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■場面:混雑している『マクドナルド2階席』


【エイジ】

 頬を撫でる風の中にそろそろ初夏の薫りを感じ始めた五月の上旬、僕は中学時代の後輩『三津川るりか』とアキバで久しぶりに会い、そして……失恋した。


【るりか】

「先輩、喜んで下さい! るりかにも、やっと素敵な彼氏が出来ました!」


【エイジ】

 中学卒業以来ほぼ3ヶ月ぶりに会うるりかは、ニコニコと屈託なく、一点の曇りもない声で、本当に幸せそうに僕に報告した。


【エイジ】

「……え? 今、付き合ってる人……いるの?」


【るりか】

「はい! 春休みに告白されたんです! 別のクラスの男子なんですけど、凄くカッコイイ人で、るりかもう嬉しくて、即OKしちゃいました!」


【エイジ】

「そ、そう……なんだ……よかった……ね……」


【エイジ】

 秋葉原のソフマップ本館にあるマクドナルド、通称『ソフマック』は、ゴールデンウィークで凄く混雑していたけれど、僕にはその騒がしさがとても遠くに、本当に遠くに聞こえた。


【エイジ】

 ……るりかに……彼氏……。


【エイジ】

 ……るりかに……。


【るりか】

「それにしても、宮城先輩と会うのも久しぶりですねー。先輩はもう彼女できましたか?」


【エイジ】

「い、いや、僕はまだとてもそんな……」


【エイジ】

 喧噪の中に、語尾が力なく弱々しく消える……。


【るりか】

「そうなんですか。でも大丈夫ですよ。先輩優しいから、すぐに素敵な彼女が出来ると思います。るりか、何だかちょっと妬けちゃうな」


【エイジ】

「……」


【エイジ】

 ……そっか。


【エイジ】

 ……僕はるりかに、ただの優しい先輩としか思われてなかったんだ。


【エイジ】

 ……そっか。


【るりか】

「るりかの彼氏はですねー――」


【エイジ】

 失恋した僕は、それから延々とるりかのノロケ話を聞かされることになった。


【エイジ】

 この時の僕は、まるでプログラムされたアンドロイドのようにひたすら機械的に頷き、『へぇー、それは凄いね』と棒読みの相づちを打ち続けた。


【エイジ】

 るりかとは、中学の図書委員で知り合った。


【エイジ】

 1つ年下のとても可愛い、少し幼さの残る素直な女の子だった。


【エイジ】

 同年代の他の女子のように、擦れたトゲトゲしさがない。


【エイジ】

 そしてなにより、同じクラスの女子には色々と引け目を感じて話し掛けられない僕が、るりかと普通に話すことが出来たのは、るりかも僕と同じ、いわゆる『アキバ系』の趣味を持つ女の子だったからだ。


【エイジ】

 休日には誘い合わせて、今日と同じように二人でアキバに出掛けたりもした。


【エイジ】

 中学のうちに女の子とデート出来るなんて思ってもいなかった僕は、とても、とても有頂天になった。


【エイジ】

 もちろん、告白して正式に付き合う――なんて、ことにはならなかったし、そんな勇気もなかったけど、僕はそれでも充分に満足だった。


【エイジ】

 でも中学の卒業・高校への入学を機に、るりかと会う機会も理由もなくなってしまい、僕のるりかへの想いは焦燥感と言えるものにまで高まった。


【エイジ】

 だから今日、本当に、本当に勇気を振り絞って、るりかに告白しようと思ったのに……。


【るりか】

「? 先輩、どうしました? ポテト、食べないんですか? 食べないんなら、るりかもらっちゃいますよ?」



■場面:『マクドナルド』の外。


【るりか】

「それじゃ、先輩。今日はご馳走さまでした。楽しかったです。また誘って下さい」


【エイジ】

「あ、ああ……」


【エイジ】

 るりかとは、3時間ほどマックで話し込み、それで別れた。


【エイジ】

 ただ『だべる』だけなら地元のマックでも全然問題なく、わざわざアキバに出てくる必要はなく、とてもデートなんて呼べるものではなかった。『現状報告会』なら、地元で充分だった。


