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17.仲間殺しにはコインがいっこ

「逃げようぜ」


『プレイルーム』は帰ってくるなり矢継ぎ早にそう言った。珍しく意見をした。提案とも言えぬほどの脆弱な意志だったが、それでも、自身の考えを簡潔に口にした。『フィクション』、つまり自分に対して文句どころか自分の意見も言わず、なんなら返事しかしないのが『プレイルーム』である。従順すぎて気持ち悪い信者。それが『プレイルーム』。

 きな臭い。

 どうもおかしい。

 彼が自分に提案することもそうだけど、その首につけられた、青黒い手形も。『プレイルーム』の忙しなさ、落ち着きのなさも。何が彼をそうさせる? 『フィクション』はほんの少しだけ考えて、『プレイルーム』がなんの呼びかけもなく車椅子を動かしてねぐらにしていた部屋(印刷室)を出ようとしたので途中で止まった。


「……『プレイルーム』」


 必死に絞り出した声はひどく掠れていて自分でも何を言ったのかわからなかったけど、それでも彼にはわかったらしい。キュイとタイヤが音を立てて、廊下の途中で止まる。


「予定は一週間後のはずだったけれど」


「のっぴきならない事情ができたんだ。ちょっと仕事でポカした。このままじゃ『フィクション』諸共お陀仏だぜ」


「……珍しいね。うん、わかった、いいよ。逃げよう。その前に『ドクターストップ』のところに寄って欲しいな」


「なんで?」


 また聞いてきた。

 どうしたんだろう。些細な違和感ではあるのだけど、どうにもならない不和ではあるのだけど、それでも。喉の奥に突っかかってしょうがない。何が彼を責め立てる。仕事でポカをしただけで『ジャッジメント』から逃げようとするあたり、思考が浅いところで止まっているようだ。ほんの些細なミスだったら『ジャッジメント』は何も言わない。むしろ慰めるだろう。あれでも外面はいい上司だ。お手本だ。

『フィクション』は動揺をおくびにも出さないように、平然と答えた。


「薬をもらいたいんだ。あと君の傷、『ドクターストップ』に診てもらった方がいい。この先医者にかかることなんてできないよ」


「……わかった」


 不承不承頷く『プレイルーム』を見て、やはり異常だと考える。また緩やかに車椅子が発進した。でこぼこが少ない廊下をゆるりと進んでいく。


「何かアテがあるの?」


「ない。ないけど、なんもできねえまま死ぬよかマシだろ」


 ……なるほど。

 違和感の正体が、少しだけわかった。


「お金は」


「……やだけど、今まで通り稼ぐ」


 少しのやり取りで、『フィクション』は彼に起こったことを確信する。

 もとより、『プレイルーム』は受け流すことに特化した生き物だった。殴られようと蹴られようと、犯されたのち殺されようとも、ああ、そういう運命なんだなあと受け入れてしまうのが彼である。現実に対して不平不満を最後の最後まで抱かない。ただあるがままに受け入れる。または受け流して心を殺し耐え忍ぶ。

 そんな彼が、現状を良しとしていない。

 不満を口にし不平を嘆き死にたくないと抗っている。自身に降りかかる不愉快を払い除けようと努力して、その結果失敗に終わってしまう可能性があろうとも抗おうという意気込みを感じる。受け入れない。受け流せない。耐えられていない。

 明らかな異常事態じゃあないか!


「……人として成長できることは、素直に喜ばしいことではあるね」


 ボソリと呟いて、しかし『プレイルーム』からの反応はなかった。これまた珍しい。今までだったら考えられないことだ。やはり、と思う。

『プレイルーム』は怪物では無くなった。

 見捨てられたのだ。


「僕のことは気にしないでいいから速度を上げて。早く行こう」


「了解」


 ひどく乱暴に車椅子が急発進して、息切れで死ぬかと思った。人はあまりに早く移動すると呼吸ができなくなるらしい。一つ学びになったと同時にもう二度と経験したくねえとも思う。

 というわけで、保健室前。

『プレイルーム』がガサツに引き戸を開いて、ガシャン! と音を立てた。それなりの築年数が経ったこの学校はいくつかの扉が開きづらいのである。そのまま傍若無人に侵入する。

