査は打ち切られ、その日は解散することになった。
杏奈が自宅の玄関を開けると、いつもなら勢いよく飛びついてくるはずの小さな影――舜の姿が見えなかった。
「あれ……舜くん?」
思わず名前を呼びながら靴を脱ぐ。
リビングに入ると、南がソファに腰掛けてテレビを見ていた。
杏奈の顔を見るなり「おかえり」と微笑んだが、どこか困ったような表情をしている。
「お母さん、舜くんは?」
杏奈が訊ねると、南は少し眉をひそめて答えた。
「お友達の家に行ってるって言ってたんだけど……ちょっと遅いわねえ。もう夕飯の時間なのに」
杏奈の胸がきゅっと締めつけられる。
――舜が友達と遊びに行って帰ってこないなんて、今まで一度もなかった。
その瞬間、昨夜のニュースの「行方不明の小学生」と「白いワンピースの長身の女」の証言が頭をよぎる。
杏奈は心の中で必死に打ち消す。
「……そんなわけない、偶然、偶然だから……!」
けれど杏奈の胸の奥には、冷たいものが広がっていった。
「遅い」という母の一言が、まるで不吉な鐘の音のように響く。
気づけば、杏奈はポケットからスマホを取り出していた。
リビングから見えない廊下に移動し、震える指先でカコの番号をタップする。
数回のコールの後、元気な声が応答した。
「もしも〜し、杏奈ちゃん? どうしたの、こんな時間に」
「カコちゃん……! 舜くんが、帰ってこないの!」
声が震え、涙が滲む。
カコは最初、軽く笑った。
「え、なになに? まさか迷子とか? ふふっ、舜くん可愛い〜」
「違うの!! 本当に……本当に帰ってこないの!」
杏奈の必死さが伝わり、電話の向こうでカコの声色が変わった。
「……まさか、八尺様?」
低く、真剣なトーン。
杏奈は黙って頷き、喉の奥から掠れた声を絞り出す。
「……うん。私、そんな気がするの」
カコは少しの沈黙のあと、決意を込めて答えた。
「わかった。杏奈ちゃん、落ち着いて。すぐそっち行くから。舜くんは絶対に見つけよう」
杏奈は胸の奥がじんわり熱くなり、涙を堪えながら「ありがとう」と呟いた。
夜の静けさに包まれた住宅街。
杏奈は玄関の前で、手を胸にぎゅっと押し当てながら落ち着かない様子で立っていた。
何度もスマホを確認し、通りの方を見つめる。
やがて、走る足音とともにカコとコンが現れる。
「杏奈ちゃん!」と声をかけながら駆け寄ってくるカコ。
その後ろで、無言だが真剣な表情のコンも息を切らしながらついてきた。
杏奈は安堵の表情を浮かべて、「カコちゃん、コンちゃん……!」と声を震わせる。
カコは杏奈の肩を軽く叩き、明るい調子で言った。
「大丈夫! 舜くんは絶対に見つけるよ。私たちがいるんだから!」
コンは低く一言だけ。
「……死なせない」
その言葉の重みが逆に杏奈を安心させ、彼女の目に涙がにじむ。
三人は懐中電灯を手に、夜の街へと飛び出していく。
カコは周囲を見回しながら、「舜くんが行きそうな場所、思い当たるところはある?」と杏奈に尋ねる。
杏奈は必死に考え、舜がよく遊ぶ公園を思い出す。
「公園……もしかしたら……あそこに……」
杏奈の言葉に、カコが頷き、「よし、じゃあ公園!」と即決する。
コンは無言で懐中電灯を構え、先頭に立って歩き出した。
その背中に頼もしさを感じながら、杏奈は二人と共に舜を探す決意を固めるのだった。
三人が暗がりの公園に差し掛かると、ブランコの影のあたりに人影が見えた。
杏奈が懐中電灯を向けると、そこには倒れている少年の姿。
「舜くん!?」
杏奈が思わず叫んで駆け寄る。だが、近づいた瞬間、その顔を見て息を呑む。
「この子……昨日ニュースで……」
杏奈の脳裏に、テレビで見た行方不明の少年の顔がフラッシュバックする。
カコは膝をつき、少年の額にそっと手を当てた。
「……ごめんね。ちょっとだけ、見せてもらうよ」
すると杏奈とコンの目には見えない、カコだけの視界に、少年の記憶が映し出される。
そこは光ひとつない真っ暗な空間。
圧迫感に満ち、重い何かに覆われるような恐怖。
かすかに響く「はぁ……はぁ……」という低い女の声。
