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11.人喰い化け物に宣戦布告

 夜。

 バイトが終わりくたくたになったミセルを出迎えたヴォイドは一仕事終えたと言わんばかりにちゃぶ台に寝そべりながらゴロゴロしていた。テレビを見ながらだらけていた。有名大学の学生と芸人がクイズ大会をしている。わざとらしい笑い声が部屋に響いた。

 ヴォイドはノールックでミセルに言う。形だけでも報告する。


「出かけたい」


「どこにです? 連れていきましょうか? 明日はバイトですから、明後日になっちゃいますけど」


「一人で」


「一人でですか。ふーん、一人で。ひとり。ヒトリ。一人……。一人!?」


 台所で夕飯の準備をしていたミセルが素っ頓狂な声を上げた。包丁を握ったままヴォイドに詰め寄る。怖いからやめれ。


「ど、どどどっどどこに?」


「落ち着け」


「お答えくださいヴォイドさま! 場合によっては手足を切り落とします!」


「物騒な思考はやめろ。いいから落ち着け。ちょっと野暮用だ」


「野暮用?! そんなはずはありません! 天地がひっくり返ってもありません! あのボッチで引きこもりなヴォイドさまがお出かけなぞ!」


「とんでもなく失礼なこと言ってねえか?」


 なんとかミセルを宥めて座らせ(その前に包丁を台所に置かせ)、説明する。言葉足らずは死を招くらしい。早とちりって怖いなあ。くわばらくわばら。


「とにかく、ちょっと会いたい人間がいてな」


「あ、あああ、会いたい人間?!」


「なに、偵察だ。言い争い」


「どこの童ですか! その大馬鹿!」


「元勇者パーティの皆様」


「殺す!」


「殺さない。とりあえず余が行ってくるから、大人しくしててくれ」


 きいきい言うミセルを宥める。こいつほんとに大学生? まあ、ヴォイドのことになると暴走するのはミセルらしいから、当たり前ではあるんだけど。


「話を戻そう。出かける。だから、服が欲しい。お小遣いもくれ」


「……明日からもやし炒めになりますが」


「……マジ?」


「マジです」


 想定外。

 生活がそんなに追い込まれているとは知らなかった。痛恨のミス。もやし生活のはじまりはじまりだ。ヴォイドは寝っ転がって唸る。こんな悲しいことがあるだろうか。ない。シクシク泣く。

 とりあえず起きた。ミセルが申し訳なさそうな顔をしている。別にミセルのせいではない(電気代を気にせずロボット開発をしているこいつのせいとも言えるのだが)ので、そんなに落ち込まないで欲しい。いざとなったらアンティークを質屋に売り払ってもいいんだし。


