星を守る者
第三章「星を守る者」
目が覚めた時、どこかで見たような天井が視界に広がっていた。
体を動かしかけた途端、全身に痛みが走る。低く呻き、なんとか上体をゆっくりと起こすと、横に恰幅の良い女性が立っていた。
「起きたかい、ヒビトちゃん。良かったよ……」
「マンマか……?」
マンマは湯気の立った杯を手に、ヒビトのそばの椅子に腰かけた。ヒビトに手渡し、「熱いから気をつけな」と優しく注意する。
「まだ動かない方がいいよ。頭を打っているかもしれないからね」
「頭を……」
「川で気絶していたんだ。覚えてないかい?」
瞬時に、記憶がよみがえる。
〈星夜祭〉の夜。村に火の手が上がる。
テッガの家。川へ。イノシシやカマキリに変身した、〈星狩〉らしき二人。
そして、〈星憑き(ほしつき)〉となったテッガ――
「マンマ……あれからどれだけ時間経った?」
「え、どういう……」
「いいから! 〈星夜祭〉からどれだけ経った!?」
「一日も経っておらんよ、ヒビト……」
低くしゃがれた声が、ヒビトの耳に届いた。マンマの体越しに、長い髭をたくわえた老人が杖をつきながら、しずしずと歩み寄る。
「長老……」
「難儀な目に遭ったようだな」
「村はどうなった? テッガは? 一体何が……」
長老は軽く手を上げ、ヒビトを一旦押し留めた。マンマに目配せをし、うなずいた彼女は立ち上がる。
マンマがその場を離れたのを見てから、長老は椅子に腰かけた。
「まずはひとつずつ、お前の質問に答えよう。それからどうするかは、その後でも遅くないはずだ」
「…………」
「まず、村の方はだいぶ落ち着いてきている。混乱の最中に怪我をした者はいるが、幸いなことに死者は出ていない。焼かれた家もごく一部で、被害はそこまで広くはなかったようだ」
「そ、そうか……」
「次に、テッガのことだが」
ヒビトは息を張り詰め、長老の顔をじっと見つめた。
長老は目を伏せ、杖を握る手に力を込めている。
「〈星夜祭〉の後から、誰も姿を見ていないらしい。一部の奴らがこぞって、テッガが〈星〉を奪って逃げたとわめき立てているところだ」
「そんな……」
「事実なのか、ヒビト?」
ヒビトは黙り込み、数秒経ってからうなずいた。「そうか」と重々しくため息をつき、長老はかぶりを振った。
「考えられることではあったな……」
「やっぱり、〈星〉を継げなかったから……」
長老はあごに手をやり、考え込む仕草を見せた。数秒経ってからヒビトが長老に顔を向けると、視線が交わる。
杖に両手を乗せてから、長老はわずかに肩を落とした。
「テッガに〈星〉を継がせていれば、こんなことにはならなかったと思うか?」
「……ああ」
長老は黙り込み、何度か杖で床を叩いた。
そのまましばらく、無言の時間が続く。
とうとうヒビトはじれったさを覚え、「あのさ……」
「わかっておる。わしらの判断が間違っていたと言いたいのだろう?」
「…………」
「このような事態を招いたのはわしらだ。その責はいずれ負わねばならんだろう。だが……今はとにかく、〈星〉を取り返すことを優先せねばならない。〈星〉が奪われれば、この村は成り立たなくなるからな」
ヒビトは眉をしかめ、口をへの字に曲げた。
「取り返すと言っても……〈星〉もそうだし、テッガだって、どこにいるのかわからないんだぞ?」
「……普通ならばそうだろう。だが……」
長老は立ち上がり、ヒビトに「立てるか?」と聞いた。
胸の辺りを押さえて、「なんとか」と答える。
「では、ついて来るのだ。お前に見せたいものがある」
〇
夜中に村を出て、その途中で陽が昇り、頂点に達しかけたところで、ようやくテッガは馬から降りられることになった。
現在の〈星狩〉は、廃墟を拠点としている。
ざっと見回した限り、ヒノエ村よりも広いかもしれない。しかし建物はあちこち崩壊しており、形をとどめているものは数少なかった。地面には人骨に、刃のない柄やねじ曲がった武器の類がそこらじゅうに転がっている。
おそらくこの場所はかつて、〈街〉と似たようなところだったのだろう。大小様々な建物があり、大通りも細い路地もある。
何より目を引くのは、木の柵に囲まれた建物の存在だ。
柵の前には門番らしき男が二人いて、テッガに訝しげな視線を送っている。細身の男が前に出て、二言三言やり取りし、何事もなく通り過ぎることができた。
建物は二階建てで、外側に階段が取りつけられており、他のと比べると損傷が目立たない。ここがかつて栄えていた頃に、権力者が建てたものなのだろう。柵の内側にはいくつもの大砲が配置されている。敵に――特に〈星喰〉に備えたものであることは、想像がついた。
空には灰色の雲が立ち込めている。様々な命が過去のものとなったこの廃墟で、その建物の周りだけが息づいていた。木の柵が真新しいことから、〈星狩〉がここを拠点に定めたのは、つい最近なのかもしれない。
「何か気になるのか、テッガ?」
「……いいや」
そっけなく返しつつも、テッガは無意識に観察を続けていた。
建物の周囲には、〈星狩〉の構成員が何人もいる。
おそらく十五から二十人といったところか。例外なく、盾や剣などで武装している。あの二階建ての建物の中にも、まだいるかもしれない。自分がいた時と比べて減っているのか増えているのか、にわかには判別しがたかった。
