第1章 西の塔で面会を希望するメイド見習い
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生真面目な王太子が生まれて初めての恋をした。同じ学園に通う一つ年下男爵令嬢に。淡いピンクブロンドの髪に黒い瞳の愛らしくて儚げな少女だ。
しかし彼には生まれながらの婚約者がいたのだから、それはまさしく浮気だ。
王太子の乳母の娘で、お世話係のアニタがそのことにようやく気付いたのは、二年生に進級してなって三か月くらい経ってからのことだった。
「それは仕方ないわよ。あなたのせいではないわ」
と年上のメイド達には慰められた。
お目付け役として学園に入学したとはいえ、行き帰りが一緒になるだけで、王侯貴族の子弟と平民の子とでは教室どころか食堂だって分けられていたのだから。
共通の施設である図書館の奥深くで、偶然逢引している非常識なカップルを目にしなければ、気付くのがもっと遅かったかもしれない。
なんとか王太子を正気に戻そうと必死になったが、アニタが頑張れば頑張るほど裏目に出て、王太子は男爵令嬢に余計に夢中になってしまった。
(ううっ……
公女様に申し訳ない)
ハリスコ王太子がドードール公爵家のシシリーナ嬢と婚約したのは、殿下がまだ七歳のときだった。
不遜な物言いになるが、この二人とアニタは、まあ幼なじみのような関係だった。
特に一つ年上の公女とアニタはいわば苦労を伴にする同志、戦友みたいなもので、とても仲良くしていた。
だから今回の殿下の浮気は、本当に申し訳ないやら情けないやらで、アニタは居た堪れなかった。
もし公女との婚約が解消……いや破棄されたら、ドードール公爵家の後ろ盾がなくなり、いくら正妃との嫡男とはいえ、ハリスコ殿下は王太子ではいられないだろうと、アニタは心配で仕方が無かった。
何しろ王太子には一つ年下の側妃腹の第二王子が控えていたからだ。
ちなみにその第二王子は、ハリスコ王太子と違って、とても真っ当で普通の王子だった。茶髪に茶色の瞳という容姿も頭も性格も中の上。可もなく不可もなく。
この過不足ない第二王子が、才媛かつ美人と名高いシシリーナ公女と結婚した方が王家も安泰だ……と思っている貴族も多いと耳にしていた。
なにせ第一王子のハリスコ王太子は頭脳明晰な上に華やかな金髪碧眼という、「ざ・おうじさま」の容姿を持ちながら、落ち着きがなく、王宮のみならず王城の中を駆け回っている、とらえどころのない変わり者だったからだ。
つまり、家臣にとって非常に扱いにくい王子だったのだ。
それでもシシリーナ公女が妃になってくれるのなら安心できると皆思っていた。それなのに浮気をするとは……
あのプライドの高い公女様がそれを許すはずがない!と多くの人間が思った。
しかし皆は知らなかった。シシリーナが第二王子に全く関心がないことに。そして彼女が、彼の母親である側妃やその実家である侯爵家のことを、腹の中でひどく嫌っていることに。
ただしアニタだけはそれを知っていた。
「あんなマザコン男だけは絶対に嫌!
それに色事しか頭にない方を、お義母様呼びなんか絶対にしたくないわ」
シシリーナの愚痴を聞くのもアニタの役目だったからだ。
シシリーナは才色兼備の王妃を尊敬して、彼女を目指していた。だから、ハリスコ王太子との間に恋愛感情がなくたって気にもしていなかった。
だから、第二王子派の計画は机上の空論で、公爵家が彼の後ろ盾になることは無いだろう。
しかし、このままだとどっちが国王になっても、この国は安定しないだろうな、とアニタは思っていた。
もちろんハリスコ殿下が正気に戻って、シシリーナ公女に詫びを入れて元の鞘に収まれば、この国の平和も続くかもしれないが。
「人より大分遅いが、王太子も思春期に入って第二反抗期みたいだから、あんまり口うるさく言うなよ。逆効果だからな」
ああ。やっぱり偉い方の忠告はきくもんだと、アニタは今さらながらに後悔しながら、こう呟いた。
「赤ん坊の頃からいつもいやいや言っていたから、反抗もいつものことだからと気にしなかったよ」
赤ん坊の頃からって、お前は王太子と同じ年だろう!と、それを聞いていた人がいたらきっと突っ込まれたところだろう。
困り果てたアニタは、超上級魔導師であるマッツイ=ガガリン様に助けを求めることにした。
しかし、変人天才魔導師様はコミュ障のため、滅多に人前に出ない。訪ねてもおそらく門前払いをされるに違いない。
そんなことはわかっちゃいたが、彼女はとりあえず突入してみることにした。彼女のモットーは当たって砕けろだったから。
「ガガリン様に面会したいのですが」
西の塔の頑強な観音開きの扉の前で、アニタは大剣を持った守衛の騎士にこう言った。
「役職と氏名を名乗れ」
「アニタ=ウォーレンといいます。王宮のメイド見習いです」
「王宮のメイド見習いがガガリン卿に何の用だ?」
「実は私はガガリン様の学園の後輩でして、ご相談したいことがあるので、面会を希望しております」
「却下!」
「はい?」
「却下だ。ガガリン卿は非常にお忙しい方だ。気安く個人的な相談をお願いしてよい方ではない。たとえ親しい知り合いだとしても。
あの方とお会いしたい、話をしたいという者は大勢いるのだ。それなのに縁故を理由に抜けがけするような真似はさせぬ。
面会希望用の名簿に名前と住所と簡単な要件を記入して、呼び出しが来るのを待つように」
ほほう。ただの慇懃無礼なおじさんかと思えば、ちゃんと理にかなうことを言う人だとアニタは感心し、我が身の甘さを恥じた。
しかし、個人的な悩みの相談というよりも、王太子に関する相談なのだから、社会的問題なのではないか?とも思った。そこでこうお願いしてみた。
「騎士様のおっしゃることはもっともだと思います。しかしながら、実は個人的な悩みというよりは、ある意味、この国の未来に関わるご相談なのです。
それで直接ガガリン様にお会いできないのでしたら、あなた様からお伝え願えないでしょうか?」
「はあ? そんな重要事項なら可及的速やかに王宮の上司にでも相談した方が良いのではないか?」
騎士様は目を剥いてそう言った。やっぱりこの方はいい人だわ。
「いえ、緊急性と言われると微妙なのです。ただ後になって、ああ、あのときに対処していれば未然に防げたのにと、ずーっと、いや一生モヤモヤが残ってしまう、という類の話なのです」
アニタがこう言うと、彼は苦虫を噛み潰したような顔をして、露骨に嫌そうにこう言った。
「わかった。一応話してみろ。聞いてやる。ただし要領よく、無駄なく、簡潔にな」
「ありがとうございます。因みにお名前をうかがってもよろしいですか?
ああ、ヴァスク=ハランド様。魔術騎士様でいらっしゃいますよね? 先の北の森の魔物襲撃の際にはお得意の大剣で、バッタバッタと魔物を倒して大活躍された英雄。
そんな偉い方が何故この塔の守衛などをされているのですか?
えっ? 当番制? 隊長と副隊長以外は皆様が交代で務めていらっしゃる?
まあ! それでは私は幸運だったのですね、あなた様のような理解のある英雄に応対してもらえたなんて」
いや、ほんと、おべっかなどではなくアニタは本心でそう思った。ただの脳筋騎士様だったら、即行追い払われていたわ、と。
あっ、要領よく、無駄なく、簡潔に話さないといけないんだったわね。とアニタは身を引き締めた。そしてこう口を開いた。
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