プラス⑤
■舞台:根津一丁目交差点~忍通り~根津神社
【エイジ】
『弥生式土器発掘ゆかりの地』の碑を後にして、僕たちは言問通りを進んだ。
【エイジ】
途中がまたまた坂になっていて『弥生坂』と言うらしい。
【エイジ】
その『弥生坂』を下ると根津一丁目の交差点で、『忍通り』とぶつかった。
【エイジ】
そこで榊さんは左に曲がった。
【エイジ】
どうも北へ北へと向かっているらしい。
【エイジ】
ちょっとだけ『忍通り』を進んで、『根津神社入口』という交差点でまた左に折れる。
【エイジ】
榊さん、今度は『根津神社』に寄るつもりらしい。
【エイジ】
根津神社の社は、渋い朱に塗られていた。
【ひかり】
「今でこそこんな風に静かで落ち着いた雰囲気だけど、昔の神社ってね、神聖な場所でもあると同時に、遊びの場所でもあったのよ。屋台とか富くじとか、あと門前町には岡場所なんかもあって、とっても賑やかな場所だったの」
【エイジ】
「お、岡場所ですか」
【ひかり】
「そう、幕府非公認の遊郭のことね。吉原とかそういう公許の場所じゃないところをそう呼んだらしいわ」
【エイジ】
岡場所、遊郭という言葉に、僕はなんとなく顔を赤らめてしまった。
【エイジ】
それって、今のソープランドとかじゃないのか。
【ひかり】
「どうしたの、宮城くん? 顔が赤いわよ?」
【エイジ】
榊さんが、ふふん――と言った感じで僕を見た。
【エイジ】
どうも、さっきの敵を討たれてしまったようだ。
■舞台:夏目漱石旧居跡。
【エイジ】
北口から『根津神社』を出ると、目の前に『日本医科大学』があった。
【エイジ】
土地柄か、周りにはやたらと薬局が多い。
【エイジ】
西に少し進み、『日本医大前』の交差点を右に曲がって、再び北に向かう。
【エイジ】
景観が変わって、普通の住宅地に入った。
【エイジ】
「なんだか、普通の住宅地ですね」
【ひかり】
「きっと昔もそうだったんでしょうね。昔からこの辺りは住宅街」
【ひかり】
「――ああ、あったわ。あれよ」
【エイジ】
「?」
【ひかり】
「ここよ。ここに来たかったの」
【エイジ】
「――『夏目漱石旧居跡』」
【エイジ】
目の前には、そう書かれた碑があった。
【エイジ】
「『夏目漱石』って、ここに住んでたんですか?」
【ひかり】
「そうみたいね」
【エイジ】
碑は小さく、そんなに目立つものではない。
【エイジ】
ただ、近くのブロック塀の上に猫のオブジェがあって、道行く人を見下ろしている。
【エイジ】
なるほど、『吾輩は猫である』――か。
【ひかり】
「『吾輩』ね」
【エイジ】
同じことを想ったらしく、榊さんが笑った。
【エイジ】
僕は漱石を読んだことがなく、彼がどういう人かも知らない。
【エイジ】
だから想像力を巡らせて、目の前に明治の文豪が見ていたご近所の風景が広がることもなかった。
【エイジ】
榊さんには、そういう風景が見えるのかな?
【エイジ】
もし見えるのだとしたら、それはきっと楽しいだろうな。
【エイジ】
「――人生に必要なものは『想像力』か」
【ひかり】
「? なあに、それ誰の言葉? 『チャップリン』?」
【エイジ】
「い、いえ、『宮城エイジ』、ただの高校一年です」
■舞台:森鴎外旧居跡。
【エイジ】
『吾輩』の置物に見送られて、榊さんと僕は再び歩き出した。
【エイジ】
次の目的地は、『森鴎外』の旧居跡だそうだ。この近所にあるらしい。
【エイジ】
漱石の次は鴎外か。凄いぞ、本郷。
【エイジ】
(ちなみに、樋口一葉の旧居跡もこの本郷にあるらしい。無論、読んだことはないけれど)
【エイジ】
榊さんの話では、森鴎外という人は明治期を代表する文豪であると同時に、著名な医師であったらしい。
【エイジ】
著名どころか、当時の陸軍軍医総監にまでなった人で、ある意味日本で一番有名なお医者さんだったわけだ。
【エイジ】
榊さんは、これまでの僕の受け答えから、どうやら僕が鴎外を読んでないことを察して、作品についてではなく、そっち(つまり医師としての鴎外)の方向に話を持っていってくれた。
【ひかり】
「鴎外が軍医総監として活躍した時期は、ちょうど日露戦争の頃だったの」
【エイジ】
「ああ、『坂の上の雲』ですね」
【エイジ】
それも母さんが見てた。
【ひかり】
「そうね、わたしも見ていたわ。でも鴎外は医師だから戦っていたのはロシア兵ではなくて、病気の『脚気』だったのよ」
【エイジ】
「『かっけ』? 『かっけ』って、あの膝をコツンと叩く?」
【エイジ】
中学のときの理科の授業で、先生が何を思ったかハンマーで生徒の膝を叩く実験をしてみせ、お前『かっけ』気味だぞ――と人体実験されたクラスメートに言ったのを覚えている。
【ひかり】
「そう、その『脚気』」
【エイジ】
「へぇ、あんなのと戦ってたんですか。なんかホノボノとしてますね」
【エイジ】
国を挙げての戦争をしているときに、足が上がるか上がらないかの心配をしていたのか。
【ひかり】
「『脚気』を馬鹿にしてはいけないわ。当時の日本では『結核』と並ぶ国民病だったんだから」
【ひかり】
「日露戦争での陸軍の戦死者数が約八万八千人。それに比べて脚気での病死者数が二万七千人なのよ。とてもホノボノなんてしてられないわ」
【エイジ】
「え、脚気でそんなに死んだんですか?」
【エイジ】
っていうか、脚気って死ぬ病気だったんですか?
