第8章 とある研究者が作ったもの
ハリスコ殿下だけでなく、リーシャ男爵令嬢の方にも殿下への思いなどなかったから、二人は清いお付き合いのままで思い留まれたのだったのだ。どちらか片方が誘惑に負けていたら拒めなかっただろう。
「魅了魔法の使用で第二王子を処罰できませんか? ガガリン様なら残滓思念の映像化ができますよね? それは証拠になりませんか?」
「証拠にはなるが、そもそも第二王子は魅了魔法を使ったのではなくて、魅了魔法もどきの効果を出す薬を使ったわけだしな。
イタズラだったと言われれば、大した罪は問えんだろうな」
「やっぱりもどきだったんですね。なんかとっても中途半端な効果だと思ったんですよね」
そうアニタが言うと、別に薬自体は失敗作なんかじゃないぞ、とすかさず超上級魔導師マッツイ=ガガリンは言った。
「その薬はそもそも、側妃の実家が経営している製薬会社で働いている一人の研究者が、自分のためにお遊び感覚で作った魔法薬なんだ。
その男はいわゆる天才というやつなんだが、少々変わり者で回りの奴らと上手くいっていなかったんだ。
まあ嫌われたり虐められたりは慣れっこで、そのこと自体はなんとも思っていなかったらしい。だが、研究の邪魔をされたり嫌がらせをされるので困っていたそうだ。
それで相手が自分に好意を持ってくれれば、妨害もなくなるのではないかと考えて、その薬を開発したらしい。
で、試作品を研究室で使ってみたら成功だったらしくて、みんなに好意を持たれるようになって嫌がらせもなくなり、問題も一応解決したらしい。
だが、そのことをどうやって知ったのかはわからないが、第二王子に脅されて薬を奪われたらしい」
「その研究者とはお知り合いだったのですか?」
「まあな。魔力使い同士は色々繋がっているから。それにやつは偏屈で俺と同類だし」
自分でも偏屈だって思っているんだと、アニタは妙に感心した。
「アニタが西の塔に相談しに来たと聞いて、もしやと思ってこれまでの訪問者名簿を捲ってみたんだ。
そしたらその研究者の名前が記載されていてピンときたんだ。
話を聞いたら、やっぱりやつは俺に相談しようとしていたんだ。だけど、順番待ちをしているうちに、その薬を使われちまったんだと」
「あ~」
気の毒に。
超上級魔導師であるマッツイ=ガガリン様への嘆願は毎日凄い数だと聞いている。
研究者さんはきっと真面目な人なんだろう。私みたいに図々しことができなかったんだ。
というか、門番が融通の利かない人だったんだな。私は魔術騎士のヴァスク=ハランド様に当たって本当に幸運だったんだ。
「たしかに第二王子が一番悪いのはたしかですが、その研究者を無罪放免にしてしまうのはいかがなものかしら?
盗まれて勝手に使われてしまったのですから、その研究者もお気の毒だとは思います。けれど、その方がそんな変なものを作ったから悪用されたのですよね?
大体おかしいですわ。違法な薬などではないとおっしゃいますが、ガガリン様は、王太子殿下には強力な魅了魔法にかけられていると、おっしゃっていましたよね。矛盾していますわ。
王太子と男爵令嬢の被害はかなり大きいのですから、ちゃんと責任を取ってもらわないと」
公女様が怒りを抑えながらそう言った。たしかにまがい物の薬のはずなのに、なぜそうも強い副作用が出たんだろうか?
アニタも不思議に感じた。
「強力な魅力魔法のような後遺症だといったが、ちゃんともどきだが……と言ったぞ。
あいつが作った薬は間違いなく、効果の低い一種の惚れ薬のようなものだ。効果も一過性だし、依存性もほとんどないみたいで煙草より安全そうだ。
それはここに来るまでに確認してきた。それなのに実際は魅了と呼べるほど強力な薬として使われていた。
まだ調べていないとわからないが、考えられる仮説一は、研究室から盗まれた後にその元々の薬に何かを加えられて、より強力になった。
そして仮説二は、媒体に使われたポピリスと惚れ薬が触れ合ったことで、科学反応を起こした。この二つが考えられる。
まあ、時間がなくてまだ証明はされてないが」
「もうそんなことまで調べたのですか? いつの間に……」
アニタは瞠目した。
「ああ。お前が西の塔に来たその日から動いていたからな。
お前が『この国の未来に関わる相談』だと英雄ヴァスク=ハランに伝えたんだろう? だから緊急性有りと判断してすぐに動いたんだぞ』
マッツイ=ガガリンはニヤッと笑った。
しかし、シシリーナ公女は諦めない。
「でも、実際にその研究者がそんな薬を作らなければ、こんなことにはならなかったのではないですか?
まず彼を捕まえて、第二王子と繋がりがあったと言わせれば、第二王子にも何かしらペナルティを与えられるのではいですか?」
いくらなんでもそれ無理だよね。そもそも盗まれた薬って違法なものじゃないというんだから。
第二王子を失脚させるためだからって、罪のない研究者を捕まえて、芋蔓式に捕まえるというのは気に入らないな。冤罪事件を起こすつもりなの?
公女の言葉にアニタは眉間にシワを寄せた。
(その研究者は虐めや嫌がらせから自分の身を守ろうとして頑張っただけなんだ。誰も助けてくれなかったから。
それにその薬を使われた方だって実害なんてなかった。しかも仕事の効率が上がったんだから、製薬会社の方も彼を告発するわけがないわ)
するとマッコイ=ガガリンはにやりと笑った。そして。
「恋は盲目ってやつか? いくら憎くても法を曲げちゃまずいだろう、公女さん。
でもまあ法的に問題がなくても倫理的には責任はあるだろう。だからヤツにも協力はしてもらうつもりだよ」
と言った。
それから十日後、側妃の実家の侯爵家が爵位を剥奪され、当主は投獄された。侯爵家が資金を出している薬品会社が、違法薬品を製造密売している証拠が見つかったのだ。
例の研究者があの惚れ薬を使って、他の研究者に研究レポートや書類の提出させて判明したのだ。
(やっぱりその薬、規制しないとまずいんじゃないの?)
とアニタは思った。誰もが無意識にスパイ活動させられてしまうと。
もちろん、その後間もなくその惚れ薬は、超上級魔導師によって改良されてより安全なものに生まれ変わったことは言うまでもない。
そして側妃自身は罪を犯していなかったのだが、彼女の名前が商売に利用されていたため、道義的責任を取らされて離宮へ送られた。
そして第二王子も王位継承を返上させられ、成人後に臣籍降下することが決まった。
兄である王太子に、自分に想いを寄せるご令嬢を使って、罠をかけたことが明らかになり、非難の声が沸き起こったからだ。
彼の行為は学園に通うご令嬢方だけでなく、多くのご婦人方からも嫌悪された。しかも意外なことに男性からの支持も失ったのだった。
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