少年の幼い意識は恐怖に震えながら、その声と謎の圧迫に縛られていた。
カコは額から手を離し、強張った顔で立ち上がる。
「……見た。この子、真っ暗な場所で、何かに押しつぶされそうになってた」
杏奈は顔を青ざめさせ、「八尺様……?」と小さく呟く。
コンは無言で周囲を警戒し、夜風に揺れる木々を睨みつけた。
カコは腕を組み、真剣な声で言う。
「八尺様はただ人を連れ去るんじゃない……“閉じ込める”んだ。じゃあ、一体、何のために?」
三人の間に、不気味な沈黙が落ちる。
遠くで犬の鳴き声が響き、杏奈の背筋をぞわりと冷たいものが這い上がっていった。
「と、とりあえず舜くんを……」
杏奈が言いかけて止まった。
公園の隅に何かいる。
公園の暗がりに突如現れた「それ」に、杏奈の心臓は止まりそうになった。
八尺様――真っ白なワンピースをまとい、異様なほど長い手足をした女が、気絶した舜を小脇に抱えて立っていた。
「舜くん!!」
杏奈の叫びに応えるように、カコとコンも八尺様の方を向く。
八尺様は無言で舜を地面に降ろす。
その仕草は、まるで大切な人を寝かしつけるように優しい……しかし次の瞬間、八尺様は三人に向かって飛びかかってきた。
「来るッ!」
コンが両腕を交差して強烈な蹴りを受け止める。しかし――
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃に耐えきれず、コンの体は空中を弧を描き、公園のベンチごと吹き飛んだ。
続いて八尺様はカコを狙う。
「結界!」
カコは慌ててお札を取り出し、青白い光のバリアを展開する。だが、八尺様の蹴りはあまりに強烈で、紙を裂くように簡単に破壊され、カコも蹴り飛ばされてしまう。
杏奈はその場にへたり込み、声を震わせた。
「カコちゃん!コンちゃん!……」
八尺様はゆっくりと、しかし確実に杏奈に歩み寄る。
「ひっ……!」
杏奈は恐怖で足がすくみ、必死に後ずさる。
「もう、ダメだ……」
杏奈は瞼を固く閉じた。だが、その瞬間――
「杏奈ちゃん!!」
カコの叫びが響き、彼女が八尺様の腕にお札を貼ろうと飛びかかった。
しかし八尺様の一撃でカコは簡単に吹き飛ばされ、地面に転がる。
「カコちゃん!!」
杏奈の目に涙が溢れる。
――私を守ってくれた。私も、何かしなきゃ!
杏奈は震える手でカメラを構え、シャッターを切った。
カシャッ。
フラッシュが八尺様を照らす。
その瞬間――八尺様の動きがピタリと止まった。
「え?何…これ……?」
杏奈は突然フリーズした八尺様を見て固まる。
「今っ!」
突如横から影が飛び込み、八尺様の身体に強烈なドロップキックを叩き込む。
ズドォン!
巨体が倒れ込み、地面が揺れる。
「ありがとう、杏奈」
声の主――それはコンだった。
彼女が顔を上げた瞬間、仮面が外れ、地面に転がった。
現れた素顔は、雪のように白い髪と、氷のように透き通る瞳を持つ美少女。
月光を浴び、その姿はあまりにも幻想的で、杏奈は息を呑んだ。
コンは静かに立ち上がり、八尺様に向き直る。
その背中は、いつもの無口な「仮面の仲間」ではなく――仲間を守るために戦う、ひとりの少女のものだった。
地面に叩きつけられた八尺様は、すぐさま起き上がった。
「……ポ、ポ、ポ……」
不気味な笑い声とともに、長い手足を振りかざし、再びコンへ襲いかかる。
「やるの?」
白髪をなびかせたコンが受け止める。両腕と両脚で次々と蹴りや掌打を捌き、火花のように衝撃が散る。
その動きはまるで舞うようで、氷の瞳に光が宿る。
八尺様の蹴りが地面をえぐり、コンの拳が空気を震わせる。
「はぁぁぁっ!!」
コンの回し蹴りが八尺様の肩を打ち、巨体がわずかに揺らぐ。だが八尺様は怯まず、腕を振り上げて振り下ろす。
「ぐっ!」
直撃を喰らい、コンが地面に叩きつけられる。
「コンちゃん!!」
杏奈が叫ぶ。
コンは血を吐きながら、それでも立ち上がり、杏奈に叫んだ。
「杏奈!カメラを――!」
杏奈の胸が跳ねる。
「また……私が……!」
震える手でカメラを構え、シャッターを押す。
カシャッ!