 本来ならば養護教諭が座っているはずのデスクに、くたびれた白衣を着た男が座っていた。

 少し長い髪を後で乱雑に縛っている、どこか疲れている男だった。年齢は二十代後半か。『フィクション』は人と人との区別がつかないし外見から年齢を推測するのが不得手であるので、憶測も憶測なのだが、とりあえずそのくらい。みんなみんな同じように見える。それはそうとて、男は手に持った赤色のボールペンを苛立たしげにカチカチ鳴らしていた。多分実際にイラついている。

 こちらを一瞥し、またデスクに置かれた書類に視線を戻す。それからひどく気だるげに、男が口を開いた。カチカチ、ボールペンが鳴っている。


「……扼頸(やくけい)による溢血点(いっけつてん)を数箇所確認、喉の炎症による発音障害、青あざ」


 淡々と、酒焼けした声で告げる。


「どっかのクズに首でも絞められたか? 喉の炎症については薬出しとく、お大事に」


「……あたり」


『プレイルーム』がぼそりと答えた。一瞥しただけで見抜くとは恐れ入ったが、まあ、この男だから驚くこともない。時間がない。さっさと薬だけもらって逃げなければならないのだ。

 だから、『フィクション』は男に──軍医である『ドクターストップ』に声をかける。


「『ドクターストップ』、薬をもらいたいのだけど」


「今日の分はもうやったろ。鳥頭。あと扉を開ける時は静かにしろクソ野郎。寝ついた『ナイトメア』が起きちまうだろうが。その程度も考えられねえのかよ、屑」


「……相変わらず口が悪い。いや、この先二ヶ月分、先に欲しいんだ」


「なんでだよ。薬は『ハッピーハート』に言わねえと大量の在庫は用意できねえぞ、ちったあ考えろ」


「では、ある分だけでいい。全てくれ」


「……夜逃げか」


「あたり」


 くすくす笑いつつ、『フィクション』はどうしたものかと考える。二ヶ月は生き延びたかった。脆弱に作られたこの体は、『ハッピーハート』が用意した薬がないと呼吸すらままならないのである。生きてはいける。けど、それだけだ。確実に足を引っ張ることになるだろう。呼吸すら、生きるのに必要最低限の要素すら取り入れられない自分の体は何十キログラムの肉の塊である。重石そのものである。それだけは避けたい。逃げるのなら確実に逃げ切りたい。二ヶ月あれば捨ててきた古巣である宗教の残滓をフル活用して、また返り咲ける(返り咲く、とは言いたくないが)だろう。『プレイルーム』が身を売る必要がなくなる。『ジャッジメント』に見捨てられた今、彼は一般人だ。なるだけ長持ちさせるために心理的負担、身体的負担は避ける必要がある。生き餌を長く保たせる一番の方法は希望をちらつかせること。そうさなあ……ずっと一緒にいてやるとか、手ずから処分してやるとか、一回抱かせてやるとか……いや、抱かせるのはナシ。あいつトラウマだっけ。報酬は後で考えるとして、今は薬なしで逃げ切る方法を思いつかねばならなかった。


「行こうぜ」


『プレイルーム』が急かしたので、『フィクション』は思考を切り替えた。車椅子のアンダーネットにもらった薬(三週間分)を放り込み、ついでにへそくりも入れて、出発。愛想の悪い軍医に力無く手を振ったけど、返ってこなかった。

 そりゃそっか。

 こちらは脱走犯だもの。チクられなかっただけ御の字である。

『プレイルーム』に命じて、裏口に向かわせる。できる限りこっそりと、隠密行動を心がけよう。カラカラ車輪を回して出来る限り急ぐ。パタパタと『プレイルーム』の足音が聞こえる。会話も減らしたのでえらく静かだ。


「……なあ、『フィクション』」


 会話すんなって言ったろ。

 ああもう、やはりおかしい。マジで見捨てられた。確信が確定になってしまった。きっと自分も気づいていないだけでそうなんだろうなあとも思う。思うだけだが。

 それはそうとて、用事はなんだろうか。


「逃げ切れるかな」


「……今更?」


「そりゃ、そうだけど」


 自信なさげに彼は言う。ゆらゆらゆらめく蜃気楼。此度の脱出劇はまさにそれだ。麻薬中毒者の見る幻想よりもよっぽどタチが悪いであろう、夢。

 前回のものよりも成功率は低いだろう。

 血の海を通ったせいでお互い無様に赤色に染まりながら逃げ出したあの日より、無事に逃げ切れる可能性が低い。ゼロに等しい。前回はそれでも小数点第四位ぐらいから数字があったから、薄っぺらい希望があった。今回はない。ゼロである。成功なんてまずしない。六しか出目がないサイコロをいくら振ろうが一は出ないだろう。それである。絶対に起こり得ない現象を起こそうと躍起になっているのである。そんな大馬鹿者がここに二人。


