20.どうぞどうぞ、お幸せに
いきなりだが、『ワーカーホリック』は戦争中毒者である。
戦争の申し子である『スナイパーライフル』と決定的に違うのが性根だ。『スナイパーライフル』はただ生きるために殺す。自身が生きていればその他はどうでもいい。生きるためなら人だろうが殺す。躊躇いなく。昨日の友は今日の食糧だし、今日の敵は明日の給料だ。生きるため。生き延びるため。彼はただ、自身の命を守るために戦う。その技術を惜しみなく使い敵を撃ち抜くのだ。人の命を背負いながらもりもり飯が食えるタイプ。正当防衛ならばどんなに残虐行為をした後でもグースカ寝てしまうのが彼。生き物は生きようとすればするほどその道に転がる屍を増やさざるおえなくなる。平和的に大往生したって通ってきた道のりは血で真っ赤だ。誰も例外ではない。だからしょうがねえよな、なんて、『スナイパーライフル』は考える。これは彼が生きて行く上で見つけた人生論で、全部が全部そうじゃないんだけど、とりあえずぼくくんの唯一のパートナーはそう考えてるみたいだった。
『ワーカーホリック』はそうは思えない。
殺すのはただ大人が命じたからだ。生きるため? ちゃんちゃらおかしい。生きようとも思えない。てか生きるって考えないとできないことだろうか。考えなくとも呼吸はできる。食事はできる。最低限体を清潔に保つこともできるし、危険から身を守ることもできる。脊髄反射。人間はそう簡単には死ねない。『スナイパーライフル』のようにうじうじ考えなくとも、生きることだけならできるのだ。殺しなんてのは大人の都合にすぎない。敵国のクソ野郎どもに地獄を味合わせてやるためだ。生きる上ではしなくてもいい行為。でも大人はこういった、歴史とか領土とか金銭とか人間関係とかを気にしてしまうらしい。だから敵を殺す。生きることは生きることで、殺すことは殺すことだ。そこに関係性は皆無である。
『ワーカーホリック』はただ、戦争が好きなだけの子供だった。
そう育てられたから。
『スナイパーライフル』はただ、生きるのに一生懸命な子供だった。
そうしなければならない環境に身を置いていたから。
決定的な差異。違い。そこだけは相容れぬ相棒の困ったところ。お互いたけのこ派だしチョコミント好きだし猫派でカップ麺はきつねだった。あと朝ごはんはパン派。こんなに共通点があるのにそこだけはどうしても譲れなかった。違かった。
それでいい。
全て同じなんて、気味が悪い。
「『ワーカーホリック』」
どこまでも平坦に名前を呼ばれて、そういや本名で呼ばれることが少なくなったなと思った。二人っきりの時は過去に捨てたはずの名前で呼ばれたりしたけれども、最近は滅法ない。まあ、『ジャッジメント』に怒られるからそれでいいんだけど。気にすることでもないんだけど。
「ぼくくんに何かご用事?」
「ごよーじもなにもないでしょー。あの子、どーするんです?」
『ワーカーホリック』と『スナイパーライフル』の目の前には機械人形が一体立っていた。機械人形。つまりロボット。どう見ても人間にしか見えないが、まあ、本人(本ロボット?)が言うならそうなんだろう。いちいち詮索するのも野暮。ロボットだろうが人間だろうが、等しく殺すだけだ。ぶっ殺すと言ってきた彼女に対して平和的解決で終わらせようなんて考えるのは失礼に当たるだろうし。
それに、魔王の従者だし。
『フレンドリーファイア』と『フレンドリーマッチ』、それから『ナイトメア』。魔王の従者だったものたちはたくさん見かけたけど、今現在も仕えているものを見るのは初めてだ。『序列』九位のアンティーク。あれって強さ準なんだろうか。『ナイトメア』を見ているとそうは思えないが、結局最後の最後まで教えてくれなかったことを思い出したので考えるのをやめた。相手が強かろうが弱かろうがどうだっていいだろう。『ワーカーホリック』は大人が言う通りに殺すんだ。命じられた通りに殺すんだ。生きている限り。
「先行は」
「あんたに決まってんでしょ」
「だよね」
短い短い確認を終えたのち、ずっとニコニコ朗らかに笑っているロボットに、とりあえず切り掛かった。一息で相手の懐まで入る。ロボットと言うことなので弱点が違うんじゃないかと直前になって思い直し、反射的にキラキラ光って脆そうな目の部分を狙ってナイフを突き刺そうとして。
「ロケットバンチ!」
なんの捻りもないネーミングのパンチを回避するのにナイフ一本を無駄にする羽目になった。
