表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

第二話 杉村奈々

南ヶ島第二高校の二年二組。

いつもなら窓際の席で静かに読書している杏奈だが、この日は落ち着きがなかった。

視線が落ち着かず、ページをめくる手もぎこちない。


理由はただ一つ――。

背中にぴったりと、昨日出会った幽霊の少女ーー杉村奈々が張り付いているからだ。


「……」

奈々は無言で、まるで背中の影になりきるかのように杏奈の動きについてくる。

制服の背中越しに、冷たい空気がじんわり伝わってくる感覚があった。


(やばいやばいやばい……これ、私、殺されるのかな……?)

心の中で何度も繰り返しながら、杏奈は必死に平静を装う。


周囲の生徒たちは、もちろん奈々の姿は見えていない。

「神村さん、今日なんか変じゃない?」

「なんか背中こわばってるよな」

そんな声も聞こえるが、杏奈は引きつった笑みで「だ、大丈夫……」と返すだけだった。




1時間目:国語


黒板の文字をノートに書き写そうとするたび、背中に感じる冷たい気配が気になって仕方がない。

奈々は完全に無言だが、机の横に立って覗き込むような気配を出してくる。

(字、下手って思われてたらどうしよう……いやそこじゃない、命の危機の方が大事……!)



昼休み


机を寄せ合うグループの輪から少し離れて弁当を広げる杏奈。

すると奈々もちゃっかり腰を下ろし、杏奈の肩に顎を乗せる。

「……ひ、人のパーソナルスペースって知ってますか……?」

もちろん周囲には聞こえない。隣の席の男子が「誰に話してんの?」と首を傾げ、杏奈は慌てて「いや、なんでも……」とごまかす。



放課後


チャイムが鳴ると同時に、杏奈は鞄を掴んで教室を出ようとした。

しかし背後の奈々は、出席番号順に並んでいるかのようにぴったり後ろに付き、一定の距離も保たない。


(……やっぱり、私……殺されるのかな……)


