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18.交渉とお茶会は相容れない

 背信者である『シルバーコイン』は今現在、大ピンチだと思われる。

 そりゃそうだろう。誰がどう見たってピンチ以外の何者でもない。まさに窮地でエスオーエス。瀬戸際な上に背水の陣。彼の現状を言い表すのならそこら辺の言葉が適当だろう。彼は今、自身の命をコインにした大馬鹿にも程がある博打に挑んでいるのである。しかも味方(未来のだけど、まだ確定していないけど)に殺されるかもしれないリスクまで背負って、なんなら一秒先はあの世かもしれないのに、口にした瞬間お目付け役に殺されるかもしれなかったのに、やった。おっと、なかなかの向こう見ず。それかギャンブル中毒。


「そうさなあ……」


 ヴォイドは考えるポーズだけとった。どうするかねえ。いやまあ、ほとんど心持ちは決まっているのだけど、とりあえず焦らしてみよう。この情緒不安定そうな文学少女、『サンドバッグ』が不確定要素なんだけど、そこを上手く持っていけたらヴォイドが思うままにこの舞台を動かせる気がする。そう、目下の問題は『サンドバッグ』だ。メリケンサックをつけた暴力少女。おそらく少年十字軍の長、『ジャッジメント』を誰よりも恐れている怖がりさん。パニックになった人間ほど恐ろしいものはない。行動が読めないのはそれなりに不便なのである。


「つまり、『シルバーコイン』は少年十字軍を裏切り余に付きたいと」


「そうでございます。この場合『サンドバッグ』が邪魔になりますが、まあ、旦那さまならばチョチョイのチョイでございましょう?」


「他力本願だな」


「誰だってそうでしょうに」


 そりゃそうだ、とヴォイドはゲラゲラ笑った。ヴォイドだってミセルが養ってくれなきゃ生きていけないもの。そうか、ヴォイドは今頼られているのか。『シルバーコイン』の一円玉ぐらい軽い命を、ヴォイドは救ってやろうか懸命に考えている。蜘蛛の糸を垂らす仏の気分。あるいは命乞いをしてくるニセ勇者をニマニマ笑って眺めている気分だ。あの時は結構退屈だったなあ。誰も彼も死ぬ寸前となると言うことが被ってきて……。

 それよりも、今は『シルバーコイン』。

 裏切り者である彼を、どう調理したものか。


「『サンドバッグ』」


「ひゃ、ひゃい!」


 急に話しかけられて、『サンドバック』は口元に持っていく途中だった湯呑みを落としそうになった。実際ちょっとだけお茶が溢れて彼女の長いスカートにシミができる。熱そう。それにしても、メリケンサックをつけたまま湯呑みをもつなんて器用だなあ。


「な、ななな、なんでしょうか……?」


「『シルバーコイン』が裏切った場合、貴様はどうする」


「殺します」


 この上なくはっきりと、『サンドバッグ』は口にした。先ほどまでの態度が嘘のようだった。強靭な意志を持って、殺すのだと宣言する。決定事項のように。いや、決定しているのだろうけど。


「じゃ、『ジャッジメント』、に、そう言われて、て、いるん、ですう。『シルバーコイン』がう、裏切ったら、殺せって、言われてるの。だ、だから、お、お仕事だから。い、今はまだ、み、未遂だから、こ、殺してないだけ、だけど、それでも、あ、あなたが『シルバーコイン』を拒否した時点で、こ、殺す、うん、します」


「……そうか」


 こいつは、いかほどの力を持っているのだろう。

 少なくとも『シルバーコイン』とかいう胡散臭さの煮凝りのような男のお目付け役なのだから、それなりの実力があるのは間違いなかろう。まさにこういう状況でも『ジャッジメント』の言いつけ通りに『シルバーコイン』を殺せるように。新しい仲間、つまり裏切り先の誰かさんを蹴散らして、かつての仲間、現背信者を殺せるように。しかし、裏切るかもしれない男を見張るためだけの人材となると、強さは中の下ぐらいかなあ。強いやつをイタズラに使い潰すのは勿体無いことこの上ないのだし。

