1章 何でも屋の転機
彼女はその訃報を聞き、脳天が凍るような衝撃に覆われた。
信頼していた英雄の、簡潔ながらも孤独な溺死であった。今までは多くの死に接してきた彼女の中でも、其れは跳ねのけて違っていた。
何をも失った彼女の、最後まで守り抜いたと信じていた…否、彼女の勝手な妄想に過ぎないが、自身を何もかもを否定してまで…其れは世界を変革することになり得た、1人の社員の死であった。
―――メルクチュアル=リジュマイオニー病。彼女が患っていた障害疾患は、彼女を世界の変革へと先導したようだ。
しかし時は空しく、敢無い病気の拒絶は彼女を墜とすまでに至ったのだ。
其れは蒼天に羽ばたく、蝋の翼を広げて飛翔するイカロスに落ちたゼウスの雷に近いものであったのかもしれない。
―――青天の霹靂。
青々とした、雲影1つ無い青天の中で降り注ぐ落雷の意。まさしく、彼女を襲った感覚に至近していた。
一種の残酷さを燈火として、終わりなき黮黯に身を注いできた者の終焉は、彼女の何もかもを「消し去った」。
時は1年を隔て、元あったプロメテイア・エレクトロニクス社の社屋の瓦礫は撤去された。
そして跡地に造設されたセントラルパークには、ドレミー政権とアルカナ党・エレクトロニクス社連合の熾烈な戦いとスターサファイアの闇の歴史を大理石に刻まれた碑が建てられた。
今や一種の観光地となり、ゼラディウス内外を問わずして人が訪れる名所へと変貌した。
そんなセントラルパークの碑の前、人の流れは無常感憚らず、雲の流れゆく様を背景に凡そ1年前の出来事を思い出しては感慨に更けていた、1人の人物がいた。
碑の前には、錆びついた鋼鉄の剣が地面に刺さっている。
―――ゼラディウス凾渠から発見されたと言う、礎の翼である。彼女の身体と共に流れ着いた剣は、過去を物語っていた。
そう、あの時は記憶として…永遠に語り継がれるのだ。ルナチャイルドが経済混乱や少ない資金と言う様々な問題の中で総出で作り上げたのは、そう意味であったのかもしれない。
黒服と黄色い髪を風に流して、彼女は静かに碑を見つめた。
「―――お前は…最後までよく頑張ったよな」
訃報の後、自己の逃避に溺れては何も出来なかった、元あった巨大会社の取締役の末路。
結局、誰かに縋ることしか出来なかったと思えば、自分の非力さが身に染みて感じられた。
人の絶えない行き来と儚い無常感は、彼女を過去に連れて行くツアーガイドになっていた。
「私には……何も出来なかった」
自分に憤慨しても、何も生まれない。追憶に過去を果てても、結局は糠に釘だ。
考えるのを止めた不意に懐に手を突っ込めば、ジャリジャリと小銭の音がする。
其れを聞いては若干の安心感を抱いた彼女は、ポケットに両手を突っ込みながら静かに碑の前から離れては無常感と一体化した。
碑は何時までも其処にあり続けたが、彼女は一瞬にして流れに飲みこまれてしまった。
◆◆◆
―――はい、何でも屋のユウゲンマガンです。ご用件は何でしょうか。
彼女は新たに職を始めた。と言っても、正式な手続きは行っていない、違法営業に過ぎないが。
スマホを片手に、依頼人の元を回り続ける日々。蟲駆除、機械整備などはお手の物だ。
1回の仕事につき、1日分の食料は買える料金を手に入れる事が出来る。
毎回、彼女を心配しているルナチャイルドやプリズムリバーたちが電話を入れてくるが、既にブロックしている。
何でも屋は楽では無い。寝床探しにも苦労を要する。
ビジネスホテルに宿泊する余裕もなく、何時も寝床は安い料金で寝床だけを提供してくれる貧困層向け宿屋であった。
狭い部屋内で、何時も薄汚い布団を纏っては一夜を過ごす。
毎回、小さな窓から覗けるゼラディウスの夜空は、多くのビル街が消えた事によって星が見えるようになった。
「……あっ、北斗七星だ」
彼女は静かに、そう呟いて見せた。
夜空では七つの星が連なって光っているように見えた。彼女は見える星の幻想に、心を打たれた。
今までは職務で多忙な日々を過ごしていた為、歯牙にもかけなかった存在を見つめてみたのだ。
毎日が不安定な彼女にとって、夜空で煌めく星々は唯一の楽しみであったのかもしれない。
◆◆◆
スマホの充電は何時もネットカフェだ。
電源と充電器、ネットワークを店側から提供してくれるネットカフェを知った以上、彼女はそこの常連客であった。
比較的に料金も安く、何でも屋の彼女は毎日訪れていた。
同じような存在を何回か見かけるうち、仲良くなっていくのもしばしばだ。
その日は太陽が絢爛と輝く晴天で、影が段々と棚引いて行く午後の情景、彼女はネットカフェにいた。
キーボードをカタカタと動かしては、ニュースを拝見している。
何でも屋にとって、情報は必要不可欠だ。その時の流行り、状況に遅れれば仕事にも支障が出るからだ。
ドリンクバー付きの為、コーラを傍らに行う情報集めも、彼女は真剣だ。
そんな時、彼女のスマホが震いを立てた。充電中であった彼女はすぐさまスマホを手に取り、電話に応じる。
きびきびとした声で…其れは入りたてで緊張した新入社員のように、彼女は何時もの台詞を口にした。
「―――はい、何でも屋のユウゲンマガンです。ご用件は何でしょうか」
電話の向こうの相手は、少し掠れてながらも、何処となく聞き覚えがあった声を発した。
彼女は過去に更けそうになったが、意を取り戻しては声を聞きとった。
「……やっと見つけましたよ、社長」