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僕の世界は揺らぎが多い 前編

作者: 華嵐三十浪

今回は前編です。

雰囲気的には藤山寛美かな。。。

ハリウッドならニールサイモン?

 柳が揺れる。今日は昼から講義も無く用事もないので昼からうたた寝をして、窓から青さが際立ってきた柳をぼんやり見ていた。

 ゴロゴロしているからといって、心底リラックスしている訳ではなく、いつでも漠然とした不安からやる気が起きなくて寝てしまっているだけだ。

どこからとも無く沸き上がって来る焦燥感が常に身の内にあるのだが、出処がわからないからどうしようもないまま、ぼんやりしているので恐ろしく落ち着かなかった。

 これは自らの将来の先行きの不安だろうか。

僕はちらりと部屋の片隅に積まれた就職案内を見た。

何かしていれば紛れてしまうような感覚だが取払われる事は無い。抜くに抜けない親知らずのような煩わしい感覚を、僕はどこまで持ちながら生活していくんだろうか。

 また、柳が揺れる。

僕は寝転がったまま窓の外の柳に向かってゆっくり手を伸ばした。


 ドドドドドドドッ、けたたましい音をたててボロアパートが揺れる。

柳の揺れは情緒深いがアパートの揺れはシャレにならない。

 このボロアパートは、既に耐震強度等という話よりも災害防止法がありながら何故存在できるのか理解できない位ボロい、たまに、歩いているだけで床が抜けるのではないかと思う事がある。

 揺れと振動の具合で誰が通っているのかもよくわかる。

だから、ここの住民が廊下を走り抜けるという愚をおかす事はまず無い。階段を走り降りないのがせめてもの慰めだろうか?


 このボロアパートを揺らさずに歩けるのは幽霊くらいなものだ。幽霊でも怪しいのではないかと思う時すらある、この奥に住む幼稚園児が歩いても床がきしむのだから。しかし、何をそんなにバタバタとしているのだろうか?夕方にはなったが勤め人が帰ってくるほどの時間じゃない。

「学生、学生、いるんだろ?」

ぼんやりと騒動の元を憶測しているとドアを叩く音がした。

今回のアパートの揺れは、僕にも関係あることなのだろうか?

