表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

第三話 灯台に潜む影



教室のざわめきはいつものように賑やかで、笑い声がそこかしこから響いていた。

杏奈は自分の席に座り、ノートを広げている。決して嫌われているわけじゃない。けれど、誰かと一緒に大きな声で笑ったり、輪の中心にいることはなかった。


「杏奈って、ちょっと不思議な子だよね」

廊下を通る声が耳に入る。悪口ではない。ただ、そう言われることに慣れてしまった杏奈は、表情を変えずにペンを走らせた。


休み時間になっても、クラスメイトたちはグループを作りお喋りをしている。杏奈はお弁当を静かに広げる。隣の席の女子が「ねえ、消しゴム貸してくれる?」と声をかけてきて、杏奈はにこりと笑って差し出す。

――ちゃんと会話はできる。優しくしてくれる子もいる。

それでも、なぜか一歩踏み込んだ関係にはなれない。


(……私、やっぱりちょっと浮いてるのかな)

杏奈は小さくため息をついた。昨日までの出来事を思い出す。奈々と、カコと、コンと……あの非日常。

それに比べれば、この教室の空気はあまりにも穏やかで、けれどどこか居心地の悪いものに感じられた。


窓の外を見つめる杏奈の背中に、また小さな違和感が忍び寄る。

――あの日から、どこか自分の居場所は別のところにある気がしていた。


杏奈はノートを閉じ、ふと教室の隅に視線をやった。

そこに座っているのは――影山亮。


前髪が目にかかるほど長く、いつも下を向いている。教科書に視線を落としているのか、ただ机の木目をじっと見ているのか分からない。

彼もまた、クラスの輪の中にはいない存在だった。


廊下から響く笑い声のなかで、彼は誰とも言葉を交わさず、まるで気配を消すように存在している。

「……影山くん」杏奈は心の中で名前を呼ぶ。

自分と似ている、といつも思っていた。


(私と同じだ。……浮いてる)


その時、影山がふいに顔を上げた。前髪の隙間から覗く瞳が、偶然杏奈とぶつかる。

杏奈は慌てて目を逸らした。けれど、心臓がどくんと跳ねる。

彼の視線には、何かを言いたそうで、けれど飲み込んでしまったような――そんな迷いがあった。


教室の喧騒の中で、杏奈と影山のあいだだけが少しだけ静かな空間になっていた。




放課後



人気のない教室で荷物をまとめていた杏奈は、窓の外から物音を聞く。

覗き込むと、校舎裏で影山亮が不良たちに囲まれ、殴られている場面だった。


杏奈の心臓が跳ね上がる。

「や、やめてください!」と声を出そうとした瞬間、喉が詰まって言葉にならない。

手は震え、足もすくんで前に出られない。


(助けなきゃ……でも、怖い……私なんかが関わったら……)