しかし、明確にわかっていることがある。
自分は歓迎されていないということ。
自分を見る〈星狩〉たちの目は、疑惑と警戒の色が浮かんでいたからだ。
テッガは彼らの顔に、まったく見覚えがなかった。九年の間、入れ替わりが激しかったとみえる。
馬を預け、建物に入ると、ざわつきがぴたりと止んだ。
一階の広間の中心には円卓があり、すべての椅子が埋まっている。席に着いている全員が、テッガに視線を差し向けている。ここでも歓迎された風はない。
「ようやく来たか。待ちくたびれたぞ」
奥の席――一番豪奢な椅子に腰かけている男が、席を立った。
禿頭の、隻眼の男だ。
テッガはその男だけには記憶にあった。
「久しいな、テッガ。九年ぶりかな」
「シガラキ……だったか?」
彼の顔が一瞬だけ引きつったのを、テッガは見逃さなかった。
懐の深さを示すためか、大仰に手を広げてみせる。
「ずいぶんと不遜な態度だな。これでも〈星狩〉の首領なんだ……口のきき方には気をつけてくれ」
テッガは席に座っている連中の顔をざっと見回した。先ほどより険悪な雰囲気が立ち込めている。自分たちの首領にぞんざいな口をきいたのが、よほど気に食わなかったのだろう。
「そうだな、気をつける」
「……やれやれ」
気を取り直したように薄い笑いを浮かべ、円卓を回り込んで、テッガに近づいていく。真正面から向かい合う形になり、シガラキは手を差し出した。
「持っているんだろう? あの村の〈星〉を」
「…………」
「良ければ、見せてもらえないか?」
「……ああ」
テッガは左手の甲を顔の横に掲げてみせた。手の中心には〈星〉が埋まっており、赤く輝いている。
ざわ、と空気が一変し、シガラキを含む〈星狩〉の全員が、その光景に目を見張っていた。
「どういうことだ……?」
震える声を出したのはシガラキだった。
「なぜ、お前と〈星〉が同化している。〈星憑き〉となったのか?」
「そういうことだ」
「むぅ……」
短く唸り、広間の隅で固まっていた二人組の男たちに鋭い視線を向ける。
どこかで見たような顔に、テッガはわずかに首を傾げた。
「話が違うぞ。どういうことだ」
二人組の男たちが、他の〈星狩〉に乱暴に引きずられていく。シガラキの前に連れられた二人は狼狽をあらわに、目を泳がせていた。
「そ、それは……その……」
「お、おかしいな……」
そこでようやくテッガは、彼らの顔を思い出した。
老人たちと対立し、ヒノエ村から出て行った者たちだ。今ではもはや若者と呼べる年齢ではないが。
音沙汰がないとは思っていたが、まさかこんなところにいたとは。
シガラキは腕を組み、渋面を作った。
「これでは売り物になるか難しいではないか。〈星〉だけならばともかく、〈星憑き〉となると買い手がつきにくいんだ。ましてや女でもない、男ではな。こいつは絶対に、〈星〉を継げないんじゃなかったのか?」
二人は何も答えられない。ぶるぶると肩を震わせている。
テッガはわざとらしく、ふうとため息をついてみせた。それでシガラキが振り返り、細く歪んだ目をテッガに向ける。
「〈星〉が俺を選んだんだ。後はわかるだろ?」
「…………」
「完全な球形の〈星〉は、使い手を選ぶらしいからな」
「ふん……」
シガラキは鼻を鳴らし、テッガの背後にいる細身の男に声をかけた。
「実力は十分か?」
「はっ……僭越ながら、この目で確かに見ました。森を焼き払い、村の戦士を退けるほどの力です。この力ならば、〈星喰〉を倒すことも可能かもしれません」
細身の男の言葉に、〈星狩〉たちがざわついた。
〈星喰〉を倒す――それは、〈星狩〉たちの中では大きな意味を持っている。
〈星喰〉はその生態のほとんどが謎に包まれている。唯一わかっている限りのことでは、食した後の排泄物らしきものはまったく見当たらないという。
〈星〉を喰らう生き物ならば、その〈星〉はどこに収まるのか?
喰らった〈星〉は〈星喰〉の体内に溜め込まれているのではないか?
そういう噂話が、各地でまことしやかに流れているのである。テッガがかつて〈星狩〉にいた頃にも、聞いた話だ。あくまでも噂に過ぎないのだが、シガラキを始め、〈星狩〉の連中はその噂をはなから信じているようだった。
あれから九年も経っているが、未だに〈星喰〉の討伐を果たせてはいないらしい。もっとも、〈星喰〉に襲われて壊滅の危機に遭ったというのだから、その意味では仕方ないともいえるが。
〈星喰〉を倒し、万が一体内に〈星〉が眠っているとすれば、それを〈街〉で売り払うなりして、財産を築くことは可能かもしれない。
そういった目論見があるからこそ、〈星狩〉は〈星〉を集めること、そして〈星喰〉を倒すことに躍起になっているのだ。
口元に笑みを浮かべ、シガラキは一人うなずいた。
「〈星喰〉をか。そうか……」
「〈星〉を売り払うことは難しいでしょうが、〈星憑き〉は貴重な戦力にはなります。〈街〉の近くに大物が潜んでいるという話ですし……」
「むぅ、確かに。〈星喰〉とやり合うとなれば〈星〉は必要だし、ましてやそれが完全な球形のものとなれば……」
テッガは彼らのやり取りを、半ば聞いていなかった。
〈星喰〉とやり合うとなれば自分が前線に駆り出されることは明白なのに、どこか現実味がわかないのである。
自分はなぜ、ここにいるのだ。
どこに行こうとしている?
