表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

プラス③

■場面:『麟祥院・春日局の墓所前』


【ひかり】

「『春日局』は、戦国時代の武将『明智光秀』の筆頭家老だった『斉藤利三(さいとう としみつ)』の娘よ」


【ひかり】

「本名は『(ふく)』」


【ひかり】

「利三は知勇兼備の驍将(ぎょうしょう)として名高かったから、『本能寺の変』を起こした光秀が天王山で秀吉で敗死して、利三自身が(はりつけ)になった後も、一族はそれなりの敬意をもって扱われたみたい」


【ひかり】

「それから徳川家康の世になって後の三代将軍『家光』が誕生したとき、幕府は広く天下に乳母を募集したらしいの。福はそれに応募して見事に採用されたらしいわ」


【ひかり】

「とても聡明な女性だったみたい」


【エイジ】

 聡明な女性か……。


【エイジ】

 将軍家の跡取りの養育係りに選ばれるくらいなんだから、それはそうだろう。


【エイジ】

 僕はなんとなく、会ったことも見たこともない『春日局』という女性と、目の前の榊さんが重なった。


【ひかり】

「でも、家光の実の両親である二代将軍『秀忠(ひでただ)』夫妻は、家光よりその弟の『忠長(ただなが)』の方に愛情を注いでいたらしいわ」


【ひかり】

「幼い頃の家光は、病弱なうえに吃音だったらしくて、それに比べて忠長は利発で活発だった上に、容姿もよかったみたいで」


【ひかり】

「一見、暗愚な長男と、利発な次男。将軍家ならずとも、後継者問題としてはよくある定番の構図ね」


【ひかり】

「当然のように、家臣も『家光派』と『忠長派』に別れて、派閥争いが起きたみたい」


【ひかり】

「そんな状況を憂えた福は、その当時まだ健在だった駿府の大御所『徳川家康』に直訴したの。順逆を直して、筋目どおり家光を三代将軍にするように――と」


【ひかり】

「家康は『徳川家』の安定にかけては悪魔的なバランス感覚の持ち主だったから、福の直訴のあとすぐに江戸城に赴いて、まだ幼い孫たちや家臣一同を集めて、わざわざ家光の手を引いて自分と同じ上座に座らせ、同じように上座に登ろうとした忠長を、『忠長はそれに』と下座に据え置いたの」


【エイジ】

「うへ、それは凄い」


【エイジ】

 一目瞭然、効果抜群のパフォーマンスじゃないか。


【ひかり】

「本当にね。これで三代将軍は家光ということが天下に知れて、家光は終生『福』に感謝することになったのよ」


【ひかり】

「もちろん、家光の乳母である『福』にしてみれば自己保身も兼ねた行動だったんでしょうけど、もし忠長が将軍になっていたら、それこそ天下争乱になっていたかもしれないし、そうしたらまた戦国の世に逆戻りだったかも」


【エイジ】

「うん、『三国志』の『袁紹(えんしょう)』はそれで滅んだんだからね」


【ひかり】

「あら、『三国志』を知ってるの?」


【エイジ】

 榊さんがちょっと僕を見直したような顔をした。


【エイジ】

「う、うん、少し……」


【エイジ】

『三國無双』とか『恋姫無双』とかからだけど……。


【ひかり】

「『福』はこの一件で、外交の名手と評判になったみたいね。家光はもちろん、秀忠にも信頼されたみたい」


【ひかり】

「このあと、有名な『紫衣(しえ)事件』が起こるんだけど、そこでも『福』は登場するのよ」


【エイジ】

「『紫衣事件』?」


【ひかり】

「歴史で習わなかった? 幕府が朝廷の威光を抑えるために、朝廷が京都の禅僧たちに身分の尊さを現す『紫の衣』――つまり『紫衣』を与える勅許を規制して、天皇や僧たちが反発した事件よ。幕府の法度と朝廷の勅許、どちらが上かっていう」


【ひかり】

「宮本武蔵で有名な『沢庵宗彭(たくあん そうほう)』なんかが幕府に抗議して、結果流罪になったらしいわ」


【エイジ】

 ああ、親父が読んでた『バガボンド』に出て来た……。


【ひかり】

「当時の『後水尾天皇(みずのお てんのう))』も憤激して、幕府と朝廷との間はかなりギクシャクしたみたい。後水尾天皇としては当然よね、天皇である自分が与えた『紫衣』を幕府が勝手に取り上げたんだから」


【エイジ】

「できたばかりの徳川幕府は、朝廷の力を何とか抑えつけたかったんですね」


【エイジ】

 要するに、これまた権力争いだ。


【ひかり】

「そういうことね」


【ひかり】

「後水尾天皇は『退位する!』と息巻いて手が着けられなかったみたい。そこで外交の名手である福が朝廷に使わされたの」


【エイジ】

「なるほど」


【エイジ】

 なるほど、そこで『春日局』の登場か。


【ひかり】

「なるほどって、そこで感心しないの」


【エイジ】

「え? どうしてですか?」


【ひかり】

「いくら福が外交の名手で、家光の乳母で、大奥の女帝だからって、朝廷から見れば、ただの女で、さらには無位無冠の単なる庶民なのよ。天皇に拝謁なんて出来るわけがないじゃない」