【るりか】

「それじゃ」


【エイジ】

 るりかは僕が大好きなコケティッシュな笑顔を見せると、駅とは反対方向に歩いて行った。


【エイジ】

 これから見て回りたいショップがあるそうだ。


【エイジ】

『先輩も一緒に行きませんか?』 と誘われたけど、これ以上るりかと一緒にいるのは耐えられそうもなかったので断った。


【エイジ】

 いったい何のためにアキバまで出て来たんだか……。


【エイジ】

 家を出たときには僕なりの詳細なデートプランがあった気がするけど、今はもうその断片すら思い出せない。


【エイジ】

 デートに誘われてこれじゃ女の子の方だって怒るに決まってるだろうけど、るりかは別段不機嫌になる様子もなかった。


【エイジ】

 つまりは、その程度にしか思われてなかったということ……。


【エイジ】

 デートだとも思われてなかったのかも知れない。


【エイジ】

 僕は小さくなっていくるりかの背中を見送りながら、その場に立ち尽くした……。


【エイジ】

 僕はアキバが嫌いになった。



■場面:秋葉原から本郷台へ。


【エイジ】

 それからは、どこをどう歩いたか、よく覚えていない。


【エイジ】

 後になって思い出してみると『おでん缶』を売っている自販機の横を通って、その先で南に曲がり、外堀通りを今度はお茶の水方面に向かっていたらしい。


【エイジ】

 視界はぐにゃりと曲がり、足元のアスファルトはまるでスライムか何かに化けてしまったかのように、柔らかく感じた。


【エイジ】

 これが失恋ってやつか――。


【エイジ】

 初めての経験に、僕は大いに戸惑い、そのショックの大きさに驚いた。


【エイジ】

 だって肉体的には何の問題もないのに、精神的な影響で目に映る景色が歪んで見えるんだから。真っ直ぐ歩いているはずなのにフラフラする。こんなことは初めてだ。


【エイジ】

 本郷への坂道を上り、東京医科歯科大の前を過ぎて、順天堂大学を真っ二つに割る『油坂(あぶらざか)』という名前の細い坂を僕は歩いていたみたいだ。


【エイジ】

 そして気がついたときには、僕の目の前に一本の大きな木が立っていた。



■場面:『文教のクスノキ』


【エイジ】

 僕は立ち止まって、その大きな木を見上げた……見上げていた。


【エイジ】

 るりかにフラれたばかりで、周りの景色なんて意識できないほどショックを受けていたのに、その大きな木だけは何故か僕の中に入り込んできた。


【エイジ】

 太く生命力の溢れる枝が、ビルの谷間から空に向かって力強く伸びている。


【エイジ】

 豊かに繁った新緑は青々と美しく、見上げる僕の上に優しい木漏れ日を落としていた。


【エイジ】

 まるで、ラピュタに出てくる『樹』みたいだ。


【エイジ】

(……)


【エイジ】

(……るりかと一緒に見たかったな)


【エイジ】

 五月晴れの下に芽吹いたばかりの若葉を輝かせる巨木は、失恋の強い痛みと共に僕の心に染みいってきた。


【少女の声】

「大きなクスノキよね」


【エイジ】

 とその時、いきなり声が響いた。


【エイジ】

 一瞬、今自分が見上げている巨木に話し掛けられたのかと思った。


【エイジ】

 でも声は頭上からではなく、僕のすぐ横から聞こえた。


【エイジ】

 慌てて視線を向けると、いつの間にか側に一人の女の子が立っていて、僕と同じように巨木を見上げていた。


【エイジ】

 飾り気のない白いサマーセーターに、紺のプリーツスカート。


【エイジ】

 背中に零れる、長く艶やかなストレートの黒髪。


【エイジ】

 びっくりするほど白い肌。


【エイジ】

 そして何より驚かされる、整った顔立ち。


【エイジ】

 この樹に宿る……妖精……精霊……?


【エイジ】

 そんな馬鹿な考えが頭を過ぎるほど、その娘は神秘的な雰囲気を漂わせていた。


【少女】

「『文教のクスノキ』って、呼ばれているらしいわ」


【エイジ】

 もう一度、女の子の喉から透明な声が漏れた。


【エイジ】

 そうか。


【エイジ】

 この声だ。


【エイジ】

 この透明感の溢れる声が、その容姿と合わせて、精霊と錯覚させたんだ。


【エイジ】

 僕は言葉を返すどころか、頷くことも出来なかった。


【エイジ】

 固まったまま、ただただ彼女の横顔を見つめていた。


【エイジ】

 年上のようでもあるし、年下のようでもある。


【エイジ】

 るりかとは、また全然別のタイプの美少女だ。


【エイジ】

「そ、そうなんですか」


【エイジ】

 僕はやっとのこと、声を絞り出した。


【エイジ】

 それはあまりにも当たり障りのない平々凡々な返事の上に、緊張で掠れた情けない声だった。


【エイジ】

 でも、女の子はまるで気に止めた風もなく、


【少女】

「ここに、以前『楠木正成(くすのき まさしげ)』の子孫が住んでいたのよ。このクスノキのすぐ側にね」


【エイジ】

 と言った。


【エイジ】

「『楠木正成』……ですか?」


【エイジ】

 確か南北朝時代の武将……だったはず。


【エイジ】

 建武新政とか、悪党とか、足利尊氏とか……数ヶ月前の受験で詰め込んだ言葉や名前が浮かんできたけど、大して歴史に興味がなかったこともあって、それ以上はお手上げだった。


【少女】

「『甲斐庄(かいのしょう)っていう性のお旗本で、明治維新後に『楠』に性を改めたらしいわ。あの時代『楠木正成』は最後まで朝廷に忠誠を尽くした忠臣として人気が高かったからかしらね」


【エイジ】

 甲斐庄……甲斐国? 確か山梨? 武田信玄? い、いや、全然関係ないか。


【少女】

「甲斐庄は、山梨県の甲斐国とは関係なくて、畿内河内国(きないかわちのくに)の甲斐庄――京都に近い土地のことよ。そこに楠木正成の根拠地があったの」


【エイジ】

 やっぱり全然関係なかった……。


【少女】

「……きっと毎日、このクスノキを見上げて暮らしていたんでしょうね。自分の祖先に想いを馳せながら」


【エイジ】

 少女はそのまましばらくの間、クスノキを見上げていた。


【エイジ】

 やがて思い出したように、ようやく視線を僕に向けた。


【エイジ】

 神秘的な眼差しが、ただ戸惑うだけの僕に注がれる。


【少女】

「わたし、『榊ひかり』――あなたは?」


【エイジ】

「み、『宮城エイジ』……です」


【ひかり】

「ねえ、宮城くん。これから少しわたしに付き合わない?」


【エイジ】

「……は?」


【ひかり】

「この本郷には、まだまだ歴史にゆかりのある場所が沢山あるのよ」



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