ずっと求めていた〈星〉がこの手にあるのに、なぜ心が弾まない。
「――ガ、おい、テッガ?」
シガラキに呼ばれ、ようやく我に返った。
「どうした? ぼうっとして」
「いや、なんでもない……」
テッガは首を横に振った。
「夜通し走ってきたせいで、疲れているんだ」
「そうか。それもそうだな……では、お前の部屋に案内するとしよう。今日はひとまず、そこで休むといい」
「……ああ、助かるよ」
そこでテッガは未だに震えている、かつての村人たちを一瞥した。
「奴らはどうするつもりだ?」
「そうだな。村の〈星〉を奪った後では、もはや用済みだろうしな……」
シガラキもテッガと同様に、細い眼差しを二人に向けた。彼らはきょろきょろとせわしなく、体を縮こませている。
「気になるのか?」とシガラキが聞いた。
テッガが口を開くよりも先に、村人の一人が声を上げた。小太りで、頭が禿げ上がりつつある。
「テッガ、なぁ……テッガだろ!?」
「…………」
「俺のことを覚えているか? イサリビだよ。村を出たはいいんだが、この連中に捕まってしまってさ……なぁ、助けてくれよ?」
「お、おれも。頼むよ……」
もう一人の、痩せぎすの男がイサリビに続く。彼らの必死の懇願は見ていて痛々しかった。
広間に集っている〈星狩〉の連中は、彼らに蔑んだ視線を向けている。
シガラキも似たような反応で、彼らを助けるつもりは毛頭ないようだった。テッガの反応を興味深そうに見つめている。
テッガは左手を上げ、〈星〉が二人に見えるようにした。
「よく言うぜ。あの村の〈星〉の情報をこいつらに流したのはお前らだろ?」
「…………!」
「じじいどもに反発してたもんな、お前ら。意趣返しってところか? 俺があの村にいたことも、話したんだろ。いい根性してやがるぜ」
「そ、それは、その……」
「奴らに一泡吹かせたかったんなら、純粋な村人であるお前ら自身がやれば、より効果的だったろうよ。〈星〉を狩るんなら、自分でやることだ。他人にそれを任せたお前らは、ここでもただのよそ者だ」
「……ははっ」
シガラキの乾いた笑いに、テッガが眉をひそめた。
「何がおかしいんだ?」
「いいや。九年間も離れていた割には、よくわかっているじゃないかと思ってな」
「…………」
「『〈星〉を狩るなら自分でやれ』か。いい言葉だ。肝に銘じておくとしよう。……さて、こいつらの処遇は好きにして構わないな?」
「構わない。もともと俺とこいつらは、なんの関係もない」
「ま、待ってくれよ!」
イサリビが身を前に乗り出したが、数人の〈星狩〉が素早く押さえつけた。残る一人も同様に、巻き添えを食らう。
イサリビはなおも、食い下がる姿勢を見せた。
「冷てぇな、関係ないってことはないだろ! 俺とお前、同じ村のメシを食った仲じゃないか!」
「妻子を捨てて、村を出て行った奴の台詞とは思えないな」
「ぐっ……」
「あいつらは……あの兄妹はお前の代わりに、じじいどもから迫害を受けている。九年前、村に来たばかりの俺と同じようにな」
「…………」
「たくましく生きているぜ、あいつらは。お前とは違う。村を捨てたお前が今さら、村の人間のツラをするな」
たたみかけるようなテッガの言葉に、イサリビはうなだれた。
〈星狩〉の連中が二人まとめて外へと連れていく。テッガはその光景を、最後まで見届けることはなかった。
ふと、シガラキの視線に気づき、「なんだ」
「『村を捨てた』……ふん、お前も同じだろうにと思っただけさ」
「……そうだな」
「そして、もうひとつ」
テッガが心もち目を細めると、イサリビはくっくっと喉を鳴らした。
「『捨てた』という言葉は、村に情を持っていないと出てこないもんだ。……まぁ、九年間も暮らしていれば、情のひとつ二つは移るだろうがな」
「何が言いたい」
「お前はあの村の人間か、それとも〈星狩〉なのか……どっちなんだろうなと気になってしまってなぁ」
ねぶるような言い方だった。
テッガは何も答えなかった。
まぁいい、とシガラキはテッガの肩を叩く。
「体を張って、〈星〉を狩ってきてくれたんだ。今さら四の五の言うような、野暮な真似はしない。私は……〈星狩〉はお前を歓迎するぞ、テッガ」
〈星狩〉の連中がテッガに、気のない拍手を送る。シガラキが手を上げると、その音はすぐに止んだ。
「疲れただろう。部屋を用意してある。そこでじっくり、英気を養うといい」
「そうさせてもらおう」
〈星狩〉の一人が立ち上がりかけたが、シガラキが手で制した。
「構わん、私が案内する。……では、行こうか」
シガラキの後に続き、テッガは外に出た。
階段を上がり、二階部分に立ち入る。細長い廊下に面して、扉が等間隔に並んでいた。一番奥の部屋に案内されたが、簡素な作りの部屋で、寝床しかない。窓には鉄板が打ちつけられており、寂しく、また物々しい雰囲気をかもし出している。
シガラキは悪びれた風もなく、肩をすくめた。
「ここしか空きがないんだ。悪く思うな」
「いや、構わない。休めるんならなんでもいい」
「なら、いいがな」
そしてシガラキはテッガの顔を、まじまじと眺めた。
「ヒバの息子とは思えんな。顔つきがまるで違う」
「……母親似だったんだろうよ」
「そうかもしれんな。まさか、ヒバの息子が〈星憑き〉となるなど、奴も夢にも思わなかっただろうな」
「その、ヒバはどうなったんだ?」
「死んだよ。九年前、〈星喰〉に喰われた。あっという間の出来事だった」
「……そうか」
「拠点を移したばかりだから、墓はないが……」
「いや、そんなことはいいんだ。今はとにかく休みたい」
「そうか。では、ゆっくり休むといい。私は他にやることがある」
「ああ」と短く告げ、テッガは扉を閉じた。
寝床に体を投げ出すと、いきなり睡魔が襲ってくる。思っていた以上に、体力を消耗していたらしい。おまけに景気よく腹も鳴る。よくよく考えれば〈星夜祭〉の後、何も食っていなかった。
起きたら何か食わせてもらうか――ぼやきつつ、目を閉じる。
意識が闇の中に沈み込もうとしていく。扉の外で金属音らしきものが鳴ったような気がしたが、気のせいだろうと思うことにした。
〇
