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星守  作者: 黒犬
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星夜祭(せいやさい)

     第二章「星夜祭(せいやさい)



ヒノエ村では一年に一度、〈星夜祭〉が催される。

 やぐらを組み、その周りを村人たちが囲み、歌い、陽気に踊る。

存分に騒いだ後、村中の明かりを消して、ゆっくりと星空を見上げる。

この時だけは夜の森のように、ひっそりと静まり返る。

何十年も前から行われている、伝統の行事である。

 だが今年に限っては、事情が異なっていた。


〈星夜祭〉の後に、十年に一度の儀式である〈星継(ほしつぎ)〉が行われるのだ。


長老と老人たちが次の〈星守(ほしもり)〉を指名し、その者に〈星〉を継がせる。

〈星守〉となった者は次の〈星継〉まで、〈星守〉としての役目を果たす。

〈星〉を狙う、あるいは村を襲う厄災……それは例えば〈星狩(ほしがり)〉や〈星喰(ほしくい)〉のような存在から、〈星〉の力を用いて防ぐ。

〈星守〉は英雄と同義語であり、その両肩には大いなる責任が課せられている。

 以上が、父であるカガミから教わったことだ。

十年前、〈星守〉となったばかりの彼は、〈星守〉の存在意義とそのすばらしさを幼いヒビトに語った。

村を守る英雄――その肩書に、ヒビトも無条件で憧れたものだ。

 しかし時が経つにつれ、カガミは〈星守〉について語らなくなった。

 それどころか、顔つきも険しいものになっていった。

 今でもよく覚えていることがある。

組んだ手に額を押し当て、背中を丸めている父の姿。

父の前には心配そうな表情を浮かべている母がいる。

二人がなぜそんな顔をしているのか、幼いヒビトには理解しがたかった。

 しかし、今ならわかる。彼らは恐れていたのだ。

〈星守〉という役割。

 それに伴う重圧と責任。

〈星狩〉や〈星喰〉といった外敵の存在。

そしてそれ以上に、もっとも恐れることがあった。

それは――


 適当に祭りに参加し、適当に場を盛り上げ、適当なところで切り上げた。

 現在、ヒビトは自宅で寝床に転がっている。

星を見る時は村中で明かりを消すことが決まりとなっているため、家の中は真っ暗となっていた。

月明かりが窓から差し込み、ヒビトの髪を青白く照らしている。

 窓の向こうには星の海が広がっている。

巨人が星屑を入れ物に詰め込み、それを思い切り振り撒いたような――どれほどあるのか数えるのも気が遠くなる、そんな星空だった。

 毎年の光景だから、見慣れている。

 でも、飽きることはない。

 だけど、誰かと一緒に星空を眺める気分にはなれなかった。

 だからこうして、一人で星空を堪能しているのである。

 ぎい、と扉が開く。わずかな足音を立てて、近づいてくる人影がある。

誰と問うまでもなく、ヒビトにはその人物が何者であるか察しがついていた。

「珍しいな。こんなところで星見か?」

「そういうお前こそ、どうしたんだよ」

 テッガはヒビトの寝床に腰かけ、「どうにもな、気分じゃないんだよ」

「そうか」

「わけを聞かないのか?」

「別に。わざわざ言うほどのことでもないだろ?」

「それもそうだな」

 テッガは手を組み、わずかに背中を丸めた。

その姿がどこか、かつての父の姿とだぶって見える。

普段は大きな背中なのに、こういう時だけはとてつもなく小さく映る。窓から漏れる光が彼の背中を照らし、輪郭がかすかにぼやけているのも相まって、その存在が儚いものであるかのように思えた。

