第9章 公女の嫉妬
王太子が魅了魔法もどきに掛かっていることを、王宮はできることなら秘密にしておきたかった。
しかし、その後遺症が消えるまでの残り二年半、人に気付かれずに二人が付かず離れず一定の距離を取り続けるなんて無理だとすぐにわかった。
そこで、きちんと本当のことを説明した方がむしろ印象がいいのではないか、と国王と王妃は開き直った。
卒業まで二人を王宮に隔離して勉強させるという手もあったが、コソコソすると却って怪しまれる。それくらいなら却って大っぴらにしてしまった方がいいと。そして公女もそれに同意したのだ。
『ハリスコ王太子は、強力な魅了魔法もどきをかけなられながらも、婚約者のシシリーナ公女を愛する力が勝って、男爵令嬢とは一線を越えることはなかった』
そんな噂があっという間に広がった。もちろんロマンチックに話を盛ったのは公女自身だった。
王太子のその愛の力と忍耐力に、ご令嬢のみならず、ご令息からもあっぱれの声が上がって、人気がバク上がりした。
(まあ、完全に嘘でもないけど、本当のことか言えば微妙だ。王太子本人から直接その気持ちを聞いたわけじゃないもの。まあ、間違ってもいないだろうけどさ)
アニタはそう思いつつも、いくら頭で理解していても、見つめ合う二人をずっと見せつけられたら、公女様もきついだろうなと心配していた。すると思った通りだった。
一足先に学園を卒業することになった公女は、魔術師を王太子の侍従として傍に置いたのだ。
そして授業中以外は王太子の周りに結界を張らせて、男爵令嬢との接触を防ごうとしたのだ。
どうせ元々王太子に近づこうとする者などいなかったのだから、王太子も気にしないだろうと公女は思ったのだ。そんなわけがないのに。
王太子だって望んで一人でいたわけではないし、できれば人と触れ合いたいとは考えていたのだ。なにせ将来は国王になるのだから。
それに、学園内で飼われている小動物との触れ合いは、王太子にとっては幼い頃からの癒しだった。それを奪われることはかなりのダメージだった。それ故の結界を張るのは止めろと命じた。
しかし、
「これは貴方が国王になるためには必要なことなのよ。だって貴方はこの国の唯一の後継者となったのでしょう? それならばその責任は取るべきだと思います」
と言われれば反論はできなかった。
弟の罠に安々と嵌められた自分が愚かだったのだから。それに、これは自分一人の問題ではなく、婚約者の公女や男爵令嬢の立場を守るためには必要なのだと知れば耐えるしかなかった。
しかし、そんな王太子の苦しみや葛藤に公女は気付いていなかった。
なぜなら、彼女が指示した事柄は王太子に対しては甚だ失礼極まりない行為だったが、世間的には高評価だったからだ。
それに加えて、完璧な淑女であるシシリーナでさえ焼きもちを焼くのだと、意外にも令息達からは可愛いと受け止められた。またご令嬢達からもいじらしいと評判になった。
人の評判ってわかんないもんだな、とアニタは思った。変わり者王太子と、氷の公女の仮面カップルだと、散々揶揄されていたのに。
それにしても、あんなに淡々としてクールだった公女が、あんなにも婚約者に執着するとは。
アニタは人気のないところで、こっそりため息をつく回数が増えていった。
なにせシシリーナの嫉妬は男爵令嬢だけでなく、アニタにも向けられていたからだ。
学園を卒業したシシリーナは、毎日朝から登城して、それまでアニタがしてきた王太子の世話を全部し始めたのだ。
もちろん公女は、生まれ落ちた瞬間から人にかしずかれてきた身分なので、メイドの真似事なんてできるはずがない。
だから王太子にはうっとうしがられ、アニタに代われと言われる度に彼女は悋気を起こした。
「王太子殿下が将来の妃としてシシリーナ様に求めているものは、決してメイドのアニタがしているようなことではありません」
侍女長は正論を述べたが、恋に盲目になっているシシリーナには届かなかった。
忌々しい薬を嗅がされる前の王太子は、思春期真っ盛りで、精神的支柱だったはずのアニタを鬱陶しく思い、自分に関心を持ち始めてくれていたかもしれない。
しかし二年後正気に戻ったとき、彼の気持ちがどうなっているのかはかわからない。
悋気などを起こせば王太子に嫌われる。頭ではわかっていても、王太子とアニタが一緒にいるのを実際に目にすると不安が募って我慢ができなくなっていった。
早く王太子の視界からアニタを遠ざけなくては。シシリーナは次第にそう思うようになり、アニタを邪険に扱うようになっていった。
そして王太子が学園を卒業するまで後半年に迫ってきた頃、公女はついにアニタを王宮から追い出したのだ。
結界を張られた王太子が、行動を制限されて抵抗できないことをいいことに。
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