フラッシュが夜の公園を照らす。
その瞬間、八尺様の動きが硬直した。巨体がまるで石像のように動かなくなる。
「チャンス!!」
コンが跳躍する。白髪が舞い、氷のような瞳が獲物を射抜く。
「これで――終わりッ!」
渾身の回し蹴りが八尺様の首元を直撃。
ドゴォォッ!!
鈍い衝撃音とともに八尺様の巨体が地面に叩きつけられ、土煙が舞う。
八尺様はうめき声を上げることもなく、そのまま動かなくなった。
杏奈は呆然と立ち尽くし、コンの背中を見つめる。
カコもふらつきながら立ち上がり、呟いた。
「……勝ったの?」
コンは深呼吸をし、汗を拭いながら小さく頷いた。
杏奈は気絶している舜の傍に膝をつき、涙を拭いながら小さな体を抱きしめた。
「舜くん……もう大丈夫だからね……」
頬に触れると、舜の呼吸は穏やかで、意識はないものの命に別状はないことが分かり、胸を撫で下ろす。
少し離れたところでは、コンが荒い呼吸をしながら膝をついていた。
カコが駆け寄り、肩に手を置く。
「大丈夫? コンちゃん……無理しすぎじゃない?」
コンは額から汗を流しつつ、弱々しい笑みを浮かべた。
「……なんとか。けど……強かった」
氷のような瞳がまだ戦いの余熱を宿している。
その時、カコの視線が倒れている八尺様に移った。
「……え?」
地面に横たわるその体は、さっきまでの異様な巨体ではなかった。
みるみるうちに縮んでいき、二メートルを超えていた姿が――190センチほどに収まっていく。
「なに……これ……?」
カコが呟くと、杏奈も不安そうに顔をあげる。
「八尺様って……こんなふうに変わるの……?」
コンは静かに睨みつけながら、低い声で言った。
「まだ終わってない。……油断しないで」
カコが八尺様の頭に手を置いた瞬間、彼女の瞳が淡く光り、過去の記憶が溢れ出す。
「見るよ?……みんな、心の準備して」
カコはそう言い、杏奈とコンを見やる。二人は緊張の面持ちで頷き、杏奈はごくりと唾を飲み込んだ。
そして、目の前に浮かび上がったのは、想像していたよりも驚愕するような内容だった。
巨大な八尺様が、"にっこにこ顔で小学生の男の子をぎゅーっと抱きしめている"。
「かわいいーーーー♡♡」
その声は甘ったるく、まるで夢中なお姉さんそのもの。
さらに頬ずりしながら、
「はぁ……はぁ………ああ、かわいすぎ♡ もうぎゅーだけじゃ足りない♡ チューもしちゃう♡」
と顔を近づけ、男の子はあまりの愛情(物理)に耐えきれず、気絶してしまった。
「……えっと、なに、これ?」
顔を引きつらせながら呟く杏奈。
「……」
完全に言葉を失って固まるカコ。
「……」
コンは腕を組んだまま無言。氷のように冷たい視線を八尺様に向けつつも、耳まで赤くなっている。
カコ(心の声)
え?なにこれ?え?まじで?どゆこと??