蹄が大地を叩く。
手綱を巧みに操り、ヒビトは馬を走らせ、前方を見据えていた。
向かうべき先はわかっている。
より正確に言うならば、〈星〉が導いてくれている。右手に埋まっている〈星〉は中心から鈍色の光を放っており、時々、生き物のようにその光彩を変えていた。馬を走らせる度、〈星〉の輝きが増しているのは気のせいではない。
確かに近づいている。
頭ではなく、感覚でわかる。
〈星狩〉――そして、テッガに近づいている。
ごくりと、ヒビトは唾を呑んだ。
ヒノエ村を出る前のことを思い出す。
長老の背中について行った先は、洞穴だった。
奥にはほこらがあるが、そこには〈星〉はもうないはず。ヒビトが訝しんでいる間にも、長老は奥へと進んでいく。
「九年前、テッガが村に来た時のことを覚えているか?」
「ああ、もちろん」
「真球の〈星〉は使い手を選ぶという。テッガがあの時……カガミの〈星〉を手に持っていたのを見た時、わしは何かを感じた」
「感じた? 何をさ?」
「運命、かもしれんな。今となってはもはや、空々しいだけの言葉にしか聞こえないだろうが……」
含みを持たせた言い方に、ヒビトは若干眉を寄せた。
ほこらに辿り着く。暗く、冷え冷えとしており、ヒビトは思わず体を震わせた。
かつて〈星〉が収められていたであろう箱は空となっており、無造作に地面に転がっている。長老はその箱を素通りし、土の壁の前で立ち止まった。片手で目の高さの辺りをまさぐり始め、そしてくぼみに指を引っかける。
長老の手が横に引かれると同時、土の壁も横にずれた。
「むぅ……」
土の壁が動くのを見て、ヒビトは目を見張った。片手だけで動かすのは骨が折れるらしく、長老の息は荒くなっている。
「すまん、ヒビト……交代してくれるか?」
「あ、ああ……」
長老に代わって土の壁に両手をしっかりつけ、動かしてみる。思いの外、簡単に引っ込んだ。
これまでとは違う、鈍色の空間が奥に続いている。思わず足を踏み入れると、足裏に伝わる固い感触にヒビトは眉を上げた。
「これは……鉄?」
こつこつ、とつま先で叩く。手で触ってみると滑らかな感触があり、入り口から漏れる光にわずかに反射していた。
周囲をまじまじと眺め、ヒビトは首を傾げた。
「ここ全部、鉄になっているのか……?」
「そうだ。この村が鉄の加工で営み、発展することができた最大の理由が、ここなのだ」
長老とヒビトは更に奥に進んだ。
そこまでの距離はなく、すぐに行き止まりにぶつかった。鉄の壁に埋め込まれているものを見て、ヒビトは思わず前のめりになる。
「〈星〉!? そんな、馬鹿な!?」
ヒビトに構わず長老はしずしずと〈星〉に近づき、丁重に壁から取り外した。慈しむように手の中の〈星〉を眺め、わずかに嘆息する。
「このことは……村の中でも私と、カガミしか知らない。あの扉の仕掛けを作ったのもカガミなのだ」
「え、え……?」
「混乱するのも無理はない。順を追って、説明しよう……」
長老によれば、こういうことである。
鈍色に輝くこの〈星〉が見つかったのは、カガミが〈星守〉となってから半年後のことだそうだ。
ほこらの裏にある山で、鉄が大量に採れること。ほこらに入ることで、カガミの胸にある〈星〉の輝きが増すことを、不思議に思ったのがきっかけだった。詳しく調べていく内に、偶然もうひとつの〈星〉を発見したのだという。
「カガミはそれをわしのみに打ち明けた。話し合い、そのことは村の者たちには固く秘密にしておこうとしたのだ……」
「なんでだ?」
「万が一のためだ。〈星守〉が敗れ、〈星〉が奪われるようなことがあった時、どうやって取り返す? なまじの力では意味がない。〈星〉には〈星〉を……わしもカガミもそう考え、来るべき時のために備えて、ここに隠しておいたのだ」
「そして今が、その時ってわけか」
「それだけでは、ないのだがな……」
長老は目を伏せた。その表情には悲哀と、後悔の色が滲んでいる。
「もっと早くに打ち明けるべきだった。そうなれば、今日のような事態を招くこともなかったろうな……」
そしてヒビトの手を取り、掌に〈星〉を乗せた。すると〈星〉の中心にある鈍色の光が強さを増し、ずっしりとした感触が体全体にのしかかる。
「お、おお……?」
「大丈夫だ、そのまま受け入れるがいい」
疑り深い顔をしつつも、ヒビトは長老の言葉をそのまま聞き入れた。
果たして、ヒビトの掌の〈星〉は、そのまま手中に収まっていった。思わず右手を裏返してみると、手の甲から〈星〉が半分だけ露出している。先ほどよりも〈星〉の輝きは薄れており、そして体にのしかかっていた重量感も消えていた。
「なんだ、これ……?」
不思議そうに手の指を開閉する。
〈星〉は手によく馴染んでいる。まるで昔から体の一部だったかのようだ。
長老が思った通りだと言いたげに、うなずいてみせる。
「どうやら〈星〉はお前を、使い手として認めたようだ」
「おれが……」
「その〈星〉ならばきっと、お前の力になってくれるはず」
「…………」
しばらく〈星〉を見つめ、やがて視線を長老に向ける。
「これでテッガから、〈星〉を取り返せっていうんだろ?」
「……いや、それだけではない」
長老は鉄の壁から離れ、ほこらに戻っていく。ヒビトもそれについていき、仕掛け扉を元通りにしておいた。
杖をつきつつ、長老が重たげに口を開く。
「あの連中はテッガが裏切り、〈星〉を奪ったのだとわめき立てている。残念なことにそれは事実だ。しかし、わしはその逆だと言っている。テッガは〈星〉を取り返すために、村を出たのだ……と」
「……え?」
入り口の直前で、長老が足を止めた。振り返り、二つの眼がヒビトを射抜く。
「わしからの頼みだ、ヒビト。嘘を本当のことにして欲しいのだよ……」
太陽が傾きかけている。
村を出て、馬を走らせてからしばらく経つ。
村人たちには何も告げず、出て行く形になった。テッガのことを突かれて、うまく誤魔化せる自信がなかったためだ。
しかし――村を出る直前に、マンマから呼び止められた。いつもの豪快さはなりを潜めており、ヒビトを不安げな眼差しで見つめている。
長老から事情を聞いたのだろうか? あるいは――