「逃げれんのかな」


「さあ? 僕に聞かれても困ってしまうね。僕はご存知だとは思うが全知全能の神ではない。最後は絶対に勝つ主人公でもない。人間の落ち溢れさ。それはもちろん君も」


「……そうだな。まー、うん。そうだよなあ……」


「そうさ。しかし、ここで僕から落ち込む君にとっておきの情報をくれてやろう」


 からっと笑って、元気づけるように、言ってやる。

 全部全部、嘘っぱちでできた虚構を、嘯いてやる。


「何が起ころうが、僕らは離れられない」


「……」


「地獄の底までね。全く同じ罪を背負う僕らは、もう離れられないんだよ」


 ……そりゃ、いいな。

 連れてってくれよ。

 背後で、彼が笑った気がした。笑えるか? 結構自分にとっては絶望的な運命だったのだけど、彼にとっては神託みてえなモンだったのだろうか。悍ましい話だ。それよりも、こんな話を希望を持って語ってしまう自分の方が悍ましくて仕様がないが、棚に上げておく。気づかないふりは誰にだって必要な処世術。

 クルクル彼が笑って、それからまた会話が途切れた。これでいい。これでいいはずだ。希望をちらつかせれば生き餌はながあく持つ。溺れかけのネズミを一度陸に上がらせてやれば、もう数十時間は泳ぐのだ。あくまで長く保たせるため。それだけ。それだけのために、悍ましいの極致とも言える言葉を、いけしゃあしゃあと口に出した。

 ……どうでもいい。

 ああ、心底どうでもいいのである。変わったからなんだ。停滞が動き出したからなんだ。世界のありとあらゆる絶望をごった煮にしたみたいな状況が、いくらか改善するなんてことはない。目先のことだけ考えろ。今日を生き延びれば明日が来る。明日が来れば明日を生きられて、明後日が来る。明後日が来てうまくいったら明々後日も。なら今日を考えよう。とにかくこの学校から誰にも気づかれずに、逃げよう。

 急げ急げ急げ。あの処刑人が勘付く前に──


「ヤ! お二人サン!」


 甲高い声がした。

 あ、まずったなと思うのと同時に顔に生ぬるい液体が浴びせられて、なんとか首を動かして振り向くと彼が死んでいた。暗いので見えづらかったが、とりあえず後頭部から額までがぱかっと割れていて、そこから頭蓋骨の破片が混じった脳髄を垂れ流しているのだから、絶対に死んでいる。わざわざ首の動脈に触れるまでもない。瞳孔の反射を確認するまでもない。死んでいる。一瞬で、死んだ。

 彼は死んだ。

 なんの変哲もない、ただ受け流すことしかできなくなってしまった彼は、いとも容易く死んでしまった。


「ストライクヒット! うーん、やっぱアタシたちってばお上手だエ! オリンピックで金メダルでも狙おうかなア?!」


 時間切れ。

 タイムリミットは思っていたよりも短くて、残酷で。そりゃあ、『ジャッジメント』がそんな簡単に逃してくれるとは思っていなかったけど。

 これは、あまりにも。


「……上手いね、『フレンドリーファイア』」


「ウン? アララ! アタシたちのコードネーム知ってたんダ! 意外と物知りさんだねエ!」


「伊達に引きこもってはいないんだよ。動けない分耳だけはいいんだ」


 彼の死体がずるりと倒れた。『フィクション』の方へ倒れてきたので、少しだけ車椅子が進んだ。

 まずいな。

『ジャッジメント』専属の処刑人、『フレンドリーファイア』。仲間を殺すことしか知らぬ、哀れな少女。きっと彼は彼女が投げた斧によって頭をかち割られたのだろう。見た目魔法少女な『フレンドリーファイア』は斧使いである。無骨で血生臭え、どこまでも現実的で実用的な武器。彼の頭は暗くて見えないので確認はできぬがきっとそうだ。彼女が斧以外の武器を使った場面を見たことがない。いや、聞いたことがない、か。『フィクション』は彼がいなければ移動すらままならいのだから。