頭の中に「???」が乱舞し、普段の快活さすらどこかへ吹き飛んでいた。
3人が「これは夢? 幻覚?」と困惑している最中――
ふいに、景色がパッと弾けるように消え、彼女らは現実へと引き戻された。
そこには、さっきまで倒れていた八尺様が立ち上がり、頬を真っ赤にして叫んでいた。
「か、勝手に見ないでください!!」
八尺様は両手で顔を覆い、恥ずかしそうに身をよじる。
あの恐怖の象徴だった長身の怪異が、今や思春期の少女のように赤面している光景はあまりにもシュールだった。
「え……? 八尺様……照れてる?」
顔を引きつらせつつも目を丸くする杏奈。
「えぇ……いや、ちょっと待って……八尺様ってあの八尺様だよね? え、だけど今見たのは一体……?」
頭を抱えるカコ。
「…………」
コンは氷のような視線を向けながらも、ほんの少し肩が震えている。笑いを堪えているのか、怒っているのか分からない。
舜を抱きしめながら、杏奈は勇気を振り絞って八尺様に問いかけた。
「ちょ、ちょっと待って! なんで……なんで男の子達を連れ去ってたの!? 目的は何なの!?」
八尺様はビクリと肩を震わせ、顔を真っ赤にしてモジモジする。
「あの……ですね……わ、私……その……生前から……男の子が大好きで……」
指先をつんつん合わせ、視線を泳がせながら小声で答える八尺様。
「……ショタコンじゃん!!!」
杏奈のツッコミが夜の公園に響き渡った。
「ぶふっ! 杏奈ちゃんナイスツッコミ!」
カコは吹き出しながら手を叩く。
「…………」
無言で額を押さえ、深くため息。
恐怖の怪異との対峙のはずが、すっかりコントのような空気に変わってしまった。
八尺様は耳まで赤く染めながら「ち、違います! だってかわいいんですもん!」と必死に否定とも肯定ともつかない弁解を繰り返す。
「ち、違うんです。これには深いわけがあって……」
八尺様は静かに目を閉じ、遠い記憶を語り始めた。
彼女の名は 八沢八重。
生まれつき背が高く、わずか小学生の頃にはすでに大人に並ぶほどの背丈があった。
やがて中学生になる頃には 190センチを超え、周囲から「巨人みたい」と怖がられ、友達も少なかった。
だが、八重は―― 子供が大好きだった。
「大人になったら、子供達に囲まれて笑い合えるような先生になりたい」
それが小さな頃からの夢だった。
人よりも背が高いことで、就職活動も難航した。
それでも、必死に努力を重ね――やっとの思いで小学校の先生になることができた。
慣れない授業、事務作業、保護者対応に追われ、毎日クタクタになった。
けれど、子供たちの「先生!」という笑顔と声があれば、疲れなんて吹き飛んだ。
「おっきい先生だー!」と無邪気に笑い、背にしがみついて遊んでくれる子供達。
八重はその時間を心の底から大切にしていた。
孤独だった自分を癒やしてくれる、小さな天使たち――。
だが――その日常は永遠には続かなかった。
八重は語る声を震わせ、両手を胸に押し当てた。
「……あの日から、全部、壊れてしまったんです」
笑顔に満ちていたはずの記憶の景色が、急に色を失い、暗く沈んでいく。
何があったのか――まだ語られていないが、八重の目はすでに涙で滲んでいた。
その日は小学校の遠足だった。
帰り道、夕焼けに照らされる街路で――突然、 通り魔 が現れた。
男は凶器を振りかざし、子供達を狙う。
八重は迷うことなく前に立ちはだかった。
「走って!先生が守るから!」
何度も腹に刃が突き刺さり、スーツが赤く染まっていく。
しかし彼女は倒れなかった。
「子供達に指一本触れさせない」――その信念だけで立ち続けた。
やがてパトカーのサイレンが鳴り響き、男は怯えて逃げ出す。
子供達は全員、無傷だった。
「よかった……みんな、無事で……」
八重は安堵の笑みを浮かべた瞬間、力尽きて地面に崩れ落ちる。
「先生!」「死んじゃヤダ!」
泣きじゃくりながら駆け寄る子供達を、八重は優しく見つめた。
「大丈夫だよ……先生は、いつでも、みんなを見てるから……」
その言葉を最後に、彼女の瞳から光が消えた。
だが――彼女の魂は昇天しなかった。
「子供達を守らなきゃ」 という想いに縛られ、
やがて彼女はこの世に留まり続ける存在となった。
しかしその願いは徐々に歪み、
「守る」から「ずっと手元に置いておきたい」という執着に変わり――
彼女は、子供達を「抱きしめて離さない」怪異―― 八尺様 へと姿を変えてしまったのだ。
「いつの間にか私は“人じゃないもの”になってて……
気づけば、子供を抱きしめたい、離したくないって……
守りたいだけだったはずなのに、歪んで……こんな姿に。」
杏奈たちの前で、八尺様ーー八重は、言葉を詰まらせながら微笑んだ。
八重が過去を語り終えたとき、あたりはしんと静まり返っていた。
その切なさと痛みに満ちた言葉に、杏奈は胸がぎゅっと締め付けられる。
「八重……先生……」
声を震わせ、杏奈の目に涙が浮かんだ。
彼女は八重の姿をただの怪異ではなく、必死に子供を守ろうとした“先生”として見てしまったのだ。
すると、カコがゆっくりと前に出て、八重に向かって言った。
「……八重さん。
もし、このまま成仏できないなら……私たちと一緒に探さない?
