12.うろんな波乱
チリンチリン。
ヴォイドが喫茶店のドアを開けた時の音だった。レトロ極まりないこの店のドアにはこれまた懐かしいドアベルが設置されていたらしく、チリンと鳴った。鳴るとは思っていなかったのでちょっとばかし驚いて、それでも平然と、もうすでに三人座っている席へ、堂々歩いた。三人とヴォイド以外に客がいないのにも関わらず。空いている席は十分なほどにあるのにも関わらず。
ヴォイドはまっすぐ、三人に向かう。
「お! こっちこっち!」
近づいてくるヴォイドに、少年が気付く。三人の中では唯一の男である。学ランを着崩した、ちょっとばかし不良な生徒だった。黒髪は野球少年かってぐらい短いけど、どこか抜けていた。どっちつかずだ。
「きたー?」
「きたよ。スマホしまいなよ」
のほほんと少年に質問したのは、髪を薄桃色に染めたギャルである。制服は制服かと疑問に思うほど改造している、どっからどう見ても不良娘としか言いようのない少女。本体よりも装飾の方が重いんじゃないかと勘繰ってしまうほどデコられたスマホ片手に、ヴォイドにひらりと手を振った。
そんな少女のお隣。先ほどギャルを諌めていたのは、委員長だった。いや、委員長ではないかもしれない。でも真面目ちゃんだと一目でわかる。しっかりと校則通りに着こなしたブレザーに銀縁メガネ。
ヴォイドはふわりと笑った。黒いワンピースに小さなバッグという、平凡な女の子のフリをしたヴォイドは可愛らしく笑いかけた。
「初めまして。『ヴォイド』です。この世界でもどうぞよろしく」
……
オフ会なるものがあるらしい。
ゲームやらの電子世界、インターネットで知り合った画面の向こうの皆さんとお会いする会。電子世界初心者であるヴォイドにめでたくインターネット上のご友人ができて、一週間後のことだった。
早い。
早すぎる。
しかし、今現在を生きている若人はそんなことお構いなしである。少なくともテストがなけりゃ自由人。今が楽しけりゃそれでよしだし、学生なんてサボっても大差ない。周囲に影響は及ぼさない。時間の調整はいくらでもできる。出席日数は目を瞑ってなかったことにしよう。そうしよう。
というわけで、平日の昼間。
レトロチックな喫茶店の一席に堂々と制服を着て集まっていらっしゃるのは、ギルド:パーティのメンバーである。
「んじゃ、オレから自己紹介! 見てわかると思うけどオレが『トリスタン』! よろしく!」
隣に座る少年が右手を挙げて大きな声で言ってくれた。うん、わかる。どう見てもこいつだ。なんとなくだけど。口調もそのまんまだし。
「……私が『マギー』です。初めまして、ヴォイドさん」
「んで、ウチが『モニカ』だよ。よろー」
正面に座る二人が挨拶する。こちらもわかる。雰囲気はあまり変わらないものらしい。というか、こいつらがインターネットと現実の落差がないだけかもしれない。そのまんまだ。もしこの姿でゲーム内に現れても受け入れてしまう気がする。
「いやー、ヴォイド! お会いできてうれしーぜ! オレらと同い年ぐらいじゃん!」
「赤ちゃんじゃないので」
「ガハハハ!」
「モニカ、落ち着いて。当たり前でしょ」
モニカが野太い声で笑い出し、マギーが咎めた。赤ちゃんジョークはこちら側でも通用するらしい。笑いのツボが浅すぎる。
「んふふっ! ……でもさ、イメージと違いすぎるってのは同感だよ。マジ別人」
「アバターは私に似せてませんから」
「マジそれな。違いすぎ」
「でも印象は変わりませんね。結構そのままです」
「そうですかね」
そう言いつつ、ヴォイドはメニュー表をとった。こっちは腹が減っている。ミセルにお小遣いをもらったので、どうせなら豪華にやりたい。喫茶店という、探偵御用達な空間で何か食べてみたかった。ヴォイドの最近のマイブームは年季の入った昼ドラである。
「お、何頼む?」
「ウチクリームソーダ」
「私コーヒー」