 ヒビトはわずかに顔をしかめ、テッガに見られないよう、窓に向かって寝転がった。テッガがわずかに動いたような気配があったが、それ以上は何もない。

 しばらく沈黙が続いた後で、二人同時に「なぁ」と口を開いた。

ヒビトは首をテッガに向け、「なんだよ?」

「お前こそ、なんだよ」

「お前から先に言えよ。おれは後でいい」

「いや……そうだな」

 テッガは立ち上がり、ヒビトの寝床から離れた。数歩歩いたところで立ち止まり、軽く息をつくのが聞こえた。

「今度の、〈星継〉のことなんだが……」

「ああ」

「お前は誰が〈星〉を継ぐんだと思う?」

 ヒビトは体を起こし、テッガの背中を見つめた。ここからでは彼の表情はわからない。

何を思ってこんな発言をしたのかも。

 ヒビトは吐息をつき、足元に視線を落とした。

「わからないよ、そんなの」

「わからない、ってことはないだろ。普通に考えれば〈星守〉の息子であるお前が一番、可能性が高いはずだ」

「そんなのわからないだろ」

「なぜそう思う?」

「それは……」

 口を開きかけ、一旦閉じた。なぜかはわからないが、慎重に答えないといけないような気がしたからだ。

「だっておれは〈星守〉とか、村を守るとか興味ねぇもん。怠け者だし……」

「自覚はあるのか」

「まぁ、それなりにさ」

 多少居心地の悪さを覚えつつ、ヒビトは答えた。

 それ以上テッガが何も言わないのを見て、ヒビトは寝床から足を下ろし、両膝に肘をつけた。数秒黙り込んでから、口を開く。

「おれはさ、テッガに〈星〉を継いで欲しいって思ってるよ」

「…………」

「頭もいいし、喧嘩も強い。働き者で、皆から信頼されている。ぴったりじゃないか」

「…………」

「じいさんたちは渋るかもしれないけどさ、お前が〈星守〉になってくれたら、きっと皆喜ぶと思うよ」

「……よく言うぜ」

 テッガの声は冷ややかだった。半身だけ振り返り、あごをくいと上げる。

「俺より強いくせに、白々しいことを言いやがる」

「何を言って……」

「知ってんだよ。お前がずっと、俺に遠慮していたってことぐらい。こないだの決闘も、わざと手を抜いただろ」

 ヒビトの呼吸が一瞬だけ止まった。平静さを装うとするよりも先に、テッガが畳みかけてくる。

「俺に〈星守〉になって欲しいだと? 〈星〉を、村を守る責任を背負いたくないだけだろうが」

「ち、違う……」

「何が違うんだ、言ってみろ」

 ヒビトは答えられず、唾を呑んだ。

今、この場で話すべきかどうか、判断に迷った。

 テッガは舌打ちし、再びヒビトに背中を向ける。「くそっ」と小さく悪態をつき、そのまま扉へ向かった。

ヒビトはテッガを目で追っていたが、引き止めることはしなかった。

いや、できなかった。

 扉が開き、音を立てて閉まる。

 室内に静寂が戻り、ヒビトは額に手の平を押し当てた。今のやり取りでどこがまずかったのか、記憶の糸を辿っている自分に気づく。

 テッガの言葉通りだった。

テッガに遠慮していたのは事実だ。彼と決闘する時、手を抜いていたことも。

マンマもテッガも、それに気づいていた。

自分はテッガに対して、真摯に向き合ってなかったのだろうか。

 そうしていた理由を話すことにはためらいがある。テッガを傷つけるかもしれないと思っていたから。しかしその態度が逆に、今のようにテッガを苛つかせることになるのだとしたら……。

 何がまずかったのか。自分はどこかで、思い違いをしていたのだろうか。

 再び記憶の糸を辿ろうとするも、明確な答えは出てこなかった。


     〇


 闇夜の中、テッガは脇目も振らずに歩いていた。

 荒々しく土を踏み、肩で風を切る。

どうにも苛立ちが収まらず、手近にあった木に拳を打ちつけた。胸に溜まった息を深々と吐き出した後で、ようやく拳を木から離す。手に付着した木端が地面にぱらぱらと落ちた。

