真意
「だから?何?」
言葉が続かない亘に苛立ちを覚え由美子が問い詰める。
「だからさ……、俺には決定権はないし。ママが、由美子が決めてくれていいから……さ」
「私が、決めるの?何を、決めればいいの?亘はっ、亘はどうしたかったのよっ!?」
語気が強くなり声もやや大きくなった事に自分で気付いた由美子は、亘の方に向けていた体を元に戻しながら周りの客を確認したが、周囲の視線を集めてしまうほどではなかったようで、心の中でため息をつく。
冷静に怒っている、そんな印象を佳那に見せつけたい思いがあった。
本当は、怖くて指先が震えて、今にも叫びだしそうである事など悟られたくはない。旦那に浮気されてヒステリックになる女、そんな惨めな姿を晒す訳にはいかなかった。その為に選んだ場所だ。下らないプライドかもしれない、しかし、そんなちっぽけな、下らないプライドが今は由美子を支えていた。
「あ、あのっ……」
初めて佳那が口を開いたが、その時、注文したアイスコーヒーが届けられ、佳那が言おうとした言葉は遮られた。
「ご注文の品は、以上でお揃いですか?」
覚えたてのマニュアル通りに仕事を頑張っているような初々しさを感じさせる、にこやかな店員の問いに、由美子が不機嫌そうに「えぇ」と答えると、店員が申し訳なさそうな顔に変わったのを見た亘は「あぁ、ありがと」とフォローを入れる。店員は再び笑顔で丁寧に頭を下げて伝票を置くと、その場を離れていった。高校生くらいのバイトだろうと思われたその店員に亘は、長女、愛莉と姿を重ねていた。
家族が、バラバラになってしまうかもしれない……。ここに来てようやくそんなことを実感した亘は、自分がしでかした事の重大さに気が付いた。
つい今しがたまでは、中学時代に友達と、度胸試しにやった万引きが見つかってしまった、そんな程度の事のように考えていた。ちょっとお咎めを受けて終わり、どこかでそんな風な、安易な結論と結びつけ、軽く考えていたものが急に、今まで築き上げてきたものが崩れ去る恐怖に変わっていく。
世の中で不倫のニュースが騒がれていた時も、他人事でしかなく、当然他人の事ではあるが、それは自分の世界とはリンクしておらず、違う世界の出来事であるかのように感じていた。
それが、今、ようやく現実として繋がった。それでもやはり、決定権は由美子が握っている、自分は従うしかないのだと、全てを由美子に託すしか出来なかった。佳那の意思は、確かめてはいなかった。今まで、離婚を迫られるような事がなかったのが、佳那の答えだと、勝手に思っていた。
ミルクもガムシロップも入れていないアイスコーヒーを、ストローでかき混ぜて氷をカラカラと鳴らし、一口吸い込んだ佳那が、再び話し始めた。
「あの……」
由美子は明らかな殺気を含む視線を、亘は救いを求めるような視線を、佳那に向ける。
「あの、大変、申し訳ない事をしたと、十分承知しています。本当に、申し訳ありませんでした。」
佳那は言い終えてから、テーブルにぶつかりそうなほど頭を下げた。
「ですが……私と、亘さんと一緒になることを、許してはいただけませんか?」
一瞬の沈黙の後、亘と由美子の意思はシンクロした。
『はっ?』
亘は飲んでいたコーヒーを危うく吐き出しそうになり慌てて口を押さえた。「え?」「あ?」と、驚きを隠す事もせず狼狽える。
一方由美子の方は、最も恐れていた言葉に、佳那に向けていた殺気がみるみる萎み、その視線をアイスコーヒーへと向ける。グラスの表面に出来た水滴を見つめながら意識は遠く、今この現実から引き剥がされそうになっていた。
由美子自ら望んだ話し合いである。
相手の女の真意を確かめたかった。しかしそれだけではない。何処かで自分の方が優位だと、そういう確信があったのだ。それなのに、そんな確信は単なる自惚れだったのかと崩れ落ちそうになっていく。
その中で……自分は亘を愛しているのだろうか?ふとそんな疑問が由美子の頭の中を支配した。