そんな疑念を抱えたまま、杏奈はその日一日をどうにか終えた。

けれど、背中に残る冷たい感覚は、校門を出ても、まだ消えなかった――。




夕陽が傾き始めた山道を、杏奈は息を切らせながら歩いていた。

昨日言われた通り、学校が終わってその足で沼田トンネルへ向かったのだ。


トンネルの入り口近くに着くと――見慣れた二人がいた。

カコはスマホを両手で持ち、画面をスワイプして何やら夢中で操作している。

一方コンは、地面にしゃがみこんで、道端に座り込む野良猫をじっと見つめていた。


「よ! 杏奈ちゃん」

カコがスマホから顔を上げ、にっこり笑う。


「ごめんなさい、学校終わるのいつもこの時間で……」

杏奈が申し訳なさそうに言うと、カコはひらひら手を振った。


「いいよいいよー、私たちやることないから待ってただけだし」

そう言って、隣のコンに視線を送る。

「ね?」


コンはゆっくりと顔を上げ、こくりと頷いた。

その隣で、野良猫が気まぐれに尾を振り、またコンの足元に身体をすり寄せた。


カコは軽快に「作戦会議!」と声を上げ、背負っていたリュックから大きな紙を取り出した。

広げられたのは南ヶ島全体の地図。港や山道、観光地と並んで、いくつかの赤いバツ印が書き込まれている。


「見て見て。島にある車の廃棄場を全部マークしたんだ」

カコは指先で地図をなぞりながら言う。

「で、今日、私とコンちゃんで全部回ってきたんだけど……この一カ所だけはまだ調べてないの」


「ふ、二人だけで!?」

杏奈は目を丸くした。


「うんうん。だって時間ないし、早く調べたかったからさ」

カコはまるで買い物のついでに寄ったかのように呑気に笑う。


一方コンは、何も言わず、足元の野良猫をそっと撫でていた。猫は心地よさそうに目を細め、コンの膝に前足をかけてくる。


カコは地図の端を指で押さえながら、赤いバツのない一点をとん、と叩いた。

「残ってるのは、この廃棄場。山の裏手にあって、島の人でもあまり行かない場所なんだって」


杏奈はごくりと唾を飲み込む。

「……そこに、例のワゴン車があるかもしれないってこと?」


「可能性は高いね。ナンバーが島外登録だから、普通の整備工場じゃ扱わないはず。となると、目立たない廃棄場に隠されてる可能性がある」

カコは真剣な顔をしていたが、その口調はどこか楽しげでもあった。


コンは野良猫を撫でながら、ぽつりと呟く。

「……山道は細い。車では入れない。徒歩で行く」


カコが指していた山奥の廃棄場は、舗装もされていない細い道の先にあった。

杏奈は首をかしげる。

「……でも、あの道幅じゃ普通の車なんて入れないですよね? どうやって運んだんでしょう」


「それなんだよね〜」

カコは顎に指を当て、にやりと笑う。

「コンちゃんが近くの港の古いクレーンを使ったって話を聞いたよ。海沿いから山側まで、廃車を台車ごとロープで引っ張り上げたんだって」


杏奈の頭に、錆びた鉄骨とゴロゴロと引きずられる車の映像が浮かぶ。

「そんな無茶……」


コンは野良猫を撫でながら、淡々と補足する。

「……夜中に動かせば、誰も気づかない」


カコは軽く肩をすくめる。

「つまり、普通の人じゃなくて、“その筋”の人間がやったってことだね」


杏奈は一瞬ためらったが、奈々が背後から「行くんでしょ」と小さく囁き、背筋に冷たい感覚が走る。

「……はい」


カコは満足そうに笑みを浮かべ、地図を丸めてリュックに突っ込んだ。

「じゃあ、明日の放課後、廃棄場調査隊、出発!」


夕暮れのトンネル前に、潮風と猫の鳴き声が響いた。



_____



山道を歩く途中、カコが急に「あ、そうだそうだ」と声を上げた。

何かを思い出したらしく、リュックの中から半分ほど齧られたりんごを取り出す。


「……何ですか、それ」

杏奈は眉をひそめる。


「これこれ、このりんご、杏奈ちゃんのカメラで撮ってみてよ!」

「えぇ……なんで……?」

「いいから、ほらほら!」


しぶしぶカメラを構え、パシャリと一枚。

だが、液晶画面に映し出されたのは――どこも欠けていない、真っ赤でつややかな完璧なりんごだった。


「……ど、どういうこと!?」

杏奈は思わず声を上げ、手元のカメラと現物のりんごを交互に見比べる。


カコはその食べかけのりんごをまた齧りながら、何気ない口調で呟いた。

「私、考えてたんだよね……杏奈ちゃんのカメラ、過去を写す能力があるのかもって」


「え……?」

杏奈が目を瞬かせる。