「それにしても、何も言わず何も聞かず攻撃してくるなんて、ひどいと思わない?」


「思わないネ! 『ジャッジメント』の言いつけだもン!」


 そりゃそうだな。

 彼女が『ジャッジメント』以外の命令で動くとは思えない。『フレンドリーファイア』はその名の通り、自身が仲間だと認めたものばかり虐殺してしまう体質を持つ、無様な生き物である。それをうまあく使っているのが憎ったらしい長、『ジャッジメント』なわけで。だから、そうだな。

『フレンドリーファイア』は心の底から、自分たちを仲間だと信じきっているってこと。

 共に手を取り合い同じ釜の飯を食い、魔王と勇者という敵に立ち向かう、大切な仲間だと、思っている。


「やっぱり神は神でもニセモノだネ! こんなちっぽけな男の子一人すら守ってくれなかったんだもン! 虚構は虚構! なんの役にも立ちやしなイ!」


「そういう君こそ、ファンタジー極まりない格好しているけどね。魔法少女のようだ。死の危機に瀕している僕を正義の味方よろしく救ってくれてもいいんだよ?」


「神様なんでしょウ? 自分の身ぐらい自分で救いなヨ!」


「一理あるね。しかし虚構だから」


「ならアタシたちだって虚構だヨ! キミが勝手に魔法少女だって思い込んでるだけだものネ!」


「……」


 やはり煙に巻いてうやむやにする方法は通じなさそうだ。この愛くるしい顔面に免じて許してほしい。なんなら『フィクション』は彼に誘拐よろしく連れ去られただけで、本当は一週間後にする予定だったから未遂だし、推定無罪にしてほしいのだが。

 処刑人に会話が通じるかと言われれば、答えはノーである。

 お得意の舌先は使えないらしい。やれやれ、困ったものだ。どうしよう。どうしよう。これでもかなり焦っていたりするんだけど、どうしようもないような気がしてきた。ただで殺されたくはない。これでも何千回と殺されてきた身である。何度も何度も、死ぬ寸前まで、いっそ一瞬は死んでいたんじゃないかと思うほど、殺されてきた。ここで死ぬなんてゴメンだ。彼のように受け流せなかったから、『フィクション』はここまで生き延びられたんだから。考えろ考えろ考えろ! そのない頭を、軽い頭を回せ。処刑人を懐柔するのは無理。だからといって、ここから走って逃げるなんてできない。どう頑張っても立ち上がることすらできないだろう。彼は死んだ。『フィクション』の足になってくれるはずの彼はもういない。なら、どうする。


「魔女狩りってさア」


『フレンドリーファイア』がゆったりと、こちらに近づいてくる。足音が聞こえる。ぴちゃ、ぴちゃと血溜まりを踏んづけて、こちらにくる。

 急に景色が回転した。

『フレンドリーファイア』が車椅子の向きを変えたのだ。


「いろんな処刑方法があるけド、オーソドックスなのってやっぱり火刑だよねエ。人々を誑かす悪い魔女は火炙りにして骨すら残さないノ。復活の機会なんて与えなイ……もっと意味があったっケ? こーゆーのは『スナッフフィルム』が詳しかったんだけド、もう死んじゃったシ。というか、ニセモノの神様を殺すなら十字架につけた方がいいのかナア?」


「……エリ、エリ、レマ、サバクタニ」


「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか……神様が神様に縋るなんテ、笑えないよネエ」


「知らないよ、そんなこと。僕は神ではないんだから、少しぐらい嘆いてもいいだろう」


「滑稽ダ」


「なんとでもどうぞ。殺すなら殺せばいい。火刑だろうが、十字架だろうが、甘んじて受け入れようではないか」


 体力がないせいで腕すら上げられないが、とりあえず形だけでも降参してみた。なんとなく、争うのがバカらしくなってしまったのだ。『スナッフフィルム』も死んだらしいし、この分ならきっと一緒に仕事をしていた『ハッピーハート』も死んでいるだろう。これで三人。自分も入れて四人か。四人、処分。