結局、杏奈は鞄を強く抱きしめたまま走り去ってしまう。

胸の奥がぎゅっと痛む。

背後では、不良たちの笑い声と、亮がうめく声がいつまでも耳に残っていた。




杏奈は校舎裏での光景が頭から離れないまま、港へと足を運ぶ。

潮の香りが漂い、夕暮れに染まる波止場で、カコとコンが先に待っていた。


カコは杏奈の顔を見て、すぐに首を傾げる。

「ん?杏奈ちゃん、なんか元気ない?」


杏奈は一瞬言葉に詰まり、視線を落とす。

「……ううん、別に」

小さな声で答えるが、その様子は明らかに普段と違う。


カコはにやりと笑いながらも、心配そうに杏奈を覗き込む。

「そーお?あやしいなぁ。コンちゃん、どう思う?」


呼ばれたコンは野良猫を撫でながら、ちらりと杏奈を見る。

少しだけ目を細めてから、短く「……元気ない」と呟いた。


杏奈は慌てて首を振る。

「ほんとに大丈夫。ちょっと、学校でいろいろあっただけだから」


カコは少し間を置いて、にこっと笑顔を作る。

「そっか。ま、無理に言わなくてもいいけどね!でも、私とコンちゃんはいつでも杏奈ちゃんの味方だよ!」


その軽い口調に、杏奈はほんの少しだけ肩の力が抜けた。

胸の奥に沈んでいた暗い影が、わずかに和らいでいく。


港で軽い空気を取り戻した三人は、そのままベンチに腰を下ろして、灯台へ行く作戦会議を始める。


カコが地図を広げて、手をパンッと叩く。

「じゃあ次のターゲットはココ!――灯台!島で一番不気味で、噂の多い場所だね」


杏奈はうなずきながらも、心の奥ではさっきの光景――亮が不良に殴られていた姿――がよぎって離れない。

「……(どうして、声をかけられなかったんだろう)」

罪悪感と後悔が胸を締めつけ、作戦の話が耳に入ってこない。


コンはそんな杏奈の様子をちらりと見て、何も言わずに黙っていた。

カコは勢いよく説明を続ける。

「灯台ってさ、昔は夜に誰かが上に立って手を振ってるのを見たとか、白いワンピースの少女が泣いていたとか、色んな噂があるんだよねー!」


杏奈は「うん……」と生返事を返す。

心ここにあらずの様子に、カコは首を傾げたが、それ以上深くは追及しなかった。


夕暮れの海風が吹き抜ける中、三人の影が伸びる。

灯台へ向かう決意を固めつつも、杏奈の胸には別の影――亮への後悔――が重く残っていた。



_____




夜が近づき、灯台の下に立つ三人。潮風に混じって、どこかざらついた不気味な空気が漂っていた。


カコは懐中電灯を振りながら元気に言う。

「よーし!灯台調査スタート!どんな怪異が出てくるか楽しみだね!」


コンは冷静に周囲を観察しつつ、短く答える。

「……気配がする。気抜かないで」


しかし、杏奈だけは別のものに囚われていた。

(影山くん……)

校舎裏で見た、あの痛々しい光景。声をかけられなかった自分。助けられなかった自分。その悔しさと罪悪感が、胸を締めつけるように繰り返し蘇る。


灯台の中に足を踏み入れると、古びた階段がきしみ、風の音が低く鳴る。だが杏奈の耳には、亮のうめき声が蘇って聞こえるようで、息が詰まりそうになった。


カコが不思議そうに振り返る。

「杏奈ちゃん?さっきから元気ないよ?」

杏奈は慌てて笑顔を作ろうとするが、声が震える。

「……だ、大丈夫。大丈夫だから……」


だがその笑顔はぎこちなく、コンもじっと見つめる。

(あいつ……何か隠してるな)