胸から息を吐き出して、できるだけ明るい声を出そうと努めた。
「そんな顔するなよ、マンマ。〈星〉を取り返して、テッガも連れ戻してきて、それで全部丸く収まるからさ」
するとマンマは安心したように、口元に柔和な笑みを浮かべた。
「気をつけるんだよ、ヒビトちゃん。帰ってきたら腕によりをかけて、ごちそう作ってあげるからさ」
「それは楽しみだな」
「テッちゃんを頼んだよ」
「わかってる」
そう言って馬に乗り、振り返らずに村を出た。「気をつけるんだよー!」という声の残響が、しばらく耳にこびりついていた。
〈星〉が導いてくれているため、迷う心配をしなくても済む。大地を駆け抜ける最中、頭の中ではいくつもの場面が浮かんでいた。
九年前に、父親を失ったこと。
初めてテッガが村に来たこと。
その半年後に突然母親を亡くしたこと。
落ち込んでいたところに、不格好の贈り物をしてくれたこと。
それから一緒に過ごし、くだらないことでしょっちゅう喧嘩をしたこと。
釣りをして、星見の丘で寝そべって、風を感じて――。
テッガにとっては初めての〈星夜祭〉で、星空を眺めて、ひどく感動していたこと。
ヒビトからの提案で、二人でいたずらを仕掛けようとして、マンマにこってり絞られたこと。
いつも冷静なくせに、カガミのことや〈星守〉のことになると、途端に熱くなる。そんな彼をうらやましく思ったこと。
許せないと思う気持ちより、なぜこんなことになってしまったのかという悔恨が、先に立っている。
おそらくそれは、テッガも同様なのではないか。
曲がりなりにも九年間、共にあの村で過ごしてきたのだ。初めて作った不器用な鉄細工を贈ってくれるような奴が、果たしてそんな簡単に、何もかも切り捨てられるだろうか。
そう考えてしまう自分は甘いのかもしれない。
首から下げた円形の鉄細工は、馬の蹄が大地を叩く振動に揺れている。
痛くなるほど握りしめ、その感触を手に焼きつけた。
会った時、何を言えばいいのかわからない。罵声を浴びせるのかもしれないし、帰ってこいとか言うかもしれない――
だけどひとつだけ、やっておかなくてはいけないことがある。
「会ったら一発、ぶん殴ってやる」
言葉に出すと、全身に力が満ちていくのがわかる。
手綱を強く握り直し、ヒビトは前方を睨んだ。
〇
物心ついた時からずっと、〈星〉を求めて生きていた。
〈星〉の輝きは他のどんな宝石も遠く及ばない。じっと見つめているだけで、例えようのない充足感が胸に広がっていく。
生まれた時から自分は、〈星狩〉に属していた。
〈星〉を狩り、〈星〉を売り、得た資金と〈星〉の力で拡大を続ける武力集団。
元々はどこにでもあるような、ただの盗賊団だったのだが、偶然〈星〉を手にし、それに力と金銭的な価値があるとわかって、鞍替えしたのだそうだ。そういった話は珍しいことではないらしい。
ある時ヒバが、気まぐれに説明してくれた。
今まで自分が見ていたのは、ただの星屑であるということを。この世には完璧な球形である、〈星〉が存在することを。球形に近ければ近いほど、それに比例して〈星〉の力も金銭的価値も高まるのだ。
そして、〈星〉そのものの輝きも。
それまで、完全な球形の〈星〉は見たことがなかった。〈星狩〉の何人かは確かに〈星〉を持っているものの、形としては不完全なものばかりだ。完璧な球形の〈星〉を手に入れることが出来れば、〈星狩〉として箔がつく――ヒバはそう語っていた。
幼いテッガはヒバから、ある村を襲うと聞いた。
出稼ぎのために〈街〉に来ていた田舎者から聞き出し、あの村には完璧な球形の星があるということを掴んだのだ。
当初は、力押しで〈星〉を狩ることになっていた。
しかし直前で、作戦が変わった。
父――ヒバが突然、言い出したのだ。
テッガを奴隷として仕立て上げ、村に送り込み、隙を見て〈星〉を奪う――そういった作戦を。
シガラキは下っ端の提案に渋っていたようだったが、幼いテッガが乗り気だったのと、他に適任がいないこと、少ない労力で〈星〉を狩れるならば、それに越したことはないということで、作戦は決行された。
ヒバはこの機会に、〈星狩〉で成り上がるつもりだったのだろう。
そしてテッガにとっては、完璧な球形である〈星〉を手にする千載一遇の機会だった。もちろん作戦がうまくいけば、ヒバから、そして〈星狩〉から没収されるだろうが、その前に自分だけで堪能しておきたかった。
そして、運命の日が訪れた。
テッガは奴隷に見えるよう、みすぼらしい衣装に着替えた。手足にも鎖をつけ、わざと殴られておくという、念の入りようだ。〈星〉を手にすることを考えれば、この程度の痛みはどうってことなかった。
お供に何人かがついてくることになった。テッガの護衛と、見届け役を兼ねていたのだろう。
あれだけお膳立てをしたヒバはついてこなかった。理由はわからない。ついて行っても邪魔になるだけだとシガラキが判断したのかもしれない。
〈街〉から村へ移動し、その近くの森で待機する。
出稼ぎから帰って来た村人たちの前にテッガが姿を現し、保護してもらうという流れだ。
その日、天気は良くなかった。
遠雷がたまに聞こえてくる。見届け役の〈星狩〉たちは不吉なものを聞いてしまったかのように、顔を歪め、ぶちぶちと文句を垂れていた。
テッガは雨が降ればいいと思っていた。子供が雨の中、〈星狩〉から逃げてきたとわかれば悲壮感が増し、相手も油断する可能性がより高くなるからだ。
遠くから馬車が見えてきた。
それに乗っている村人たちを確認し、テッガと〈星狩〉たちが身構えた瞬間――異変が起こった。
背後から木が折れるような音と、そして悲鳴。
振り向くと、今までに見たこともない大きさの怪物が、〈星狩〉の一人を頭から喰らっていた。足の先まで飲み込まれていくのを見て、〈星狩〉たちが耳障りな絶叫を上げた。
「ここ、こいつはまさか!?」
「なんなんだ、このでかさは!?」
「逃げろ、逃げるんだ! オレたちまで喰われちまう!」
テッガも〈星狩〉も、慌てて森から外へ出た。
ヒノエ村の村人たちも、異変に気づいたようだ。馬車から降りてきた一人が、こちらに向かってきている。