『ジャッジメント』は何を考えているのだろう。

 見捨てた。それはそうなのだが、それにしても、事を急激に進め過ぎている気がする。魔王が見つかったからといってここまでする必要があるのだろうか? むしろなりふり構わず裏切り者だろうがなんだろうが使うべきではないだろうか。一人よりも二人。二人よりも三人。立っているものは憎っくき親でも使え。手当たり次第に誰であろうと。

 そんなことを考えている間に、『フレンドリーファイア』が『フィクション』の体を掴んで担ぎ上げていた。


「何をするつもりだい?」


「火刑」


 抱えられ視線が高くなった事で、彼の死体がよく見えた。誰が片付けるんだろうか。清掃係だった『ダストボックス』は先月死んでしまったし、死体を埋めることに抵抗感がない『スナッフフィルム』も、誰も彼も死んでしまっているのである。ああ、そうか。随分人が少なくなったなあ。本当に、何を考えちゃっているのだろう。

 これから自分も火刑だし。

 もちろん、タダで死んでやるつもりはないわけで。

 今日だけで何人死んだのだろう? 『プレイルーム』に『スナッフフィルム』、それから推定だが『ハッピーハート』も。これから死ぬのは自分、『フィクション』。

 それと、『フレンドリーファイア』。

 絶対にこいつだけは殺してやる。


「焚き火は屋外でやらないとネ!」


 どうせなら校内でやってくれればもっと悲惨になったのにと思わなくはなかったが、別にいい。こいつだけ殺せれば。彼を殺したこいつだけ巻き添えにできれば、後のことなんて、心底どうでもいい……!

 中庭で燃やそうと考えたのか、『フレンドリーファイア』は真っ直ぐ向かっている。動けない『フィクション』はされるがままだ。自身の肉体も、そうなるように仕向けた奴らも憎たらしい。いつの間にか鬱蒼とした中庭についていて、冷たい土の上に放り出された。背中が痛い。泣いちゃいそうになるぐらい痛い。

 彼が死んだ時は、何も思わなかったのに。


「ジャ、バイバーイ!」


 寝っ転がっていた『フィクション』に、ライターが投げられて。

 あっという間に、燃えた。

 そんな簡単に燃えるわけがないと高を括っていたが、そんなことはなかった。燃える。燃える。視界が赤い。熱くて熱くて痛くて死にそうだ。実際死にかけているのに、死にそうだと思う。痛い。痛い。痛い。痛い。

 動け。

 ここしか、チャンスはない。ほら、ちょうど良く獲物が燃えているところを、処刑人が見にきたぞ。動け。体の全てが燃えているとしても。さっさとしろ。

 少しでもいいから!

 どうにか這いずって、移動する。側から見たらもがき苦しんでいるようにしか見えないだろう。それでいい。死にかけの人間ほどよく足掻くところを見せてやろうじゃないか。

 というわけで、『フィクション』は油断していた『フレンドリーファイア』に抱きついた。

 火が燃え広がる。離してなるものか。ぎゅうっと人生で出したこともない力を引っ張り出して、彼女にしがみつく。ぎゃあぎゃあ言っているのがわかる。いいなあ。そんなに叫べるなんて、体力がある証拠だ。僕は叫べないのに、いっそうるさいぐらいに叫べるなんて、羨ましい。ずるい。なんでみんなだけ自由に動けるの。なんでみんなだけ自由に喋れるの。みんなだけ自由。自分の足で立って自分のペースで食事をして自分の意思で生きていけて。それがどんなに幸せなことか、なんでわかってないの。羨ましい。幸福の価値を知らず食い荒らして死んでいくみんなが羨ましい。自分自身だけが不幸に思える。いつだって僕の思い通りになることなんてなくて、他人に操作された未来を泣く泣く進んできた。車輪がついた醜い椅子で。誰かに押されて。それだけの空っぽな人生。人生と呼ぶことすら烏滸がましい、人生。生き様。三文にも満たない場末のコメディ。笑えよ。笑わないでくれよ。泣いてくれ、お願いだから泣かないでくれ。嘲っておくれ。僕の事を嘲るな。どうかどうかどうか僕の事を──!