そんな中、灯台の奥から「カラン……」と鉄の鎖の音が響いた。

その音に杏奈は現実へと引き戻される。けれど心の奥底では、怪異への恐怖以上に、亮を助けられなかった自分への後悔が彼女を苦しめ続けていた。


螺旋階段を登り切った三人が辿り着いたのは、月明かりに照らされた灯台の頂上だった。

潮風が吹き抜け、眼下には黒々とした海が広がっている。


その中央に――白いワンピースを着た少女が立っていた。

肩までの黒髪が夜風に揺れ、まるで絵画の中から抜け出したかのような、儚くも美しい姿。


杏奈は思わず立ち止まり、胸を押さえる。

「……綺麗な人……」

その目には敵意はなく、ただ静かに水平線を見つめているだけだった。


カコが前に出て声をかける。

「あなたが噂の――灯台に出る怪異、でしょ?」

その声音には少し緊張が混じっていた。


少女は振り返り、ゆっくりと瞬きをした。

瞳は海のように深く澄み、冷たさと優しさが同居しているようだった。

「……怪異、ね。そう呼ばれるのは慣れているわ」


杏奈は言葉を失い、ただその場に立ち尽くす。

コンが身構えて一歩前へ出るが、少女の表情は揺るがず、敵意も見せない。

ただ――その瞳の奥には、長い年月を孤独に過ごしてきた影が潜んでいるように見えた。


夜風が強まり、白い布がはためく中。

「私は、ただ海を見ているだけ……。でも、人はそれを“怪異”と呼ぶのね」

少女の声は、潮騒に溶けるように淡く響いた。


カコが一歩進み出て、ためらいながら口を開いた。

「ねえ……あなた、ここから消えられないの? 成仏できないの?」


白いワンピースの少女は、潮風に髪を揺らしながら、ゆっくりと瞳を閉じた。

その横顔には、どこか切なさが滲んでいる。


「……私がここにいるのはね」

少女の声は、夜の波音に溶けるように淡い。


「ただ――ある人を待っているから」


杏奈の胸がきゅっと締めつけられる。

待っている人がいる。そのために、彼女はずっとここに留まっている。


コンが険しい顔をして腕を組む。

「……だから、消えられないのか」


カコはその言葉を反芻し、目を細める。

「誰かを待つ怪異……。やっぱり悪い存在ってわけじゃなさそうだね」


杏奈は黙ったまま少女を見つめていた。

その「ある人」という言葉が、自分の頭の中に残っている「亮」の姿と重なり、無意識に唇を噛んでいた。


カコがふっと真剣な表情になり、少女に向き直る。

「ねえ、ちょっといい?」


少女は驚いたように瞬きをしたが、抵抗する様子は見せなかった。

カコは両手をそっと伸ばし、彼女の頭に触れる。


「……ごめんね。ちょっとだけ、過去を覗かせてもらうよ」


杏奈はごくりと唾を飲み込む。カコのその能力を使う時、いつも冗談めかして笑っているのに、今は妙に神妙で――まるで儀式みたいに見えた。


カコの瞳が薄く光り、灯台の空気がざわめく。

夜風に混じって「波の音」が一層強く響き、杏奈とコンの視界にも淡い光景が広がっていった。



そこにあったのは、まだ新しい灯台の姿。

白い少女――まだ人間だった頃の彼女が、笑顔で誰かを見送っている。


「またここで会おうね」

海辺に立つ少年が、手を振っていた。

その顔はぼやけていて判然としないが、彼女が心から大切にしていた人だと直感で分かる。


次の瞬間――嵐。

荒れ狂う波、砕ける船。

少年の姿が闇に飲まれていく。

少女は灯台に駆け上がり、必死に灯りを掲げている。


「お願い……帰ってきて……!」


だが、少年は帰らなかった。

彼女はいつまでも彼の帰りを待った。雨の日も風の日も、雪が降っても灯台に登り続けた。

だが、彼はもう、帰ってこなかった。


そして、彼女はいつしか命を落とし、怪異としてここに縛られてしまった――。




カコがそっと手を離すと、少女は涙を浮かべていた。

「……やっぱり。私、まだ待ってるの」


杏奈の胸が苦しくなる。

あの映像は、まるで「亮を助けられなかった自分」に重なるようで。

彼女も大切な人を救えず、今も待ち続けている。


コンは黙ったまま拳を握りしめ、カコは小さく息を吐いて肩を落とした。

「……なるほどね。これは、簡単には終われない話だわ」


白いワンピースの少女は、静かに風に揺れながら言った。


「彼は軍人で、戦争に行くために私を置いて行ったの」

「……今も、私は彼を待ち続けているわ」


その声音は、消え入りそうにかすれていて、それでもはっきりとした意志を感じさせた。


杏奈は思わず口を開く。

「でも……こんな大昔のことなんでしょ? その人も……もう死んでるんじゃ……」


言ってから、自分の言葉にハッとする。

少女の顔が一瞬、寂しげに歪んだからだ。


「……そうかもしれないわね」

少女は微笑もうとしたが、それはどこか儚く、今にも消えてしまいそうだった。

「けれど、もしどこかで生きていて、またこの海を渡って帰ってくるなら……私は、その時まで待ちたいの」

少女は俯く

「いや、もし彼が生きていなくても、私はここで待つことしかできない」


杏奈の胸が強く締めつけられる。

“待つことしかできない”――それはまるで、亮を助けられなかった自分の心と重なって。


灯台の上、夜風に吹かれる少女の姿は、ただの怪異ではなく――願いを手放せない「人」の姿そのものに見えていた。


カコがぱっと顔を明るくして、少女に向き直った。

「そんな時のためにね、いい道具があるんだよ〜!」


そう言って彼女がバッグをガサゴソ漁ると、中から取り出したのは、古びた陶器の壺だった。表面には奇妙な文字や模様が刻まれていて、どこか不気味な雰囲気を漂わせている。


杏奈は目を丸くする。

「カコちゃん……! 沼田トンネルの時もそうだったけど、色んな道具持ってるんだね」


カコはにっこり笑い、片目をつぶってウィンクした。

「私の能力はね、戦闘向きじゃないから! 自分の命は自分で守れるように、いろいろ工夫してるの。ほら、こういうのが役立つ時があるでしょ?」


彼女の言葉には軽さがあったが、その奥に“自分なりに必死で強くあろうとする意志”が滲んでいた。


コンは腕を組んだまま、小さく「また怪しいもん持ってきて……」とぼやいたが、その視線はほんの少しだけ頼もしげだった。


壺を抱えたカコの姿に、少女も興味を示すように顔を傾ける。

「……それで、本当に彼に会えるの?」


カコは自信ありげに親指を立てた。

「任せなさい! ただし――出てきても優しくしてあげてね?」


カコは灯台の床にそっと壺を置いた。夜の冷たい潮風が吹き込み、灯火に照らされる壺の口から、どこか不気味な影が揺らめく。


「じゃあ……始めるよ」

カコは懐から小さな紙片を取り出し、そこに古い文字を刻んでいた。壺の上に置き、両手で印を結ぶ。


杏奈は固唾を飲んで見守った。心臓が早鐘のように鳴り、足が勝手に震える。

(ほんとに……出てくるの……?)