バシュ! と飛び出たアンティークの拳。なるほどロボットだと語っていたのは嘘じゃなかったらしい。鉄製だったし手首と手のひらがさよならバイバイしてたしコードが飛び出ていたし、何より、ナイフがひしゃげた。九十度に曲がった。後ろに下がる。
アンティークの腕はとんでもないことになっていた。
手首のあたりが取れて、かろうじて黒いコードで繋がっていて、どうやって戻すのかこちらが心配になってしまうほどだった。黒煙が昇っている。ぶらぶらさせて笑っている。
ヒュルリとコードが戻った。
掃除機のコードみたいに。
またつながる。可憐な少女の形に戻る。ぱっと見人間の機械人形。しかし人間じゃあないのはもうわかった。慢心は禁物だ。『プレイルーム』はそれで死んだ。正確には慢心で起こった事故を咎められ制裁された。アンティークは無邪気な子供のように騒いでいる。
「わあ! 初めて打ってみましたがうまくいきましたっ! すごいすごいすごい! やはり創造主様はすごいですっ! もっと打ってよろしいですかっ?!」
「だめですけど」
『スナイパーライフル』が警告なしに撃った。真っ直ぐに弾丸が飛んで、アンティークに直撃すると思ったら。
「ロケットキック!」
足によって払いのけた。
は? 何言ってんのかわかんないけど自分も何言ってんのかわかんねえ……。しかし、そうしたのだと思う。ふわりとスカートから足が飛び出て、サッカーボールでも蹴るかのように空中を蹴って、次の瞬間『スナイパーライフル』の真横にチュイン! と弾丸が帰ってきたから、そうしたんだと思う。ついでにいうとロケットではなかった。アンティークがやったのはただの足払いで、先ほどのように飛び出ているわけじゃあない。やっぱあの技名は雰囲気か。くそ、呑気。
「いみわかんないことしますね」
「えへへ、ありがとうございますっ!」
「褒めてないと思う、な」
言いつつ『ワーカーホリック』はもう一度切り掛かる。今度は背後に回ってみる。ついでに獲物は銃だ。ハンドガン。至近距離からの、足や腕が届きにくい範囲からの攻撃。どうだ。試す価値はありそうに見えるだろう。跳躍し首筋に銃口を当て発砲しようとした瞬間。
「わあっ!」
鳩尾に一発喰らった。
随分と乱雑で、しかし素早い動きによりアンティークが振り向いて、貰い事故みたいな形でその拳を喰らったのだと理解だけしてみたけどもう遅かった。背後の扉に強かに背中を打ち付ける。なんとか立ちあがろうとするがそれより先にアンティークが『ワーカーホリック』の、放り出された右腕を踏み潰す方が早かった。
いや、それも事故だ。
だって、アンティークは直後にこう言ったから。
「わ、わわわ! ごめんなさいっ! 暗くてよく見えなくてっ! 創造主様が暗視カメラを取り付ける前だったものですからっ! えと、えとえとえと! 大丈夫でしょうかっ!」
大丈夫なわけあるかボケ。悲鳴と嗚咽だけは咀嚼し飲み込んだが痛みが消えるわけじゃない。ぐしゃぐしゃになった腕はどうやって再起不能だ。『フィクション』が生きていりゃ良かったが、あいつはもう死んでいる。なので即時回復は見込めない。利き手をやられた。え、くそなんだけど。どうしてくれるんだ。ハンドガンもどっかいっちまったし。どうしよう。どうしようか。『ワーカーホリック』は自身の命に拘泥することはまずないし今回もそうだし、何よりここには『スナイパーライフル』がいる。生き残ることを誰よりも頑張るあいつが、この場には存在しているから大丈夫なのだ。『スナッフフィルム』のようにただ絶望的な状況でも無理に笑って前を向けるわけじゃない。現実を笑い飛ばすような奴じゃない。『スナイパーライフル』はただ、現実を現実として受け入れることに長けているのだ。だから『ワーカーホリック』が死んだってなんとも思わないし、アンティークが事故で踏んづけてしまった『ワーカーホリック』を心配して背中を向けたから、チャンス到来ラッキーハッピーぐらいには思っているかもしれない。多分そうだ。今日生きるためだけに戦友を見捨て敵兵を撃ち抜き上官を殴る。それが『スナイパーライフル』だ。そうじゃなきゃおかしい。よくわかる。
だから、『スナイパーライフル』が『ワーカーホリック』を見捨て、ここでアンティークごと撃ち抜くつもりだというのが、よくわかる。
「い、痛そうですっ!」
アンティークがしゃがんで目を合わせてくる。その、カメラが入っているだろうプラスチック製の瞳。
ここで『ワーカーホリック』ができることは。
会話を長引かせることだ。
「……うん、痛いとも。超絶痛いともさ。手当してくんない?」
「う、うーん。で、でも、御主人様からはぶち殺せとのお達しをいただいておりまして……」
