必要なもの
“亘さんと一緒になることを、許していただけませんか”
佳那が発した言葉。その真意が分からず亘が確認しようとするが、はっきりとは聞けず言葉を詰まらせる。
「それは……どういう………?そんなつもり、あっ……た、の?」
亘の発言を隣で聞いていた由美子は、前のめりの体勢となりテーブルに乗せていた両手をコーヒーのグラスへと移し、水滴を拭いつつ両手で持ちながら、体をソファーの背もたれへと預けて佳那と亘の会話の行方を伺うことにした。“亘は離婚を考えてはいなかった”それがこの発言により証明された事になり、由美子は安心していた。
「え?亘さんは、そんなつもりは無かったんですか?」
笑顔のままの佳那が聞く。
そんなつもりも何も、今までの逢瀬で愛を語り合うような事は一切なく、好きだ、とさえ言った覚えもなかった亘には、佳那がそんなつもりがあった事の方が不思議で、軽い怒りさえ芽生えそうだった。
「なんて。ふふっ、まぁ、そうですよね。奥さまも、それは困りますよね?」
突然話を振られた由美子もまた、言い様のない怒りを感じつつ、佳那に真意を問いただす。
「あなた、どういうつもり?」
佳那は再びコーヒーをストローでかき混ぜてからひと口吸い込み喉に苦味を流し入れる。それから由美子の質問には答えずまた疑問を投げ掛けてくる。
「奥さまは、亘さんを、愛してるんですか?」
唐突な質問のように思えた。確かに先ほど自問してはいたが、まさか浮気相手の女に聞かれるとは思ってもいなかった。そしてそれを答える義務もない。立場的に一番不利であるはずの女に主導権を握られているようで怒りが爆発しそうになる。
持っていたグラスを乱暴にテーブルに戻すと、中のコーヒーがその衝撃でほんの少し外にこぼれ出た。そんな事には構う事なく再び前のめりになり、先ほどより佳那の方へと体ごと詰め寄りながら怒りをぶつける。
「そんな事は、あなたには、関係ないでしょ?もう、家族、なのよ。愛だの恋だの言ってられないの。分かる?あなた、家族いないでしょ?ねぇ?分からないかもしれないけど、生活していくって、そんな事ばっかり考えてられないの」
「家族……。そうですね。私は、離婚して子供もいないので分からないかも知れませんが……、家族にとって、亘さんが必要、という事なんですよね?」
「そうよ」
「奥さまにとって、必要かどうか、はどうなんですか?」
「だから!家族にとって必要って事は、私にとってもひつよ……」
「必要、ですか?」
「……そうよ」
「それは、愛じゃないんですか?」
「ねぇ?あなた、何が言いたいの?」
本来であれば最も不利な立場であるはずの佳那に主導権を握られているような形になり、逆に由美子が責められているかのようなやり取りに、亘は口出しする事も出来ず、ズズッと汚い音を立てながらコーヒーを飲むのが精一杯だった。
この質問に一体何の意味があるのか亘には、さっぱり分からなかった。ただ分かった事は、自分がまだ家族にとって必要とされている、必要な存在であると思われている、と言う事だけだった。