6.負け戦ならそれらしくやれ
コンコンコンと部屋の扉がノックされた。
ヴォイドは回り切らない頭で考える。レガリアか。そうに違いねえな。これでレガリアじゃなかったらびっくりである。ミセルが我慢ならなくなって、レガリアを討ち取ったのちヴォイドに首を献上しに来たとかだったらありえるけど、ないだろう。いくら相性が悪いとはいえ『序列』一位。ミセルが喧嘩をふっかけて来たとするのなら、派手な戦闘音が聞こえているはずだ。
だから、扉をノックしたのち返事も待たずにノータイムで開けたのはレガリアだった。
うん、当たり前だな。予定調和の範囲内。予想可能の予知可能。誰がどう考えたってレガリアである。
どうしたものか。
「ヴォイド様、起きてらっしゃいます?」
レガリアの声が聞こえる。瞼は開けられない。だから、どこら辺にいるかもわからない。そんな生活がもう……何日だろう? 数えるのを諦めるどころか、そもそも数えられていないのだから笑えない。クソッタレである。
とりあえず、レガリアの声は聞こえた。
久しぶりに、自分以外の声を聞いた。
なんだ? 魔法か毒かが弱まっているのか? まさに夢現といったヴォイドの意識が、ほんの少しではあるけれど回復している? おや、珍しい。詰めが甘いな、レガリア。
どうするべきかなんて理解している。理解し切っている。
ヴォイドは口を開いた。
「今日は冷製カボチャスープですよー」
足音が聞こえる。レガリアがベッド脇にいる。ヴォイドを抱き抱えて、体勢を整えて──
「『星屑の五月雨』」
次の瞬間。
部屋に置いてあった星形の飾りが一斉に破裂した。
ベッド脇に置いてあったランプも吊り下げられた飾りも壁の装飾も、何もかも、破裂する。破片が散らばり素直にヴォイドを投げ捨て回避したレガリアの頬を少しだけ切り裂いた。もちろん、動けないヴォイドの方がダメージは深刻である。白いネグリジェが赤になっている。こっそり魔法で治した。痛いのは嫌いだ。
「……なんでですかねえ」
レガリアが呟いた。切り裂かれた頬を撫で修復しながら、首を傾げる。ヴォイドはぴくりとも動かない自分の体を、どうしたものかと考える。考えるのも億劫だが、考えねば始まらぬ。
「『薬』の量を間違えましたかね。いや、『協力者』が言った通りに服用していたはずですが……ああ、なるほど、裏切ったのですね。先にこちらから裏切っているのでなんともいえませんが」
「……随分、と。勝手なことを……」
「ああ、ダメですよヴォイド様。お人形なんですから、勝手に動かないでください。魔法もダメです」
「うるせー……。貴様に、命令されたくは、ない」
「あはは! 本来命令される側なくせに何言ってんですか」
「……」
「あなたの身分は最底辺なはずでしょう? 素直にお人形になっててくださいよ」
「……他人を、乗っ取らねば、生きていけぬ奴が、人形遊びか」
息も絶え絶えに、ヴォイドは口角を上げて嘲笑う。
「笑える、な」
「……あなたに言われたくないですねえ」
どっちもどっちだ。どんぐりの背比べだ。五十歩百歩の大同小異。変わらない。
怪物は変われない。
ヴォイドはベッドに寝転がったまま考える。どうしよう。勢いで喧嘩ふっかけたのはいいけど、ここから先を全く考えていない。まさにその場のノリである。このままではお人形ごっこコース。それだけは回避したい。
レガリアは最悪殺していい。
どうせバックアップがいるだろう。殺していい。むしろ殺す気でいかねばこちらが死ぬ。精神的に。あー、ヤダヤダ。何が悲しゅうて部下に殺されねばならんのだ。上司の面目丸潰れもいいところ。威厳を取り戻すためにも(手遅れ? 黙っとけ)ここは死に物狂いで頑張らねば。ゆーきゃんどぅーいっとの精神でいこう。
これでも、魔法に関しては右に出るものがいない、魔王ヴォイドである。
レガリア・S・ファルサが小細工を凝らしたところで、ヴォイドを完璧に侵略することはできない。てか一回どころじゃなく叩き潰してるし。反逆されるたび、手ずから処理してやっているのだし。……なんか勝てる気がしてきた。よくよく考えりゃ、勝てるんじゃない? よくよく考えなくとも、勝てるんじゃない?