「だって昨日、私が見せた奈々ちゃんの“過去”も、ちゃんとカメラに写ってたじゃん」

カコの目は笑っていたが、その奥にはわずかな興奮と探るような光があった。


コンはそんな二人の会話を黙って聞きながら、足元の落ち葉を踏みしめて歩き続けていた。


カコは笑みを浮かべたまま、りんごの件で盛り上がる杏奈に向かって指を伸ばした。

「その能力、きっと役立つよ」


杏奈は「え?」と聞き返し、その指先の方向へ視線を移す。


山道の木々の隙間から――金網で囲まれた広い空き地が見えた。

中には錆びついた車の山が積み上げられ、車体のドアやバンパーが無造作に転がっている。

異様な静けさと、油のこもった匂いが遠くまで漂ってくる。


「……あれって」

「そう。目指してた廃棄場」

カコは真剣な表情に変わり、コンも小さく頷いた。


奈々は杏奈の背後で、じっとその場所を見つめている。

空気が少し重くなったように感じ、杏奈は無意識にカメラを握りしめた。




金網の切れ目から中に入り、錆びついた車の山をかき分けるように進んでいく。

奥へ進むにつれて、埃と油の混ざった匂いが濃くなり、足元には割れたガラスやタイヤの残骸が散らばっていた。


「……あった」

コンが小さく呟き、顎で指し示す。


そこに停まっていたのは、昨日の記憶で見たあの黒いワゴン車だった。

外装は泥と錆で覆われ、ナンバー部分は金属板で隠されている。だが、そのフォルムと細部は間違いようがない。


カコが振り返り、にやりと笑う。

「杏奈ちゃん、ちょっと試してみよっか。あの車、撮ってみて」


杏奈は緊張で手が汗ばむのを感じながらカメラを構え、息を整えてシャッターを切った。

カシャ――。


液晶画面に映し出された写真に、杏奈の心臓が跳ね上がる。

そこには、現実では空のはずの運転席に――黒い帽子を深くかぶった、正体不明の男が座っていた。

無表情で前を見据え、その視線はまるで、写真越しにこちらを見返しているかのようだった。


「……誰……?」

杏奈の声は震えていた。


カコは画面を覗き込み、目を細める。

「……やっぱりだ。これが、この車の“過去”」


奈々は杏奈の背後から画面を見つめ、ぽつりと呟いた。

「……この顔……忘れてない」


杏奈は息をのんだままカメラを下ろした。

写真の中の男は相変わらずこちらを見据えており、その存在感が画面越しにも重くのしかかる。


「……車の中、調べてみよう」

カコが低く言い、慎重にワゴン車へ近づく。コンは一歩前に出て周囲を見回し、怪異の気配がないか確認していた。


運転席側のドアを開けると、軋む音とともに錆の粉が舞う。中は埃まみれで、座席は破れ、ところどころに黒いシミがこびりついていた。


カコが手袋をはめ、ダッシュボードや座席下を探る。

「……あった」

彼女が引きずり出したのは、ボロボロになったレザー製の手帳だった。表紙には薄く擦れた文字で、見慣れない名前が刻まれている。


奈々がそれを見た瞬間、空気が変わった。

「……この名前……」

声が震えていた。


カコはページをめくると、中には数字の羅列や日付、そして地図の切り抜きが挟まれている。

「……どうやら、この男、島で何度も動いてたみたいだね」


杏奈は背筋に寒気を覚えた。

カメラには過去が、手帳には行動の痕跡が――犯人の影が少しずつ輪郭を現し始めていた。


カコは手帳を閉じ、ニヤリと笑う。

「さぁ、これで一気に追い詰められるかもね」


カコは手帳の表紙をもう一度、埃を払って見やすくした。

擦れて薄くなった文字が、夕陽に照らされて浮かび上がる。


間宮まみや いわお


奈々がその名を口にした瞬間、唇を強く噛みしめた。

「……間違いない。この人……あの日、運転席にいた」


カコは鋭い目をして手帳を握り直す。

「間宮巌……覚えた。この名前とナンバーで、足跡を追う」


コンは無言で頷き、金網越しに周囲を警戒する。

杏奈はカメラを胸に抱き、胸の鼓動が早くなるのを感じていた。


奈々の仇の名が、ついに口にされた――。



_____



日はすでに山の端に沈みかけ、廃棄場の影は長く伸びていた。

「今日はここまでだね」

カコが地図をしまい、コンも無言で頷く。

杏奈たちは足早に廃棄場を後にし、帰路についた。




夜、自宅


島の夜は早い。潮騒と虫の声が混じる音を聞きながら、杏奈はベッドに寝転んでいた。

天井をぼんやり見つめていると、不意に背後から声が降ってくる。


「……ねぇ」


振り返らずとも、それが奈々の声だとわかる。

「なに?」と恐る恐る返すと、奈々は静かに呟いた。