「治した後でも殺しはできるさ。お願いだよアンティーク。痛くて痛くてたまらないんだ。歴戦の軍人であるぼくくんでも涙が出てくるぐらいなんだよ」
「……それもそうですねっ!」
アンティークは『ワーカーホリック』の雑な説得で納得してしまったらしい。ちょろい。ちょろすぎる。いいのか機械人形。作ったやつに苦言を呈したくなってしまうが、それに救われたのは紛れもない事実だ。ありがたく恩恵に預かっておく。
『ワーカーホリック』の腕をちょんちょん突いてくるアンティーク。痛い。普通に痛いからやめてほしい。この作戦の欠点があるとするならば銃弾を蹴って弾いたアンティークに果たして不意打ちの弾丸は通用するのかという点だが、そんなんはギャンブルだ。賭けだ。『シルバーコイン』のようにはなりたくないが、しょうがない。どうしても試さねばならない。くそう。やっぱり対人間の方が良かった。あのミセルとかいう奴とか、『スナッフフィルム』と『ハッピーハート』がやりにいって失敗したレガリアとか。そっちの方面ならまだマシだったはず。軍人として鍛え上げられた『ワーカーホリック』はあくまで人間を殺すことに特化しているのであって、戦車に生身で勝てるように改造されたとかじゃない。普通に自動車に轢かれたら死ぬ人間である。いや、怪物なんだっけ。わからない。そこらへんの区別はとてもどうでも良かった。どうだっていいから、とりあえず『ワーカーホリック』がアンティークの気を引いている間に『スナイパーライフル』が撃ってくれることだけを祈っていた。早く早く早く! この機械人形が背中を向けた今がチャンスだ。先ほどの欠点を言い換えれば、銃弾は足でガードしないといけない攻撃だったってこと。つまり手足は頑丈だけど、多分お利口なコンピューターとかが詰まった胴体および頭部は脆い、あるいはダメージが通りやすいってことかもしれない。憶測に憶測を重ねたガバガバ理論だけど、試さない理由はないはずだ。
「うーん、包帯とかがあれば良かったんですけど、ないんですよねっ! どうされたいですかっ?!」
「腕を治してほしいかな」
「できる限り頑張りますっ! ええ! このアンティーク、どこまでも奉仕させていただく所存ですっ!」
ニコニコ、機械人形が笑う。腕は痛いままだ。『スナイパーライフル』は何をしている。まさか、そんなことはないだろうけど、少しだけ心配になる。いやいや、あいつに限ってない。自分が生きるためなら友の肉をシチューにして食うようなやつだ。実際やっているのを見たことがあるから知っている。どこまでも残酷になれる。自分が一番可愛いのがあいつ。だから絶対にないのだ。あり得ないのだ。これでそうだったらもう救えない。あいつの取り柄がなくなるだろう。いや、もっと良いとこはあるかもだけど、一番の取り柄はなくなる。長所はただの短所になる。
だから、早く撃ってほしい。
『ワーカーホリック』を見捨てられないなんて疑念を、早く取っ払ってほしいのだ。
ああ、もどかしい。なんで撃ってこないんだろう。『スナイパーライフル』を誰よりも信用しているから、『ワーカーホリック』は安心して戦えるのだ。だって自分が先走って死んでも絶対に『スナイパーライフル』が仇を取ってくれるから。敵にトドメを刺してくれるから。殺し損ねた敵は全員、絶対に、『スナイパーライフル』が殺してくれるから。
だから、安心して死ねる。
殺されるなら戦友に。
「アンティーク」
「はいっ! アンティークですっ!」
「早く治してくんない? 痛くて痛くてたまらないんだよ。このままだとぼくくんの泣き顔を初公開する羽目になるわけだから、ものすごく遺憾なんだ」
「それなんですがっ!」
やはり機械人形は笑ったまま。銃声は聞こえぬまま。
「もうすぐ創造主様が来られるので、待っててほしいですっ!」
マスター。
あ、それは、ほんの少しだけ、やばい、かも。
腕を潰された『ワーカーホリック』と今現在止まっている『スナイパーライフル』。本来は近接戦を担うはずの自分がこんなんになっているから、戦いは苦しいものになる。いや、『スナイパーライフル』だって戦えないってことはないが、やはり真価を発揮できるのは狙撃だ。マスターってどっちだ? ミセルか? 魔王か? ミセルならいいが、魔王だったら? どうしよう。ミセルであってくれ。お願いだから。ミセルならやれる。どんな魔法を使うのかもわからないが、人間だからまだマシだ。いや、それより早く『スナイパーライフル』がアンティークを殺してくれれば良い話だろう。どうか、早く、早く、早く、お願いだから!