『サンドバッグ』。

 殴られるためだけの器具の名を冠した、ちっぽけな存在。

 お目付け役。


「どうしたものかねえ」


 ここでヴォイドが『シルバーコイン』を受け入れたら、ヴォイドは『サンドバッグ』を殺さねばならなくなる。それは絶対に『サンドバッグ』が『シルバーコイン』を殺そうとするからだ。この部屋を事故物件にしたくないヴォイドは彼女をできるだけ壊れないように殺したのち隠蔽しなければならなくなる。

 じゃあ受け入れなかったら? 『シルバーコイン』はなすすべなく殺される。こちらとしても仲間でもなんでもない少年を庇い立てする理由は全くと言っていいほどあらず、それ故に彼は殴り殺されることになるだろう。そのメリケンサックがついた拳で。血塗れになってしまうのは嫌だからなんらかの魔法でカバーするだろうが、そのくらいは必要経費だ。

 うーん、どちらにせよ手間。

 てか片方は絶対に死ぬし。


「……例えば、明日返事を出すと言ったら、貴様らはどうする」


「こ、殺します」


「全力で逃げる次第でございます」


 どうやら結末は変わらないらしい。片方が死ぬ。まったく、とんでもねえギャンブルに巻き込んでくれたものだ。暇潰しにはなるけど面倒である。つまるところくだらねえ。少年十字軍はいつか潰したろうとは思っていたけど、それはもうちょい後にするつもりだった。理由は二つ。一つ、勇者パーティと少年十字軍の繋がりがわからない。一つ、ずっと追っかけてたドラマが今週で最終回だから見届けてからにしたい。そんなこんなでヴォイドは虎視眈々と機会を伺い番組表と睨めっこしていたのだ。ドラマは見たいしパーティの皆々様の動向も確認しておきたい。そうだ、受け入れる方向性で行ってみようかしらん。『シルバーコイン』が何かしら知っているかも。仲間にして損はないはずだし、情報も手に入って一石二鳥。しかしながら、ここでネックになってくるのは彼が背信者であるという点だ。お目付け役をつけられるほど信用がない人物。そんなやつ誰も仲間にしたくねえ。裏切りますと書かれた看板を首から下げたやつを誰が仲間にしたいと思うだろう? 思わない。誰も彼も知らんぷり。彼を味方に引き込もうなんて、そんな大馬鹿者はおるまい。絶対に。


「……なかなか厄介な博打に巻き込んだな、『シルバーコイン』」


「お褒めに預かり恐悦至極」


「ほ、褒めては、ないの、では……?」


 まったくもってその通りだ。


「え、えと、魔王ヴォイド、さん」


『サンドバッグ』はそのまま話し続けた。おや、意外。この少女は会話が苦手だと勝手に思い込んでいたから。しかし話が進むのはいいことであろう。そのままヴォイドは傾聴の姿勢をとる。


「き、決める、なら、早くしたほうが、いいかも……」


 モジモジと、『サンドバッグ』は落ち着きなく目線を泳がせる。天井を見たり床を見たり。何かに怯えているような、急かされているような、そんな感じ。


「そ、そうじゃない、と」


「……じゃないと?」


「──『シルバーコイン』を殺したほうが手っ取り早いって思っちゃうから」


 その言葉が聞こえた瞬間、ちゃぶ台がひっくり返された。

 上に乗せていた湯呑み三つと急須、それから手はつけられていなかったお茶菓子(煎餅)が宙を待って、畳を汚したら怒られると思い、ヴォイドは全てキャッチした。右腕に湯呑み三つ、左手で急須、お茶菓子が乗っていたお盆は諦め、お茶菓子自体は口で咥えた。とりあえず魔法でキッチンまで移動させて、煎餅を噛み砕いて飲み込む。おいしい。ペロリと唇を舐めて、ヴォイドは『サンドバッグ』を注視する。

 いつの間にか、『シルバーコイン』が玄関の辺りまで吹っ飛ばされてうめいていた。

 そりゃ、予想はしていたけど、彼は戦闘員ではなかったらしい。あれじゃ復帰できないだろう。パーフェクトKOだ。綺麗にノックダウン。あのまま気絶してしまえばよかったのにねえ。

 とにかく、『サンドバッグ』。

 彼女は、何がご不満だったのだろう?