「……あの男を捕まえたら、私……消えちゃうのかな」


杏奈は言葉を失った。

奈々の声は、怒りや恨みではなく、どこか不安を抱えたものに聞こえた。


怖さはあった。

けれど、それ以上に、その孤独な響きに胸が締め付けられる。


杏奈はゆっくりと身体を起こし、奈々の方へ手を伸ばした。

そして、その頭をそっと撫でる。


奈々は驚いたように目を瞬かせ、少しだけ頬を赤らめた――が、すぐに視線を逸らす。

二人の間に、海風のように静かな沈黙が落ちた。



_____



朝の光が南ヶ島を照らし、港からの潮風が町に広がるころ。

杏奈は学校を終えると、昨日と同じく沼田トンネル近くへ足を運んだ。

カコとコンはすでに到着しており、待っていたように手を振る。


「おっ、来たね杏奈ちゃん!」

カコは地図と手帳を手に持ち、昨日見つけた“間宮巌”の名前を何度も見返している。

「今日は港と、あと地図にあった“廃棄場の周辺”をもう一回回るよ。昨日の男がどこかに痕跡を残してるはずだから」


杏奈は頷いたが、背後から冷たい気配がついてくる。

振り返ると、やはり奈々が立っていた。

彼女は昨日より少し影の濃い表情をしており、口を開く。


「……もし、あの男を見つけたら……私、消えるんだよね」


「……そんなこと、まだわからないよ」

そう言って、杏奈はそっと奈々の腕に触れた。冷たい感触が伝わるが、奈々は拒まなかった。


カコは二人のやり取りを横目で見て、小さく笑った。

「とりあえず、今は調査に集中しよ。全部終わってから、答えを探せばいいんだよ」


コンは静かに頷き、足を踏み出す。

四人は再び、廃棄場と港を繋ぐ道へと歩き出した。



杏奈たちは島の港町へ降り立った。

漁船が並ぶ埠頭には、今日も観光客や漁師たちで賑わっている。

カコは早速、手帳と地図を広げて声を潜める。


「昨日見つけた“間宮巌”って名前……記録だと、この島に何度も出入りしてたっぽいんだよね。

 だから港に痕跡が残ってるはず」


彼女はスマホを取り出し、地元の船会社や整備工場の記録を調べ始める。

一方で、コンは無言で周囲を歩き回り、漁師や船乗りの顔を一人ひとり確かめていた。


やがて杏奈がカメラを構え、港の倉庫群を撮影した時だった。

液晶に写った倉庫のシャッター前――現実では誰もいないのに、写真の中には黒いワゴン車と、その横に立つ男の影が映っていた。


「……間宮巌」

奈々が背中から小さく呟く。


カコは写真を覗き込み、真剣な顔をする。

「やっぱりこの港を使ってたんだ。廃車を運ぶなら船を使うのが一番確実だからね」


さらに倉庫を調べると、錆びた鉄扉の隙間から油の染み込んだ紙袋が見つかった。

中には領収書の切れ端――そこには「沖浜フェリー」と書かれ、日付は十数年前のものだった。



「……十数年前。奈々ちゃんが亡くなった事故のすぐ後の便だ」

カコの言葉に杏奈は息を呑む。


奈々はじっと紙片を見つめたまま、小さく笑った。

「これで……追える」


潮風が吹き抜け、海鳥の鳴き声が遠くに響く。

だが杏奈の心はざわめきを抑えきれなかった。

カメラに写る“過去”が、彼女たちを確実に事件の核心へと導いている。




港での調査を終えてから、杏奈は半信半疑のまま、カメラを構え続けた。

廃棄場、倉庫、人気のない路地――。

シャッターを切るたびに、現実にはいないはずの“過去の痕跡”が写り込む。


最初はワゴン車の残像、次には男が立ち寄った食堂の暖簾、そして港町の雑踏の中に立つ黒い帽子の姿――。


「すごい……どんどん、点と点が繋がっていく……」

杏奈は震える声で呟いた。


カコは腕を組みながらにやりと笑う。

「ね、言ったでしょ? 杏奈ちゃんのカメラ、事件の道標になるって」


撮影した写真を一枚一枚確認していくと、いくつかの共通点が浮かび上がった。

どれも背景には、同じ瓦屋根や、特徴的な石垣が写っていたのだ。


コンがそれに気づき、指先で画面をなぞる。

「……この建物……北の集落にしかない造り」


「つまり……」

杏奈が息を呑む。


カコは大きく頷き、地図を広げて石垣と瓦屋根のある場所を指し示した。

「間宮巌の“家”は、この辺りだね」


背後で写真を覗き込んでいた奈々は、無言のまま拳をぎゅっと握り締めた。

「……やっと、ここまで来たんだ」


その声は震えていたが、確かな決意がこもっていた。

杏奈はそんな奈々を横目で見て、無意識にカメラを胸に抱きしめた。


(……私のカメラが、本当に役に立ってるんだ……)


