四
テラの魔法は日に日に強くなっている。
観察を始めた初日は、せいぜい木を一本穿つ程度だった。それが数日を経ると、後ろに列なっている木々にまで被害が及んだ。
楽しそうなテラの笑顔には似つかわしくない物騒な威力である。
また、テラの魔法のごとく弥増す罪悪感にセトは彼女へ笑顔で応えられているか不安だった。
こうして特訓に付き合って数日。
セトは未だに包帯の右手を晒すか葛藤していた。
ある日。
セトは森の奥へと独りで入った。
理由はほんの好奇心――テラのように自分にも魔法が扱えるのか。その疑問を解消すべく、人目の無い場所で実践することにした。
ルシエラとの約束は破っていない。
口外しない、晒さない。
それが守られていれば反故にはならないし、包帯も人がいなければ外しても構わない。
セトは珍しく心が躍っていた。
自分にはどんな才能が目覚めたのだろう。
「早く試したい」
木々を分けて奥へと入る足取りが弾む。
自覚以上に浮ついていた。
だからこそ。
セトの警戒心はいつになく低く、隣から伸びてきた手に気づかなかった。
「捕まえた」
「うわっ?」
「あ、君たしかついこの前会った子か?」
腕をつかむ手を振り払ってセトは走る。
誰もいないと踏んでいた森で、唐突に自分を捕まえた手の主が誰なのか、驚いて確認する余裕は無かった。
竜紋という秘密と、突然な接触。
すっかり混乱したセトは方向も見失うほど駆け出していた。必死に後ろに感じる気配から逃れることに全力を注ぐ。
やがて、目の前に断崖絶壁が聳える場所に出た。
岩壁に背をつけて来た道を見る。
自身が飛び出た樹間から人影が進み出た。
「酷い、そんな怯えるなんて」
「ひっ」
「私だよ、私。ほら」
その人物が外套のフードを脱いで顔を見せる。
刺繍をした褐色の頬と、黒髪が陽の光の下に晒された。警戒して黙り込むセトに対して柔和な微笑みを浮かべる。
フードを取った少女は、一歩以上の距離を置いて目線の高さを合わせた。
セトはそれが嫌いだった。
ルシエラがよくする物で、まるで自分が相手に釣り合わない子供であることがよく思い知らされる。
「アタシのこと憶えてる?」
「この前、たしか村に来た旅人」
「憶えてたのね。えらい、えらい」
セトは周囲を見回す。
人目を避けようと森の深いところまで来た。
そんな場所にいる少女自体も怪しいが、見つかってしまっては己も同類である。ここにいる理由について相手に尋ねれば、同じように自分へも詮索が返ってくる。
できるだけ理由に触れないように。
セトは取り戻した冷静さで少女と対する。
「俺に何か用、ですか」
「あ、敬語も使える?えらいね」
「俺は森の探険してんの、邪魔しないで下さい」
不機嫌さを装って睨め上げる。
少女には幼子の反発のように笑って流された。
背負っている長方体の箱を置いて、その場で留め具を外し始める。
「探険?ここら辺はあまり子供が来ないけど」
「だからです。俺が先駆者になってやるんです」
「それにしては、ビックリし過ぎじゃないかな」
「人がいると思わなかったし」
少女が箱から斧を取り出した。
柄本から先端まで、真紅に染まった一対の斧。握りの終端から伸びる赤い紐でそれぞれが繋がれていた。
突然取り出された凶器に体が固まる。
およそ子供との会話中に扱う物ではない。目の前の少女が不審者から一転、危険人物へと変わって目に映った。
少女は片方の斧を肩に担ぐ。
その姿が様になっていることから、使い慣れていると即座に解った。
それも村にいる樵夫とは明らかに異なる空気感が、それ以外の用途――剣呑な気配を感じさせる方に達者なことを窺わせる。
「あの、その斧は?」
「この村に来た用事、言わなかったっけ」
「え、と…………化け物退治?」
「そ。その仕事道具」
少女がじっ、とセトを見つめた。
その視線がゆっくりと、顔から右肩へ…………そして右手へと下りていく。
包帯の巻かれたそこに、黒い瞳が細められた。
「それ、怪我?」
「はい」
「ちょっと見せてよ」
「悪いけど、家の姉にやって貰った物だし、触ると痛いから嫌だ」
「アタシ包帯巻くの上手いよ」
「痛いから嫌です」
少女から右手を隠して庇う。
セトは背筋がひりつくような感覚がしていた。
誰かに見せることは、ルシエラとの約束があるからという理由で隠している。
だが――。
この少女に対して明かすのは、約束ではなく本能が危険だと叫んでいる気がした。
しばらく抵抗を続け、やがて少女が諦めて身を引いた。
それから、突如として服の胸元を大胆に広げる。
「えっ、なっ?」
「ふふふ、その反応はませてるな少年」
「け、健全でしょ!?」
赤くなって慌てて顔を背けようとした。
だが、セトは――思わず動きを止めてしまう。
「…………!」
胸の中央部。
そこに、見知った物を見つけてしまった。
少女の肌の中で禍々しく異質な気配を漂わせる黒い『竜紋』がある。
中途半端に体の正面を逸らしたまま目が釘付けになっているセトに、少女は顔から笑みを消す。
「やっぱり、知ってるよね」
「えっ」
「君にもあるんでしょ、竜紋」
「な、何ですか…………リュウモン?」
「年に似合わず腹芸が上手いな」
「いや、本当に知りません」
少女の眉間にシワが寄る。
「やっぱり怪しい」
「本当に知りませんから」
「嘘、ちゃんと言っ――」
「ありません!!」
「じゃあ、ちょっと見せなさい!」
「や、やめ」
少女が斧を手放して手を伸ばす。
右手が捕まえられ、強引に引き寄せられる。
少女の指が包帯の結び目に噛み付いた。
ぶわ、と冷たい汗がセトの体中から溢れる。約束だけではない、この変貌ぶりが見られてはならないという危機感をさらに掻き立てる。
セトは力を振り絞って抵抗した。
「だから――止めろって言ってるだろ!!」
「え―――――」
腕を強く振り払った。
その瞬間。
包帯の下から光が溢れ、辺り一帯を包み込んだ。