うん、とりあえず。
「『巨悪なる終焉』」
全部ぶっ壊してみようと思い立ち、ごくごく軽い、そりゃあもうティッシュペーパーのように軽いノリで放たれたヴォイドの魔法により、タワマンが下から崩れ落ちて全壊した。
……
死んだかと思った……。
身の回りの安全なぞ考えず、でもとりあえず結界だけ張って全部壊してみた。比喩じゃない。この建物全部を、ぶっ壊してやった。人様に迷惑がかかるとか、せっかく買った望遠鏡が壊れてしまうとか、んなことは考えずに壊してしまったのである。とにかくガラガラ崩して瓦礫の山に変えてやった。それは確かだ。
ヴォイドは瓦礫に埋もれつつ、自分の状態を確認していく。毒の影響はまだ残っているのか体は動かないが、それでもわかる。大きな怪我はない。ちっせえ擦過傷は大量に多量にあるが、ほぼ誤差の範囲だろう。治せばいい。先ほどまで鈍ちんだった頭は衝撃で治ったのか正しく動く。つまり、体だけ動かない。なら、問題はない。
「『自律式機械人形』」
動かないのなら魔法で無理やり動かせばいいじゃないか。
己の体を人形として、人形を動かす魔法でどうにかする。瓦礫の山から脱出し立ち上がる。どうやら夜らしい。星が綺麗だ。都会のネオンライトが眩しい。とりあえず、どうにかなったようで結構結構。とりあえず目下の問題は解決した。
ここから先、どうしてやろうか。
レガリアがどこに行ったのかもわからんが、これぐらいで死ぬタマじゃねえだろう。死んでいたら興醒めだ。つまらないことこの上ない。てか死んでたら殺すからな。このヴォイドを散々弄んで、勝手に死ぬなんて、許されない。許すつもりもない。
瓦礫の山から辺りを見回す。なかなかな惨状である。救急車と消防車のサイレンの音が、遠くから聞こえる。
早く終わらせよう。
一般人を巻き込むのは気が引ける。
久方ぶりの外の空気を、夜風を楽しみながらヴォイドはレガリアを探す。
「『非自然発火』」
女の声が──レガリアの声が真後ろから聞こえた。
血塗れのネグリジェが燃える。ごうごうと、音を立てて全体が燃える。側から見たら人体発火現象だ。流石に服は燃やされたくないので止める。
「『自然氷結』」
やりすぎた。
服どころじゃない。地面まで、半径一メートル範囲が凍りついてしまった。裸足のまま一歩踏み出す。パキパキと音を立てて、薄氷が割れる。
「レガリアは……ああ、いないな。やはり『指向性音声』で偽装したか。そりゃそうだな。あたりまえ体操だ」
魔法戦は基本的に超長距離戦である。
単純にそっちの方がやられにくいし、遠くからの方が認識されづらいからだ。至近距離で炎ブッパするより、遠くからじんわり氷漬けにしてしまった方が安全安心だろう。危険を冒してわざわざ相手の懐に潜り込むより、遠くから敵の陣地ごとぶっ壊してしまった方が簡単楽ちんである。
だから、埒が明かない。
一応背後を確認し、ヴォイドはどうしたものかと頭を捻る。別にこの街一帯を更地にしてもいいんだけど、それはそれでどうなのかな。これ以上市民の皆様を痴話喧嘩に巻き込むのは……なんとなく、良心が咎める。痛む。いや、とりあえず凍りついた服をどうにかしてから考えるか。うんうん、それがいい。寒いと頭が働かない。
「『最初から』」
……やりすぎた。
リセットし過ぎて、最初の制服に戻ってしまった。自殺志願者の喪服。いや、死装束? どちらでもいいが、とりあえず、自身の血で汚れたセーラー服に早変わり。ま、いいか。ゴスロリやネグリジェよりはマシだ。結果オーライでいこう。……というか、本調子じゃねえな? さっきから加減が効かない。まあ、威力が弱まるよりはマシだが、融通が効かないのは困る。それはさておいて。
思考をリセットする。
レガリアを探すことが最優先項目。ならば、どうするべきだろう? 魔法の頂点に立つヴォイドは、どうしたらレガリアという怪物を見つけられるだろう?
