第3章 超上級魔導師の登場
そして、アニタが西の塔を訪れてから一週間後。
彼女が王太子と共に学園から戻って来ると、なんと超上級魔導師であるマッツイ=ガガリンが、王宮のロビーで彼女達の帰りを待っていた。
顔を合わせるのは卒業式以来だった。たった四か月だったのに、随分と逢えなかったような気がする。胸がジーンときた。そしてそれと同時に珍しいなと彼女は思った。
何せこの超上級魔導師様はとても忙しい方で、他人のことは平気で何時間でも待たせるくせに、人のことは決して待ったりはしないのに、と。
彼いわく、人によって時間の価値は違うのだそうだ。たった数分で人一人を救える人間と、数か月かけても救えない人のどちらの時間が大切かと。
超上級魔導師であるマッツイ=ガガリンの命令により、たかがお世話係のメイドのアニタまで、王太子の執務室に呼ばれた。
普段この部屋に主以外で入れるのは、侍従長と側近だけなのに。
つまり超上級魔導師様だって普通入れないはずなのだ。それなのに、一番先に入室すると、三人掛けのソファの真ん中にドスンと座って踏ん反り返った。
(ガガリン様らしいといえばそれまでなのだが、ここは王宮で、しかも王太子の執務室……その態度はいいんですかね?)
チラッと侍従長と女官長を見ると、二人とも平然としていた。
(つまり、超上級魔導師であるマッツイ=ガガリン様はそんなに偉いのか!)
今さらながらそんなことを思ったアニタだったが、今回は特に、王妃からの依頼でやって来たから、より一層遠慮がないのだということがわかった。
アニタだってこれまで何度も、女官長を通して王妃に様々な進言してきたのだが、全く相手にされなかった。
しかし、今回は間に超上級魔導師が入ったことで、どうやら聞き入れてもらえたらしい。
(さすがだ、ガガリン様!)
「王太子殿下が魔法病に罹った恐れがあるから診察して欲しいと、王妃殿下から依頼されたのでやって来た」
超上級魔導師が言った。
そう。アニタが女官長にそう言ったのだ。王太子は誰かの陰謀で、魅力魔法か何かの魔術をかけられているのではないかと。
「魔法病?」
王太子が呆気にとられているうちに、ガガリンはすっと立ち上がると、彼の顔面に両手を向け、何やらブツブツと呟いた。
すると王太子はたちまち阿保のように両目を見開き、口をポカンとだらしなく開け、よだれを垂らした。そして、
「なんで? なんで? あんなの僕の好みじゃない。あんなの王家には相応しくない。あんなのに近付いちゃだめだ。
でも、会わないといけない。だって会わないと苦しくて。
頭がかっかとして、心臓が五月蝿くて、視線が外せない……
アニタが怒っている。ダメだって。
わかっている。アニタのいうことを聞かないといけない。それなのに、体が、頭が思い通りにならない。
誰か助けて! アニタ助けてくれ!」
まるで悲鳴のような叫び声を上げると、王太子はその場で気を失った。
「殿下!」
驚いたアニタが王太子を揺さぶろうとしてガガリンに止められた。ただ気を失っただけだから心配はいらないと。
ガガリンは、心の内を吐き出させる自白魔法を王太子にかけたようだった。
「やっぱり殿下は魅了魔法をかけられているでしょうか?」
「ああ。かなり強烈なやつだ。ただしもどきだけどな」
「解呪できますか?」
「無理だな。すでに脳の中が侵食されている」
「え~っ! このまま廃人コースですか!」
(終わりだ! 王太子としてもう終わりだ。北の塔で一生朝日も拝めず暮らすのか!
それはあんまりだ。朝日を浴びないとセロトニンが発生せず気鬱になって、しまいには……
狭い檻付きの部屋の中じゃ、ろくな運動もできないし。せめて豆と乳製品の含む食事をお届けしなければ!
わずかに入る夕日が物悲しさを増長させる……辛い)
アニタはひどく混乱していた。ガガリンから以前受けた講義の内容が、彼女の頭の中を駆け回った。
(そもそも、塔に閉じ込められて未来がゼロなら、むしろ正常でなくなった方が楽なんじゃないのか!)
私がパニクっていると、
「アニタ=ウォーレン、しっかりしろ、一旦落ち着け!」
ガガリンに肩を激しく揺さぶられた。
「止めてください、脳味噌が崩れます! ああ、目眩が〜 吐きますよ!」
両手で側頭部を押さえつつ両足で踏ん張り、転倒をどうにか防ぎながらアニタがこう訴えると、超上級魔導師はパッと手を離した。
彼は嗅覚が鋭い。だから彼女が吐いたら自分が苦しむとわかっているのだ。
「なんでいきなり廃人コースなんだ。何想像しているんだ。全くお前は変わらないな。
見かけは底値無しの天然明キャラのくせに、その実ネクラで悪い方へ悪い方へ考える癖がある。
やっぱり一年間足らずの認知行動療法では足りなかったか。
(俺がこれからもずっと指導してやらないとダメだな)」
マッツイ=ガガリンは眉間にシワを寄せながらブツブツと口の中でこう呟いた。
「えーと、そのお言葉から察するに、王太子殿下は廃人に成らずに済む可能性があるということですか?」
「ああ。完全に魅了魔法を断って三年くらい経てば、発熱した脳みそも冷えるだろう」
「三年もかかるのですか?」
「脳は熱しやすく冷めにくいんだ」
「それは真実の愛でも魅了魔法によるものでも同じなんですか?」
「おんなじだな」
(つまり脳は本物の愛と偽物の愛の区別がつかないのか。なんだ。脳みそって案外情けないんだな。
あいつは頭がいいとか悪いとか、みんなはよく人を比較したがるけれど、そもそも頭の中身なんてそんな大層なものでもないものないらしい。そんなものを比べていたのか、アホらしい)
とアニタは思った。
(そういや、学業成績がいい連中に限って、真実の愛を見つけたとか言い出して、人前で婚約破棄とかしてたよね。それで廃嫡になったり、仕事の採用を断られたり。
それじゃ人を選ぶ基準ってやっぱり頭より性格? いや、その脳が馬鹿になったら理性も吹っ飛ぶみたいだから、元の性格がいくらよくても意味ないじゃん。
それに、そもそも脳がいつ馬鹿になるのかわからないんじゃ、結局誰と結婚しても同じよね。人生どう転ぶかは運次第で、死ぬ時にならなきゃその運が良かったか悪かったかなんてわからないな。
そうなると、運命の人と結婚しても政略結婚したとしても、あまり変わらないんじゃない? 同じなんじゃない? まあ、生理的に受け入れが可能な場合に限られるけど)