「お、怒られちゃうん、です。ほ、ほんとは、は、早く殺さなきゃいけ、いけなくて、『ジャッジメント』にお

 、怒られちゃう、から、だから、もう、だ、だめなの」


「……単純に待ちきれなくなったか」


『サンドバッグ』は甘っちょろい人間だったのだろう。

 それこそ、お目付け役には相応しくない、仲間だというだけで殺意が鈍るような、そんな生き物。本来ならば『シルバーコイン』が自分と会う前に殺さなければならなかったのに、おめおめとついてきてしまった。『ジャッジメント』に怒られる。あれだけ恐れていた長に、怒られる。

 ストレスに耐えきれなくなった。

 プレッシャーに押し潰された。

 彼女がもう少し強い子だったならば、ヴォイドの返事がなんであれ、『シルバーコイン』がここから立ち去り一人になったタイミングで殺しただろう。それかそもそも『シルバーコイン』がヴォイドに接触する前に殺したか。魔王ヴォイドに単身で喧嘩を売ることの危険性はレガリアの一件が伝わっていればよおくわかっているだろうし、一端の軍人がそんなポカミスをするなんて思えない。笑えぬミス。つまらぬミス。くっだらねえミス。それでも、間違いは間違いで正解になることはない。喧嘩を売ってきたことは事実として固定されてしまった。『サンドバッグ』はもう、取り返しがつかない。


「ま、ちょうどよかったかもな。そろそろ喧嘩を売ろうと思っていたのだし、そちらさんから出向いてくれるのなら万々歳。ありがたくご好意を頂戴しよう」


「そ、そうです、か。じゃ、じゃあ、死んで……! あ、あなたも、『シルバーコイン』、も!」


 彼女が叫んで、ヴォイドは嗤って。

 次の瞬間、笑い声がくぐもった呻き声に変わった。


「ぐ、け」


 彼女に鳩尾のあたりを殴られ壁際まで吹っ飛ばされたたのだと察する前に、目の前にまで迫ってきた彼女の姿を捉える。反射で結界を張ったので第二波は逃れたが、肝心のヴォイドの状態がよろしくなかった。立てない。息が上手く吸えない。痛くてたまらない。ちくしょう、この体ってこんなに不便だっけ? 回復魔法じゃ取れない痛みだ。だって傷は塞がっても、その痛み自体は取れるわけじゃないんだから。止血剤と痛み止めは違う。そして、ヴォイドは痛み止めの魔法をよく覚えていない。そもそもこういった、ただ痛みを与えることに特化した攻撃を喰らったことがない故に。だから、ヴォイドはただ痛みにうめきつつ自身の身を守るしかない。

 前は『サンドバッグ』で後は壁。

 逃げ場がないことを一応再度確認し、そのまま殴られ続けるのは嫌なので結界をもう一度張る。ガツン! と音がして、『サンドバッグ』が空中で止まった己の拳を見て首を傾げた。荒い息を整えながらヴォイドは思考を再開。そりゃ魔法でここら一帯を更地にしたっていいんだけど、ミセルに怒られそうなので却下。なら威力の低い魔法でちまちま攻撃するか? 今こんなに瀕死なのに? 一発でこんなことになってしまう自分の弱っちい体が恨めしいが、文句は言っていられない。『シルバーコイン』を庇うわけではないが、ここで見逃しちゃ魔王が廃る。なるだけ生かして捕える。捕まえる。それが最善で、殺してしまったらミセルに謝る感じで、どうだろう? どうもこうもない? そりゃそだな。じゃあ、そういうことで。えいえいおー。