「『死人の探し物』」
呟く。歩く。魔法で歩く。
「『視界良好』『幸運な不幸者』『焦点合わせ』『羅針星』『認識不可』『護衛の立ち振る舞い』」
ひたすら唱えて唱え続けて、魔法で身を固めていく。必要な魔法をピックアップ。ひたすら実行。隅から隅まで。思いついた魔法を順番に、使っていく。
探し物を見つけ出す魔法を唱え、視界を無理やりにでも開き、少しだけ運勢を上げ、何に集中すべきか思考を制御し、羅針盤となる星を作り、攻撃されないように存在を薄め、攻撃されてもいいように結界を張っておいた。
「ンー……あとは。ああ、そうだ。一応反撃しておこう」
先ほど炎で攻撃してきたように、レガリアの得意魔法は炎である。何か一つを極めるのってかっこいいよねで選んだのがたまたま炎だったのだと本人は語っていたが、単に処理しきれない書類を秘密裏に燃やすために練習しただけだとヴォイドは知っている。
手に負えない書類じゃないんだから、燃やされるのは困る。
大いに困る。上司として、部下に不必要な書類のように焼却炉にぽいっされるなんてのはプライドが許さねえ。末代までの恥である。末代はヴォイドだが。
それに、やられっぱなしはつまらない。
適当に攻撃したら出てくるかもしれないし、なんなら殺せちゃうかもしれない。棚ぼたラッキーを期待してやってみよう。
さて、どんな魔法にしようか。
アンチ炎で、広範囲。一回使った魔法を擦るのはちょっとだせえからやめておきたい。だから凍り付かせる魔法、『自然氷結』はナシ。とすると、あれか──
「『氷惑星の落下』」
きらきら、星が輝いて。
都会の空を煌めかせたあと、大量の氷の礫が人様めがけて勢いよく落ちていった。
……
あのクソボケクソバカ上司!
レガリア・S・ファルサは激怒した。そりゃもう怒っていた。魔法で転移した、壊れかけの雑居ビルの三階、よりにもよって広範囲攻撃で、辺り一面を更地にしたのち氷漬けにしてしまった上司を恨んでいた。誰もいない土地にしてしまった上司を、好き勝手に魔法を使った結果、人払いを完了させてしまった上司を、妬んで憎んで呪っていた。
レガリアはご存知の通り、侵略する怪物であるが故に。
適当に人間を捕まえて、盾にする予定だったのだ。思考の改ざんなんて魔法のまの字も知らない一般人なら、一秒ありゃできる。それこそ瞬時にレガリアのために死んでくれる軍勢の完成だ。あとは玉砕させれば、レガリアは一般人の処理に手間取っているヴォイドを支配できる。
はずだった。
あの人形だったはずの上司が辺りにいた人間を皆殺しにし、生き残っていた人間さえ逃げ出すような土地に魔改造しなきゃ、レガリアが圧倒できたのに。
どうするどうする! あんな化け物、操る人間がいなきゃ勝てない! いや、勝てると思わねば勝てる勝負も勝てなくなるが、今のレガリアはパニックな上ムカついているので、冷静な思考は期待できない。しかしどうにかえっちらおっちら作戦を企て実行しなければ、レガリアは死ぬ。死ぬのは別にいいが(よくはないが)、最悪なのは『協力者』が乗り込んでくること。ああ、そうだ。まず考えねばならぬのは『協力者』の処理ではないか? ヴォイドからも『協力者』からも逃げる。敗走は趣味じゃない。不戦敗も好きじゃない。しかし、背に腹は変えられない。しっかり後腐れがないように死ぬしか、レガリアが生き残る術はない。死んでも生き返る。魂がリサイクルされる過程でぐちゃぐちゃに混ぜられたレガリアの一部は、この現代日本にいる。感じている。だから、問題ない。あるとするのなら、『協力者』に裏切ったことがバレること。勝手にヴォイドを連れ去ってお人形にしたことが発覚すること。それだけは回避したい。ヴォイドに殺されるのは慣れっこだが、『協力者』に殺されるのは慣れていないから。不気味だから。できれば殺されたくないから。死ぬのは恐ろしいから。
なるべく体験したくない。
一回でも耐えきれるかどうか、怪しかったのに。『前』の自分の死に際の記憶が、気持ち悪くて気色悪くて気分が悪くて怖くて恐ろしくて痛くて辛くて苦しくてたまらなかった。あんな記憶を増やしたくない。
だから、ベストはヴォイドをもう一度支配し、『協力者』を言いくるめ、『服屋証拠』として生き残ること。しかしベスト=机上の空論であるので、これはもうナシ。切り捨てたプランだ。
なので、第二希望。
セカンドプラン。
ヴォイドからも『協力者』からも逃げ切り、自死すること。なるべく楽に、苦しまずに死ねれば、記憶で苦しむこともないはずだ。現実的でリアリスティックなプランである。いいね。こういう、ゴールが明確で可能性があるプランの方がやりがいがある。とりあえず採用。この方向でいこう。
さて、どうしよう?