「オレは……そうだな。アイスティー」
「かっこつけ?」
「ちげえよ!」
「私はプリンアラモードで」
「がっつり食うなあ」
トリスタンに呆れられつつ、ヴォイドは好きなものを頼んだ。甘いものは好き。もちろんしょっぱいのも好き。野菜以外は好きだ。
モニカがヴォイドに向き直って、口を開く。
「てかこんな時間帯にしちゃったけど、ヴォイドちゃんは良かったの?」
「特に用事もないです。ニートなので」
「学校は?」
「いってないです。皆さんこそ、どうなんですか?」
「ああ、今日はテスト期間で早帰りなんだ。気にしなくていいぜ」
トリスタンがケラケラ笑った。良かった、うまく話を逸らせた。
こちらの情報は、あまり渡したくない。
ヴォイドは三人を殺したし、三人はヴォイドに殺された。
「ねー、ヴォイドちゃん」
「なんです?」
「らしくないって言われたことは?」
「ちょっと、モニカ」
マギーが苛立たしげに遮る。モニカは止まらない。トリスタンはニヤニヤ、笑っている。
ヴォイドも笑った。
「ないですよ。そちらこそ、どうなんです?」
「ウチはない。マギーもない。トリスタンもない」
「ふうん……」
「変われないからさ」
「そうですか。なぜ、こんなことを?」
「自分の胸に聞いてみたらいいじゃねえか、ヴォイド」
「トリスタン!」
マギーが怒鳴る。机に身を乗り出して、トリスタンを睨んだ。睨まれた張本人、トリスタンは飄々と悪い悪いと謝るばかりで、反省はしない。
やはり、顔を突き合わせたらそうなるよな。
「てかヴォイドちゃんってどこ住みなん?」
「……親戚のお兄さんの家に居候させてもらってます。ここから近いですよ」
「嘘だね」
「どんな根拠が? というか、昨日知り合った人間にそうそう住所なんて教えないでしょう」
「そりゃそうだ」
くすくす、モニカは笑う。腹黒たぬきが笑っている。
「モニカ、口閉じて」
「なんでさ、マギー。てか、ウチ的にはマギーが怒鳴らないのがびっくりだよ。嫌いっしょ?」
「嫌いなんですか」
「マギーだけじゃない。ウチもトリスタンも嫌いだよ。嫌いにならない方がおかしいでしょ」
「悲しいです。ま、私も嫌いですが」
「でしょ? お互い様」
マギーが歯噛みする。暴走しきったこの状況を、自分以外をどう対処したものか必死に思考を巡らせていた。無駄なのにご苦労なこった。その勤労精神に最大の賛美を贈ろう。苦労人万歳!
「……どっちも、やめて。まだ私たちはゲーム仲間。それでいいでしょ」
「まだ? いつかはこうなるという意味ですか? ならばこの場でもいいでしょう。問題の先送りは面倒にしかなりませんよ」
「そうだぜ、マギー。こいつに同調するのは癪だが賛成だ。てか、お前が一番息巻いてただろ。どうしちゃったんだよ。怖気付いてんのか?」
「怖気付く? そんなんじゃない。でも、今じゃないのは確かでしょ。性急に取り組む必要はないはず」
バラバラだ。
ヴォイドはニヤついた。不和と破滅が満ち満ちたこの空気感は悪くない。仲間割れ。結構結構。剣呑は重畳だ。それこそ前世からの付き合いであるのに、バラバラになっているこの雰囲気! たまらない。おかしくて仕様がない。これならば不仲になる魔法を使うこともないな、とヴォイドは物騒に考えた。
「……ま、いいけどさ」
モニカがため息を吐いて。
「マギーの言ってることも一理あるもの。……ホントはこんな踏み入ったことするつもりはなかった」
「そうですか。だから?」
「忘れて」
「傲慢ですね」
「それでも、お互いのためだよ」
モニカは胡乱な目つきでヴォイドを見る。雄大な景色でも眺めるような、焦点の定まらない目だった。トリスタンはそんな三人を場外から観戦するようにニヤニヤしているし、マギーは忙しなく視線を動かしている。落ち着かない。
ヴォイドは笑って。
「いいでしょう。飲んであげます。プリンは奢ってくださいね」
「けちだなあ!」