「服は……通販で安いとこあるんで、そこで。お小遣いは何円欲しいですか?」


「たくさん」


「一千円でいいっすか?」


「何が買える?」


「うまい棒百本」


「十分だ」


 ヴォイドは買い物をしたことがないのでわからないけど、きっと。ミセルが言うなら大丈夫だろ、多分。大丈夫じゃなかったら殴る、もしくは泣き喚く。


「今日の夕飯は?」


「オムライスです。お絵描きします」


 ミセルはよっこらせと立ち上がって台所に戻った。明日からもやし生活だ。なので、最後の晩餐だ。悲しい。


「そういや、今日は帰りが遅かったな。何をしていた?」


「レガリアと話してました」


「レガリア? もう復活したか。ゴキブリみてえだな」


「それよりも悍ましいですよ。……んで、色々聞いてました。少年十字軍のこととか、色々」


「ふうん……どうだった?」


「危険でデンジャラスらしいです」


「どっちも同じ意味じゃないか」


「それぐらい危険ってことですよ」


 無感動にテレビを眺めながら、ヴォイドは返事をした。今は大学生が優勢だ。でも接戦。素直にすごいと思う。もちろんハンデはあるのだろうけど。


「これからどうするんです?」


「少年十字軍はほっとく。なんか起きたらどうにかする」


「受け身ですねえ」


「そんぐらいでちょうどいいだろ。どうせあちらさんからちょっかいかけてくる。鳴くまで待とうじゃないか」


「徳川家康?」


「そんな感じ」


 絶対そんな感じではない。

 しかし、問題はそこではない。だからおざなりでいい。どうでもいいと言ってもいいかもしれない。ヴォイドの興味関心は向いていないのだ。

 興味関心は、そう、勇者御一行の面々に向いている。

 きっとこれは偶然だ。パーティの皆様が頑張って様々な罠を張って待ち構えていたその一つにたまたまヴォイドが引っかかったに過ぎない。全部全部ちょっとした縁によるものなのかもしれないね。それはそれで愉快極まりないが、仮にそうじゃないとしよう。仕組まれていたことだとしよう。勇者様方がわざわざご苦労にも頑張って頑張ってヴォイドをお出迎えしたのち殺そうとしているのなら。

 それは。


「なあ、ミセル」


「なんです? ヴォイドさま」


「人を殺したらどうすればいい?」


「魔法で殺したんなら証拠は隠滅しなくていいです。ほっといてください。その間に高跳びしましょう。もし科学で殺したんなら証拠を徹底的に隠滅しますんで、手伝います。山でも海でも、お好きな方へ」


「返事はやあ……」


「そりゃそうでしょ」


 当たり前だとミセルは言った。レガリアのような反骨精神剥き出しな部下も厄介だが、ミセルのようなご主人さま大好きチュッチュッチュな奴隷もどうかと思う。扱いづらさはどんぐりだ。これを言ったら、レガリアもミセルも怒ると思うけど‥…。

 ともかく。

 ミセルがどうにかしてくれるのなら万々歳。ヴォイドはのんびりこの世界を堪能できる。まだまだ知らない・知っていても体験したことのないことが多すぎるのだ。なるだけ知識を詰め込みたい。味わいたい。これでも知的好奇心は旺盛な方だ。

 人を殺す。

 直接的に人を殺す。

 この世界ではまだやったことのないことだ。


「まだやらんがな」


「そうですか。じゃあ準備だけしときますね。いつ起きてもいいように」


「頼んだ」


 ヴォイドはテレビに視線を戻そうとした。しようとはしたんだ。しかし、それで。その行いで、ちょうどたまたま、窓の外が目に入ったから。カーテンの閉められていない、夜の闇に覆われた黒色の空間が目に入ったから──


「『乱反射(カウンター)』!」


 咄嗟に結界を張って、次の瞬間、窓ガラスをぶち破ってヴォイドの首筋を撃ち抜こうとした弾丸が結界に止められた。


「何事ですかヴォイドさま! お怪我はないでしょうけど窓ガラスが! ガラスが! ああ! 大家さんに怒られるう……!」


 台所から飛び出してきたミセルが嘆いた。ヴォイドはどう考えても銃弾なんかで怪我しないので心配はほどほどにしつつ、それでもぶっ壊れてしまった窓ガラスを嘆いた。賃貸だから悲惨だ。かわいそうに。

 ヴォイドは端的に命ずる。


「ミセル」


「なんです?」


「アンティークを起こせ」


「御意に」


 ミセルはドタドタと隣の部屋に駆け込んで準備をし始めた。ぎろり、とヴォイドは窓の外を見る。都会から溢れるネオンライトが外を照らしている。ここら辺は雑居ビルが多い。それなりの高さを誇る建物があちらこちらにある。

 つまり。


「狙撃にゃ困らんな」


 あの雨の日の空気のような殺意は。濁り切った敵意は。じとりと湿った生ぬるい、そして気味の悪い目線は。


「『スナイパーライフル』……。なかなかどうして、いい男じゃあないか!」



 ……



「へっくち」


 不法侵入した雑居ビルの屋上。

 黒色の狙撃手、『スナイパーライフル』は可愛らしいくしゃみをした。もちろんスコープは覗いたまま。いつでも撃てるように引き金に指をかけたまま。もちろんくしゃみの勢いで引き金を引いてしまうなんてことはない。いつだって準備オーケイ。発射オーライだ。オールライトオールライト。