海風が吹き抜け、日が傾き始め、島の空はすでにオレンジ色に変わり始めていた。




夕暮れ時、北の集落へ向かう道を杏奈たちは歩いていた。

赤く染まった空に、カラスの鳴き声が重なる。

島の民家がぽつぽつと並び始め、その中でも一際古びた一軒家が姿を現した。


「……ここだ」

コンが短く告げる。


石垣に囲まれた平屋、瓦屋根は苔むし、窓は板で打ち付けられている。

だが、どこか人の気配が残っていた。


「まさか……本当に間宮巌がまだここに……?」

杏奈はごくりと唾を飲む。

背中の奈々が、無言でぎゅっと彼女にしがみつく。冷たい感覚に、心臓が跳ねる。


「よーし、突撃だ!」

カコは軽く拳を握って笑うが、その声にも微かな緊張が混じっていた。

「……騒がしくしすぎると、逃げられる」

コンが低く言う。


「じゃあ……」杏奈は息を整え、カメラを構える。

レンズを家の方へ向け、シャッターを切った。


カシャ――。


画面に映ったのは、古びた家の縁側に腰掛け、煙草をふかす一人の男の姿。

黒い帽子を目深にかぶり、眼光だけが鋭くこちらを見据えている。


「……間宮……巌」

奈々が震える声で名を呼んだ。


家の中からは、木戸がきしむ音が微かに響いた。

――本当に“まだ”この家にいる。


カコが勢いよく戸を開け放った。

軋む木戸の向こう、薄暗い部屋の中に間宮巌が座っていた。

黒い帽子を深くかぶり、タバコの煙をくゆらせていたその姿は、杏奈のカメラに写った“過去”と寸分違わぬものだった。


「……なんだ、お前ら」

低く濁った声が部屋に響く。


カコは一歩も引かず、真っ直ぐその男を指さす。

「十八年前の沼田トンネルでの事故。あなたが仕組んだんでしょ」


その言葉に、間宮の目が見開かれた。

震える指でタバコを床に落とし、呻くように声を漏らす。

「な……なんで、それを……」


カコはすかさず続ける。

「もう警察は呼んであるから。逃げ場なんてないよ」


「……黙れえええっ!!!」

間宮が怒号をあげ、突如立ち上がった。

そして――最も近くにいた杏奈へ拳を振りかざす。


「――っ!」

杏奈は反射的に身をすくめる。


しかし、その瞬間。

間宮の身体が横から弾き飛ばされた。

「……っ!」

コンが素早く踏み込み、無駄のない蹴りを間宮の脇腹に叩き込んだのだ。


「ぐっ……!」

間宮は呻き声をあげ、畳の上に倒れ込む。


背中にひやりとした気配が広がる。

杏奈の後ろにいた奈々が、すっと前へ歩み出た。

この場にいる誰の目にも、彼女の姿ははっきり見えていた。


床に倒れ込む間宮の顔を覗き込み、奈々は小さな声で呟く。

「……なんで……なんで殺したの?」


その声は、怨嗟でも怒号でもなく――ただ真実を求める震えだった。

間宮の目が奈々を捉え、驚愕に見開かれる。

「……お、お前……」


奈々の瞳は揺るがなかった。

「答えて。……私と、家族を、なんで……」


間宮は床に倒れ込んだまま、肩を震わせて笑った。

「……ハッ、ハハハ……! そうだよ……俺だ。俺が、あの日、わざとぶつけたんだ……!」


奈々の瞳が大きく揺れる。

「……どうして……!?」


間宮は顔を歪ませ、狂気じみた笑みを浮かべた。

「理由なんざ単純だ……ムカついたんだよ。あの道をのんきに走ってやがる“幸せそうな家族”の顔が……気に食わなかった!