「それぐらい必要経費でしょう。……あなた方のメンバーが暴走したんだ。ご機嫌取りぐらいしなくてどうする」
「……あんたは」
「それは言わない約束です、マギー」
マギーが口を閉じる。ヴォイドはつまらなくなって、一気に興味が削がれた。なんでこんな奴らに会おうと思ってたんだろう? 所詮金魚の糞なんだし、ほっといても支障はない。なんなら会う約束だけしてミセルをけしかけ、みんな殺してしまえば良かったんだ。ああでも、そうなると。
「足掛かりが減る」
「……?」
「だから生かす。簡単でしょう。わかっているでしょう」
「……ヒャハ」
随分個性的にトリスタンが笑う。覗いた歯は、なぜか人間のものとは思えないぐらい鋭かった。
人は変わる。
だから、違和感はない。変わっただけの話だ。不変の普遍なんてあり得ないんだから。
「おやさしーな」
「それほどでも」
トリスタンは軽い調子でメニューを手に取った。何も気にせず、当たり前かのように振る舞った。
「何か頼むん?」
「腹へった。モニカもマギーも、昼食ってないだろ。追加注文しようぜ」
「ウチパンケーキ」
「……私はいらない」
「じゃ、オレナポリタン。すみませーん! 追加いっすかー!」
……
人間は変わる。
簡単に変われる。びっくりするぐらいあっけなく、変われる。変化する。本人も気づかぬ合間に変わる。そりゃ変わらない性根はあるし、直らない癖はあるかもしれないけど、人間はその都度変わっていく生き物だ。変化しない生物なんて、怪物以外はあり得ない。そして怪物は生き物とは言えない。だから、生物は変わっていく。
それは勇者を慕うパーティの人間だろうと、適用される。
「んでさ」
ヴォイドが帰った後。
プリンアラモードだけバクバク食って、さっさと帰ってしまった。眠いので帰る、じゃあな、もう二度と誘わないでくれ、らしい。
だから、この場には三人しかいない。トリスタンはナポリタンをフォークに巻き付けながら口を開いた。
「どう思うよ、ぶっちゃけ」
「絶対本人な上にこっちのことも覚えててわかってる」
「いかどーぶん」
マギーが苦々しく答えて、モニカは呆れたように繰り返した。そりゃそうだ、とトリスタンは思う。どっからどうみてもバレていた。本人だと喧伝していたようなものだから当たり前なんだけどね。
ご存知の通り、この三人は勇者パーティのメンバーだ。
僧侶のモニカ。魔法使いのマギー。戦士のトリスタン。前世でうまくかち合った三人は、後一人、彼らが慕うただ一人を探すために、こうやって奔走している。
「でも、だよ。あいつは曲がりなりにも魔王だ。縁にはなる。それこそ、足掛かりになる」
「そうだけど。……それでも、見過ごせない。あのまま放置する?」
「したくない」
「だよね」
それな、とトリスタンは胸の内で答えた。細切りにされたピーマンをぐさりと突き刺しながら、呟く。今度は口にする。
「殺したい」
「うん、殺したい」
「切り裂いて炎で焼いて串刺しにしてから殺す。それは決定事項だもんな」
モニカはただ、溶けていくクリームソーダを眺めている。モニカは美容系の学校に通う学生だった。コーヒーに砂糖を入れていてるマギーは進学校の優等生。遠慮なくナポリタンを食っているトリスタンはスポーツ推薦(野球)で、強豪校に入学した。
なんの繋がりもない。
なんの縁もない。
なんの共通点もない。
それでも、覚えていた拙い知識、それと魔法と絆でここまで集められたのだ。
後一人なんて屁でもない、とは思う。
「実際問題。存在するかしないか。それははっきりしたじゃない。魔王がいる。なら、勇者もいる」
「そりゃそうだ。でもよ、オレらが求めている勇者だとは限らねえじゃねえか。この世界の勇者……魔法ではなく科学で武装したおっさんかもだぜ」
「そんなはずはない」
マギーが否定する。コーヒをひたすらかき混ぜて、今度はミルクを入れた。
こんな甘党だったっけ?