『スナイパーライフル』の隣に立つ人影が、どうしたんだと声を出す。


「やだ、風邪? こんな大事な大事な時に? 勘弁してよ」


「んー……。うわさ話のたぐいじゃねえっすか? よくわかりませんが」


「古典的漫画表現だねえ。嫌いじゃないとも。嫌いじゃないともさ」


 鼻歌交じりで返ってくる。ご機嫌だ。戦場に立っているというのに、どこまでも楽観的で喜劇的でそれで、楽しそう。そうだ、嬉しそうで楽しそうなんだ。戦場という命の奪い合いしか行われない場所で、こうも嬉しそうに存在している。


「んー……。たのしそうですね」


「楽しい? 楽しいとも。楽しいともさ。嬉しくて嬉しくてたまらないかもね。じゃあ聞くけど、『スナイパーライフル』は楽しくないの?」


「……あんたは生きるためにひつよーなこーいがたのしーと思えるタイプなんです?」


「例えば?」


「しょくじ、すいみん、はいせつ」


「別に? ぼくくんとしてはどうでもいいの極致だからね。どうだっていいしどうでもいい。今日の夕ご飯が蝉の抜け殻だとしてもはいそうですかで受け入れるのさ」


「さすがにもんく言ってください。にんげんみわすれてきちゃったんですか?」


「そんなくっだらねえ味は削ぎ落とされちゃったんだよ。というか、わかってるでしょ? ぼくくんの『お家』がどんな場所で、どんな教育を受けさせていたか。それ自体の存在理由、存在意義、または功罪を問うのは徒労だからやめておくけど、とりあえずぼくくんはそこで育った。育てられた。生まれるところを選べなかったんだね。だからぼくくんはぼくくんになった。おーけー?」


「しってますよ。いちおー同期じゃないですか」


「じゃ、いいね、うんうん。ぼくくんの唯一のパートナー」


「なにがいーのかわかりゃしませんが、そこはどーいしますよ。おれちゃんの無二の相棒」


『スナイパーライフル』はやはりスコープを覗いたまま、言う。


「おれちゃんとあんたは離れ離れにはなれないんですから──ねえ? 『ワーカーホリック』」


 人影は。

『スナイパーライフル』と同じ軍服を纏った、深淵を煮込んだような黒い瞳を持つ、微笑を湛えた少年は、唯一のパートナーにして無二の相棒は。

『ワーカーホリック』は。

 心底嬉しそうに、笑った。



 ……



「おわあ!」


 ミセルの必死の働きにより早々に起こされた(起動した?)機械人形、アンティークは主人と似通った素っ頓狂な悲鳴をあげた。そりゃそうだ。六畳の空間は破れた窓ガラスで足の踏み場がなくなっているんだもの。驚くに決まってる。


「ど、どうされたんですっ?! 嫌なことでもあったのですかっ?」


「違う、敵襲だ。これが戦争だったらルール違反だな。宣戦布告ぐらいちゃんとしてほしいものだ」


「ヴォイドさま逃げましょう大家がここに来る前に!」


「落ち着けミセル。直せばいいじゃないか」


 パニックになる研究者と機械人形を宥める。ああ、またか。一度混乱したり興奮するとなかなかまともにならないのがこの二人。ヴォイドが止めねばここら一帯が更地になってしまう。


「まあまあ、そう焦るな。どうせ死にやしない。お相手は殺しに来んよ」


「な、何を根拠に! 敵は殺しに来ずとも大家さんは絶対殺しにきます! ええもうそりゃターミネータの如く! 壮大なメロディーを背後に来るんだあ……! 心中か夜逃げしましょう、ヴォイドさま」


「しない。いいから、ほら、ひっひっふーだ」


御主人様(マスター)っ! それはラマーズ法ですっ! 深呼吸ですよ深呼吸!」


 どうやら一足先に落ち着いたアンティークに指摘され、改める。へえ、そんな名前だったんだ、この呼吸。ヴォイドには必要のない知識である。アンティークがいつの間にか竹箒でガラスを掃除し始めた。優秀なメイドさんだ。足の踏み場ができたのでとりあえずミセルを座らせヴォイドも座る。背中をさすってやる。