コンは壁にもたれたまま目を細めていたが、指先にはすでにうっすらと霊力を浴びている。

「……何が来てもいいように、構えとく」


カコの口から、不思議な響きの言葉が紡がれた。低く震えるような呪文が夜の空気に混ざり、灯台の空気が一気に重たくなる。

「――呼べ、彼方の声よ。海を渡り、時を越えて……ここに来たれ」


壺がカタリ、と音を立てた。次の瞬間、中から白い霧のようなものがふわりと噴き出す。


少女は思わず前へ出て、息を呑んだ。

「……っ!」


霧はゆらゆらと人の形を成し、やがてぼんやりとした男の影が浮かび上がる。


杏奈は息を詰め、カコは真剣な眼差しで霊を見つめた。

「……出てきた。これが――あなたの“待ち人”かもしれない」


夜の灯台に、確かに“彼”の影が現れた。

少女の瞳には、今にも涙がこぼれそうな光が宿っていた。


霧の中から浮かび上がった人影が、ゆっくりと輪郭を濃くしていった。

やせ細った顔に、優しい眼差し。遠い時代を生きたであろう男がそこに立っていた。


少女は震える手を口元に当てる。

「……あなた……なの?」


男の影は、かすれた声で答えた。

「……ああ……。すまない……長く……待たせてしまったな」


その瞬間、少女の瞳から涙が溢れ出した。

「……ずっと……ずっと、待ってたの……。あの日、あなたが帰ってくるって、信じて……!」


杏奈の胸に熱いものが込み上げる。彼女は拳をぎゅっと握りしめた。

(……本当に……再会できたんだ……)