月島さんがやってきた。


月島さんは頑固ジジィを絵に描いたような人で、風貌も一目見ただけで性格がわかるような感じだ。

江戸っ子であることが自慢のようで何かある度にそれを口にしている。

僕が越してきた頃は、奥さんがいたのだが越してきて程なく亡くなり一人で暮らしている。

埼玉の息子さんが同居の勧めをしているが、江戸っ子は御府内で暮らすから江戸っ子なんだよ!、とよくわからない理由で断っているのを聞いたことがある。

「はいはい、なんでしょう。」

ドアをベコンと音をたてて開けると、何故か鼻の頭が赤くなってる月島さんが立っていた。酒をのんだのだろうか?でも、それにしては酒臭くない。

一寸(ちょっと)きねぃ、相談があるんで」

月島さんは一言だけ言うとさっと背を向け歩き出す。

僕が唐突な申し出に、ちょっとの間ぼんやりしていると機敏な動きで振り返り怒鳴る。

「さっさとキネい!急ぐんでぃ!」

怒鳴られてあわてて飛び出した。

月島さんの部屋に行くかと思ったのだが、連れて行かれた先はアパートよりも少しだけしっかり建てられた隣の古家、大家さんの家だった。

少しだけしっかりと言っても、ただ単に平屋なので2階建てのアパートよりもぐらつきが少ないだけである。

「おぅ、つれてきたぜ」

月島さんが声をかけた先を見ると、大家さんを始めアパートの住民がほとんど揃っていた。

しかも、皆一様に顔に鼻水と涙の跡があり異様な雰囲気を醸し出している。

大家さんだけが、いつもの神棚の前の長火鉢で佇むをしていて変わらないように思えた。が、おとなしくついてきたことはすぐに後悔した。

アパートの住民がほとんど揃っているという事はどうせ遅かれ早かれここに連れて来られる事になっていたのだろう。

「どうしました?みなさん」

これだけの人数が揃って、さらに僕が呼び出されたとなると、これ以上はない厄介ごとに決まっているのだが聞かないわけにはいかなかった。

「どうもこうもよ!」

月島さんはドカリと座り込み、僕に背を向けて鼻水をすすっていた。でも、それ以上は台詞が続かない。

「すまないねぇ、板宿さん、ちょいと困っちまってさぁ。」

その時初めて大家さんが口を開いた。

大家さんも鼻の頭が赤い。

「困りごとで僕で役に立ちますか?」

そう聞いた時に皆一斉にため息をつく、隣のおばさんは泣き出してしまった。


この人は近所の商店街の散髪屋の女将さんで、いつもにこやかに笑っている所しか見たことがない。

アタシャ学がないから愛想良くしとかないとね。が口癖だ。

その人が泣いているという事はよほどの事なんだろう。

「おばさん、おじさんは?」

白衣の裾でグジグジと涙と鼻水を拭いているので、何か声をかけないといけない。と、考えたのだが無理矢理ひねり出した言葉はロクなものじゃない。

「店よ。大変だけど閉めるわけにいかないから」

おばさんも機械的に返事はするけど涙や鼻水は止まらなかった。

僕も機械的に大家さんを見た。

大家さんも機械的に僕を見返したが、すぐに長火鉢の灰に目を落とした。

「やんなっちまうねぇ。こんだけ雁首揃えて頭抱えちまうなんて年は取りたくないものさぁ。」

「年じゃないわよ。大家さん、こんな話誰ができるってよ。」

2階の茜さんまで泣きながら鼻をかんでいる、目の前のゴミ箱はティッシュの山だ。


細い身体に似合わず声の大きな人で越してきたばかりの僕に、若い男に名前で呼ばれるとときめきで若さを保てるとかなんとか言って自分を『茜さん』と名前で呼べと大きな声で笑ったような人だ。

