プラス⑥
■舞台:森鴎外記念館~団子坂上~団子坂下~谷中霊園『徳川慶喜』の墓~
【エイジ】
それから榊さんと僕は、森鴎外の旧居跡にある『森鴎外記念館』を見学した。
【エイジ】
記念館を出るとすぐに『団子坂上』の信号で、そこから団子坂を下って、僕たちは谷中に出た。
【エイジ】
本郷は終わりだ。
【エイジ】
榊さんは散策のシメに、最後の将軍『徳川慶喜』の墓を見ていきましょうと言って、谷中霊園に向かった。
【エイジ】
霊園はとても広かったけど、『徳川慶喜』の墓も『春日局』の墓と一緒で、それほど豪奢なものではなかった。
【エイジ】
谷中霊園のすぐ近くにJRの日暮里駅があり、そこが今日のゴールだった。
【エイジ】
若葉が繁る霊園の桜並木を、僕たちは駅に向かった。
【エイジ】
駅に近づくにつれて僕の口数は少なくなり、やがて無言になった。
【エイジ】
僕が押し黙ったので、榊さんも黙り込んだ。
【エイジ】
僕と榊さんは、二人肩を並べて駅までの短い道のりを黙々と歩いた。
■舞台:JR日暮里駅南口。
【ひかり】
「それじゃ、今日は楽しかったわ。付き合ってくれてありがとう」
【エイジ】
日暮里駅の南口改札の前に着くと、榊さんが僕に礼を言った。
【エイジ】
空は夕焼けに染まり、家路を急ぐ人たちで駅は混雑していた。
【エイジ】
榊さんはここから山の手線で都心に戻り、僕は常磐線で千葉に帰る。
【エイジ】
「い、いえ、僕の方こそ、楽しかったです……」
【エイジ】
それ以上、言葉が出てこない。
【エイジ】
僕は散策の最後で黙り込んでしまったことを、激しく後悔していた。
【エイジ】
もっと、もっと、榊さん話をしておくべきだった。
【エイジ】
それなのに、榊さんへの離れがたい想いで胸が一杯になって、言葉を発することが出来なかった。
【ひかり】
「それじゃね」
【エイジ】
榊さんはそう言って、僕に背を向けた。
【エイジ】
その背中が、アキバのソフマップの前で見送った、るりかの背中と重なった。
【エイジ】
「あ、あの!」
【エイジ】
僕は去りゆく榊さんを呼び止めた。
【エイジ】
呼び止めずにはいられなかった。
【ひかり】
「なに?」
【エイジ】
「あの……その……」
【ひかり】
「?」
【エイジ】
「どうして……どうして僕を誘ってくれたんですか?」
【ひかり】
「え?」
【エイジ】
「どうして、今日僕を誘ってくれたんですか?」
【エイジ】
僕は訊ねた。
【エイジ】
これだけは聞いておかなければならない。
【エイジ】
なぜ、榊さんは今日僕を誘ってくれたのだろう?
【エイジ】
見ず知らずの僕を、なぜあんな散策に誘ってくれたのだろう?
【ひかり】
「だって宮城くん、あのクスノキで首を吊りそうだったですもの」
【エイジ】
「……え?」
【ひかり】
「物凄く深刻そうな、悲しそうな顔でクスノキを見上げていたから、てっきり自殺でもするんじゃないかと思ったのよ」
【ひかり】
「そんな人を放っておけないでしょ?」
【エイジ】
榊さんはクスリと微笑み、言った。
【エイジ】
そうか……そういうことか……。
【エイジ】
あの時の僕は、そんな深刻な顔をしていたんだ……。
【エイジ】
「……フラれたんです……あの少し前にアキバで」
【エイジ】
「……中学のときからずっと好きだった娘に告白しようと思ったら、その娘には彼氏が出来ていて……」
【エイジ】
言いながら、ああ、僕は馬鹿だな。大馬鹿だな……と思った。
【エイジ】
これで榊さんの連絡先を聞くことが出来なくなってしまった……。
【エイジ】
失恋したその日に、他の女の子の連絡先を聞くような男を、榊さんはきっと軽蔑するだろう……。
【エイジ】
まったく、僕は本当に、とことん分かっていない……。
【ひかり】
「宮城くんは、今日自分史に歴史を刻んだのね」
【エイジ】
再び黙り込んだ僕を、榊さんは真摯な表情で見つめた。
【エイジ】
「自分史……?」
【ひかり】
「ええ。それはきっと素敵なことよ。時間が経って振り返ったときに、自分にちゃんとした歴史があるってことは」
【ひかり】
「例え悲しい失恋の記憶でも、歴史になれば素敵な思い出よ。何もないよりもずっと素敵」
【エイジ】
「……榊さん」
【ひかり】