「『協力者』はともかく、ヴォイド様から逃げ切るのは……かなり無茶な気がするのですが」
このプランの問題点は。
レガリアが作を練ろうが死力を尽くそうが、どう考えてもヴォイドから逃げられる気がしない点だ。
「『協力者』はちゃらんぽらんで、常にピンクの象が見えちゃっているようなやつなので考えなくてもよろしい。いや、『協力者』の同僚は警戒すべきかもしれませんが……考えていても仕方ありません。そもそも、あの組織のこと、なんも知りませんし」
知らないことを考えても仕方ない。知っている情報から推理する時間はない。だから、『協力者』は一旦置いておく。優先すべきはヴォイドである。あのクソ上司で、とっととお人形になって欲しいお方である。
どうしたものか……。
レガリアは廃品であろう、錆びついたオフィスチェスに座った。どうやらここはリサイクルショップらしい。ガラクタとしか思えない品々が並ぶここに、レガリアは渋々滞在していた。
「あの化け物に勝つ方法……あー、思いつきません。ヴォイド様がヴォイド様であった頃から、手を変え品を変えやってきましたが、勝ったためしがない。逃げ切れるかどうかも怪しいものです」
レガリアは深く深くため息を吐く。諦めと怠惰と面倒と責任と拒否反応が詰め込まれた、陰鬱なため息である。
だってさあ!
同時使用ができないはずの魔法を、それも全く違う種類の魔法を、三つ四つのペースで重ねがけして、悠々自適に歩いているような魔法使いなんて、ヴォイド以外にいないんだもの!
どうしろってんだ! レガリアが炎しか使えぬように、魔法には相性というものがあって、だから一つを極めねばやっていけないのに、ヴォイドはそんな不文律を軽々しく破ってくる。ルールをぶっ壊してくる。法則をめちゃくちゃに掻き回してくる。いや、炎の魔法を極めたのは、書類を隠滅したかったからというのもあるが、それは置いといて。
とにかく、魔法は同時には使えない。
右手に炎を出したのなら、左手に氷は出せない。怪我を治癒するのなら、攻撃魔法は繰り出せない。どうしても考える脳みそが足りないのだ。魔力を制御できなくなって、自滅してしまうのだ。呪文に備わっているはずの制御装置がお互いにお互いの呪文を相殺し、バカになって、最終的に暴走してしまうから。
だから、誰も同時に使おうなんて思わない。
それができるのが、ヴォイドだ。
「ヤダヤダ。何が悲しゅうてお人形さんに殺されなければならないのでしょう。ごめん被ります」
これならいっそこの場で死んでしまった方が──
……ん?