 ……



「と、いうわけでございますよ」


 いつも通りの日常の延長線。

 勇者パーティの盗聴から一週間が経過した、そんな日である。風呂上がりにヴォイドは来客対応をしていた。ミセルはまだ帰ってこなかった。きっとバイトが長引いているのだろう。それか寄り道。混同解答の方は社交的だから、飲み会にでも行っているのかもしれない。それならそれで一人時間を謳歌してやろうとゆったり風呂に浸かりいい気分になっていたところに、来客があったのである。

 来訪者は二人。

 今ちゃぶ台でお茶を啜っている。


「ああ、訂正するとするならばこれはわたくし個人の意見でこざいまして、決して少年十字軍の総意……もとい『ジャッジメント』の意思ではないと、そこだけは誤解なさらぬよう」


 濡れ鼠のままヴォイドは目の前に座った少年を、ベラベラ聞いてもいない事を喋り続ける来訪者その一をぎろりと観察する。見た目で測るなら十五歳以上だろうか。ひどく一般的な黒髪に、狐のような細い瞳。服装は年齢に見合った学ラン。第一ボタンまできっちり閉めるタイプらしい。真面目くんだ。

 そのまま少年の隣に目を移す。

 少年の隣には、臆病という単語をそのまま人間にしたかのような少女がいた。見た目は図書館の隅っこで江戸川乱歩を読み漁ってそうな、中学生であろう文学少女である。紺色のカーディガンと黒縁メガネに三つ編み。しかし、口元に置かれた手にはメリケンサック。あの拳につけるギンギラギンのやつ。


「……え、えと、だから、わ、わかって、いただけました、か……?」


 少女がオドオドと口を開く。シャンとしていれば普通に可愛らしい、俗っぽく言ってしまえばモテそうな顔であるのに、勿体無い。それがいいというやつもいるのだろうけどさ。

 少女は続ける。口を開く事すら恐ろしいと思っているかのような、おぼつかない口調で。


「わ、わたし、『サンドバッグ』は、は、反対なんです。こ、怖いから。あの方にさ、逆らうなんて、考えられない、から」


 だから、こいつを殺す許可をいただきたいのです、と少女は──『サンドバッグ』は言った。

 少年はやれやれとでも言いたげに肩を竦め、ヴォイドに向き直る。


「……再三申し上げますが、わたくしのお目付け役、『サンドバッグ』はカッとしやすい性質を持っていまして、ここで旦那さまがワタクシの考えを足蹴にしてしまわれると文字通りのサンドバッグとなってしまうのです。ここはわたくしの命を助けると思って、是非とも協力してくださると狂喜乱舞の大歓喜となるのですが、いかがでしょう?」


「……」


『サンドバッグ』。

 この大人しそうな文学少女はどうやら暴力主義であったらしい。ガンジーの真反対をいく少女だ。人を見た目で判断しちゃいけない理由がよう分かった。

 それから、こちらの少年。

 軍人の一人を使ってまで監視されているこの少年。狐のような、この男。どこまでも快楽主義で、資本主義で、自身が得をするのならどんなことも厭わない、商人。

 彼はヴォイドに交渉を持ちかけてきた。

 少年十字軍にとって敵であるヴォイドに、お目付け役に殺されるかもしれないリスクを背負ってまで、なんならヴォイドに殺されるかもしれない可能性を孕んでまで、ここに来た。来て、お茶を啜って、また命をかけた交渉をしている。イカれてんのかなあ。そこまで堂々と命を賭けられると借金塗れでもう地下労働しか残されていない債務者なのかなあと思ってしまう。限定ジャンケンとかしてそう。それか鉄骨渡り。いや、彼はどちらかというと怪しげな商売を勧めてくる側な気がする。ネズミ講とかさ。詐欺師のような、もう全体的に信用できないニオイがぷんぷんするのだ。


「では、ご確認」


 三度、彼は交渉内容を確認する。


「わたくし、『シルバーコイン』は魔王ヴォイド様に少年十字軍を言い値で売り払いたい。『サンドバッグ』は『ジャッジメント』の命により裏切りを行ったわたくしを処罰せねばならない。旦那さまが買えば旦那さまのお仲間となったわたくしは生き残る。買わなかったら『サンドバッグ』により処刑される」


 さあ、選んでくださいな。


「旦那さまだけは痛くも痒くもならない、とびきり愉快な博打でございますれば」


 ……停滞していたはずの事態は急速に動き出す。

 それこそ、ヴォイドも予想していなかった事態に、突き進んでいく。

 これは一体、誰のせい?

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