一緒に暮らしてる娘さんの彼氏の有無やボーナスの額をつい漏らしたりして、アタシャ隠し事が苦手なんだよ!と娘さんとよくやり合っている。

茜さんに至ってまでこうなのだからよほど厄介なことに違いない。

僕はもう一度大家さんを見た。

大家さんは、僕を見ずに火箸で灰をかき回しながら口を開いた。

「5号室の橋田さん亡くなったのよ。」

その一言で、さらに部屋の中の空気がさらに重苦しくなった。誰も口を聞くものはいない。


「えーーーーーーっ!!」

僕よりも先に驚愕の声を上げたのは、いつの間にか来ていた茜さんの娘、都さんだった。

あまりにも急でけたたましかったので、僕は驚愕の瞬間を逃してしまった。

「ああ、お帰りミヤちゃん」

突然現れた都さんに驚くでもなく、大家さんはいつものように挨拶をする。皆それに習うのかそれぞれにいつものような挨拶を続けた。

「おぅ、みやぼう、けぇったか。」

「お帰り」

「おかえんなさい。。。。」

僕も皆につられて挨拶をしたが感情の不完全燃焼を感じていた、しかし、逃げてしまったサプライズは戻って来る事が無いので僕は驚きの声を上げる事が出来なかった。

「都!挨拶くらいしてから上がって来な!行儀悪いよっ。」

「ケーキ買ってきたからみんなにもお裾分けをって思ってきたのよ!!」

いつの間にか上がり込んでた都さんの側には、最近テレビで話題になった店の名前の書いてある箱が転がっていた。

「今朝元気だったじゃない。冗談でしょ?」

「冗談じゃネェよ。それだったらどれだけいいか、チキショウめ!」

「さっき、アタシと雪江ちゃんが警察行って見届けてきたのさ。間違いなく橋田さんだったよ。」

大家さんは渋い顔をして、散髪屋の女将は泣き崩れる。

「事故さ。車にはねられちまって。。。はねられただけなら助かったかもしれないんだけど、はねた車と路上駐車の車の間に挟まれて。。。。。。」

茜さんはそこまで説明すると、また鼻をかみ始めた。

「そんな事故でぃ、はねた野郎も外に放リ出されておっちんじまってよぉ。誰怨んでいいやらベラボーよ。」

「そんなひどい、ひどすぎるよぉ」

都さんはぺたりとその場に座り込んだ。すると、急に思い出したように顔を上げた。

「彩ちゃんは?彩ちゃんはどうしてるの?」

その言葉がキーワードだったかのように、その場にいた全員が一斉に僕を見た。

彩ちゃんは橋田さんの娘で、ボロアパートを揺らさずに歩けるただ一人の幼稚園児だ。

越してきた当時はまだ3、4歳で、その時から2人だけだった。

橋田さんは物静かで儚げな人で、いつも彩ちゃんを連れて、茜さんや散髪屋のおばさんの話をにこやかに聞いていたのを覚えている。

「それさね。彩ちゃんさ。」

大家さんがそう言うと、散髪屋のおばさんがぐすりと鼻水を白衣で拭きながらこちらを向く。

「いつまでも黙ってるわけにはいかないから幼稚園から帰って来るのを待って、アタシが言いにいったのよ。」

散髪屋のおばさんの白衣の裾は鼻水と涙でぐちゃぐちゃだ。

「で、いきなり話すのもなんだからアイスクリーム食べようって、ウチの散髪屋の隣のカドヤに連れてって。たまにあの子と行くもんだからさぁ。」

「で?」

この部屋の中で話の筋がわかってないのは、都さんと僕だけだ。二人で身を乗り出した。

「あの子ちゃんと手を合わせていただきますとごちそうさまってさぁ。あたしゃなんだか切なくなっちまって、声が出せなくなっちまってねぇ。そしたら彩ちゃんが甘いもの食べちゃったから歯を磨かないとお母さんに怒られるからって言うから、家まで連れて帰って・・・・」

また、散髪屋の女将は泣き出した。

僕と都さんは狐につままれたような顔でお互いの顔を突き合わせた。

「え、言わなかったんですか?」

「なんで言わなかったのおばちゃん?」

すると、散髪屋の女将は涙と鼻水の跡が残る顔でにじり寄ってきた。

「言えるとでも思ってんのあんたら!!あんなにうれしそうにアイス食べてる子供に、お母ちゃん死んじまったんだよって、言えるのかい!!そんな薄情なことできゃしないよ!!」

一通りまくしたてると、また、涙と鼻水を白衣の裾で拭いた。

「それにあの子、アイス食べながらなんて言ったと思う。おばちゃんいつもありがとうって、大きくなったら都お姉ちゃんみたいにがんばって働くね。お給料が出たらケーキいっぱい買ってくるからって。アパートのみんなで食べようねって。ニコニコして。。ニコニコ。。。そんな子に口が裂けたって言えないよぉ!」

「素直な子だなぁ。都さんが志のあるバリキャリに映るんだ。」

「職場の便所詰まらすような馬鹿娘にありがたいねぇ。」

「母ぁさん、あれアタシじゃないわよ!」

都さんは都庁の職員、茜さんは都庁出入りの清掃業者の所でアルバイトをしている。親子で同じ職場で働いている。

「便所なんかどうでもいいやな、っで、俺が仕事上がって商店街通りかかると雪江ちゃんとカドヤのババァと何人かが鼻たらしてやがんのヨ。」

月島さんも鼻水をすすり上げる。

ここでこの調子なら、今日の商店街にはこの話が疾風怒濤の如く走り抜けて、どこも開店休業なんじゃないだろうか。

「ワケぇ聞いたら、俺ッチの長屋の事だしよ。かぇえそうだが誰かが言わなきゃいけネェしよ。こういうことは男が泥かぶらなきゃよぉ。」

結果はもちろん推して知るべしなのだが、月島さんが話し出すので黙って聞いていた。

「長屋にケェってよ。とりあえずアキちゃんとこ行ってよ。事情聞いてよ。」

散髪屋のおばさん、月島さん、茜さんは大家さんの事をアキちゃんと呼んでいる。どうも幼なじみらしい。

「彩坊ンとこ行ったのよ。雪江ちゃんじゃネェが尋ねって行って、いきなり母ちゃん死んじまったンだって言えるかい?とりあえず後の事もあるしよ。モノは形からとも言うからよ。」

気持ちはわかるけど、月島さんがいまここで鼻の先を赤くしてるのが全てを物語ってる。

「そしたら、彩坊が歯ぁ磨いてたんだ。それがよぉ、廊下の突き当たりの洗面台によ背が届かネェンで段ボールの上に乗って歯ぁ磨いてんのさ。アブネェだろう?いくら丈夫ッつたって紙だぜ紙。段ボールはよぉ。で、彩坊にいつもそうしてるのかいって聞いたらよ。そうだって言うから。踏み台作ってやったのよ。木切れは部屋にあるからよぉ。」