「さようなら、宮城くん。あなたのその胸の痛みが、早く歴史になることを祈ってるわ」
【エイジ】
榊さんはそういうと、僕にクルリと背を向け、改札の中へと消えていった。
【エイジ】
背筋を伸ばし、自信に溢れた足取りで、長く艶やかな黒髪をなびかせて。
【エイジ】
振り返ることなく、他の沢山の利用客の中に紛れていった。
【エイジ】
見送る僕の目から涙が零れ、やがてうつむき、嗚咽が漏れた。
【エイジ】
別れの悲しみと喪失感が、胸を押し潰した。
【エイジ】
るりかにフラれたときには泣けなかったのに。
【エイジ】
突然過ぎたるりかとの別れを、榊さんと本郷を歩くことで、僕はもう一度時間をかけて追体験したのかもしれない。
【エイジ】
もう一度時間をかけて理解し、胸の中に収めることが出来たのかもしれない。
【エイジ】
そして何より――榊さんと――あのクスノキの精霊のような彼女と、もう会えないことが悲しかった。
【エイジ】
榊さんと、もう話せないことが悲しかった。
【エイジ】
僕は馬鹿だ!
【エイジ】
嫌われたっていいから、軽蔑されたっていいから、メアドぐらい聞くべきだった!
【エイジ】
僕はその場で立ち尽くし、激しい後悔に身体を震わせた。
■舞台:常磐線車内
【エイジ】
その後、僕は常磐線に乗って一人家に帰った。
【エイジ】
しばらく榊さんのことを考えていたけど、ふと思い立ってスマホを取り出した。
【エイジ】
地図アプリを立ち上げて、今日榊さんと歩いた道のりを確認・記録するためだ。
【エイジ】
もう会えないのなら、せめて今日のあの散策を一生の思い出として残したい。
【エイジ】
「なんだ、すぐ近くじゃないか」
【エイジ】
グーグルマップで確認してみると、僕が今日榊さんと歩いた場所は、いつも行くアキバのすぐ近くだということが分かった。
【エイジ】
あのアキバの側に、ああいった場所があるなんて今日まで想像したこともなかった。
【エイジ】
「……僕の世界は狭かったんだな」
【エイジ】
僕はスマフォの小さなディスプレイを見ながら呟いた。
【エイジ】
司馬遼太郎……読んでみようか。
【エイジ】
三国志も、ゲームじゃなくて、ちゃんとしたのを読んでみようか。
【エイジ】
夏目漱石や森鴎外も読んでみようか。
【エイジ】
そして、今から死ぬ気で勉強したら、僕でも東大に受かるだろうか。
【エイジ】
胸の悲しみはいつしか薄れて、代わりに想像の翼が僕を飛び立たせていた。
【エイジ】
常磐線は夜の中を、北に向かって走って行く。
■エピローグ
【エイジ】
それからも僕は、ちょくちょくアキバに通った。
【エイジ】
でも、以前のようにそれ系のショップだけが目当てではなく、アキバの帰りに本郷から谷中にかけて歩くことが目的だった。
【エイジ】
もしかしたらその道すがら、また彼女に会えるかもしれないと淡い期待を抱きながら。
■後日談
【エイジ】
さて、実はこの話には後日談がある。
【エイジ】
あの散策から半年ほどが過ぎ、その際に着ていた薄手のサマージャケットしまう季節が訪れた。
【エイジ】
母さんに言われてポケットの中身を改めていると、綿くず・糸くずと一緒に見慣れない名刺が出て来た。
【エイジ】
怪訝な顔で見てみると、そこには榊さんの名前と連絡先が記されていた。
【エイジ】
あの散策のおりに、僕に気づかれないように榊さんがコッソリ忍ばせた物に違いない。
【エイジ】
僕は真っ青になって、その名刺に書かれていたアドレスにメールを打った。
【エイジ】
返信はすぐにきた。
【ひかり】
『胸の痛みは歴史になったのかしら? 半年も待たせやがって。次は神田・深川辺りを歩きましょう』
【エイジ】
もちろん僕が、狂喜乱舞して部屋中を暴れ回ったのは、言うまでもない。
Fin
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
現在、他のウィザードリィ風味のダンジョン物の小説も他に連載しております。
よろしければ、そちらもお読みいただければ幸いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
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