「いいか、貴様ら。撃たれた撃たれたと騒ぐのはいい。事実だからな、仕方ないだろう。しかし、焦るな。うるせえから」


「焦らない奴がいますか! この状況で!」


 ミセルが泣く。ボロボロ泣く。滅多に見ないミセルの涙に、流石のヴォイドも驚いた。おおう、そんな追い詰められていたっけ? ごめん……。純粋に申し訳ない。え、でも、窓ガラス一枚だし、直せるし。そんな悲観することないと思うんだけどなあ。


「どおどお、落ち着け。お茶飲むか? 飲みかけだけど」


「えいいんですかいただきます」


「……やっぱ新しく入れる」


 ちょっとだけ残念そうなミセルを横目に、ヴォイドは冷めたお茶を湯呑みに注ぐ。ミセルが飲んで、やっと落ち着いてくれた。よかった。そろそろ限界だった。もうちょいで頭殴って強制シャットアウトさせちゃうとこだったからね。


「んで、ヴォイドさま、これからどうするおつもりで?」


 落ち着いて、ようやく事態を把握したミセルが質問する。ぐずぐずと鼻を鳴らしつつ、まだ涙を拭っているけれど、落ち着いた。ならばモーマンタイだ。よしよし、異常無し。


「どうするも何も……とりあえず窓を直してオムライス食べて寝る」


「ほっとくおつもりで?」


「わざわざ出向くのも面倒だ。そりゃ、ここに来てくれるってんなら話は別だがな」


「でも、目ぇつけられてんでしょう? ここらで殺しちゃった方が楽じゃありません?」


「……人間って人間を食えるのか?」


「多分。レクター博士も食ってたし」


「そりゃ映画だ」


 レクター博士は架空の人物であり実際の人物とはいっさい関係ありません。あの映画は面白かったけど。


「しかし、貴様は人間を解体できないだろ」


「参考書見ながらやればなんとかできるでしょう。当分の食費が浮きますね」


「はいはいっ! このアンティークはできます! 人間を丸焼きにしますっ!」


 物騒な会話を続けていく。この現代で人を殺すとなると、問題になるのは死体の処理だ。どこもかしこも防犯カメラがつけられていて、プライバシーなんてあったもんじゃない。人を殺したらバレる。当たり前だ。だから、大抵は埋めるか流すかの二択。山と言ったら川。この場合は海。そういや海水浴なるものに行ってみたかったんだっけ。あと水族館。あとでミセルにおねだりしよっと。海ってどんな感じなんだろうか? ちゃんとしょっぱいのかなあ。

 閑話休題。

 人殺しを完遂する際、最も困るのが死体の処理。ならばどうする? 山の地面は意外と掘りにくいし、海に流しても潮の流れで戻ってきてしまうかもしれない。コンクリに詰めて沈める? そんなこと一般人にできると思うか? 却下。だから、現実的なのはバラバラにして山海川、もしくはごみ収集にでも出すこと。生ゴミとして捨ててしまうこと。番外編として軒下に隠してもいいし、ビニールに包んで押し入れにでもしまっとくのもいいし、井戸に捨ててもいい。井戸なんてあんま見ないし呪いのテープが生まれそうで怖いけど。

 しかしながら、大抵の場合バレる。

 手を変え品を変え、どう頑張って隠してもバレる。現代の警察は優秀なのだ。ズブの素人が捻り出した考えなんて容易く超えてくる。はいお縄でピーポーピーポーだ。ああまったく、どうすればいいと言うのだろう! 

 そんなお困りであろう殺人者諸君にこんな提案をする。

 ズバリ、食う。

 全部、食う。

 骨になった遺体は、砕けば粉になる。簡単だ。実に簡単だ。楽勝の二乗である。実際、この世界に来るまでのヴォイドはよくそうやって死体を処理していた。燃やしてもいいが火事になるかもで怖かったし、埋めるとなると場所がない。圧倒的に足りない。じゃあ燃やしてから埋めるか? 手間がかかる。論外。じゃ、どうする? 放っておいても腐って臭くなるだけだし、どうにもなってはくれない。死体は勝手に消えて無くならない。