 俺が壊してやれば、全部ぐちゃぐちゃになる……それが、面白くて仕方なかったんだよ!!」


その声には悔恨も後悔もなく、ただ歪んだ愉悦がにじんでいた。


奈々の表情から一瞬で血の気が引いた。

杏奈は思わず「やめて……」と小さく叫ぶ。


しかし次の瞬間、コンが無言で一歩前へ踏み込み、鋭く足を振り抜いた。

「――ッ!」


間宮の体が宙を浮き、畳の上に崩れ落ちる。

呻き声をあげる間もなく、意識を失い、その場に沈んだ。


「うるさい」


コンが言い放ち、カコは「やれやれ」と肩をすくめつつも、その目は真剣なままだった。

「……最低だね、ほんと」


奈々はその倒れた男を見下ろし、小さく震えながらも、ついにその問いへの答えを得た。

彼女の瞳に浮かんだのは、怒りと悲しみ、そして――ほんの少しの安堵だった。


遠くからパトカーのサイレンが近づき、やがて赤いランプの光が家の前を染めた。

数人の警察官が中へ駆け込み、床に倒れ込んでいる間宮を確認すると、そのまま手錠をかけて連れ出していく。

「これで間宮巌は終わりだ……」

警官の一人がそう呟き、重い空気のまま現場は整理されていった。




杏奈たちは外へ出ると、夕闇がゆっくりと夜へ変わろうとしていた。

海風が吹き抜け、張り詰めていた緊張がようやくほどけていく。


「やっと終わったねー!」

カコが大きく背伸びをし、ぐいっと腕を天に伸ばした。


杏奈は隣のコンに視線を向け、小さく微笑む。

「……助けてくれてありがとう、コンちゃん」


コンは一瞬きょとんとしたが、すぐにそっぽを向き、ぶっきらぼうに言った。

「……いいよ、別に」


その様子を見たカコが、にやりと笑って両手を腰に当てる。

「あれれー? コンちゃん、照れちゃったー?」


「っ……ち、違う」

仮面の下でほんのわずかに赤みが差すコン。


杏奈は思わず吹き出し、声を上げて笑った。


背後でじっと彼女らを見ていた奈々も、ふっと肩の力を抜く。

そして、これまで見せたことのなかった柔らかな笑顔を浮かべ、小さく「ふふっ」と笑い声をこぼした。


空気が少しだけ温かくなったように感じられ、杏奈は胸がじんわりと熱くなるのを覚えた。


杏奈が奈々の笑顔を見て、心からほっとした瞬間――

その身体がじわじわと薄くなり、透けていくのがわかった。


「……奈々ちゃん……」

杏奈の声は震えていた。


奈々は静かに微笑むと、ふわりと杏奈に抱きついた。

小さな腕の感触は冷たかったが、不思議と優しさに包まれていた。


「ほんとに、ありがとう……杏奈ちゃん、カコちゃん、コンちゃん」

その声は涙に震えており、頬を伝って透明な雫がこぼれ落ちた。


杏奈も思わず瞳に涙を溜め、ぎゅっと奈々を抱きしめ返す。

「……私こそ、奈々ちゃん……」


カコは笑顔を見せながらも、視線の奥には名残惜しさがにじんでいた。

「最後にそんな顔見せるなんて、ずるいなぁ……」

そう呟きながら、そっと奈々の背に手を伸ばすような仕草をする。


コンは無言のまま俯き、仮面の奥の瞳を閉じた。

その肩がかすかに揺れていて、悲しみを隠しきれていなかった。


やがて奈々の姿は、光の粒となって夜の空へと溶けていった。

残された三人は、それぞれの想いを胸に抱きながら、しばし動けずに立ち尽くしていた。




奈々が光の粒となって消えた後、杏奈・カコ・コンの三人は、ただ黙々と夜の道を歩いていた。

日が落ちてしまった島の山道は薄暗く、街灯の下に落ちる影が長く伸びている。

潮風に混じって夜の湿気が肌にまとわりつき、蝉の声に代わって草むらからは鈴虫の音が響いていた。


三人とも口を開かない。

杏奈はカメラを胸に抱え、奈々が最後に見せてくれた笑顔を何度も思い出していた。

あんな風に安心した顔を見せてくれるなら、彼女はきっと救われた――そう思いたい。

けれど同時に、胸にぽっかりとした寂しさが残っていた。


「……ねぇ」

沈黙を破ったのはカコだった。

彼女は両手を後ろで組み、夜空を見上げながら歩いている。

「怪異ってさ、全部が悪いわけじゃないんだよ。今日、奈々ちゃんを見てて思った」


杏奈は足を止め、顔を上げる。

「……悪い怪異ばかりじゃない、ってこと?」


「そう。あの子は確かにトンネルに縛られて、人を驚かせる存在になってたけど……結局は家族を奪われた悲しみで、立ち止まってただけ。ね? コンちゃん」