カコは穏やかな笑みを浮かべ、静かに頷く。

「やっぱり……会わせてあげられた」


コンは目を細めて二人を見守り、ほんの少しだけ口角を上げた。


男の影は少女に手を伸ばす。指先は淡い光となり、少女の肩に触れると、二人の体は同じ輝きに包まれていった。

「……今度こそ、離れない……」

「ええ……どこまでも、一緒に」


少女の涙は止まらず、それでもその顔は幸せそのものだった。


やがて光は強くなり、二人の影は抱き合ったまま空へと昇っていく。


杏奈は思わず声を震わせた。

「……よかったね……本当によかった……」


潮風が吹き抜ける中、灯台には静かな余韻だけが残った。




海風が静かに吹き抜け、さっきまで光に包まれていた灯台の頂上は、どこか穏やかで寂しい空気に戻っていた。

杏奈はまだ胸に熱を残したまま、けれど視線を落とし、ぎゅっと両手を握りしめる。


「……私……今日、学校で……クラスの子が不良に殴られてるのを見たんだ」


その言葉に、カコとコンは一瞬だけ顔を見合わせる。

杏奈は続けた。

「助けたかった。でも……怖くて、声もかけられなくて……逃げちゃったの。あの時の奈々ちゃんみたいに、誰かを助けるって、私にはもうできないのかもしれない」


声が震え、涙が今にもこぼれそうになる。


すると、カコがふっと笑みを浮かべて杏奈の肩に手を置いた。

「杏奈ちゃん。それでいいんだよ。助けたいって思った気持ちは、ちゃんとあったんでしょ? それならもう、最初の一歩だよ」


杏奈が驚いたように顔を上げると、カコは柔らかい瞳で見つめ返した。

「怪異だって、人間だって、全部を助けられるわけじゃない。でもね……杏奈ちゃんのやり方でいいから、少しずつ前に進めばいいんだよ」


コンもそっぽを向きながら、不器用に言葉をこぼす。

「……別に、逃げたからって、全部が駄目になるわけじゃない。……次は逃げなきゃいいだけ」


杏奈は胸の奥がじんわりと温かくなり、溢れ出そうな涙を拭った。

「……うん……ありがとう」


波の音が遠くから聞こえる。

その音はまるで、杏奈の心の奥に小さな勇気を灯してくれるかのようだった。




夜の港町を、とぼとぼ歩く杏奈・カコ・コン。

先ほどまでのシリアスな空気はどこかへ行ってしまい、月明かりの下で、カコが突然パンッと手を叩いた。


「よーし! こんな時は帰ったら――おやつタイムだっ!」


杏奈がきょとんとする。

「おやつ……? 夜ご飯まだなんだけど…」


カコは胸を張って言い切る。

「おやつは別腹! ほら、プリンとかケーキとか、甘いの食べれば気分も晴れるの!」


コンが冷たい視線を送る。

「……カコ、……ただ食べたいだけ」


「ち、違うもんっ! これはれっきとした“怪異退治後の恒例行事”なんだから!」

カコは必死に弁明するが、頬はにやけ気味。


杏奈はそのやり取りに思わず笑ってしまい、少し肩の力が抜けた。

「ふふ……じゃあ、私、ケーキ買って帰ろうかな」


「いいねー! 杏奈ちゃんはショートケーキ、コンちゃんはチョコレートケーキ! 私は……ぜーんぶ!」


「食べすぎ……」と呟くコンに、カコが「えへへ」と笑いながら腕を組もうとする。

だがコンは素早く身をかわす。


「ちぇーっ! また避けられた~!」

「……暑苦しい」


そんな賑やかなやり取りに、港の夜風が優しく吹き抜けていった。



_____




放課後の教室。窓の外は夕焼けに染まり、光が長い影を落としている。杏奈は静かにノートをまとめ、カメラを鞄にしまおうとしていた。

そのとき――。


「おい、残ってんじゃん」

「へぇ、神村って意外と近くで見るとかわいいじゃん」


乱暴に扉が開き、不良グループがぞろぞろと入ってきた。杏奈は反射的に体をこわばらせ、机の端へ後ずさる。


「ちょっと遊びに行こうぜ」

「や、やめて……」


掴まれた腕が熱く痛む。声を出そうとするが、喉は恐怖で締め付けられ、ただ涙が滲んでいくばかりだった。


その時。


「……やめなよ」


教室の入口から、消え入りそうな声が響いた。杏奈が顔を上げると、前髪に隠れた亮が立っていた。小さな声、それでも確かな意思を宿した声だった。


「なんだお前?」不良達が睨みつける。


「……神村さん、嫌がってるじゃん」


一瞬、空気が張り詰めた。だが次の瞬間、亮は複数の拳に囲まれ、殴られ、蹴られ、床に崩れ落ちた。



「やめて……!」


杏奈は必死に鞄を探り、カメラを握りしめる。手は震え、涙で視界はにじんでいた。だがレンズを向け、声を振り絞る。


「と、撮りますよ!!」


杏奈は震えながらもカメラをしっかりと不良達に向けた


「証拠が残ったら……あ、あなた達……みんな退学です!!」


杏奈の声は裏返っていたが、言葉は真剣で必死だった。


不良達は顔を歪め、舌打ちをする。

「チッ……面倒くせぇ」

「行くぞ」


机を蹴り飛ばし、彼らは乱暴に笑いながら教室を後にした。



静寂。聞こえるのは、杏奈の荒い呼吸と、床に横たわる亮の苦しげな息。

杏奈はカメラを胸に抱きしめたまま、足がすくんで動けなかった。


「……あ、あの、大丈夫……?」


震える声で問いかけながら、杏奈はようやく亮のもとに駆け寄った。亮は唇から血を流し、前髪の隙間から覗く顔は痛みに歪んでいたが、それでも弱々しく笑った。