 じゃあ食えばいいじゃない! というなんとも素敵な案を思いついたのが、かつてのヴォイドの部下であった。

 ふむ、食う。ナイスアイディアである。死体も消えてお腹も膨れて一石二鳥とはまさにこのこと。

 だから、今回も食うつもりだった。

 だって面倒だから。もやし生活は嫌だったから。


「……恐ろしいお方です」


「このアンティークも同意します」


 ミセルの呟きに、アンティークが真面目な顔して同調した。酷い酷い。そんなに残虐な話だろうか? そもそも、やってみますよと言ったのはミセルとアンティークじゃないか。ヴォイドだけが残酷無慈悲なわけじゃない。怪物とはそういう生き物だ。悪逆極まる化け物だ。魔物だ。

 今更何を言っている。


「じゃあ、とりあえず、狙撃手を調理して食費を浮かそうってことで──」


 ピンポーン。

 と、チャイムが鳴った。

 ミセルが反射的に腰を浮かして、しかしこのタイミングでの来訪なんてターミネーター似の大家さんか、それか、招かれざる客であることは間違いないわけで。だから、またストンと腰を下ろした。ピンポーン。チャイムが鳴る。ガサついた電子音が六畳間に響き渡る。

 ピンポーン。


「どうする?」


 ピンポーン。


「どうするも何も……どうしましょうねえ」


 ピンポーン。


「はいっ! このアンティークが様子を見てきますっ!」


 ピンポーン。ピンポーン。


「いや、いい。どうせ新聞か布団か教材か保健か宗教だ」


「絶対違うと思うんですが……。ああ! 大家さんだったらどうしよう!」


「このアンティークがロケットパンチしますか?!」


「せんでいい」


 ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。


「宗教勧誘ってどれぐらい成功するんだろうな?」


「さあ? 今関係あります?」


「ないと思いますっ!」


「だよね」


 ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。


「うるさ」


「うるさいです」


「はいっ! うるさいと思いますっ!」


 ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポン。ピンポン。ピンポン。ピンポン。ピンピンピンピンピピピピピピピピピピピ。


「あ、壊れた」


 とミセルが呟いた瞬間、ドアが蹴破られた。

 蝶番がばきっ! とへし折れて使い物にならなくなり、鉄製のドアが折れ曲がって、玄関と六畳間を繋ぐ部分に倒れる。ガラガラ音がした。郵便受けから受け取っていなかった新聞が溢れる。ちゃんと回収しとけばよかった。

 夜風が流れ込んでくる。随分と開放的な空間になってしまったなあと思った。思いつつお茶を啜った。冷めていた。お湯を沸かして茶葉を交換しなければ。

 とりあえず、蹴破られたドアの先、つまり蹴破った犯人がいるであろう場所を見る。


「こんばんは」


 誰かいた。

 ぐちゃぐちゃな少年だった。いや、姿形がミンチ肉ってわけじゃあない。雰囲気だ。めちゃくちゃなんだ。黒い軍服と軍帽、それとドス黒い瞳は『スナイパーライフル』とお揃いだけど、纏っている雰囲気は何もかも違う。あと髪も。こちらの少年は綺麗なストレートだ。うん、どうでもいい。

 少年は異様だった。

 銃器──マシンガンを抱えていることも、その瞳が死人のように冷たいことも、ドアを単身で蹴破ったことも、そりゃ異様だけど、やはり特筆すべきなのは、殺意の種類。

 楽しい殺意だった。

 嬉しいとでも言いたげな殺意だった。ピクニックにでも行く途中なのかなと思ってしまうぐらい明るく爽やかで喜びに満ち溢れまるで自分が幸せになれると疑っていないかのような未来はいつだって明るいのだと幸せなんだと信じ込んでいるような無邪気な子供のような無垢な少年のような輝かしい希望を抱いている青年のような──