横を歩くコンは仮面の奥で視線を下げ、ゆっくりと頷いた。

「……恨みを残した魂が、全部悪になるわけじゃない。あの子は……ただ、助けを待っていた」


杏奈は胸がじんわりと温かくなるのを感じ、深く頷いた。

「……うん」


そのまましばらく歩いてから、杏奈は二人に向き直った。

カメラをぎゅっと抱きしめ、少し震える声で言う。


「私も……二人のお手伝いをしたい。

 奈々ちゃんみたいに、苦しんでいる怪異がいるなら……私、放っておけない」


夜風が一瞬止まり、三人の間に静かな間が流れる。


カコは目を見開き、驚いたように杏奈を見つめた。

だがすぐに、いつもの無邪気な笑顔を浮かべる。

「杏奈ちゃん……! もう、そう言ってくれるの待ってたんだよ!」


杏奈は照れながらも微笑む。

「……でも私、まだ怖がりだし、役に立つかわからないよ」


「大丈夫大丈夫! 怖がりでもカメラがあれば百人力! それに……怖がりだからこそ見えるものだってあると思う」


コンは少し遅れて歩き出し、背中を向けたまま呟く。

「……無理は、しないで」

その声は淡々としていたが、どこか優しさが滲んでいた。


カコはその様子を見て、ニヤリと笑う。

「あれれー? コンちゃん、杏奈ちゃんのこと心配しちゃってるんだ?」


「ち、違う」

コンはそっぽを向いたまま歩を早める。

杏奈は思わず吹き出して笑ってしまった。


そんな光景を見て、奈々の最後の笑顔がふっと重なった。

笑い声は、確かに届いていたのかもしれない――そう思うと、杏奈の胸がじんわり温かくなった。



_____



その夜。

杏奈は一人、自分の部屋でベッドに横たわっていた。

明かりを消した部屋は静まり返り、聞こえるのは時計の針の音と、窓越しに届く遠い波の音だけ。


目を閉じれば、奈々の笑顔が何度も蘇る。

最後に見せてくれたあの柔らかい表情、泣きながらも「ありがとう」と言って抱きついてきたあの温もり――。

思い出すたび、胸の奥が熱くなり、涙が込み上げてくる。


「奈々ちゃん……」

そっと名前を呼ぶと、声が震えた。

その響きは自室の空気に溶け、ひとりぼっちの部屋をほんの少し温めてくれる。


杏奈は身体を起こし、窓を開けた。

潮風が頬を撫で、カーテンがゆっくりと揺れる。

夜空には無数の星が散りばめられ、ひときわ輝く星が今にも落ちてきそうに瞬いていた。


「……私ね」

杏奈は胸の前でカメラを抱きしめ、夜空に向かって小さく笑った。

「私も、頑張ってみるね」


怪異と呼ばれる存在は恐ろしい。

奈々のように悲しい思いをして彷徨ってしまった魂もいる。

だけど――そんな存在に手を差し伸べられるなら、きっと自分にもできることがある。


「私、怖がりだし、何もできないかもしれない。

 でも……奈々ちゃんのこと、ちゃんと見届けられたから……」


目頭が熱くなり、ひと筋の涙が頬を伝う。


杏奈は涙を拭い、再び夜空を仰いだ。

流れる星々が、まるで奈々の笑顔と重なって見える。


「ありがとう、奈々ちゃん。

 あなたに出会えたから、私も前を向ける。

 これからもきっと、怖いこともあるけど……私、負けないよ」


その声は祈りのように静かで、しかし確かに夜空へと届いていった。

遠いどこかで、奈々が微笑んでいる気がした。


杏奈は胸の奥に生まれた小さな決意を抱きしめ、ゆっくりとベッドに横たわる。

窓から差し込む月の光が、彼女の頬を優しく照らしていた。


次回予告

カコ「よーし!次の舞台はぁ〜……灯台だっ!!」


杏奈「え、待って待って!なんでそんなテンション高いの!?灯台って怖い噂ばっかりじゃん!」


コン「……高いところ、苦手」


カコ「えっ!?そうなの!?じゃあコンちゃん、私がおんぶして行く?」


コン「……いらない」


杏奈「あの、ちょっと!私を置いて盛り上がらないで!?ほんとに大丈夫なの!?」


カコ「安心して!杏奈ちゃんには、怪異にモテモテな体質があるから!」


杏奈「それ安心じゃないよぉーーーっ!!」


カコ「ということで!次回――」


三人「『灯台に潜む影』!!」


カコ「杏奈ちゃんもおぶってあげるからね」


杏奈「いらないから!!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