「『青色彷徨い星の逆襲(ブルーストラグラー)』」


 ヴォイドは真っ直ぐに、『サンドバッグ』の首筋に、青色の光を浴びせようとして。


 それより先に、どこからともなく放たれた銃弾が、彼女の上半身と下半身を千切った。


 乱雑に、乱暴に、どこまでも暴力的に、『サンドバッグ』の体はズタズタになる。当たり前だけど大量の血が漏れ出て、部屋を赤く染めた。床に散らばっていたガラス片が赤くなる。どうやらそれより先に窓ガラスが割れていたらしい。割れたから、なんだろう。ミセルが怒るかも。そうかも。でも、それは、今は、関係ない……!

 狙撃銃。

 前にもあったなあ、こんなこと。あの時はドアがぶち壊れて大変だった……。そうだ、アンティークに掃除をさせなければならないね。ミセルが帰ってきたら起動させてもらって、なんとか。ガラスの破片なんて触りたくないもの。そうだ、アンティーク。アンティークなら。

 この、野暮で無粋でおせっかいな、空気読めないクソ野郎を、今からでも追っかけて、殺してくれるかも。


「……『スナイパーライフル』」


 澱のような、澱み切った少年。軍人。狙撃手。

 判断を誤った『サンドバッグ』を殺したのは、絶対的にこいつだろう。



 ……



『ドクターストップ』はボールペンを置いた。

 先ほどまでカチカチ鳴らしっぱなしだった、カルテを書くためのボールペンをペン立てに投げ入れた。

 いい年した大人である彼はこういう幼稚な癖がある。ストローは噛むし消しゴムに穴は開けるしボールペンはカチカチするし。どこか落ち着きがないのである。ガラスを引っ掻くように物を少しづつ壊していくのが趣味なのかと自分でも思ってしまうぐらいに、彼はその癖を直せない。直す気もない。誰にも迷惑がかかってないのなら別にいいじゃん、ねえ?

 言い訳のような何かをうっすら考えつつ、席を立つ。万年寝不足野郎こと『ナイトメア』が寝ていることを確認し、建て付けの悪い扉をひっそり開けた。ここで起こしたらうるさいから。スリッパ代わりの黒いサンダルを買い換えようか迷いつつ、電気がついていないせいで光源が月明かりしかない廊下を進んでいるうちに、目的地についた。

 中庭である。

『ドクターストップ』は錆びついた、中庭へと繋がる観音開きの扉をなんとかこじ開けた。


「ご機嫌よう、『ドクターストップ』。我らが同胞」


 ──明るかった。

 壁も扉も地面も、草木に覆われた円柱型の空間である。ありとあらゆるところに蔦が絡みつき草が生え花を咲かせている。真ん中には深緑のガーデニングテーブルと椅子が三脚。ちなみに腕時計に示されたただいまの時刻は午後十一時。真夜中。しかしながら、この空間はまるで午後二時過ぎぐらいの明るさだ。ちょうど三時のおやつが食べられそうな、そんな時間帯。太陽はまだまだ草木とテーブルを照り付けている。

 不思議も不思議な空間の、テーブルの一脚に座る少女が一人。

 水色の髪を肩のあたりで切り揃えた、どこか現実的ではない少女である。服装はふわふわしたロリータ。髪と服装だけ見るとアニメの世界から飛び出してきた魔法少女に見える。

 いや、魔法少女のように正義の味方気取りをしているのは、こいつの妹なんだけど。


「……『フレンドリーマッチ』」


 嫌々ながら、『ドクターストップ』はそいつのコードネームを呼んだ。懐柔者『フレンドリーマッチ』。この空間の主。サンダルで草花を踏み潰しつつ、『ドクターストップ』は空いていた一脚にどかんと座った。『フレンドリーマッチ』の右隣である。隣に座りたくはないが、三人だとどうしても隣になるので。