「なるほど……?」
一回逃げ切るのではなく。
一回死ぬのでもなく。
「ワタクシの死を偽装する……運命をはかなんで自殺して、この戦いは容疑者死亡で幕を閉じる。──いいですね。ああ、そうです。わざわざ逃げてから死ぬ必要性なんてないんです。だって死んでしまえば、死んだと思ってくれたら、ワタクシの勝ちなんですから」
いいじゃん。
レガリアに騎士道も武士道もない。根性もない。才能にあぐらかいて、ただ思うままに過ごしてきたのがこの怪物である。だから、躊躇わない。ふっかけた喧嘩を『やっぱやーめた』と放棄することを、躊躇しない。
ヴォイドを支配するのは、逃げ切ってからでいい。
『協力者』が所属する組織だけは、ミセルだろうが誰だろうが使って潰す必要があるだろうが、まあ、後でいいだろう。それより狂言自殺をしなければ。この場所がヴォイドにバレる前に。レガリアは鼻歌を歌いながら立ち上がる。どうしてやろうかしらん。バレないようにこっそりやらないと。
ちなみに。
死に方は焼死と決まっている。
……
レガリアはどうやら狂言自殺を行うらしい。
というのを、ヴォイドは知ることができた。レガリアの気配がした雑居ビルの入り、なんとなく魔法で盗聴してみた。そしたら、普通に独り言がデカかったレガリア直々に情報が漏れ出た。それだけだ。
おバカか?
こんな即落ち二コマがあるか。
やーいやーい、お前一級死亡フラグ建築士ー! ヴォイドから逃げようとした兵士がどうなるかご存知ないようだ。結構見せてた気がするんだが、レガリアという部下は歴史から学ばないタイプの怪物だったらしい。残念な子である。
それはともかく。
レガリアをどうしてやろうか。勝負を投げ出した愚かな部下を、どう処理したものか。単純に、真正面に現れて痛めつけるのもつまらんし、かといって不意打って殺すのも味気ない。仕切り直してちゃんと戦いたいのだけど、どうしたらレガリアは逃げずに戦ってくれるだろうか? やっぱハンデ? ヴォイドは右手だけしか動かしちゃいけないとか、極端に相性が悪い魔法しか使っちゃだめとか、そういうやつ?
「だる……」
めんどくさくなってきた。
どうやっても煽てても、賢い(笑)なレガリアは逃げるだろう。たとえその先が破滅しか待っていないと知っていても、一縷の望みにかけて、無駄に足掻くよりは安らかに死にたいと、逃げ出すだろう。レガリアは向こう見ずだがバカではない。ヴォイドに攻撃しても逆に自分が死ぬだけだと知っているだろう。
ヴォイドは雑居ビルの階段を登る。二階をスルーして、三階を目指す。
なら、どうする。
どうすれば、戦える。
逃げる獲物を追うのは趣味ではない。やりたいのは一騎打ち。逃走ではなく闘争である。戦いたいのである。ヴォイドはこの、どうしようもなく救えない部下と戦いたい。
……じゃあ。
逃げ出せない状況にしてしまうのはどうだろう? 逃げようにも逃げられず、自死もできず、ただ戦うしか、立ち向かうしかない状況にしてやったら、流石のレガリアも戦ってくれるんじゃないか? コンディションを整え、舞台装置を作り、スポットライトを浴びせてやれば。
いけるんじゃないか?
うんうん、なかなか良さげな気がしてきた。我ながら妙案である。あっぱれ! 褒めて遣わす。ははー、ありがたき幸せ。……ってね。
それじゃあ早速。
「『条件付き空間制作』」
条件その一。逃げないこと。逃げたら死ぬ。殺される。
条件その二。自殺しないこと。自殺したら苦しんで苦しんで生き残る。
条件その三。戦い続けること。戦いを放棄したら辛い辛いと嘆いて死ぬ。
さあ、どうする。レガリア・S・ファルサ。
……
直感的に死にそうだった。
てか、直感でその『条件』を理解してしまった瞬間、さっさと死ねばよかったと思った。なんで自殺しなかった? 阿保なのか? ヴォイドが魔法を駆使してレガリアを探していることなんて分かりきっていたはずなんだから、とっとと行動するべきだったのだ。てか同じとこに留まってはいけなかったのだ。レガリアは移動しつつ逃げつ死を偽装せねばならなかった。
痛恨のミスだ。
レガリアという怪物にしては珍しいミスだ。
とにかく考えねばならない。戦わなければ苦しんで辛いと嘆きながら死ぬことになる。逃げてもだめだ。同じだ。殺されるだけだ。じゃあ、どうしよう? あの怪物に全力で立ち向かえと? 無理に決まってる!
