脇役なんかいないというけれど、こんな主人公はお断りだ
同僚がソーシャルゲームにはまっている。昼休みに真剣な顔で携帯端末を凝視しているから、何事かと思ったらそれだった。
各社が続々と新リリースしているから、何が何だかわかんないよなと笑うと、俺の一押しこれだわと勧められた。覗かせてもらった画面には、ちまちまとしたキャラクターが巨大な敵と戦っている映像が流れている。同僚の最推しのキャラクターは、そこにいる金髪ポニテの女の子らしい。
「試しにやってみろって。ランシェちゃん可愛いから」
「えー」
「今なら10連ガチャ祭りしてっから」
「そんなこと言って、お高いんでしょう?」
通販番組を意識して怪訝な声を出す。指差して笑った同僚が、キリリと改まった表情を作った。
「そんな奥様に朗報! なんと今週末まで、無料でガチャを回すことが出来るのです!」
「え~っ!!」
「ガチャを回せば回した数だけ、新たな仲間を手に入れる可能性が広がる! しかし通常10連ガチャ1回につき3千円かかるところ、今なら何と週末まで無料!! ダウンロードは今すぐ!」
「可能性って言ってる辺りに悪意感じるわー」
「出ないときもあるもーん」
とりあえずやってみろって~。画面を見せられキャラクターのプレゼンをされ、とりあえずざっと見たところ、白髪の女の子ミモルちゃんが可愛いと思った。
「ミモルちゃんっすな」
「何で!? ランシェちゃんは!?」
「ランシェちゃんは知らんが、やるだけやってみるわ」
「お前のところにランシェちゃんが降臨する呪いをかけてやる!」
「こわっ。お巡りさん、この人です」
くだらないことで騒いでいる自覚はある。
昼休みが終わり、いつものようにパソコンの前につく。スリープモードに入っていたそれを立ち上げた。
あの同僚とは仲も良いし、話題作りのために始めてみるのもいいかも知れない。俺の端末、容量足りるかな?
仕事用に頭を切り替えながら、帰ってからのことを考える。本当にランシェちゃんが来たら面白いし、終業まで頑張るかー。
結果として、初回の10連ガチャには、ランシェちゃんもミモルちゃんもいなかった。
ランダムに並べられた10枚の画像は、見慣れていない俺には神経衰弱のように見える。演出を飛ばしてしまったため誰が来たのかよくわからないが、全員男だということはわかった。
男かー。女の子はー?
中性的な顔立ちの人物に、淡い希望を抱いて画面を叩くも、身長178センチの文字に希望を手折った。
あと5人くらい同じ顔の人がいる。これはキャラが被っているのか? わっかんないけど、とりあえず初戦の結果をスクショに収め、同僚に送った。
『金髪のお兄さんからの熱烈な圧を感じる』
『やっば、星5のレオンハルトさん5枚とかうける~』
『これはホストクラブを設立しろとの天啓かな???』
『開店祝いに胡蝶蘭贈ったるわ』
いらねー!!!
缶ビールを開けながら、くつくつ笑ってしまう。本当、気の抜けた会話が出来る友人とは、貴重なものだ。ランシェちゃん来なかったけど。
『ランシェちゃんどこだよ~』
『ごっめーん、約束明日だと思ってた~』
『彼女面すんなし』
『ランシェ!? 誰よ、その女!!』
くだらない応酬を一通り済ませ、再びゲーム画面を立ち上げる。ひとりレベル上限が解放されている金髪の男、レオンハルト。その爽やかな顔に、この人人生イージーモードだろうなと素っ気ない感想を抱いた。
(そういや、トイレットペーパー買うの忘れてたな)
一人暮らしの侘しい室内で、頬杖をつきながらぼんやり思う。体力に余裕がある内に買っておいた方がいいよな。なくなってからだと困るし。
季節柄、そこまで寒くないだろうと高を括り、上着を置いたワイシャツ姿で近場のコンビニを目指す。近道の公園を通り抜ければ到着するそこへ、端末と財布をスラックスのポケットに突っ込み出掛けた。
思っていたより肌寒かった夜風は案外堪えて、上着に思いを馳せる。頭上を煌々と照らす月明かりを頼りに、静かな公園へ踏み込んだ。
歩いてしばらく、がさり、耳についた葉擦れの音は突然で、嫌に大きかった。「何だ、猫か……」と言いたい心境にさせる。
何だ? 不審者? 危ない人? 警察呼ぶ? いややっぱり猫だろ。ぐるぐる回る胸中が、恐る恐る背後へ首を回させた。振り返った先の茂みが、再びがさりと音を立てる。例えるなら、……乱雑に葉を踏み締める音だろうか?