「うふふ! お会いできて嬉しいわあ、軍医殿。アナタは保健室からなかなか出てきてくれないから。妹……『フレンドリーファイア』も最後の最後まで会いたいって言っていたもの」


「一週間も前の話だろ。死人の話をするなボケ。紅茶が不味くなるだろうが」


「あら、わたしたちが淹れた紅茶を美味しいって思ってるの? 嬉しいわあ」


「……くたばっちまえ」


「『ジャッジメント』の許可もないのに?」


「そういうとこが気色悪いんだよ屑」


『ドクターストップ』は舌打ちをした。意にも介さず『フレンドリーマッチ』は紅茶を啜る。茶葉はなんだろうかと少し興味を持ったが、腹が立っていたのでやめた。香りはいい。思わずおかわりを要求してしまいたくなるぐらいに。


「『ナイトメア』は? 呼んだはずだけど」


「呼んだだけで来るような奴だと思ってんならテメエは今世紀一番の愚か者だぜ」


「だって、『ジャッジメント』のお呼び出しよお? 招待状を書いたのはわたしたちだけど、あくまで代筆。主催者は『ジャッジメント』。我らが長」


「『ナイトメア』の野郎がそんなこと気にすると思うか? どんなお偉いさんに呼ばれたって万年床にしがみついて離れねえよ」


「そう……難しい子ねえ」


 そう言って彼女は真ん中に設置されたケーキスタンドのスコーンを手に取った。『ドクターストップ』は黙って紅茶を啜る。気が緩んでいるのを自覚する。頭を振って、手の甲をつねり、カップを置いて思考をリセットした。『フレンドリーマッチ』が嫌いな所以がここに詰まっていると言っても過言ではない。というか、『ドクターストップ』は少年十字軍の誰も彼もが嫌いなんだけど。そこはまあ、置いておいて。


「あー! 遅刻だよ大遅刻だよ! ディレイでレイト! 迷惑だね!」


 まだ十にも満たないであろう少女が騒ぎながら、この摩訶不思議空間に突撃してきた。

 アンティークドールのような、長くふわふわした金髪に春の空のような碧眼。あまりにも似つかわしくないダボダボの黒色のローブ。手には木槌を携えて、彼女は忙しなく足を交互に動かしながら、二人に突撃してくる。


「ごめん!」


 簡潔に謝ってきた。


「いいですよお、わたしたちと『ドクターストップ』が早く来すぎちゃったってだけですもの」


「……どうでもいい」


「ありがとう。それじゃ、ちゃくせきー」


 小柄も小柄な彼女にとってこの椅子は座りづらいらしい。横から這い上がるように登って、やっとのこさ腰を落ち着ける。その間も木槌は持ったままだ。器用なのか頑固なのか。それか愚かなのか。毛布が手放せない幼児のような癖なのか。