【エイジ】

「そ、そういうもんなんですか」


【エイジ】

「でも、それじゃどうして?」


【ひかり】

「庶民の福を参内させて天皇と謁見させることで、幕府の権威を示して朝廷の誇りを砕きたかったんでしょう」


【エイジ】

 酷い話だ。それじゃ火に油を注ぐようなものじゃないか。


【エイジ】

「それでどうなったんです?」


【ひかり】

「幕府のごり押しに朝廷も折れて、福の参内を許したの」


【エイジ】

「結局幕府の圧倒的勝利か。う~む、出来たばかりの徳川幕府、恐るべし」


【ひかり】

「それがそうでもないわ。福は参内はしたものの、後水尾天皇とは談判どころか、言葉を交わすことすら出来なかったんだから」


【エイジ】

「なんでです?」


【ひかり】

「だって、天皇から声を掛けられない限り、顔も上げられないのが宮中の仕来りですもの。天皇は御簾の奥から眺めてるだけで、近習の公家から杯を賜って、それで終わりだったみたい。その後、結局後水尾天皇は退位しちゃったから、福の京都行きは成果がなかったみたいね」


【エイジ】

「あらら。『くたびれもうけ』のなんとやらか」


【ひかり】

「ところが『福』個人にしてみればそうでもないのよ。だってこのときに福は、朝廷から『春日』って名前を授かったんですから」


【エイジ】

「え? この時はまだ『春日局』じゃなかったんですか?」


【ひかり】

「そうみたいね。朝廷としてはただの庶民である福を参内させる以上、それなりの資格が必要だったらしくて、大急ぎで先例を調べたら室町時代に将軍『足利義満(あしかが よしみつ)』の乳母の『春日局』という女性が参内していた記録が見つかったらしいの」


【エイジ】

「ああ、それで『春日』って名前を――」


【ひかり】

「そう。オリジナルは福じゃないってことね」


【エイジ】

「へぇ」


【エイジ】

『春日局』にオリジナルがいたなんて、そんなの初めて知った。


【エイジ】

 僕は、身体の中に拡がる新鮮な気分を感じていた。


【エイジ】

 歴史をこんな身近に感じたことは初めてだ。


【エイジ】

「それにしても、榊さんよくそこまで知ってますね」


【ひかり】

「みんな司馬先生の受け売りよ」


【エイジ】

 榊さんは、少し気恥ずかしげに答えた。


【エイジ】

 司馬先生? 司馬遼太郎?


【ひかり】

「さ、それじゃそろそろ行きましょうか」


【エイジ】

「う、うん」


【エイジ】

 卵形の墓石に向かって目礼すると、榊さんと僕は『春日局』の菩提所を後にした。



■場面:切通坂(きりとおしざか)~湯島天神~岩崎邸~無縁坂(むえんざか)


【エイジ】

 麟祥院を出た僕たちは、春日通りを上野御徒町方面に下った。


【エイジ】

 下った――というのは、本郷は本郷台というだけあって、高台なのだ。


【エイジ】

 榊さんがいうには、この坂は『切通坂』というらしい。その名の通り、上野御徒町方面と本郷を結ぶために、本郷台を断ち割って道を切り通した――というのが名前の由来だそうだ。


【エイジ】

 その途中に『湯島天神』があるので、榊さんと僕はちょっと寄ってみた。


【エイジ】

 その後、すぐ近くにある『岩崎邸』を見学した。


【エイジ】

 あの三菱の創始者である『岩崎弥太郎(いわさき やたろう)』が土地を購入し、その息子が建てた、逆にこんな所には絶対に住みたくないと思うほど言語道断に豪華絢爛な、実に住みにくそうな建物だ。


【エイジ】

『岩崎弥太郎』については、福山雅治ファンの母さんが大河ドラマの『龍馬伝』をよく見ていたので知っている。


【エイジ】

 福山雅治演じる主役の龍馬を喰いまくっていた、劣等感と敵愾心と、それ故の向上心の塊みたいな男だ。


【エイジ】

 演じていた香川照之という俳優は、主役食いの異名を取る役者のようだ。


【エイジ】

 岩崎邸はゴールデンウィーク中なので混雑していて、ミニコンサートなんかも開かれていた。


【エイジ】

 プロのヴァイオリニストの生演奏を聞くのは生まれて初めてなので、感動よりも緊張した。


【エイジ】

『岩崎邸』を出ると、近くの『無縁坂』と呼ばれる細い坂を、今度は本郷方面に登った。


【エイジ】

 坂から続く細い路地をウネウネと歩いていくうちに、いつのまにか中山道――つまり本郷街道に出ていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