思わず豊かな想像力が暴走してしまい、内心舌打ちする。じりじり、後ろへ下がった。
「あーーーーーーーーーーー」
肉声のような、空洞に温い風が吹き抜けるような、……何の声? 心音がうるさい。
背中が触れた、硬い感触。こんな道のど真ん中に、遊具はない。そもそもここは森林公園とか散歩やランニングに向いている公園で、そういった玩具はもっと奥にしか設置されていない。
錆びついた機械のようなぎこちない動きで、恐る恐る背後を見遣る。黒いのっぺりとした筒状のなにかが、顔らしき部分に口だけを添えて、こちらを見下ろしていた。
咄嗟に駆け出し、叫ぼうと口を開く。けれども音の詰まったそれは引き攣った音しか漏らさず、無意味に口を開閉させることしか出来なかった。
後ろで聞こえた、ぱきぽきとした関節を鳴らすような音。振り返ると、蜘蛛の脚のようなものを生やしたそれが、這うようにこちらへ迫っていた。当然俺はパニックに陥っていて、誰だよこんな悪趣味なやつ設置したの! 最近の若者か!? 内心支離滅裂な雑言をぶちまけていた。
余所見をした弊害だろう。お約束のように転んだ俺は、お約束のように腰を抜かしてしまい、情けなくも尻餅をついた体勢でずり下がることしか出来なくなっていた。
どうせなら、お約束のように誰かがかっこよく助けてくれたらいいのに……。空笑った胸中が、間近に迫ったのっぺりとした顔に震える。
何で今日に限って、車が一台も通らないんだろう? この時間帯なら、いつもはもう少し人がいるはずなのに。ああそうだ、警察。
頭の中は喧しいくらい独り言を訴えるのに、強張った身体が言うことを聞かない。
黒いものに張り付いた人の唇のようなものが、にっこりとした笑みの形を作る。次の瞬間には人にあるまじき大きさまで開かれるのだから、上がらない悲鳴が喉の奥に張り付いた。
真っ黒い咥内に並んだ無数の鋭い牙が、壁面に合わせて収縮している。俺の死に様、こんなわけわからないんだ。ごめん、お袋。走馬灯が走った。
「はあッ!!」
「ああああああああああああ」
見開かれたまま涙の溜まった視界に、一閃の閃光が走る。絶叫を上げた黒いものがのたうち、再び一閃が煌いた。どぷん、ゴムの膜が弾けるような音を立てて、黒いものが萎む。真上から突き立てられ長剣に、一度のたうった黒いものが、蒸気を上げながら消滅していった。
呆然としたまま固まる俺の前で、月明かりを弾く長剣を手にした青年が、静かな仕草で鞘へ仕舞う。彼の目がこちらへ向けられた。見たこともない服装の青年が、こちらへ迫ってくる。
「救出が遅れたこと、誠に申し訳ございません、主君」
「………………は、い?」
俺の前で恭しく片膝をついた青年が、中世の騎士がやりそうな仕草で頭を下げる。ただただ困惑と動揺でいっぱいの俺は、逃避した意識の中で、彼の顔を何処かで見たことがある気がしていた。
「…………レオン、ハルト……?」
「はい! レオンハルトです、主君!」
ぱっと表情を輝かせた青年が、耳に心地好い声音で微笑む。こちらへ差し出された手を無意識に掴み、優しく立ち上がらせられたそれに何度も瞬いた。
待って? 俺、いつから夢見てるんだ? コンビニ目指していたのは幻? 今、寝てるのか?