「あの魔王は私たちの勇者しか興味ないよ」
「……一理ある」
「前方に同じ」
トリスタンとモニカはおざなりに同意した。一理どころか百理もある上、わざわざ口に出して言う意味もないほど当たり前な事実なのだが、とりあえず。確認は大事だから。右よし左よしもう一度右よし。重要事項は口に出し都度確認する。共通認識かどうか、確かめる。
モニカはやっとクリームソーダに口をつけた。アイスが溶けて机を汚している。
「でもさ、結局魔王は勇者を発見できていないわけだ。まだ、できていない。なんで?」
「私に言われても……。そうだなあ。今は居候先の『親戚のお兄さん』とやらが気になるね。まさかお淑やかな女の子のふりをして、『前』のふりをして過ごしているわけじゃないと思うし」
「てかホントに同棲してんのかな。お兄さんもまさか『前』の親戚のお兄さんじゃないよね? 絶対乗っ取ってから見つけた相手だよね」
「さあ? そこまではわからない。でも調べる価値はある。そこはあんたの伝手使えばいいでしょ」
マギーはコーヒーを啜りながらトリスタンを見た。ウインナーを飲み込んで、返事をする。
「人使いあらあ……。こっちもいっぱいいっぱいなんだけど?」
「立っているものは親でも使う。それが戦友でも仲間でもね。」
でしょう? とマギーは。
「コードネーム『トリックスター』」
……
主人公にはなれない、ということは自分自身がよくよくわかっているし理解しているし諦め切っているうえに希望もしてなくてただ諦観しているのだけど、まあ、そうだな。それでも心の奥の奥、欲望ばかりが詰まった脳髄のクソッタレな部分で、どっか期待している自分がいた。
んで、その自分は自分が殺した。
いらなかったから捨てた。
どうでも良くなったから壊した。
それよりも、主人公なんかよりも、面白いものになれると思ったから、そんな期待は亡くなった。
「……そもそもサ」
トリスタンは──コードネーム『トリックスター』は、ゆっくり言葉を吐き出す。
「トリックスターの意味、わかってる? ボクらの長、『ジャッジメント』がつけてくれたチョーゼツカックイイお名前なんだけど」
「……神話などに登場するいたずらっ子。秩序を破壊する反面、創造する者。掻き回す者。狂言回し」
「せーかい」
フォークを振りながら、スラスラと答えたマギーに『トリックスター』は答える。
「ボクは『トリックスター』。盤面を掻き回し狂言する。狂言にする。くっだらねえこの世界をさらにくだらなくする。そこんとこわかってんよな? それが生きがいだって、知ってるよな? じゃなきゃ野球やめねえしな」
「知ってるよ、トリスタン」
「オッケ、混ざるから『トリックスター』って呼んでくれ」
「……『トリックスター』」
「よし。んでさ、ボクとしては少年十字軍という組織は手段でしかねえわけだ。世界を掻き乱し掻き回し掻き殺す、手段。目的と手段はごっちゃになると痛い目見るぜ」
「何が言いたいの? はよ答えてよ」
「ボクは勇者に重きを置いていない」
「……」
「勇者も魔王も、そこを叩けば、あるいは接触すれば、世界がより混沌するから、興味がある」
「それは、『トリックスター』としての意見?」
「イエスだぜ、マギー」
マギーは空っぽになったコーヒーカップを置いた。いつの間にか飲み終わっていたらしい。
「じゃあ、トリスタンとしての意見は?」
「……」
「かつて共に魔王を倒した、戦士トリスタンとしての意見は?」
「ノーコメント」
「逃げた?」
「いんや、ちっとも。ボクはオレじゃねえし。トリスタンは『トリックスター』ではないし。わかんねえってのが今答えられる全てかにゃー? てか、モニカもマギーも、記憶があるだけでご本人様じゃねえんだから、わかってくれると思うんだけど?」
