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1.いつかどこかだれか

 負けたのだと察した。

 きらきらと、まるで一番星のように輝く光を見て、心臓を貫くような──文字通り貫かれた痛みを察知して、なるほど、この瞬間に、無敗だった自分は正々堂々真っ向面から負けたのだと、思ってしまった。感じてしまったし諦めてしまったし、認めてしまった。

 豪奢という言葉をそのまま形にしたような、深紅の椅子に腰掛けた自分の体がずり落ちる。先ほどの光のせいで目が焼かれたのか、景色は全くと言っていいほど見えない。いつもならクソつまんねえ黒のレンガの壁とか、何がいいんだかわかんねえ絵画とか、染み一つ、足跡一つないレッドカーペットとか、それから、死体とか……。一人が座るためだけに存在するにしてはバカでけえ部屋の、あくびが出るほど見慣れた景色が見えるはずだったのだが。

 もう見えない。

 死ぬ時は何から消えていくんだっけ? 部下に聞いたことがある。詳しい順番は知らないけれど、最後に残るのは聴覚だったと思う。目はご存じの通り焼かれて見えぬし、口は開かないので味覚はナシだ。体は動かせないから触覚が死の間際まで活躍するということはないし、嗅覚は……もう息もできぬから意味はない。つまり、最後の最後まで残っている、まともに機能している聴覚により、憎たらしい声は聞こえるというわけだ。なんていらねえ機能なんだろうか。

 逆流するように血が迫り上がってきて、口内に溜まる。たまらず吐き出す。もう着ることも──というか死装束と化した自分の衣装が汚れて、なかなかに不愉快だった。てか、最後に味わったのが自分の血になっちゃったんだけど、どういうこと? うそつき。何が聴覚だ。どーせ最後に味わうなら飲む機会を逃していたワインとかが良かったなあ。

 声が聞こえる。

 耳は、音は、正確に周囲の状況を伝えてくる。


「……お前の負けだ」


 憎たらしい、忌まわしい、悍ましい、腹立たしい、青年の声が聞こえた。凛とした、力強い声だった。息も絶え絶えに、自分に語りかけてくる。もう死にかけであることは分かっているだろうに、語りかけに意味などないと知っているはずなのに、最後の最後まで話しかけてくる。

 てか、負けたことぐらい知っている。自分は己の力を過信している馬鹿じゃねえし、死の予兆すら察知できない阿保じゃない。

 しかし声は繰り返す。


「お前の負けだ!」


 だから、知ってるって。

 いちいち掘り返すなよ。はずいじゃん。これでも無敗、負け知らずとして名が通っていたのだから、いっそう負けたという事実が恥ずかしい。体が自由に動くのならばもんどりうって赤面した顔を必死に隠していただろう。そのくらい恥ずかしい。もう信じたくない。ああ、嫌になる。

 というか、途中までうまくいってたのになあ。

 迫り上がってきた血の塊を、なんとか飲み込みながら回想する。此度の遊び相手は四人だった。いつも通り、椅子に座ったままオートで魔法攻撃を繰り返し、三人は殺せたのだ。

 最初に死んだのは戦士だろう男である。バトルアックスが少しだけ肩をかすめたけど、服を切り裂いただけだった。そのまま殺した。んで、次は魔法使いの女。ちびちび火球を放ってくるのが鬱陶しかったので、本物の魔法を見せてやった。魔法に関しては右に出るものがいない自分に魔法で抵抗するなど愚の骨頂。もうちょいパーティー厳選してきた方が良かったんじゃねえかなあ。とりあえず魔法使いが放ってきた攻撃を跳ね返して丸焦げにしてみた。んで、また次。僧侶の女。青年の影に隠れながら、魔法使いと戦士に縋りつきながら必死に祈っていたので、おおこりゃ愉快と思いつつ地面操作で棘を生やして死体ごと串刺しにしてみた。ぎゃあぎゃあ言いつつ、最後は青年にいい感じのこと言いながら死んでいった。内容は覚えていない。どうでもいいからね。

 まあ……でも、なんだ。これがよくなかった。

 リーダーであろう青年を無視して、いたぶるようになぶるようにお仲間さんを殺していってしまったこと。ミステイクと言っても過言ではない。明らかに自分の落ち度だ。真っ先に青年を殺すべきだった。そうすりゃ士気はだだ下がって、元々雑魚だったパーティーの面々を趣味悪く遊び尽くせたのに。

 ああ、失念していたのだ。


 だって、勇者って逆境にこそ立ち向かえる、そんな人間のことを言うんだもの。


 仲間が死んでもただ悲しむのではなく、戦いの闘志を燃え上がらせることができる人間。敵がどれだけ強くとも理不尽であろうとも、決して膝をつかない人間。甘言に惑わされず、夢幻に溺れず、ただ仲間を信じて戦うことができる人間。ハッピーエンドが確約されている、人間。


 勇者、ギルバード。


 自分を殺した、または倒した勇者の名前。いつだって勝てる。いつだって幸せになれる。どれだけの不幸があろうとも、それを塗りつぶすような幸せが確約されている。確定している。

 血のせいでゴロゴロ鳴る気管を気持ち悪いと思いつつ、思考を巡らせる。もう恨み辛みも出てこない。ただ、羨ましい。必ず勝てるなんて、んな馬鹿な話あるか。理不尽にも程があろうに。

 でも、勇者だし。

 ならしょうがないと、納得してしまう自分もいるから。

 というか、勇者以外に自分を殺せるような奴がこの世にいるかと問われれば、いないから。神様とやらに愛され、世界を愛しているこいつ以外に、自分は倒せないのだから。


「……お前の、負けだ」


 だから、知ってるって。三度目の正直か? 