 ともかく、彼女がこれを手放したところを、『ドクターストップ』は見たことがない。

『フレンドリーマッチ』がことんとカップを置いて、ふわりと彼女に笑いかけた。優しくて甘ったるい、ジャムのような、そんな笑い方。砂糖でベタつく気味の悪い、笑顔。


「──お会いできて光栄ですわ、『ジャッジメント』。我らが長」


 少女は──『ジャッジメント』は、恭しく出迎えた『フレンドリーマッチ』を見ようともせずに、スコーンを口の中に詰め込みながら。


「うん、元気そうで何よりだね。『フレンドリーマッチ』。『ドクターストップ』」


 どこまでも単調に、そう形だけ答えた。



 ……



『ジャッジメント』の正体は、『ドクターストップ」も『フレンドリーマッチ』も知らない。

 そりゃ外見と声、口調に身長、癖や性格なんかはわかるかもしれないけど、その他は全て知らぬ。不詳である。どこでいつ生まれどういう親で環境で教育で育ち、なぜ『魔法』を使えるようになるほど絶望したのか。知らないし、知りたくもない。この空間では誰も彼もみんなみんな不幸なのである。世界で一番シンデレラ。しかもかぼちゃの馬車とドレスとガラスの靴をくれる魔女は一生現れないタイプの絶望シンデレラである。生ぬるい不幸で満たされた灰色の人生。もし目の前に神がいたら右の頬を殴ったのち左の頬を殴るだろうし、仏がいたら蜘蛛の糸で首を絞めるだろう。世界中の宗教のどんな神様でもいいから不満と不平をぶつけたい奴らの集まりだ。つまるところ救われぬ者どもだ。だから他人の不幸話など、ここでは耳垢ぐらいどーでもいい話なのである。蜜の味だってなれりゃまずいだけだ。飽きたら吐き出してしまうような味なのだ。辛酸なら舌が擦り切れてなくなるほど舐めてきたし、泥水なんてのはもう家庭の味である。いっそそれが正常なのだと思ってしまうぐらいには。

 なので、知ったこっちゃない。

 どうでもいい。


「それにして、『ナイトメア』はどうしたのかな、『ドクターストップ』」


「おねむ」


「そっかあ」


「そっかで済まさないでくださいな」


『ジャッジメント』の命令に従わないのですよ、と『フレンドリーマッチ』は小声で言った。こいつは上下関係とか先輩後輩とか上司部下とかそういった関係性を重視するのである。難儀。


「うーん、お話したかったんだけどなあ。しょうがないしょうがない。仕方ないことは仕方ないんだよね。『ジャッジメント』は諦めがいいからスパッと思考を切り替えていくよ」


 だって、『フレンドリーマッチ』でもいいもん。

『フレンドリーファイア』は死んだけど、片方残ってるなら万々歳だね。さくらんぼは一個でもおいしいの。


「ね、そうでしょ。『序列』三位、アレクシア・フランキスカ」


『フレンドリーマッチ』は。

 ケーキスタンドのサンドイッチに手を伸ばしかけていた彼女は、ゆらりと手を下ろした。力無く笑う。そんなこと言われてもなあ、なんて思っているのが丸分かりな、わっかりやすい顔である。


「……わたしたちは確かに、かつて魔王に仕えた『戦斧』アレクシアですが、ねえ」


 クツクツと、苦笑いをしながら。


「それはほんの少しばかり違うのですよ、我らが長。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


『序列』三位、アレクシア・フランキスカ。

 やはり、というべきか。彼女も魂をミックスジュースにされた後この世界に生まれ落ちた。んで、無理やり思い出さされた。

『ジャッジメント』の手によって。

 レガリアの働きではない。それ故に不完全なものとなった。そもそも小数点以下の割合で含まれた魂の、とっくの昔にウタマロ石鹸で洗い流されドラム式洗濯機に突っ込まれ漂白剤に浸けられたような記憶を、どう思いだせというのか。主人公の落ちこぼれを統率しているあの『ジャッジメント』でも流石に無理やりである。無理くりである。じゃあそれができちまうレガリアはなんなんだ? 化け物? そう言っているだろう。あいつは生まれながらの怪物で『侵略種』。乗っ取ることしかできない怪物だ。だからできる。てか知り合いだし。前の世界を知っているのだし。そりゃあたりきしゃりきくるまひき。お茶のこさいさいで朝飯前というものだろう。比べないでほしいね。

 というわけで、『フレンドリーマッチ』こと斧好(おのよしみ)