「確かにウチは喪音であってモニカではないよ。でもさ、わかることはある。モニカの気持ちも、手に取るようにわかる。わかってしまう。それこそ、本人じゃなきゃ知り得ないほど生々しい感情を、ウチは知っている。それは『トリックスター』も同じでしょ」
「そりゃないぜ、モニカ。アンタのは同調しすぎってだけなんだよ。記憶に引っ張られてる。乗っ取られている。……その調子だとマギーもか? 二人揃って救えねえな」
「……私はそんなに。モニカよりは客観的だし、トリスタンよりは自分事って感じかな。昔の自分。子供の自分を見てるみたいな」
「三者三様ってわけか。こりゃ勇者サマはどうなってんのかねえ」
「さあ? どんな状態でもウチらの勇者には変わりないし」
「それはそう」
マギーが軽く同調した。『トリックスター』としてはおえって感じだ。切り離して考えるということができないらしい。
まあ、勇者に会えるのは嬉しいけどさ。求めているけどさ。
「んで? ボクは何すりゃいいの? なんでもいいよん。『トリックスター』として、狂言回しとして、お二人さんのことは『ジャッジメント』に報告してねえもん。少年十字軍の内部撹乱でも魔王殺しもなんでもやるぜ」
「……軍内部に魔王が見つかったことを知っている人間はいる?」
「ンー? ほとんど全員知ってるけど?」
「は?」
「だって『スナイパーライフル』と『ハッピーハート』が先に見つけてんだもん。レガリア・S・ファルサの始末の時にな。大発見でお祭り騒ぎだぜ」
マギーが机に乗り出して怒鳴った。
「なんで早く報告しないのよ!」
「聞かれなかったから」
いけしゃあしゃあと『トリックスター』は答える。聞かれないことは答えない。聞かれてないんだもの。こちらから教える義理はない。
モニカがため息を吐きながら聞いてくる。
「じゃあさ、その情報は誤報だったってことにできる? まだそちらさんに動いてほしくない」
「なんで?」
「魔王を殺そうとするでしょ?」
「そりゃそうだ。ン、わかった。止めとく。『ハッピーハート』は頭パッパラパー野郎だし、『スナイパーライフル』は腑抜けだ。見間違いか他人の空似で誤魔化せるだろ」
それに。
「ボク、『トリックスター』だし」
……
「もしもし? こちら『トリックスター』。狂言回したるボクから電話だよん。そちらさんの状況はどうかねー? んー?」
一人になった『トリックスター』はなんとも気楽な調子で電話をかけた。
勇者パーティと集まる場合、大抵は軍人としてそれなりのお小遣いをもらっている『トリックスター』の奢りである。モニカはバイトをしていても低賃金だし、マギーはバイト禁止だ。金なんて持ってる奴が払えばいいのだから、特に気にしちゃいない。伝票を弄りながら、『トリックスター』は電話口の相手──つまり『ワーカーホリック』の言葉を待つ。
「……珍しいね。珍しいともさ、『トリックスター』がお電話なんて。ぼくくんに何かご用事?」
「いや? 特に。勇者様のパーティメンバーとの会議が落ち着いて一休みって感じだな。リラックスタイムの真っ最中で」
「そうなんだ。じゃあ切っていい?」
「だめ」
「じゃあなんでかけてきたのさ。ぼくくんが分かるのは『スナイパーライフル』の心情だけだよ。なんの縁もない『トリックスター』の考えはよくわかんないの。だから言葉にしてほしいな」
「わーったわーった。んじゃ、お耳を拝借。できれば『ジャッジメント』にすぐさま伝えてほしい案件を、これから言うぜ?」
「ん、わかった。言っていいよ」
『トリックスター』は一呼吸おいた後、答える。
「──魔王ヴォイドだと思ってた人物は超絶人違いだった」
「……」
「他人の空似だ、ありゃ。勇者パーティの面々も絶対違うって言ってたぜ。そもそものハナシ。魔王が勇者のいない世界に存在するかね? しねえよ。ボクは高校を中退した身だから学はねえが、それでも分かるぜ。絶対いねえ。パーティの皆様が頑張って探してるのに見つからねえ勇者。つまりいない。存在しない。勇者という存在自体が幻なんだな。そこでだ、勇者がまだ生まれていない世界に、魔王が来るとは思えねえよな?」