いやいや、ないない。彼はソシャゲの住人だ。現実とかないない。俺は今幻覚を見ている!
「……あの、助けていただいて、ありがとうございます……。それじゃ、俺、急いでいるんで……」
「……、主君」
そそくさと目線を下げ、黒いのがいた場所を避けて、自宅を目指す。急ぎ足の俺を、ファンタジー世界の住人が呼び止めた。
「主君は、境界を越えてしまいました。……残念ですが、お戻りになることは出来ません」
「いや、知らね知らね。俺明日も仕事あんだよ。さっさと風呂に入って寝て、明日は――……」
公園の出入り口に差し掛かったところで、いきなり目の前を黒い手形がべたべたと覆った。硝子を叩いたような騒々しい物音に、俺の心が死ぬ。景色が手形の形に塗り潰され、先が見えない。折角立ち上がったのに、再びへたり込んでしまう。
「主君、ここにいては危険です」
「何が!?」
「あれは主君を狙っています。……私が、命に代えてもお守りしてみせます」
「だから何がだよ!? おいこらッ、下ろせ!!」
見た目優男に担ぎ上げられ、すっと血の気が引く。待て待て、ないない。そんなお姫さんみたいな立場に俺がいてたまるか!
思い出したのは、さっきやったゲームのイントロがこんな感じの内容だったことと、俺の最後の通信履歴があほしかしていないことだった。
そんなこんなで、顔の良い男に誘拐されたリーマンが、俺です。
情けないわ、悲しいわ、降り立った地面が完全にファンタジー空間だったわ、当然圏外だわで、俺は相当荒れた。道行くファンタジー世界の人たちがどん引きするくらい荒れた。
俺より背の高い優男の肩を叩きながら、仕事がどうの、取引き先がどうの、引継ぎだってしてねーんだぞと泣きじゃくりながら荒れた。
相当な恐怖心と極度の混乱から、発狂ロールを決めていたようだ。冷静になった今、物凄く恥ずかしく思う。優男には落ち着いたあとで謝っておいた。
さて、そんなわけで俺の周りには、6人の顔の良い男がいる。奇しくも俺がガチャで引き当てたキャラクターと全く同じ彼等は、何故だか俺のことを主呼ばわりして敬ってくる。正直に言って、非常にこわい。
ソシャゲの自由なプレイヤー名に合わせた共通語なのだろうけれど、俺は勇者になった覚えも、姫になった覚えもない。お前らの雇い主じゃないんだ。散れ。
「主くん、またそんな捻くれたこと言ってるの?」
「うるっせ。俺はお前らの顔の良さを活用して、一山当てようとしてんだよ」
「具体的に?」
「ホストクラブ」
俺の膝でごろごろしているのは、俺が女の子だと一縷の望みをかけて開いた、身長178センチの男だ。何が楽しいのか、しょっちゅう膝枕を求められる。断っても言い包められて敗北したため、最早諦めている。
ルーカスという名の彼が、ふうんと唸った。
「どんなことするの?」
「主に女性客をターゲットに、酒と会話で持て成して貢がせる」
「おれ、主くん以外には媚びないよ~?」
「うるっせ。いい加減下りろ。痺れる」
俺の不機嫌な声に、不貞腐れながらルーカスが起き上がる。長い髪をぼさぼさしている彼と俺の間に、ひとりの小柄が割り込んだ。
「あるじさま! お絵かきですか?」
「うんにゃ。企画立案書」
「へー……よくわかりませんけど、お手伝いします!」
「あー、うん、……ノアはいい、かな。教育に悪いし」
ノアと呼んだ黒髪の彼は、あざとい感じの美少年だ。言葉を濁した俺に、ノアが大きな目を丸くする。即座に潤んだそれに、反射的に咳払いをしてしまった。
「ぼくは、お役に立てませんか……?」
「えーっと、……ノアは俺と留守番していよう」
「そういうことでしたら、是非!!」
「はー? ルーカスくん納得出来ないんですけどぉー? 主くんはもっと危機感を養うべきだとおもいまーす」
にっこり、満面の笑顔を見せたノアに反して、半眼で体感温度を下げだしたルーカスが文句を口にする。何が危機感だ。いたいけな少年の方が危ないだろう。俺は立派な成人男性だ!