 彼女は半分しかアレクシアになれなかった。

 斧好のころは人生万事オーケーな平々凡々小学生女児であった。好きなものはすみっコぐらしとシール。趣味はお絵描き。得意な教科は図工と国語で、苦手な教科は算数。昼休みはクラスのみんなとドッジボールをする、そんな女の子。それが『ジャッジメント』に見つかった途端どうだ? あっちゅうまにエセ魔法少女の完成完成。髪はなぜか水色に染まっちまったし、瞳だって気味の悪い色味になっちまった。どうしてくれるんだ。算数のワークで殴るぞと思った時代もあったが、やはり人間慣れである。どうでも良くなる。『ジャッジメント』に連れてこられたこの空間は案外住み心地が良かった。住めば都。親に何も言われないし算数はしなくていいしおやつは食べ放題だし、まあ、快適。受け入れてしまった方が楽になることもある。自分には打つ手がないのなら、尚更。諦めとはかように肝心なものであるから。

 じゃあもう片方、『フレンドリーファイア』こと斧嫌(おのきらい)はと言いますと。

 双子の妹である嫌、塞翁が馬どんとこいな人並み月並み十人並みな小学生女児だってもちろん半分アレクシアになったわけだ。あたり前田のクラッカー。好きなものはリラックマとアクアビーズ。趣味はアクセサリー集め。得意な教科は体育と算数で、苦手な教科は国語。昼休みはクラスのみんなとケイドロをする、そんな女の子。それが『ジャッジメント』に見つかった途端あの有様! あっちゅうまにニセ魔法少女の完了完了。髪は意味がわからないがピンク色に染まっちまったし、瞳だって気色の悪い色彩になっちまった。どうしてくれようか。漢字のワークで殴るぞと考えた時間もあったが、やっぱ人間慣れである。どうだって良くなる。『ジャッジメント』に誘い込まれたこの建物は存外住み心地が良かった。住めば都。先生に怒られることもないし国語はしなくていいし遊び呆けててもいいし、まあ、安楽。受け入れてしまった方がいいこともある。自分に抗う力がないのなら、一層。受容とはかように大切なものであるから。

 そんなこんなで、嫌は『フレンドリーファイア』、またはアレクシア・フランキスカになったのである。姉と一緒に。『フレンドリーマッチ』がアレクシアの温厚な記憶を受け継いだのなら、『フレンドリーファイア』はアレクシアの粗雑な部分を継承した。それがあれである。あの仲間殺しである。笑えるね。


「『ジャッジメント』その人がおやりになったのですから、忘れないでほしいですわ」


「ごめんごめん。で、今の気分はどう? 片割れが死んで一週間、そろそろ不調やなんやら出てくるかもなーって思って、こうはるばる見にきたわけだけど。いや、それだけじゃないけど」


「それだけじゃねえ? どういう意味だ」


「焦らないで、『ドクターストップ』。おいおい説明していくよ。ぜーんぶ、ちゃんと話してあげるから」


『ジャッジメント』は悠々自適に紅茶を飲む。木槌はやはり手放さない。

 どこまでも幼く、弱々しく、無邪気で、可愛らしい、『フレンドリーマッチ』いわく、我らが長。

 少年十字軍の頂点。

 だからもちろん、レガリアと手を結んだのも、そのレガリアを処刑したのも、魔王に宣戦布告をしに『ワーカーホリック』と『スナイパーライフル』を仕向けたのも、レガリアの二度目の処刑を指示したのも、『フレンドリーファイア』を使って『スナッフフィルム』、『プレイルーム』、『フィクション』の処刑を行なったのも、全て、こいつ。

 これまでこの物語で積まれてきた死体は、全て『ジャッジメント』が殺したようなものだと言っても過言ではない。そりゃ実際に手にかけたのはヴォイドでレガリアで『フレンドリーファイア』であるのだけど、どう足掻いたってこれまでの殺戮劇は彼女が作り上げたのである。誰をどう動かしてどう殺すか。その可愛らしい顔に皺を作りながら一生懸命、ファンシーショップで買った鉛筆片手に夜なべして考え抜いた。魔王を殺すためだけに。

 これから語られるは、尊大壮大な幼き長のご計画。

 自らが主人公になるための、脚本だ。

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