「で、言わなかったんですか?」

「おじちゃんだめじゃない。」

僕と都さんがそういうと、胡座をかき直した月島さんは開き直って鼻水をすすった。

「テヤンデー、せかすんじゃねーよ。男が言うって決めたんでー!それくらいじゃあきらめねーよぉ!でも、段ボールじゃケガしちまうぜ。あぶねーじゃねーか!」

もう既に結果が見えてる話を聞くのは面倒なのだが、これを聞かないと話が進まない。

「フミデェ作ってる間よ。彩坊にそれとなく聞いたら、父親はおろかじーさんばーさんや親戚もシラねぇって言うんだ。でよ、出来たらにっこり笑ってありがとうって言いやがってな。それ使ってもう一度歯ぁ磨きやがるんだよ。彩坊は身体がチイせいからよ。持ち運びが楽なように横っちょに取っ手つけてやったんだがエラく喜んでくれてよぉ。ここはみんながとても親切ですごく嬉しいってお母さんが言ってる、彩も人には親切にしてあげなさいって言われてるって言いやがってよぉ。今日寝る前に肩叩きに来るって言いやがるんだ。。。おめぇ、どの口で彩坊は天涯孤独になっちまったんだよって言やぁいいんでぃ。」

「男の誓いはどこにいったんですか?」

「バカヤロー!こちとら生まれてこの方、女に泣かされても泣かした事はネェンディ!女の上に子供だぜ!泣かせるなんて俺にゃあできねーよ!江戸っ子の心意気の前には男の誓いナンザァ屁みてぇなもんよ。」

だいたいわかってはいたが、言い訳の上に屁理屈を重ねて、どう足掻いても口から出したくない。を優先させているようだった。

ただ、任務を遂行できなかったのはとても良くわかる。

「アタシが帰って来たら、雪江ちゃんとこの唐変木が泣いてるのよ。」

「泣いてなんかねぇ!鼻水でー!コンチクショー!!」

茜さんは月島さんに一瞥くれただけで淡々と話を進める。

「話を聞いて驚いたんだけど、いつまでも隠しておける事じゃないからさぁ。いっそ知り合いから聞いた方が彩ちゃんも泣きやすいだろうと思ってさぁ。」

結果はわかっている。

早くそういう事になった経緯を手短に聞きたいが、女性の話をはしょらせると後で祟られかねない。

「彩ちゃんがさぁ、都はいつ帰るんだって言うんだよ。」

「アタシが?」

「アンタぁ、何か約束してたろ?いっしょにテレビ見るとかなんとか」

「うん、プロレス見ようって、だから、早く帰って来たしケーキも買って来たのよ。」

「アタシャそれ聞いてね。30近い女がいい歳こいてプロレスかい、嫁にも行きやがらねーのにって、つい、いつものように言っちまってねぇ。」

「かーさん、いつもどこでそれ言ってんの?」

僕は無表情のまま、顔の向きを変えずに都さんのスーツの裾を掴んで、都さんが立ち上がりそうなのを阻止した。話がススマネェ。。

「場所なんかどこでもいいさね。そしたら彩ちゃんが謝るのよ。ごめんね、おばちゃん私のせいかなって、しょげたような顔しちまってさぁ。遊んでくれて優しくしてくれるのが嬉しくて、つい、おねえちゃんと約束しちゃうから、彼氏できないのかな。。でも、おねえちゃんのせいじゃなから、おばちゃん怒らないでって、まで言うんだよ。泣けるじゃないかこんな行かず後家で、未だにへそ出して大口開けて寝こけてるような都をかばって謝ったりしてさぁ。例え、子供の考えから出た事でもその気持ちが嬉しいじゃないか。ちょいと泣けて来ちまってねぇ。おばさんが悪かったから、今日は遠慮なく都とプロレス見てやってって、つい言っちまったんだよ。」

「最初から言う気なかったんじゃないの?」

都さんが心理とも言えるツッコミを入れる。

そりゃ、5歳の身寄りのない子供に唯一の身内が死にましたと、喜んで口火を切る人間がこの世のどこに存在するのだろうか。

「家に来いって言ってから、お母ちゃん死んだんだよってどの面で言うのさ!どう切り出すのさ!アタシャそんな夜叉みたいな事できないよ!情の薄い子だね!」

濃い薄いはともかく、彩ちゃんの素直な心根が僕たち腐れた大人の任務遂行の障害になっているらしい。だいたいのあらすじが語られると今まで黙っていた大家さんが重い口を開く。

「まぁ、そういった訳で、板宿さんにお鉢が回って来たのさ。」

「粉々に砕きたいですね。そんな鉢」

「用が済めば砕こうが冠ろうが好きにしてくれていいんだけどね。」

大家さんは、僕を見ながらゆっくりと煙管の煙を吹き出した。

僕は、この人生の中で初めて進退窮まるという状況を体験していた。外から柳の葉が風で揺れる音がしていた。

お楽しみいただければ幸いです。

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