早く、殺してくれ。
躊躇わないでくれ。
「『開封』」
背後の扉が開いて、青年の声が聞こえた時、『ワーカーホリック』は終わったと思ったし、実際終わった。
だって、『ワーカーホリック』の体は魚の開きみたいに縦にパカっと開いてそのまま死んだから。
あ、でも、最後にこれだけ。
「エリー!」
久しぶりに本名で呼ばれた。
……
「創造主様っ!」
と、機械人形が言った。
そして青年に抱きついた。
『スナイパーライフル』は意味がわからなかった。そう、来るとは言っていた。だからアンティークの行動はすごぶる正しいのである。主人の言うことをちゃんと聞いて、的確に敵が殺せるように働いて。『スナイパーライフル』は彼女を責めることなんてできない。自分たちだってそうだから。『サンドバッグ』がちゃんと死ぬように工夫を凝らして手を尽くして頑張った。で、死んだ。臆病な暴力少女はいとも容易くあっけなく、死んだ。殺した。それでいい。『ジャッジメント』に殺されるのはごめんだから。てか先に裏切った方が悪いし。『スナイパーライフル』は神の目の前で潔白を証明できるぐらい開き直っていた。生きるためならどんな努力も惜しまないのが自分であるので。
しかし、『ワーカーホリック』が死んだ。
沼色の青年が殺した。ツナギを着た、やる気がなさそうな青年。『スナイパーライフル』と同じく、いや同じとは思いたくないけど、澱んでいる。それ以上に歪んでいた。人間を深く深く愛しているくせに疑心暗鬼になっているその瞳を見りゃ一発でわかる。深緑に染められた髪とか、傷がたくさんついた作業靴とか、そういった、人間の皮。まともですよって意思表示。わかりやすいキャラ付け。
こいつがマスターか。
勝てるだろか。件の魔王ではないようだけど、どうだっけ。こいつ、誰だっけ。人の名前を覚えるのが『フィクション』ほどではないけど苦手な『スナイパーライフル』は考えても無駄だと思考をシャットアウトした。そもそも、人間関係を把握するのは『ワーカーホリック』の、エリーの役目だったんだ。苦手を補ってもらい得意を貸してやって、そうして、二人で生きてきた。軍から命からがら逃げてきたときもそう。半狂乱になる彼を落ち着かせ、逃げて、『ジャッジメント』に拾われた。あそこの選択からやり直したいところだが、時計の針は逆回転しないので諦める。過去にそういう、時計の針を逆回転させるような無茶苦茶やってるやついた気がするけど、名前はなんだったか。『タイムアウト』だっけ? 知らねえ。死人の情報なんて心底どうでもいい。
考えるべきは、これから。
『スナイパーライフル』は生き延びるための最善手を尽くさなければ、ここで死ぬ。エリーの後を追うことになってしまう。
なんで自分は、あそこで撃たなかったんだろう?