「どうしたの? また主の取り合いかな?」
ひょこりと顔を覗かせた好青年が、ひまわりのような笑みを見せる。ロビン、名前を呼ぶと、やわりと目許が緩んだ。
「お前、給仕とか得意そうだよな」
「主、飲みものをご所望かな?」
「そのくらい自分でする。喋りも物腰もオッケーだもんな。お前は良物件だなあ」
「ありがとうございます??」
「あるじさま、ノアは?」
「そのままピュアでいてくれ」
「わかりました!」
きょときょと疑問符を飛ばすロビンが、困ったような笑顔でこちらを見下ろす。ノアはルーカスを下ろしたばかりの膝に座り出し、先ほどまでそこを占拠していた男が不機嫌そうに舌打ちした。
「また訳のわからんことを考えているのか、貴様は」
「ジル先生、性格アレですけど顔腹立つほどいいんで、こっちっすね」
「私と話をするときは、顔を見るように」
企画書から離さなかった視線が、無理矢理顎を持ち上げられたことにより、引き剥がされる。目の前にいた驚くほど端整な顔立ちに、やっぱり腹立つと半眼になった。ノアが静かに殺気を放つ中、皮肉気に笑ったジルが顔をこちらへ近付ける。
「お前が呼んだことに、わざわざ出向いてあげたんだ。その顔は何だね?」
「へーへー。失礼しました」
「全く、気に食わない子だ」
ぱっと離された手により、上向きだった顔が解放される。伸ばされた喉を擦りながら、愉快げな顔をじと目で睨んだ。
「本当、性格悪いっすよね」
「そこにいる奴等も、充分捻くれているがな」
「ジル、喧嘩なら買うよ?」
ルーカスが口火を切り、ロビンが笑顔で圧をかける。ノアは変わらず殺気を飛ばしていた。……何でこいつら、こんなに仲が悪いんだ。
「主君、こちらにいらっしゃいましたか……あなた方は、主君の前で、何をなさっているのですか?」
俺を見つけた声は明るかったはずなのに、辺りの様子にレオンハルトの声が剣呑に変わってしまう。舌打ちしたジルが他所へ行き、ころっと殺気をしまったノアが俺に抱き着いた。……お前等、変わり身早いな。
「なあ、レオンハルト。ここにホストクラブ建てるから、その顔活かしてきてくれ」
「ええっと……よくはわかりませんが、定住なさると仰るのでしたら、主君の体質では難しいかと存じます」
「……あー」
困惑したようなレオンハルトの微笑みに、ここへ来ることになった切っ掛けを思い返した。
そうだった。あの黒いのに何でか知らないが、俺は狙われているんだった。……こんな平凡な成人男性を狙って、何が楽しいんだよ……。
「はあああ? じゃあお前等、その作画コストの高い顔を無為に使うってのか? 無駄遣いか!?」
「ええっと!? も、申し訳ございません??」
「くそ、定住出来ないばかりに、固定客を掴めない……! 他に何かないか!?」
「主くん、どうしてそんなに必死なの?」
不思議そうなルーカスを含めた、他三人の顔を見回す。より取り見取り、別方面に整った造形に、バインダーに挟んだ紙を握り潰した。
「うるっせーわ! お前等みたいな顔のキラキラキラキラした連中に四六時中取り囲まれてる、平凡なサラリーマンの気持ち考えたことあるのかよ!?」
「何を騒いでいる、主。飯が出来たぞ」
「食べる……」
「主君……」
背後から顔を覗かせた、切れ長の目をした体格も顔も良い男が、家庭科室にありそうなエプロンをつけて俺を呼ぶ。
キサラギという名の彼は、ファンタジーの和食文化圏の人らしく、社食ではない久しぶりの温かな手料理に、俺は敗北していた。独り身にあったかい肉じゃがは中毒だろう!!