 殺意。

 敵意。

 本来ならばドス黒く、それこそ少年の瞳のように汚れていなければならない感情。


「夜分遅くにどーもお」


 少年はにこり、と笑いかけて、猫撫で声で言った。脱帽してお辞儀もする。礼儀正しい。

 ミセルが空っぽになった湯呑みを傾けて、なくなったことに気づいたのか浮かせた途中で置いた。ちゃぶ台がこんと音を立てる。


「そりゃどーも。んで? 何用ですか? 新聞なら間に合ってますよー」


「いやあ、奥さん」


「奥さんじゃないです」


「今のお布団使って何年目ですか? 寝づらいとかありません? 寝具は自分にあったものじゃないと体に悪いですよ」


「結構です」


「お子さんの成績に不安はありませんか? 塾は? 受験は? 今はいいとかではなく、今から始めないと遅れちゃいますよ」


「そもそも子供いません」


「保険には入っていらっしゃいますか? 今ならなんと! 我が社の保険に加入していただくと──」


「どうでもいいです」


「あなたは神を──」


「信じません。おれの神はヴォイドさまです」


 おいおい、照れるな。

 照れる通り越してきもいけど。


「……あとセールスって何があったっけ?」


 少年は少しばかり首を捻って、まあいいやと諦めた。切り替えは早いタイプらしい。

 彼はマシンガンの銃口をこちらに向けて、笑う。ミセルがため息を吐いてから聞いた。


「……何用で?」


「ちっと野暮用。お使いなら『ゴシップ』の仕事だと思うんだけど、ほら、あいつ昨日処刑されちゃったから。しょうがないよねえ。『ジャッジメント』の悪癖には困ったものだけど、それでもぼくくんたちの上司だし。上司の悪口はぼくくんの趣味じゃないかな」


「そうですか。こっちも一家団欒の最中なんで、手短にお願いしますよ。あと銃器は人に向けちゃいけません。小学校で習いませんでした?」


「……? 小学校では命に変えても敵兵を殲滅しろって習ったよ。地域差かな?」


「そうかもしれませんね」


 絶対違うだろ。

 ヴォイドは胸の内だけで突っ込んだ。話に加わりたくない。


「じゃあ本題に入ってください。ドア壊し現行犯」


「それについては素直にごめん。でも開けなかったきみらも悪いから。んで、えーっと、あれだよね、本題。そうそう。これはちょっとした野暮用でまさに徒労。今の時代電話一本で済むことをわざわざお手紙──しかも音読するために人まで使うなんて、古臭くて敵わないね、こりゃ。どこの貴族様だよって感じ」


「内容は?」


「そうそれ」


 少年はマシンガンを一旦立てかけて、胸ポケットから一通の手紙を取り出す。パステルカラーのマスコットが描かれた可愛らしい便箋と封筒だった。ファンシーショップにでも行ってきたのだろうか。


「では、読むね。えー、ゴホン。……“敬略、魔王様がたはこのクソッタレな現世をいかがお過ごしでしょうか。つきましてはこの私、『ジャッジメント』の名において宣戦布告をしたく存じます。ご検討のほどよろしくお願い致します。敬具“……だってさ」


 随分と明るい調子で少年は言った。終えた。読み終えた。ピンクの便箋を景気良く破いた後ぐちゃぐちゃに丸めて、またポッケにしまう。一枚、ポッケに入り損ねた紙屑がひらりと落ちた。

 たった一枚の紙切れが、ここに消滅する。


「──いいな」


 と、ヴォイドは端的に単純に明快に肯定した。


「宣戦布告か。ああ、実にいい。これほど喜ばしいものはない。これほど歓喜するものはない。胸が躍るよ心が弾むよ。愉快でたまらなく痛快でしょうがないんだ、少年」


「そう? ならよかった!」


 少年もまた、無垢に無邪気に純粋に肯定する。放置していたマシンガンを構え直して、ヴォイドに向ける。


「ぼくくんたち、少年十字軍の悲願の時さ、魔王様」


「……」


「主人公を殺す。なり損ないは本物を殺す。そういう化け物(プギーマン)いたよねえ。ドッペルゲンガーだっけ? 偽物だからこそ本物になりたがる。成り上がりたくなる」


だから、と続けて。


「我らは貴殿を殺す。──敬意し礼賛し崇拝し畏敬し、嫌悪し憎悪し嫉妬し厭忌しながら、殺すよ、魔王ヴォイド」

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