あなたが抱えた“想い”や、“本当に守りたいもの”を見つける旅を」
八重は目を見開き、思わず口元を押さえる。
「私が……? みんなと……?」
コンも頷き、真剣な目で続けた。
「……あなただけに背負わせるのは、きっと……違うから」
八重の大きな体が小さく震えた。
「……そんなふうに、言ってもらえるなんて……」
声は涙に濡れ、今にも崩れ落ちそうなほど弱々しい。
杏奈は勇気を振り絞って、八重の手をそっと握った。
「先生……私たちと一緒に行こう」
その瞬間、八重の瞳に温かな光が差す。
八重はしばらくうつむいていたが、ふっと表情を緩めて笑った。
その笑顔は、怪異ではなく、かつて子供たちを見守っていた“先生”の顔だった。
「……ねえ、お願いがあるの」
八重は恥ずかしそうに頬を赤らめ、杏奈たちを見つめる。
「私のこと……“はっちゃん”って呼んでくれない?
生前もね、生徒たちがそう呼んでくれてたの。
先生、先生って呼ばれるより……友達みたいで嬉しかったんだ」
杏奈は涙を拭って、にっこりと笑う。
「……うん、わかった。はっちゃん」
カコも笑顔で続ける。
「うん! これからは“はっちゃん”ね」
コンは少し照れながらも頷いた。
「……よ、よろしく、はっちゃん」
八重――いや、“はっちゃん”は、子供のように目を細めて笑った。
「ありがとう……。なんだか、やっと人間に戻れた気がするわ」
「……う、ん……?」
弱々しい声がして、杏奈がはっと手元を見る。
舜がゆっくりと目を開けていた。まだ少しぼんやりしているが、意識ははっきりしているようだ。
「舜くん!」
杏奈は涙目になりながら、思わずぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫? 痛いところとかない? 怖かったでしょ……!」
舜は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに子供らしい笑みを浮かべる。
「うん、ぼく大丈夫だよ。……でもね」
杏奈がきょとんとして見つめると、舜は照れくさそうに笑いながら言った。
「急に、大っきなお姉さんにぎゅーってされたから……びっくりしたー!」
杏奈は思わず吹き出し、涙を拭った。
カコも「だよねぇ!」と苦笑いし、コンも口元を押さえて小さく笑う。
一方、少し離れた場所で“はっちゃん”は顔を真っ赤にして下を向いていた。
「子供をぎゅーするのは、別に悪いことじゃないでしょ……!」
はっちゃんは俯きながら近づき、そっと舜の前にしゃがみ込む。
「……ごめんね、びっくりさせちゃって」
すると舜は首を横に振り、元気いっぱいに笑った。
「全然大丈夫だよ! 今度また遊んでね!」
その瞬間――
「……あ、遊ぶ……!? また……ぎゅーも……できる……!?」
はっちゃんの顔がみるみる真っ赤になり、鼻息が荒くなる。
「か、か、かわいい~~っ♡♡」
バッと舜に抱きつこうとするはっちゃん。
「ストップストップ!!」
杏奈とカコが両脇から羽交い締めにして必死に止める。
「だめ!今のはっちゃん、理性が飛んでる!」
「舜くん食べられちゃうってばー!!」
「ひええっ!?」
舜は後ずさりしながら、なんだか嬉しそうに笑っている。
「……はぁっ、はぁっ……! ちょっとだけ……ちょっとだけでいいから~~!」
「だーめっ!!!」
夜の公園に、子供を巡るドタバタな攻防が響き渡るのだった。
次回予告
杏奈:「はっちゃん暴走しすぎだよ!」
カコ:「ふふっ……でも、はっちゃんらしいね」
はっちゃん:「うぅ……ごめんなさい……」
コン:「……ショタコン」
はっちゃん:「ううぅぅ、それは、否定できないけど……」
杏奈:「ほんとに反省してる!?」
カコ:「そういえば、コンちゃんの素顔久しぶりに見たよ〜。相変わらずとびきりかわいいね⭐︎」
コン:「うるさい……別に、褒めても何も出ないし……」
はっちゃん:「照れてるコンちゃん見てると……なんか……はあああぁぁぁん♡♡♡」
杏奈:「ねえほんとに反省してる!!??」
カコ:「次回――恐怖の子守唄!」
はっちゃん:「ちょっと怖そうだけど……杏奈ちゃんが一緒なら平気!」
杏奈:「わっ!?抱きつかないでよ!」
カコ:「……はっちゃん、暴走は控えようね?」