「……やっぱり、神村さん……強いんだね」


「ち、違う……! 私、なにもできなくて……」


杏奈は涙をこぼしながら首を振る。

だが亮はかすかに首を横に振り返した。


「……助けてくれた……じゃん」


その言葉に、杏奈の胸が熱くなる。自分は臆病で、逃げてばかりだと思っていた。けれど今だけは――亮がそう言ってくれることが、救いだった。


杏奈は震える手でハンカチを取り出し、ぎこちなく亮の口元を拭った。


「……っ、ご、ごめんね、ほんとに……」


「……ありがとう」


亮の呟きに、杏奈の目からまた涙があふれる。

夕暮れの光が差し込む教室の中で、二人はただ静かに向き合っていた。


杏奈は涙を拭きながら、まだ床に座り込んでいる亮を見つめた。弱々しく笑うその姿は、殴られてボロボロなのに――どこか凛として見えた。


気づけば、杏奈の手はカメラを構えていた。

カシャッ。

シャッター音が響く。


「えっ……?」

亮が驚いて顔を上げる。


杏奈はハッとして、耳まで真っ赤になる。

「ち、ちがっ……! い、今の……かっこよかったから……!」


言葉がこぼれた瞬間、自分の顔がもっと熱くなるのを杏奈は感じた。


亮は目を丸くして固まったあと、前髪の下で頬を赤く染め、慌てて視線を逸らした。

「……そ、そんなこと……ないよ……」


杏奈も慌ててカメラを胸に抱きしめ、俯いた。

「ご、ごめん! 無神経だったよね……でも、ほんとに……勇気出してくれて、かっこよかったんだもん……」


その声は震えていたが、真剣だった。


亮はかすかに笑いながら、床に転がった自分の鞄を手に取る。

「……ありがとう」


二人の間に気まずい沈黙が流れる。

だが、不思議と嫌な静けさではなかった。夕日が差し込む教室の中で、互いの頬の赤さだけが際立っていた。


杏奈はぎゅっとカメラを握りしめながら、胸の奥で「今度こそ、逃げなかった」と小さくつぶやいた。


「じゃ、じゃあ、僕もう帰るから……」

亮はそう言ってそそくさと出口の扉へ向かう。


教室の空気はまだ夕日色に染まっていた。

杏奈は鞄を抱え、扉の前に立つ亮の背中を見つめる。先ほどの出来事の余韻で、胸がまだドキドキしていた。


「……あのっ!」

思わず声が出た。


亮が振り返る。


杏奈は顔を赤くしたまま、思い切って笑顔を作り、手を振った。

「影山くん! ……ありがとう!」


その声は少し震えていたけど、真っ直ぐな気持ちが込められていた。


亮は驚いたように目を瞬かせたが、すぐに前髪の下で小さく笑った。

「……うん」


そして、少しだけ手を上げてひらひらと振り返す。

その仕草は控えめで、けれど確かに「応えてくれている」温かさがあった。


二人の間には気まずさも残っていた。

けれど、それ以上に――互いに小さな勇気を見つけた、優しい余韻が流れていた。


杏奈は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら、カメラを大事そうに抱え、教室を後にした。




その夜。

ベッドに横になった杏奈は、目を閉じてもなかなか眠れなかった。


頭の中に何度も浮かぶのは――放課後のあの光景。

教室の入り口に立ち、不良達に立ち向かおうとした影山亮の姿。

弱々しくも、それでも必死に絞り出した声。


「神村さん、嫌がってるじゃん」


その一言が、杏奈の心をぎゅっと掴んで離さなかった。


枕元にはカメラが置かれていた。

ついさっき、無意識にシャッターを切ってしまった「亮の写真」。


彼が必死に立ち向かうその一瞬を、杏奈は「かっこいい」と思ってしまった。

それを口にして、思わずお互い赤面した場面まで、まざまざと思い出す。



「……なんで、あんなに勇気出せるんだろう」


杏奈は小さく呟く。

自分は最初、見て見ぬふりをして逃げてしまった。

けれど、亮は――傷だらけになっても、人のために声を出した。


胸が熱くなり、同時に少しだけ苦しくなる。


夜空を見上げるために、杏奈は窓を少しだけ開けた。

冷たい風が頬を撫でる。


「……私も、ちゃんと頑張らなきゃ」


奈々を送り出した夜と同じように。

今度は、自分自身のために。

そして――今日、自分を守ってくれた亮のように。


杏奈の胸に、静かに決意の灯がともっていた。


次回予告

カコ:「ねぇ杏奈ちゃん、“八尺様”って知ってる?」


杏奈:「えっ、またそういうの……! カコちゃん、怖いのやめてよぉ〜!」


カコ:「ふふっ、背が八尺(2メートル40センチ)もあって、“ぽぽぽ……”って声が聞こえるとか――」


杏奈:「ちょ、ちょっと!? もうやめてってばぁ!」


コン:「……声が聞こえたら、もう助からないとか……」


杏奈:「ひぃぃぃっ!? コンちゃん、黙ってて!!」


カコ:「あははっ! 杏奈ちゃん、顔真っ青〜!」


杏奈:「カコちゃんまで笑わないでぇぇぇ!!」


杏奈:「次回、八尺様の影!!」


カコ&コン:「ぽぽぽ……」


杏奈:「やめてぇぇぇぇ!!!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