三
ルシェラに誓った約束を守るべく、さっそく右手を包帯で隠して部屋に出た。
父に火傷と言えば、セトは厨房や火から遠ざけられた。普段は朝餉も用意しているので、料理当番を外されたのは思わぬ僥倖だった。
ルシェラの作った料理を平らげて一息つく。
食事中に彼女が右手の包帯を見てほほえんだことに胸がどきりとしたことを隠すのに必死だったのもあって気疲れがある。
セトは朝から憔悴していた。
「セト、友だちが来てるよ」
「友だち?」
「テラ、ってかわいい子だよ」
ルシェラが嬉しそうに笑む。
まるで弟に友人がいることを喜ぶ姉然とした反応に、セトは何も言えなかった。
複雑な心境のまま玄関まで向かえば、扉の前に昂然と胸を張って立つテラの姿を目にする。
普段は家の用事が済んだ昼頃に村の子どもたちで会う約束をしている。
テラが朝に家を訪ねる理由がわからなかった。
ただ、いつもより誇らしげで、どこか興奮している彼女を異様に思いつつセトは外に出て応対した。
「何だよ、まだ昼じゃないぞ」
「ちょっと来て」
「何で」
いいから、と強引にテラに手を引かれる。
セトは渋々と従って、テラの誘導に従った。
村に面する森の奥側へと案内され、木々の開けた場所へと辿り着く。未だにテラの底意が知れないセトとしては、事情も告げられずに人気のない場所に連れられた現状に不穏な印象を抱いていた。
テラの悪戯は尋常ではない。
それは過去の体験から学んでいる。
子どもの悪戯といえば、水をかけたり手を叩いて驚かせたり、大きな怪我に繋がる過度な行いという可能性を除けば他愛ない。
しかしテラには、それらが皆無だった。
一見おしとやかだが、ふと二人だけになると河に突き落としたり、落とし穴に嵌めたらそのまま放置する場合だってある。
どうして標的がセトに集中するかはセトも知らず、また他に知っている者はいない。
――また何が始まるのだろう。
緊張するセトの面持ちに、テラがへらりと笑う。
「そんな警戒しないでよ」
「いや無理な話だろ」
「セトにね、私だけの秘密を見せてあげるわ」
「いや、結構です」
「見て!」
テラがさっと一本の木の前に立つ。
もしや木登りと見せかけて、樹上に拵えた罠を発動させ、襲ってくるつもりかと勘繰るセトの不安など知らず、その顔は喜色満面の笑みだった。
テラは前に白い手を差し出す。
樹幹へ向けられた手のひらから、破裂音が鳴り響いた瞬間に目の前の木の幹に穴が穿たれた。
耳を手で覆って唖然とするセトの前で、テラはまた笑みを深める。
「どうっ?」
「いや、どうって…………それ魔法?」
「そう、『空気を操る魔法』!」
空気を操る魔法。
セトは孔の空いた樹幹をふたたび確認する。
人の体だったなら、どうなっていたのか。身震いがして想像を忌避してしまうほどの威力には違いない。
ただ予想していた魔法とは少し異なる。
セトの理想としては、洗濯炊事に役立つ火や水ばかりの実用性を理想としていた。
破壊力ばかりが際立っても魅力的に見えない。
「…………どういう風に役に立つんだよ、ソレ」
「強いでしょ」
「いや、それは、まあ、うん」
返答に困る返答に、セトは苦笑する。
テラが大胆にワンピースの裾を持ち上げた。
太腿の辺りに異様な紋様が浮かんでいる。
「それは?」
「『竜紋』って言うの。これが魔法を使える人の証なんだって」
セトは注視して、背筋に冷たいものを感じた。
自分の右手にある紋様と同じである。
あれが魔法を扱える証であるとするなら、セトにも同じことができるという証明である。
「いつから魔法を?」
「実は一月前から」
「へえ」
「お父さんやお母さんには言ってないの。魔法使いは嫌われるって言うしね。…………でも、その、セトには教えたくて」
「何で俺だけ」
顔を赤くしたテラの言葉に、しかしセトは全く理解できず首を捻る。
一変してぎらりと鋭い眼差しを送られて、セトは思わず右手を庇って後ろに隠す。
「そういえば、それ何?」
「え、ああ。これは――」
右手に同じ『竜紋』がある。
そう答えようとしたセトの脳裏に、ふとルシェラの姿が浮かんだ。
『他の人に話してはダメ』
切迫した彼女の表情に、口が止まる。
せっかく包帯まで巻いて彼女と交わした約束へ真摯に向き直ろうとした自身の朝の姿勢を思い出す。
「…………えっと、火傷してさ」
「だ、大丈夫なの?」
「ああ、このくらい平気だよ。…………平気」
案じるテラの不安顔が直視できず、セトは顔を背けた。
すると、歩み寄って来たテラによって右手を優しく握られる。
「私、魔法の勉強してるの」
「魔法の?」
「ほら、魔法は呪いじゃなくて夢の力かもしれないし。だから、もし上達したらセトにもっと見せてあげるね」
「…………ああ」
「私がこんな秘密明かしたんだから、セトも嘘とか隠し事ダメだから。私に何でも話して、二人だけの秘密いっぱい作ろ」
何でそんなことしなくてはならないのか。
そんな言葉が動揺で出てこなかった。
セトは右手のことを隠したことの罪悪感に襲われ、ただ無言でうなずく。満足気に笑うテラの太腿へと視線を落した。
裾では見えない竜紋。
果たして、魔法は見てみれば夢のような力であって厭われる理由が分からない。
再び練習と言って、魔法を放つテラを後ろから見守る。
セトはその姿に不安と罪悪感を覚えた。