テッガは――おそらく偶然だろうが――〈星狩〉の一人に蹴飛ばされ、ごろごろと転がってしまった。顔を上げた時には一人、また一人と見慣れた連中が喰われていくところだった。
がし、と肩を掴まれる。
勇ましい顔つきの男が、あっという間に自分を抱きかかえていた。
その男の目は力強い、硬質の輝きを放っている。テッガにはその目が一瞬だけ、〈星〉のように煌めいて見えた。
「大丈夫か?」
「あ……」
「アザがあるな。殴られたのか? ……む」
男はすぐにテッガから、目の前の怪物に視線を移した。
怪物が男と、テッガを見下ろしている。どうやら怪物は次に、自分たちに狙いを定めたようだ。
平べったいトカゲのような外見をしたそいつの体は黒っぽく、体の各所に銀色の粒のようなものが散らばっている。
その輝きが〈星〉に似ていると気づいた瞬間、視界が目まぐるしく変わった。男が自分を抱えた状態で、怪物からの攻撃を飛んで避けたのだ。
怪物はばたばたと手足を動かし、今度は馬車の方――村人たちの方に向かった。あっという間に距離が詰められていく。村人たちが悲鳴を上げ、蜂の子を散らすかのように逃げ惑う。
あれでは、〈星狩〉の連中の二の舞だ――
そう思った時、体に熱を感じた。
男が勢いよく手を突き出す。
掌から、火の玉がほとばしる。
二発、三発と立て続けに撃ち出し、その内の一発が怪物の背中に命中した。怪物は動きを止め、のっそりと首をこちらに向ける。
男はテッガを地面に下ろし、「走れるか?」と尋ねた。
「あ、ああ……」
男は口にほんのわずかな笑みを浮かべ、「いい子だ。さぁ、行くんだ」
「でも、あんたは……」
「私なら大丈夫だ。いいから、行きなさい」
テッガはそれに従った。
怪物が走る。一直線に、男の方へと。
「ぬぅう……!」
男は手に力を込め、再び火の玉を射出したが、怪物の進行を止めることはできなかった。大きく開けた口には闇が広がっていて――男はとっさに、横に飛んだ。すぐさま体を起こし、尻尾へ飛びつく。「むうん!」という掛け声と共に、自分の体の三倍ほど大きさの怪物を掴み上げた。
わずかな時間、宙に浮いていた怪物は――甲高い悲鳴を上げ――地面に叩きつけられた。
「な……」
なんて力だろう。
〈星狩〉にも、あそこまでの豪傑はいない。
あの男は一体何者なのか。
「ふっ!」
力のこもった息を吐き、男が腰の鞘から剣を引き抜いた。
「はぁあ……!」
柄を握る手に力を込める。すると柄から火の縄が蛇のように伸び、剣の先端に向かって伸びていく。やがて火は刃全体を覆い尽くし、その周囲で空気の流れが歪んで見えた。
燃える剣――
それを怪物に向ける男の姿は、どこまでも勇ましかった。
まるで神話の中の英雄のようだった。
退くという言葉も、恐れという言葉も、彼の中にはないように思えた。テッガはその男の動きひとつひとつに、目を奪われていた。
怪物が体を起こし、距離を保ったまま、男にひたりと視線を這わせている。
「〈星守〉カガミの名において、お前を天に還す……!」
カガミと名乗った男は剣を構えた状態で、慎重に歩を進めている。両者の間に見えない火花が散っているようで、テッガは我知らず唾を呑んだ。
その時ぽつり、とテッガの頬に何かが伝わった。
上を見上げると、無数の水滴が空から降ってきている。雨――その単語が頭に浮かんだ瞬間、はっとカガミの方を見た。彼は上空に気を払っていないようだが、雨が降り始めたことには気づいているはず。
このまま勢いが増せば、剣にまとう火はどうなる?
彼の力はどうなる?
怪物が尻尾をしならせ、水滴を振り払った。雨という、予期せぬ味方に喜んでいるようにも見える。
雨の勢いが増していく。
カガミの体が少しずつ、前のめりになる。
先に動いたのはカガミだった。火をまとう剣を振り上げ、怪物に向かっていく。
怪物はまだ動かない。
距離がゼロになるその瞬間、カガミが怪物の眉間に剣を突き立てようとした。
怪物はその巨体から想像もつかない速度で体の向きを変え、尻尾をしならせた。剣がカガミの手から吹き飛び、地に落ちる前に火はかき消えた。
片手を押さえたカガミは一旦、怪物から離れた。剣の方に手を伸ばそうとするが、それよりも速く、怪物がカガミと剣の間に回り込む。尻尾を器用に操り、背後にある剣を持ち上げてみせた。ぶらん、ぶらんと玩具のように振り回した後で、怪物が口を薄く開け――両端を歪ませる。
怪物が、笑っている――
カガミもテッガと同じような心境だったかもしれない。彼の背中から、焦りを感じる。それでも怪物から目をそらすことも、背中を見せるようなこともしなかった。
怪物の尻尾がしなり、剣を口のところまで持っていく。一口で飲み込み、もごもごと咀嚼するように口を動かした。
刃も柄も、あの怪物には関係ないらしい。
そして変化が起きた。
ぶるり、と体を震わせたかと思うと、怪物が――先ほどまではなかったはずの――口の中の歯を、むき出しにしてみせた。鋭利で、刃を思わせる歯が、びっしりと上下に並んでいる。
そこでようやくテッガは、あの怪物がなんであるかを悟った。
〈星喰〉だ。
どこから来たのかはわからない。どれだけいるのかも。
わかっているのはあの怪物が、〈星〉を喰らい、その力を取り込み、どこまでも成長していくこと。無機物だろうとなんだろうと、その特性を自分のものにする。そして、〈星喰〉に滅ぼされた〈街〉は数知れないという。
〈星狩〉においては、〈星喰〉に会ったらまず逃げろと言われていた。まともにやり合って敵う相手ではないとも。〈星喰〉とやり合うには〈街〉や〈城〉並みの兵力と、更に〈星使い〉や〈星憑き〉が何人も必要だと言っていた。
〈星狩〉で教えられたことを踏まえれば、一人で〈星喰〉と戦うことなど、無謀この上ないはずだ。見届け役の〈星狩〉の連中は一人残らず喰われてしまったし、ヒノエ村の連中もとっくの昔に逃げ出した。
加勢など期待できない。
更にこの雨だ。
剣も奪われた。
あの男だって、劣勢に追い込まれていることは承知の上のはずだ。
なのに、なぜ逃げないのだろう。
逃げても無駄だと悟っているのだろうか?
