第7章 公女の本心
焼きもちを焼いているのが丸わかりのアニタを見ながら、シシリーナ公爵令嬢は、少し溜飲が下がった。
これまで彼女はずっとアニタに嫉妬して、それを必死に隠してきたのだから。
彼女は、本当はハリスコ王太子のことを顔合わせの時からずっと憎からず思っていたのだ。
しかし、ハリスコ王太子と仲の良いアニタの姿を見ると、自分の存在がお邪魔虫のように思えて辛かった。
かと言ってアニタを遠ざけたりすれば、まるで嫉妬をしているようで、そんな真似は彼女のプライドが許さなかった。
だから公女は無理矢理に思い込んだのだ。自分は婚約者のことを好きでも嫌いでもない。
ただ尊敬している王妃様の後継者になりたいから、王太子殿下との婚約を解消しないだけなのだと。
ところが、そのアニタがマッツイのことを好きなのだと気付いたとき、ふざけないで!と公女の中に怒りが湧いた。
自分からハリスコ王太子を奪っておきながら、身分違いで結ばれないと気付いたら、その恋心を捨てて、今度は別の男を好きになるなんて。
しかも同じ平民といっても、その相手はいずれ高位貴族として陞爵されるのが確定している、最優良株の超上級魔導師であるマッツイ=ガガリン様だ。
奪ってやる!
そう、公女は思った。しかし、彼女はすぐにそれを断念せざるを得なかった。
ガガリンとの育ちの違いによる価値観の相違は、どうしようもなかったからだ。物事に対する判断の基準が、彼とは全く異なっていた。
理詰めで説明されれば、彼の発言の意味や正当性は一応頭では理解できるのだが、感情的には納得できないし、相容れないことが多いのだ。
それにガガリンのアニタへの思いは本物だった。もし二人の邪魔をしたら、いくら自分が公女だとしても、いや王太子の婚約者だとしても、大袈裟ではなく魔術によってこの身は何の証拠も残させずに消滅させられてしまうことだろう。それが容易に想像できた。
それに例の男爵令嬢との浮気騒動でようやく公女にもわかったのだ。王太子にとってアニタの存在はオカンだった。そしてアニタの方も同じくオカン目線だったのだと。
王太子殿下が男爵令嬢とこんなことになって本当に申し訳ないと、アニタに謝られた時に公女は瞠目した。
「私がちゃんと見守っていなかったからこんなことになったんです。
でも、殿下は浮気なんてできる方じゃないんです。公女様ももちろんそれはご存知ですよね?
何か目に見えない悪意というか、作為的なものを感じるんです。それをこれから私が調べてみます。
だから、シシリーナ公女様、どうかハリスコ殿下を嫌いにならないでください。見捨てないでください。お願いします……」
必死にそう懇願するアニタの様子を見て、ようやく公女は気付いたのだ。彼女の王太子への思いが、母親か姉のような肉親的な目線だったことに。
そして、王太子も自分のことを少しは思ってくれていたらしいと聞いて、公女は動揺し、後悔したのだ。婚約者と向き合うことをずっと避けていたことに。
もっと早く自分の気持ちに素直になっていたら、自分の婚約者は男爵令嬢などにうつつを抜かすこともなかったのではないかと。
ところが、ハリスコ殿下は浮気をしたのではなく、魅了魔法をかけられているから、嫌なのにあの女と一緒にいることがわかったのだ。
しかも第二王子が自分に懸想したせいでこんな事になったと聞かされては、自分がどうにかしなければならないと思った。
だから、超上級魔導師であるマッツイ=ガガリンにこう言った。
「魅了魔法を完全に断って、あと二年半くらい経てば、ハリスコ殿下は正気に戻るのですよね?
でもあと二年半も二人が逢瀬を重ねていたら、その後正気に戻れても、醜聞まみれになっていて絶対に廃嫡されてしまいます。
ですからできれば二人を強制的に隔離したいのですが、ガガリン様はどう思われますか?」
「いや、それはだめだな。二人の脳は相手を欲して会いたくて堪らない状態になっているんだ。
それなのに、もし会えなくなったら暴れ回るだろし、恐らく気が触れるな。
実はこの三日ほど、殿下を部下に観察させていたのだが、その男爵令嬢と会わずにいられたのは、十六時間くらいみたいだ。
そしてそれ以上会えないでいると、相手に恋い焦がれて居ても立っても居られない状態になっていたらしい。
ただし、魅力魔法を完全に断ち切れれば、徐々に影響は弱まってくるだろうと予想はしているが」
部下ってどなたでしょうか?
やはりこの件を知っている、魔術騎士のヴァスク=ハランド様なのでしょうか?
アニタは申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。英雄様にそんなことをさせてしまってと。
それにしてもそんな状態になっているのに、リーシャ嬢には手を出さなかったのね。ハリスコ殿下の理性って鋼の強さだな。見上げたものだ。
いやいや、それが破られないうちになんとかしないと。
そうアニタはそう思った。すると、さすがは超上級魔導師であるマッコイ=ガガリン様だ。彼が具体的な対策を提案にしてくれた。
「これまでのことを考えると、男爵令嬢の方はわからんが、殿下の方は視覚的に相手を捉えられれば脳は満足するみたいなんだ。
つまり、相手が見える距離に二人を留めておけば問題はないということだ」
「つまり、リーシャ嬢は殿下のお好みじゃないから、顔を見ることだけで満足して、それ以上望まないってことですか?」
「そうだな。殿下の好みがこの婚約者殿なら納得だな。タイプが違い過ぎるからな」
なんてこった!
ずいぶんといい加減な惚れ薬だ。いや、惚れ薬とも呼べないな、そんなもの。まがい物だとアニタは思った。
「こんないい加減な惚れ薬だって、第二王子は知っていたんですかね?」
「さあな。アレにしてみたら、兄貴の浮気騒動を起こして、公女さんを自分のものにできればそれで良かったんじゃないか。おまけに王太子の座もついてくるわけだし。
だけどさぁ、自分に思いを寄せる女を利用してそんな真似するなんて、ほんとクソ野郎だよな」
「「えっ?」」
ガガリンの言葉にアニタとシシリーナは驚愕した。リーシャ嬢は第二王子が好きだったのか!
あの人は彼女の想いを利用して、学園の花壇でハリスコ殿下とバッティングするように仕向けたのか!
ハリスコ殿下には婚約者がいるとわかっていながら、色目を使って迫った阿婆擦れと思っていたのに、男爵令嬢は完全に被害者じゃないか。
と、二人は思った。そして同時に叫んだ。
「「女の敵だわ!」」
と。
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