「魔王、ヴォイド。お前の負けだ!」


 魔王。

 そりゃ勇者にもやられる。だって魔王って勇者に殺されるものだろう? 世界の仕組み的に、そうだ。魔王である自分、ヴォイドは勇者ギルバードに殺された。物語としては完璧だ。ベストセラー間違いなしだろう。てか、もう物語にされているかもしれない。どっかの吟遊詩人が、勇者サマの笑いあり涙ありな旅路を大袈裟に歌って廻っているかもしれない。

 ……自分が悪役であるのは気に入らないが、そこは置いといて。

 からんと乾いた音がした。きっと勇者サマが剣を放った音だろう。床に傷がつくだろうがとは思ったが、その床をいじって馬鹿でかい剣山にしたのは自分である。かの魔王、ヴォイドである。文句は言えんな。


「トリスタン、マギー、モニカ……」


 誰かの名前である。男性名、女性名、女性名の順番だ。誰か、なんて、わかりきっている。聞くだけ野暮だ。考えることすら、馬鹿馬鹿しい。

 啜り泣くような声がした。ああなんだ、勇者といえども、ちゃんと仲間が死ねば悲しいのだなと、なんともいえない感想が浮かんで消えた。てかトドメ刺してから泣けよ。感動のエンドロールは魔王が死んで塵になったあとだろうが。おのれ勇者! なんて言われながら背中から刺されたらどうすんだ。

 いや、動けないんだけどさ……。

 必死に嗚咽を飲み込んで堪えるような泣き声が鬱陶しい。最期の最期、ご臨終ですよって時に聞きたい音声ではない。どうせなら悲しげなピアノの旋律とかがいい。かっこよく終わりたい。

 ……いいや、そうじゃあ、ない。

 かっこよく死にたいなんて感情は、生まれてから一度も抱いたことはない。

 自分はただ単純に、明快に、勇者にイラついているのだ。人間じゃねえくせに人間みたいに悲しんでいるこいつが心底ムカつくのだ。人間をやめたくせに人間を愛しているこいつが腹立たしいのだ。人間でないことを受け入れずに人間として過ごし、人間であるかのように振る舞うこいつが、心の底から、煩わしいのだ。

 なぜ人間のフリをしている。この魔王、ヴォイドを倒した英雄だろう。なぜ泣いている。勝利に喜べよ。戦いに陶酔し心酔し歓喜に飲み込まれてしまえよ。戦って楽しかったはずだろうが。憎ったらしい魔王をぶち殺せて嬉しいはずだろうが。何を泣いている。何が悲しいんだ。疑問で胸が圧迫される。理解できない。こんな理解不能なやつにやられたのか? 自分が? 魔王ヴォイドはこんなつまんねえやつに殺されたのか? ぐるぐる疑問が回る。思考に霧がかかってくる。考えづらくなる。なんでこいつは泣いているのだろう。つまんねえ。勝ったのに。負けてやったのに。負けてしまったのに。久しぶりにいい一撃を喰らってちょっと楽しかったのに。相手が泣いちゃうから冷めちゃったじゃないか。悔しい。口惜しい。血が止まらない。死の間際なのに何も感じない。何も感じることができない。鉄錆の味が消えた。死体が腐っていく臭いが消えた。重く動きづらい服の感触が消えた。瞼は開いているはずなのに何も見えない。景色が消えた。啜り泣く声はまだ聞こえる。帰ろう。一緒に。誰と帰ると言うんだ。死体と帰るなんて、そんな冗談は言わないでくれよ。ああ、口惜しい。吐きかけてやりたい言葉はたくさんあるのに口が開かない。指先。指先は動く。動いて何になる。声すら聞こえなくなる。絶え絶えな呼吸音が消えていく。

 ああ、もう一回だけ!



 それだけ思って、魔王ヴォイドは死んだ。


 勇者ギルバードによって倒された。世界は平和になった。誰も彼も勇者を褒め称え崇め奉り、幸せに暮らした。勇者に随行した仲間も、丁重に弔われ、勇者と同じように讃えられている。


 物語はしまいおしまい。誰もが羨むハッピーエンド。正真正銘めでたしめでたし。


 これが一回目。


 最初の最初。始まりの物語。なんてことはない英雄譚には、どう平和的に語っても無様に倒される魔物がいて、その魔物が何を思ったのかなんてさほど重要視はされないけれど。


 この物語の主役は、語り部は、その魔物だったから。


 不幸にも、とはいえないけど。しかしながら、主役が勇者でなかったのは、どちらにせよ痛恨のミスである。あるいは、ある者にとっては最大の幸福である。ナイスプレイ。ミステイク。立場によって変わるソレはいちいち議論しても仕方のないことではあるが、とりあえず、そこからが間違いだった。


 さて、始まりは語り終わった。


 何回目かの、幕が上がる。どこまでも醜い即興劇(エチュード)の幕が、残酷に残虐に無慈悲に上がる。


 それでは、開演。

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