違う、と感じた。無謀であることも劣勢であることも承知の上で、あの男がこの場に留まり続けているのは、自分がいるからだ。
子供を置いて逃げ出すことなどできない、抱きかかえて逃げ切るのも難しい、ならば戦うしかない――そう判断したのではないか?
実際は、別の理由もあったのかもしれない。
例えば、村に近づく外敵を排除するためだとか。
しかしなぜだかテッガには、あの男が自分を守るために戦ってくれていることを、確信できた。
がちん、がちんと怪物が歯を鳴らす。先ほどよりも凶悪そうな面構えだ。
「来るがいい。村には近づけさせん」
カガミは身構え、怪物との距離を一定に保つ。先ほどのように「間」ができたが、先にそれを破ったのは怪物だった。
地面を這いずり、右へ左へと移動する。
カガミは怪物から決して目をそらさず、火をまとった拳を弓矢のように引き絞った。
素手で対抗するなど、無謀もいいところだ。
しかし、〈星喰〉を掴み上げるほどの力があればあるいは……思わず身を乗り出しかけたところで、突然、〈星喰〉と目が合った。
より正確に言うならば、〈星喰〉がこちらに首を向けてきたのだ。
更に予想外のことが起こった。
〈星喰〉はカガミからテッガに狙いを移し、進む軌道を強引に変えたのだ。
カガミも〈星喰〉の狙いに気づき、テッガの方へ駆け出すが――勢いがついた分、〈星喰〉の方が速かった。
刃のような歯を光らせ、丸呑みにせんと口を大きく開ける。
テッガはその場から離れようとしたが、足についた枷に引っかけてしまい、無様に転んでしまった。
〈星喰〉が迫る。
一秒後には奴に喰われる――
その寸前、〈星喰〉の体が爆発した。
カガミが〈星喰〉に火の玉をぶつけたのだ。
〈星喰〉がわずかに怯み、一瞬だけ硬直する。
その合間にカガミがテッガの元へ駆けつけ、抱え上げ、すぐさま放り投げた。彼の体は、溶岩を思わせるほど固く、熱かった。
頭を振った〈星喰〉が、歯をむき出しにした。
カガミはとっさに〈星喰〉の方に向き直ったが――遅かった。
歯と歯がかち合う音と、肉を引き千切ったような音。
テッガはその瞬間、確かに聞いた。
そして、見た。
右腕ごと肩を大きく喰い千切られ、カガミの体が大きく揺れるのを。
彼の顔は見えなかった。
〈星喰〉は喰い千切った勢いで頭を振り、カガミを横から跳ね飛ばす。テッガの方に転がり、そのまま彼は地面に伏せていた。
血が、体から噴き出している。
思わず触れると、熱が急速に冷めていくのがわかった。どうすればいいのか、わからなかった。
〈星喰〉が近づいてくる。
二人まとめて喰らうつもりであることは明白だった。
「くそっ!」
テッガは隠し持っていた小刀を取り出し、倒れ伏せているカガミと〈星喰〉との間に立った。
無謀かどうかなんて考える間はなかった。
息は荒いし、刃先だって震えている。今、手足に枷をつけていることを、心の底から後悔している。
でも、今の行動を後悔したりはしない――
「来るなら、来いッ!」
〈星喰〉が迫ってくる。
一歩一歩確実に、「死」が近づいてくる。
五歩目を踏んだ時――そこで〈星喰〉の動きが止まった。
そしてぶるぶると、体を震わせ始めた。開いた口の奥から、熱気と煙が流れ出ている。〈星喰〉の体の中心が赤く発光し、我慢できないといったようにじたばたと暴れ始めた。
手足が痙攣し、体の各所から黒い煙がぶすぶすと上がっていく。
とうとう背中から火が突き破り、瞬く間に〈星喰〉の全身を赤く染めていった。雨が降っているにも関わらず、火の勢いはますます強くなっていく。
肉の焼ける音と、細い呼吸音、手足が地面を叩く音が入り混じり、不協和音を生み出している。時間が経つにつれ、雨音がそれらの音を飲み込んでいった。
やがて〈星喰〉の頭部が、地面に落ちた。
それから数十秒間、〈星喰〉は動かなかった。
完全に力尽きていた。
十分に確認してから、テッガは〈星喰〉に近づいた。
火は雨によってかき消えている。体の一部をすくい上げてみると、黒い砂のような感触だった。それらは雨に流され、地面に染み込んで消えていく。その様子がなんとも不気味で、テッガは目元を歪めた。
〈星喰〉の腹部だった辺りに、未だ赤い輝きを放つ〈星〉があった。カガミの腕はどこにも見当たらない。
〈星〉を拾い上げ、テッガはその場から離れた。
カガミの体を引きずっていく。手近な木にもたれかかせ、楽な姿勢にしてあげた。
彼の顔色は蒼白だった。
止血をしたものの、血が止まらない。これだけの負傷だ、もはや手遅れだろう。テッガの目から見ても、彼の命の灯火が消えかけていることは明白だった。
それを見ていることしかできない自分が、あまりに歯がゆく感じた。
「…………」
カガミは無言で、テッガを見上げている。
次に〈星〉に視線を落とした。
テッガはその〈星〉を渡そうとしたが、彼は力なく、首を横に振る。
「君が持っていてくれ」
声に力はなかったが、テッガには明瞭に聞こえた。
「頼みがある……聞いてくれるか?」
是非もなく、うなずく。
「ここの近くに、村がある。その村に〈星〉を持って行って欲しい……そして、私の息子に伝えてくれ……」
カガミの声が次第に小さくなり、テッガは彼に耳を寄せた。
「〈星守〉にならなくてもいい……お前の生き方はお前が決めろ、と……」
言葉の意味はわからなかったが、「わかった」と応えた。
「そいつの、名前は?」
「ヒビト。……君は、名をなんという?」
「テッガ」
「そうか、テッガ……できることならばあいつと、仲良くしてやって欲しい……」
「…………」
「約束、してくれるか……?」
カガミが軽く握った手を持ち上げる。テッガは逡巡の色を瞳に浮かべたまま、男の手に自らの拳を合わせた。
「ありがとう」と彼は言った。
ゆっくりと目を閉じて――
そして、息絶えた。