「違うよ」
「うんうん、納得してくれたな。それじゃあ──待て。今違うって言ったか」
「うん、違うって言った。違うとも、違うともさ。絶対的に間違っているんだよ、それ」
「なんで?」
間髪入れずに聞いてしまった。余裕がなくなっている。余裕で騙せると思ったからこそ、『トリックスター』は『ワーカーホリック』にかけたのに。いの一番に騙しに──掻き回しにいったのに。
簡単に否定された。
「何を、根拠に、そんなこと言えんだ? そりゃ、あんなに魔王に相応しい人間がいるとは信じたくないが……」
「いや、もっと単純だよ。もうぼくくんと『スナイパーライフル』で宣戦布告してきたからね」
「は?」
「会ってきたんだよ実際に。いやー、久しぶりに楽しかったねえ。楽しかったとも、楽しかったともさ。殺されてしまうかもしれなかったよ。うん。でもちゃんと戦争に同意してくれたから、問題なしだね」
なしじゃない。
全くなしではない。
「ちょっと、待てよ。じゃあ、本当に、魔王は──」
「そうだよ、やっと完成したんだ。目論見通りだね。まったく、『ジャッジメント』の先見性には驚かされたとも、驚かされたともさ。実際会った時やばかったよ? 魔王だって一眼でわかった。あれで日常を送っているのが信じられないね」
あれは怪物だよ、と電話口の彼は言う。
「ぼくくんたちだってなり損ないではあるけど、それなりに立派だって思ってきたとも、思ってきたともさ。でも、本物には敵わない。その敵わないを敵う、叶うにするのがぼくくんたちなんだけどね。……『スナイパーライフル』が怖気付くのも納得かな。あの場で殺せなかったのを最初は責めていたけど、前言撤回しとこう」
そうしようそうしようと繰り返し呟き、電話が切られた。
『トリックスター』は呆然とする。騒いでいいと言われればいつまでも大音量でダンスパーティが如く喋り続け笑い続け騒ぎ続ける奴が、呆然とした。黙った。放心した。
異常事態である。
非常事態である。
まったくもって理解不能。意味不明。魔王はいる。だからいないことにしようと企みよっしゃ任せろと大口叩いて意気揚々と電話をかけた。騙そうとした。
できなかった。
本人により裏付けられてしまって、撤回できなくなっていた。後戻りはできない。物語はスタートしている。放った矢は戻ってこない。覆水は盆に返らない。時計の針は逆回転しない。
だから、もう、できない。
「おいおいおいおい……。どういうこった? ボクが細工してもどうしようもないじゃんか! もうどうにもできない。宣戦布告してしまった時点で、もう確定しちまってるもん。ああ、どうしたもんかねえ!」
『トリックスター』は頭を抱える。悶える。唸る。案を捻り出そうとして、それでも乾いた雑巾を絞っているかのように手応えがない。うーむ、どうしたものか。どうしようもないのか。
「どーしようもないんダケドさ」
そう、どうしようもないのであった。いくら悩んでも時間は巻き戻らないし、口だけ達者な『トリックスター』にできることはもうない。観測された事象をやっぱ嘘でしたと言えない。観測されているからだ。確定しているからだ。これ以上突っ込めば『ジャッジメント』に裁かれてしまう。追放されてしまう。
じゃあ、どうする?
どう行動する?
「ボク的には別に魔王が生きていようがどうでもいいんだよな……だから勇者御一行にはうまく偽情報を流したよんって伝えて、軍には従順に接して魔王を殺すお手伝いをしてもいい。てか、それしかない?」
それしかない。
『トリックスター』は狂言回しだ。盤上を掻き回し掻き乱す。それが生き様で生きがいである。
「ま、ぴったりだね。思いっきりすれ違ってしまえ」
『トリックスター』は何も知らない。
モニカの復讐心も、マギーの憤りも。もちろん少年十字軍の切望も、知らない。