「こんにちは、少年十字軍の誰かさん」
青年がゆらりとこちらを向く。手には何も持っていない。じゃあエリーの死因はなんだ? いや、出血多量だってことはわかる。大事なのはその方法。なんと言っていたか、あいつは確か、『オープン』と言っていたような気がする。開く? それだけ言って、彼は魚の開きのように死んだのか? なら、魔法か。魔法なら納得がいく。しかし、魔王でもないやつがそんな強力な魔法が使えるのか? それとも何か条件があるのか。そうだろうな。じゃなきゃチートだ。理不尽だ。だからここは、なんらかの条件下で文字通り一撃必殺な魔法が使えると考えておく。ああ、希望は残しておいた方がいいからな。どんな場合でも。楽観しているわけじゃないし。
だから、『スナイパーライフル』は考える。
ここでどう行動すれば、生き延びることができるのか。
「お名前は?」
「……『スナイパーライフル』」
呑気にも名前を聞いてきた青年に対し、素直に答えた。別に言ったって減るもんじゃないからいい。魔法の条件が『本名、またはそれに近しい名を知ること』である可能性はゼロに等しいだろう。この青年は、『ワーカーホリック』、あるいはエリーという名前を知らなかったはずだ。そのはずだ。もしアンティークに盗聴器とか録音機材が仕込まれていて、それで知っていて、しかし『スナイパーライフル』の名は知らなかったから呑気に聞いてきたってセンもなくはないけど、ゼロに等しいだろうし。うん、そうだな。これは賭けだ。単なる時間稼ぎのための必要経費。ギャンブルも人生には必要だ。殺しと同じぐらい、必要だ。
「ああ、レガリアがそんなこと言ってましたねえ。ふうん……窓割り常習犯」
「へんなしょーごーはやめてほしいです。おれちゃんは『ドクターストップ』みたいにコードネームをきらってるわけじゃないから、ちゃんとそれで呼んでほしーですね」
「誰です? それ」
「ヤブ医者」
「はあ、そうですか。死んでます? そいつ」
「しったこっちゃねえです」
「使えねー……」
青年は呆れたように頭をかいて、機械人形は相変わらずニコニコ笑っていた。空気はそれなりに弛緩している。ように見える。見えるだけ。だから、まだここは戦場のままだ。青年は深海のような重ったい殺意をこちらに向けているし、アンティークは主人の言いつけをじいっと待っている。
いつ動くべきか。
虎視眈々と、『スナイパーライフル』は狙う。
「てーあんしても?」
「あんまり良くないですけど、どうぞ」
「おれちゃんは、『ジャッジメント』を殺せます」
もちろん嘘である。誰があんなバケモン殺せるんだ。誰も殺せやしない。魔王か勇者か、どっちかなら殺せるかもしれないけど、常人には無理。『スナイパーライフル』はいたいけな男の子なのでまず無理である。
舌先三寸でもなんでも使って、会話を長引かせよう。
「……だから?」
青年の反応は芳しくなかった。そりゃそっか。苦し紛れすぎるしそちらのメリットがないもんね。魔王という切り札を抱える彼らは、少なくとも少年十字軍を警戒する理由がない。その気になれば潰せるから。
「だから、なんです? あんたが自分ちの長殺して、なんの得になるんです?」
「とくならありますよー。じぶんのいのちが助かります」
「はあ、でもこちらにメリットがない。利点がない。ヴォイドさまは『ジャッジメント』とやらを殺すことを今か今かと心待ちにしてらっしゃるのですよ。だから、どちらかというとデメリットになるわけです。そこんとこわかってました?」
わかってませんでした。
うーん、どうしたものかなあ。唯一の、あるかどうかもわからないメリットがデメリットになってしまった今、『スナイパーライフル』に出せる手札は無くなってしまった。ゼロ。小数点すらありゃしない。死にたくはないから頑張るが、ここからいけるか。
「信用できないやつは嫌いです」
青年は淡々と。
「腹の底で何考えてるかわかんねえやつが嫌いです。本心を隠し通して外面だけは良く見えるように繕ってるやつが大嫌いです。信用できません。そもそも人間は嫌いです」
「じんこーてきな怪物ですよ」
「じゃあ人間ですね。嫌いです」
「めんと向かって言われるときずつきます」
「傷つく心なんてないくせに?」
弛緩しているような気はする。するだけだ。確信はない。でも、ここに止まっていたら死ぬのはわかる。ビリビリ、空気が張り詰めて、『スナイパーライフル』の心臓をぎゅうっと縛り付けている。もしくは首にロープがかかっているような緊張感か。
『スナイパーライフル』に死ぬ気などない。
たとえエリーが死んだとしても、その性根は変わらない。変わることがない。エリーが長所だと言ってくれたこの性格を、変える気はさらさらないんだ。
だから『スナイパーライフル』は、手すりに腰掛けた。
「……何を」
「しょーしんじさつ。あるいは、とーしんじさつ」
「端的な説明どうも。あれですか。相棒が死んじまったから悲しくてしょうがないんですか。案外脆いっすね」
二回も窓壊したくせに、と青年が口を尖らせる。おや、この終わり方はご不満か?