【ひかり】
「脚気はビタミンB1の不足で発症するんだけど、当時はビタミン自体が未発見で原因が分かってなかったのよ。鴎外自身は細菌が原因ではないかと考えていたみたい」
【ひかり】
「日本人の主食の白米にはビタミンB1が少ないの。だから特に白米を多く食べる江戸の住人に脚気は多かったようね。『江戸煩い』とまで呼ばれていたらしいから」
【エイジ】
「? 江戸の住人だけが白いご飯を食べてたんですか?」
【ひかり】
「燃料事情から、大都市の江戸では精米されたお米の方が早く炊ける分安上がりだったのよ」
【ひかり】
「逆に地方では山が近くて燃料が安く簡単に手に入ったんでしょうね。玄米は炊くのに時間が掛かるけど、精米しない分手間が掛からないから。加えて米以外の雑穀もよく食べられていたでしょうし」
【エイジ】
「な、なるほど」
【エイジ】
「それじゃ、精米する前の米にはビタミンB1は含まれていて、脚気になりにくかったんですね――玄米か」
【ひかり】
「他にも、麦や蕎麦にも含まれているから、民間療法的に蕎麦を食べると脚気が治ったらしいわ――つまり雑穀ね」
【ひかり】
「パンも同じで、日本に入りたての頃は脚気の薬として流行ったみたいよ。それで脚気が治まると売れなくなって。だから、いつでも売れる『あんパン』が発案されたらしいわ」
【エイジ】
「ト、トリビアですね」
【ひかり】
「海軍の方でも脚気は重要な問題だったのよ。海軍の軍医だった『高木兼寛』も頭を悩ませていたみたい」
【ひかり】
「外国の軍艦では脚気が起こっていないのに、日本海軍、それも下士官・水兵の間でだけなぜ脚気が発症するのか――って」
【エイジ】
「? 下士官・水兵って、士官は脚気にならなかったんですか?」
【ひかり】
「まさに高木軍医はそこに思い至ったのね。脚気にならない外国の軍艦の乗員と、日本海軍士官との共通項――」
【エイジ】
「な、なんなんですか?」
【ひかり】
「もう、ここまで話を聞いていて分からないの? だからパン食ってことよ」
【ひかり】
「日本の海軍でも士官はパン食なの」
【エイジ】
「あ、ああ、そうか、そういうことか」
【ひかり】
「高木軍医は遠洋航海する艦艇の航海食をパン食のみにして実験してみたの。そうしたら脚気になる水兵は出なかったらしいわ」
【エイジ】
「原因究明ってわけですね」
【ひかり】
「いえ、究明されたのは対処法で、原因は分からずじまいだったのよ。高木軍医も、原因はタンパク質の不足だと思っていたぐらいだから」
【エイジ】
「ビタミンではなく、タンパク質?」
【ひかり】
「何度も言うけど、まだビタミンは発見されてなかったの。高木軍医は米に含まれるタンパク質より麦に含まれるタンパク質の方が多いから、パンを食べれば脚気の予防になると考えたのね」
【ひかり】
「だから『海軍カレー』とかを考案して、タンパク質の不足を補おうとしたんだけど――そのあと高木軍医が退いたあとに、海軍は『タンパク質不足』を補う方向で航海食の改良を進めていって、再び脚気患者を増やしてしまったのよ」
【ひかり】
「まあ、ともかく海軍では高木軍医が中心になって麦飯を主食にした食事に切り替えて、一時は脚気が治まったの」
【エイジ】
「パンではなく麦飯ですか」
【ひかり】
「パンは兵士には人気がなかったみたい。このお陰で高木軍医は後年『麦飯男爵』って呼ばれたらしいわ」
【エイジ】
麦飯で脚気を退治したから『麦飯男爵』。そのまんまだな。
【エイジ】
「あ、でもそれならなんで陸軍はそんなに脚気の病死者を出しちゃったんです? 陸軍でも麦飯を出せばよかったじゃないですか。鴎外は何をしてたんです?」
【ひかり】
「色々と理由はあったでしょうけど、鴎外の学んだドイツ医学ではまだ麦飯と脚気の相関関係は証明されてなかったし、陸軍の海軍に対する面子もあったでしょうし――でも何よりの原因は『陸軍に入れば白い飯が腹一杯食べられるぞ!』っていう国民に向けての宣伝にあったんだと思う」
【エイジ】
「は?」
【ひかり】
「兵士になるのは貧しい農家の次男とか三男とかが多かったから。そういう人たちにとって『白いご飯』――いわゆる『ぎんしゃり』は憧れで、陸軍に入る大きな動機になっていたのよ。反対に『麦飯』は陸軍に入る前の食事と大差ないから」
【エイジ】
「つまり、『ぎんしゃり』が食べられると思って陸軍に入ったら出て来たのは『麦飯』でした――じゃ、詐欺になると」
【ひかり】
「ええ、兵士の士気も下がって不満も高まったでしょうね。だから陸軍としては兵食を麦飯に切り替えられなかったみたい」
【エイジ】
結局、森鴎外は陸軍での脚気被害を抑えることができず、脚気自体も国民病としてその後も長く日本人を苦しめたそうだ。
【エイジ】
脚気から日本人が解放されたのは、かの有名な『アリナミン』が開発された1950年代に入ってからのことらしい。
【エイジ】
それにしても、当時の日本の兵隊さんは辛い脚気に罹りながら、黒パンをモリモリ食べて脚気知らずだったロシア軍に勝ったのか。
【エイジ】
なんというか、これは素直に尊敬しなければならない話だと思う。