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妄想論

マウントを取りたがるネット民

作者: とびうお君

 異世界チーレムだとか型に捕らわれるんじゃなくて読者が感じてる感情を要素として分析するってのをずっと考えている。何度も書いてきたのが好き勝手暴れたい、そこにつながる思い通りになる世界。ままならぬ世界じゃない世界。主人公を自己投影して自分が楽しい世界を満喫するって形だと思う。


 これが根本的に他人事としてみる観客型と違うとずっと書いてきた。結局ハーレムだとか一夫一妻とかなんだとかそういう形じゃない。すべてのは欲望の要素の1つでしかないから根本的に見る楽しさが重視される恋愛物と比較してハーレムについてあーだこーだ言ってみても仕方ないと書いてる。


 これらは前から書いてるけど、集大成として、もう1つ付け加えたい。なんとなくなろう小説を見てるとネットのレスバトルによるマウント合戦にかなり近いものを感じる。優位に立ちたい、底辺を抜け出して上位になりたい、平均を抜け出して特別になりたい。こういった香がプンプンする。


 水源さんのエッセイで書かれた性差についてもこれですっきりする。暴力による順位付けが男性の好みで総合力による順位付けが女性の好みとなる。このマウント合戦の部分もとても重要だと思う。知識チートも現代日本からやってきて、日本文明現代文明を背景に文明度の低い原住民を相手にドヤ顔するって構図がもろそれ。


 結局マウント合戦を含めて暴力には俺TUEEEの先にある最強、そしてそれを総合力で見た場合の俺SUGEEになるのかと。俺TUEEEは順位付けが弱い。弱いに対して強いがあるだけのタイマンの位置づけになる。だが最強はランキング的な1位の位置づけになる。よるマウントの刺激が強くなる。


 根本的にはマウント合戦は必要はない。だがほぼ間違いなくこれが好き勝手やりたいってシンプルな欲求の先に潜んでいる。この2つは別物だが、好き勝手暴れた副産物として順位付けが付いてくるとなる。おそらく人間の感情的にもこういう部分が密接に絡み合ってると見ている。だからこの2つは別だがほぼ絡み合って別れずに刺激するものとして描写される。


 どうしてこうやって型としてとらえないやり方をやってるかというと、私はテンプレの問題は完成品をいじくってるのが原因だからと見ている。それに対して読者の欲求はもっとあいまいなものだとみてるから。そこを満たすならば今受けてる型というのは必ずしも成功セオリーではないとみてて、根源的な読者の欲求を満たす1つのパターンでしかないという事。


 でもそれを言うとすべての創作で似通ってくるんじゃないか?それは違う。何度も書いてるが他人事として他人のトラブルを面白おかしく見るって刺激に多くの創作はあふれている。むしろこっちが自然な形になる。どうやって登場人物は自分じゃない。だから他人としてみる形が自然な形になるからだ。


 なろうがそこが違うのはゲームのプレイヤー的な部分だと見ている。その最高の形が転生転移となる。必ずしも絶対ではない、現地主人公として背景をもったキャラクターがゲームのプレイヤーが動かす主人公であることは多い。ドラクエ5が特に顕著で、ゲームがスタートする前の背景となる主人公の生きてきた境遇がある。


 DQ4がちょっと迷走してる形で模索をしている。オムニバスというのが複雑化しようとしてる感じがある。3まででいったん終わったストーリーをどうするか?って模索が見える。5というのは明確に物語性を強くしている。まさに波乱万丈になってる。そういうキャラクターは古典的な他者として眺める形になってる。本来はこちらが自然。


 それでも自分が動かすキャラクターであるのは変わりない。


 マウント優位が重要になるのは自己投影型の作品構造の方が望ましい。どんな作品でもマウント優位の刺激はある。大体この位置づけの逆転がざまぁの面白さであるから、私の書いたざまぁは世相と関係ないのは古典だからっていうのとつながってくる。私自身がどんな作品でもあると言わないと自分の1つ前の言及が矛盾してしまう。


 言ったそばからすぐ矛盾というのは実に情けない。矛盾はしてない。どんな作品でもあるが、それを効果的に生かすのは自己投影型が強い物語になる。だからなろう小説はネットに溢れるマウント優位への刺激に満ち溢れていると見ている。じゃそれ世相じゃないか?ならそうかもしれない。


 私はなろう小説はネット民と相性がいいと見ている。過去から人間がマウント優位に刺激を受けるのは動物的群れの特性だろ?となる。だから世相的とはいえないとなる。そうじゃないんだ。何故ネットはこれが強調されるのか?というと匿名にあるんだ。現実だとこれをもろ持ち込むとかなり面倒なトラブルに巻き込まれるからになる。


 いわゆる内弁慶?な部分がネット民は出やすい。実際ネットの外に出たら全然攻撃的なマウントバトルなんてやりませんって人がネットの中ではその欲求を忠実に出してくるとなる。ネットの中の人みたいなのとオフ会などの話を見ていると、どうやらあれは演技ではないが、抑制が効かない環境ってのがその原因じゃないか?と言われている。


 今回わざわざ書いたのは、根底にあるわがままな欲求とは別のものとして書いた。だが別だが密接に絡み合ってる。例えば優位に立ちたいから暴力的になるってのがある。じゃそれで説明付くじゃないか?ならそういうケースがあるが、優位に立ちたいは副産物的な部分が多い。衝動的に暴れまわる時そんな事絡んでない。


 ただ無関係というわけじゃない、独立してるが密接に絡み合っている。優位に立ちたいが目的になるケースばかりないって事。


 これらの感情でほとんどなろうの刺激は満たされると思う。どうして私がなろうのノーストレスはアニメのきらら原作アニメと全く違うと書いてきたかと言えば、根底の部分がオスっぽい攻撃的なホルモンまみれの刺激だからになる。これをどうやったらきららのノーストレスと同一になるんだとなる。


 なろうで忌避されるのは鬱展開であって、きららアニメで言うノーストレスと比べると根底の部分が動かせないのでありえない。しかもこの優位に立ちたいって部分がノーストレスとものすごく相性が悪い。これらを紐解くとイキリ主人公も自然となるほどとなってくる。本来調子に乗ってるって意味らしいが、今は攻撃的でマウント優位になりたがる部分が付随して言われることが多い。


 ただなろう作品のほとんどケースは勧善懲悪になりがちになる。やっぱ好感が持てる他者視点の刺激が無視されてない。このあたりもなろうがストレートじゃないややこしい部分。イキリとヒーローの差というのは、他人のために攻撃的になるか?または自分のためであるか?の違いが大きい。ただ、この差ははっきり言って微妙。


 なろうの内と外ってそんなにきれいに分かれない。ただ言えるのは根底が全く違うから、ヒーローを描く競争の結果洗練されたジャンプなどの作品には及ぶわけがないって点。そこがなろうがなんちゃってヒーローになりやすい部分。

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