しばらくしてヒノエ村の連中が、武器を手に持ってやってきた。木にもたれているカガミの姿を見て、皆一様に呆然とし――やがて嘆き、悲しんだ。
テッガにはその涙が、どこか白々しいものに感じられた。
なんでもっと早く助けに来なかったんだ――そう言ってやりたい気持ちがあったが、ぐっと堪えた。
自分にその言葉を言う資格はない。
自分が――殺してしまったようなものだ。
そして、テッガは村人たちに事情を説明した。
村人たちはテッガの話をあっさりと信じた。
〈星狩〉から逃げてきたところを〈星喰〉に襲われ、そこにカガミが助けてくれたのだ――そんな作り話を。
村に逃げた連中の証言もあったので、誰もテッガの言葉を疑おうとしなかった。
〈星守〉が命を賭けて助けた子供の言葉にけちをつけるなど、夢にも思わなかったのかもしれない。
村人の一人が〈星〉を渡して欲しいと言い、不用意に手を伸ばしたところ、〈星〉がすさまじい熱を放った。村人たちは〈星〉が怒ったと恐れ、仕方なくテッガに持たせたまま、村に戻ることになった。
初めて村に足を踏み入れた時のことは、今でも忘れていない。
悔恨、悲哀、憎悪――それらが入り混じった眼差しが、テッガに向けられた。老人たちがやってきて、テッガから〈星〉を奪い取ろうとしたが、先ほどと同様に〈星〉が怒り、老人たちは悪態をつきながらずこずこと引き下がった。
「なぜ、こんな餓鬼が〈星〉を持てるのだ」
吐き捨てるように言われたことは、死ぬまで忘れることないだろう。
老人たちを押しのけて、長老、マンマ、そして自分と同じぐらいの歳の、赤い髪の少年が姿を現した。後で聞いたところによると、少年の母は〈星守〉が亡くなったという知らせを受けて倒れたらしい。
テッガには誰がヒビトなのか、直感でわかった。
赤い髪の少年に近づき、〈星〉を手渡す。彼はその意味を悟ったらしく、黙って〈星〉を受け取った。
そして彼はテッガと目を合わせた。
赤い瞳と黒い瞳が交錯する。
少年が、口を開いた。
「お前……名前は?」
「テッガ」
「おれは、ヒビト」
「知ってる。あいつから……伝言を頼まれてる」
「父さんから?」
うなずき、テッガはカガミからの言葉を一言一句そのままヒビトに伝えた。
ヒビトは呆然と口を開き――「そっか」とだけ言った。
それからテッガは、ヒノエ村で暮らすようになった。
行く場所も当てもなかったし、〈星狩〉に戻ろうという気持ちもなかった。作戦が失敗に終わってしまった以上、〈星狩〉での立場はもうないだろう。
だが、そんなことはもはやどうでもよかった。
この村で過ごせればよかった。
テッガを村から追い出せという意見も、あるにはあった。
だが、その意見に反対する者が多くいた。〈星守〉が命がけで守り抜いた子を追い出すことは、〈星守〉の意思を踏みにじることと同義だったからだ。長老と――父を失ったばかりのヒビトの言葉と意向が、反対意見をねじ伏せてしまったのである。
〈星守〉カガミが最後に残した言葉が、ヒビトにどんな影響を与えたのか、その心中をはかることはできなかった。
ヒビトは怠け者で、いつも自分に仕事を押しつけてばかりいた。喧嘩をした時も、勝つのはいつも自分だった。
それがもし、わざとだったとしたら?
カガミの言葉でそうしているのだとしたら?
カガミは何を思って、ヒビトにあんな言葉を残したのだろう。知りたくてたまらなかったが、ヒビトにそれを聞くことははばかられた。
もっと早くに聞いていればあるいは、何かが変わったのだろうか。
まどろみの中でテッガは、奇妙な光景を見た。
目の前にはヒビトの母が、不安そうな目でこちらを見つめている。
少しだけ体を引くと、視界に男の背中が映った。見覚えがあるその背中は、まぎれもなくカガミのものであると断言できた。
周囲を見回すと、扉の隙間から赤い髪の少年がこちらを覗き込んでいる。ヒビトだ。
二人はヒビトの存在に気づいていないようだった。
これは一体なんなのだろう。
これは一体、誰の記憶なのか。
カガミが何事か話している。テッガは彼の言葉に神経を注いだ。
「私が子を持っていなければ、〈星守〉という役割を不安に思わなかったかもしれない。しかし今では違う。ヒビトに、私と同じような運命を背負わせたくない。そうだ……ヒビトには、〈星守〉になって欲しくないのだ」
その言葉に、テッガは目を見開いた。
そしていきなり、景色が飛んだ。
目の前には火の海が広がっており、〈星喰〉と思しき敵がいる。その敵と相対している男には見覚えがなかった。だが、カガミに似ている。カガミの血縁者で、かつての〈星守〉なのだろうか?
再び景色が飛ぶ。今度は夜空が見えた。
一人の少年が、〈星〉を拾い上げている。〈星〉は力強い輝きと熱を放ち、その眩さにテッガの目が細くなる。
これは〈星〉の記憶か?
〈星〉が自分に、歴代の〈星守〉の記憶を見せているのか?
〈星〉を用いて戦う彼らの気持ちが、自分の中に注ぎ込まれていく。
不思議と、不快に感じなかった。
それどころか、誇らしいような気持ちになった。
しかし――同時に後ろめたさを感じた。
自分は卑劣な手段を以って、〈星〉を狩ったのだ。結果的に〈星憑き〉となったが、自分が〈星〉にふさわしい存在であるとは到底思えなかった。
自信が、なかった。
眠りから覚めると、外がいやに騒がしかった。
部屋には窓がないため、様子をうかがうこともできない。だるさの残る体をなんとか起き上がらせ、扉に歩み寄った。開けようとしたが、鍵がかかっている。眠りに落ちる前に金属音を聞いたことを思い出し、自分のうかつさに舌打ちした。
「あの野郎……」
蹴り破ろうかと思ったが、扉は頑丈でびくともしない。
地響きが足の裏から伝わってくる。耳を澄ますと、怒号と砲声が聞こえてくる。
何かと戦っているのか?
何と戦っているのか?
「まさか……」