レガリアの背に冷や汗が流れる。思考が追いついてこない。目の前の景色すら、うまく掴めない。
ああ。そうだ……。
「忘れていました……。ヴォイド様と敵対することの危険性を、すっかり!」
毎度毎度こうなっていたじゃないか! あの時はレガリアを殺すことはなかったけど、今度は本当に殺されてしまう! ヴォイドに、殺される! 死にたくはない。死の記憶を積み上がらせたくない。死に潰される。押し潰される。
やるしかないというのが、またレガリアのパニックを増大させる。今までは負けてもよかった。せいぜいデコピン一発の刑だったから。けど、今は違う。レガリアという存在が世界各地にばら撒かれしまったせいで、バックアップができてしまったせいで、殺す理由ができてしまった。殺していい理由ができてしまった。このことをちゃんと言葉にして言ったことはないけれど、勘が野生動物並みに鋭いヴォイドにはバレているはず。てかレガリアの魂の構成要素が一厘にも満たない時点で、レガリアの魂が各地にばら撒かれたことは考えりゃわかるし。ぐちゃぐちゃのミックスジュースのその一滴。構成要素。少しでもレガリアが混入していれば、レガリアになる。なれる。だから増えた。二つあるなら一つは無駄にしていいなんて思考をお持ちなヴォイドにとって、これほど便利な遊び相手はいない。
やるしかない。
やらなきゃ死ぬ。やらなくても死ぬ。どちらにせよ死ぬが、どうせなら楽に死んでしまいたい。ヴォイドによりなぶるように殺されるのではなく、自爆して死んでやろう。そうだ、自爆すればいいのだ。戦って死ぬ。ルール違反ではない。
焼死もできる。
焼死って苦しいのだろうか?
わからないけど、やるしかない。
ぎいと扉が開く。なぜか血塗れの制服を纏った、黒髪を姫カットにした少女がこちらを見て笑っている。リサイクル品に隠れたレガリアを嗤っている。
「やあ、レガリア」
怪物はもう、そこまで迫ってきていた。
「かくれんぼか」
「違いますよ、ヴォイド様。戦略的撤退です」
「撤退を戦略的とか言うな。ただ逃げ帰っただけだろう。負けだ」
「逃げなきゃいけない時だってありますよ、世間知らずヴォイド様」
「逃げるぐらいなら勝てばいいじゃないか、負け犬レガリア」
「言いますね」
「そっちこそ」
どっちもどっちである。それよりも、レガリアにとってはどんなに不毛でも負け犬扱いされようとも罵倒されようとも、この会話を長引かせねばならない。
なるべく長く。
引き止めなければならない。空気を緩め、一触即発な雰囲気を少しでも和らげ、隙を作る。怪物は総じて飽きっぽい。会話に夢中になれば、一瞬でも気が緩めば、なんとかなる。隙をつく。
「んで、準備は終わったか?」
ヴォイドが唐突に聞いてきた。闘争相手にするのなら相応しい問いかけだった。
準備は終わってないが、レガリアの人生(服屋証拠の人生?)は終わったかもしれない。
「……バレてます?」
「バレるだろ。準備万端とでも言いたげな魔力を振り撒いておいて、平和的に会話がしたいふりをするなんて、バレる」
「うわあ……」
なんなんだこいつ。
レガリアはやけっぱちになる。白銀の髪をガシガシかいて、あーっ! と叫んでみたりした。
「いいですよやってやりますよやりゃあいいんでしょ!?」
「うむ、その意気だ。がんばれ」
「言われなくとも!」
レガリアは決意を固める。大丈夫だと、いい聞かせる。自分自身を鼓舞し宥めすかし覚悟を決める。
大丈夫だ。
──焼死はきっと、そんなに苦しくない。
「『自作自演発火』!」
レガリアの体は燃えた。
もちろん放置されていたリサイクル品もビルを支えていた床も天井も鉄骨も、その場にいたヴォイドも。何もかもを燃やした。己を起点として、燃え上がらせる。あかい炎で燃やし尽くす。
『自作自演発火』。
自分を含む、全てを燃やす魔法。いる場所、いる人、ある物。全てを燃やすまで止まらない、魔法の炎。レガリアの切り札で鬼札である。
「『全球凍結』」
それを。
レガリアが決死の思いで放った魔法を、ヴォイドはいとも容易く止めた。炎ごと凍らせた。
氷漬けになった建物は、ヴォイドが足踏みしただけで壊れて、ガラガラと崩れていった。