「しんよーできないやつがかってに死んでくれるんですよ? おとくでしょー」
「そりゃ得ですが、狂言自殺ってこともあるでしょう。一番確実なのはこの手で殺すことですから」
気難しいなあ。
しかし、ここでくだらない会話を続けるあたり、止める気はないようだ。アンティークなる機械人形を使えば人が行おうとしていることなんて簡単に邪魔できるだろうから。自殺だろうがなんだろうが、彼女は命令されればすぐさま実行するだろう。最善を尽くすだろう。
だから、青年は『スナイパーライフル』の自殺を見守るつもりでいる。
「それではー」
ふわり、と少しだけ体が宙に浮いて、『スナイパーライフル』の体は柵の向こうに消えていった。
……
「創造主様っ!」
アンティークはいつも通り、プログラムされた通りに自分、ミセル・パーセキュトリーに話しかけてきた。機体どころか服にさえ汚れたところは見当たらない。彼女には銃弾もナイフも、果てには地雷も効かないのだ。頑丈なロボット。ミセルの警戒心ゆえ目玉だけは脆いが、それだけ。どこまでも戦闘用に作られた機械人形。まったく、混同解答は何を考えていたんだろう?
アンティークは騒がしく。ミセルの袖を引っ張りながら。
「いいのですかっ?! このアンティークがロケットパンチしますかっ?!」
「しなくていい」
「でも、でもでもでもっ! 御主人様のご命令は少年十字軍のお二人の殺害でしたよねっ?!」
だから、命令違反になっちゃいますよっ!
「だってまだ、自殺された方は死んでらっしゃらないですものっ!」
「……」
「この下の階に生体反応がありますっ! このビルにいた方たちはみんなあのお二人に殺されてしまわれたようなので、絶対に狙撃手様ですよお!」
「知ってる」
「そうでしたかっ! よかったっ!」
彼女はニコニコ笑って安堵した。わかっているならなんでとか、そんなくっだらねえ質問はしない。彼女は絶大な信頼をミセルに向けている。聞かなくても大丈夫。ミセルは『スナイパーライフル』を見過ごした訳があるのだと、それもアンティークには考えつかないような、思慮深い作戦の内なのだと、そう、信じきっている。
気味が悪い。気持ち悪い。自分で作っといてなんだけど、こんな悍ましい機械はそうそうないだろう。混同解答の趣味を疑う。いや、元からどっちも趣味は悪いんだけどさ。
とりあえず、ずっと笑っているアンティークに答えておいた。期待には答えておくべきだ。無理のない範囲で。
「どうせ『ジャッジメント』やらに殺されると思うから、いい。ヴォイドさまの楽しみも増えるしね」
……
『スナイパーライフル』は下の階にいた。
行ったことは至極明瞭簡潔である。鍛え抜いた体幹を駆使し、アクロバティックな動きであらかじめ開けてあった下の階の窓に突っ込んだだけ。死んだかと思った。心臓はまだバクバクいっている。とりあえず『スナイパーライフル』は誰かのデスクの上に背中から着地して、ちょっとだけ頭を打ったみたいだった。
この階に潜伏する。
まだ愛銃を回収できていないからだ。そりゃできるなら一刻も早く退散したいが、のっぴきならぬからね。あの銃がなければ『スナイパーライフル』というコードネームがお釈迦になっちまう。だからこそ、自分はこの場に留まるのだ。
とりあえず痛んでいる身を起こして、影に潜む。息を最小限に。身動き一つせず。存在を消す。殺意? ンなもん出さねえよ。『スナイパーライフル』は潜伏が得意だった。雪山での狐狩りは誰よりもうまい自信がある。そう、『スナイパーライフル』の最も厄介な点は狙撃の腕でも冷徹さでもない。諦めが悪いところだ。やると決めたらやれるまで待てるところだ。
だから、『スナイパーライフル』は待つ。
魔王を殺せる瞬間を。
青年を殺せる瞬間を。
エリーの敵討ちができる瞬間を、じいっと、待つ。