 拳をさすり、首を振る。

自分のやっていることが馬鹿馬鹿しく思えてしょうがなかった。

 なぜ、あんなことを言ってしまったのだろう。

 最初はヒビトを、星見の丘に連れ出してやるつもりだった。

あの場所でならば、透き通った気持ちでヒビトと向き合える――そう思っていたからだ。〈星継〉のことを持ち出すつもりはなかったのに、気づいたら聞いていた。

 それどころか、ヒビトをなじるようなことをしてしまった。

 自分にヒビトを責める資格なんか、ないというのに。

 そんなつもりじゃなかった。

あの男……〈星狩〉の一人と会ってから、自分はおかしくなっている。〈星〉のことが気になって仕方ないのだ。

「どうかしているぜ、ったく……」

 額に拳を当て、呼吸を整える。十数秒ほどそうしていると、だいぶ気分が落ち着いてきて、周りがよく見えるようになった。

 どうやら長老の家の近くまで来ていたようだ。

林道に戻ろうと足を持ち上げたところで、複数の気配を察知する。

とっさに木の陰に隠れ、わずかに顔を覗かせると、長老の家から広場に向かって林道を歩いている老人たちを見つけた。彼らの話し声は小さかったが、他に余計な音を立てるものもないため、聞き取るのは容易だった。

「……だな。これで安心できる」

「奴は最後まで粘っていたがな」

「歳のせいでもうろくしているのだろう。我らの中では最年長だからな。よりにもよってあのよそ者を〈星守〉になど、何を考えているのやら……」

 テッガは息を呑んだ。もっと近づきたい気持ちを懸命に堪え、集中して耳の神経を研ぎ澄ませる。

「もう決まったことだ。あれこれ言っても仕方なかろう」

「……そうだな。なんにせよ、次の〈星守〉はヒビトだ。ようやく、真の意味でカガミに顔向けができる」

 テッガの息が止まった。

「ヒビトは渋るだろうが……どうする?」

「なに、問題はない。〈星守〉となれば、嫌でも自分の責任の重さに目覚めるはずだ。かつての〈星守〉も、最初はそうだったのだからな」

心臓の跳ねる音が、やたら大きく聞こえる。目は見開かれ、口は半開きになり、無意識に拳を作っていた。

その後も老人たちは何かささやき合っていたが、何も聞こえなかった。

 テッガはその場から離れた。

木の枝を踏む音がしたが、気にも留めなかった。

 最初は頼りない足取りで、段々と速く、最終的にテッガは駆け出していた。

(くそっ、くそっ……)

 やっぱりそうなのだ。自分がどんなに努力しても、〈星〉を継ぐことはできやしない。

〈星守〉にはなれない。

 カガミのようにはなれない。

「くそっ!」

 向かうべき先は決まっていた。もう、迷うことなどなかった。

 村の入り口に近い川原で、テッガはようやく走るのを止めた。

荒く息をつき、肩を上下させている。水面に映る自分の顔は、今までに一度も見たこともないものだった。

 反射的にテッガは、水面を自分の足を叩き込む。大きく飛沫が跳ね、テッガの足元と顔を濡らした。

「……結局、あいつが〈星〉を継ぐのか。〈星守〉の息子っていうだけで……」

 足を水面から砂利の上に戻し、ゆっくりと周りを見回す。

「いるんだろ? ……出て来いよ」

 川を挟んで反対側、木の陰から細身の男が現れた。背後には大柄な男が控えている。分厚い胸板に、四肢も丸太のように太かったが、頭部が微妙に小さい。鼻息は荒く、興奮気味のように見えた。

「二人だけか?」とテッガは尋ねた。

 細身の男が肩をすくめる。

「村を焼き払おうというつもりではないんだ。〈星〉を狩るだけならば二人で十分だと首領が判断したのさ」

 テッガは大柄な男に視線を向けた。

「そいつも、〈星〉を持っているのか?」

「ああ。だが、私の〈星〉もこいつの〈星〉も、この村のものと比べれば、微々たる力だろうがな」

「…………」

「ひとつ、確認しておく」

「なんだ?」

「迷いはないな?」

「……くだらない質問だな」

「それもそうだな」

 細身の男は一人、納得したようにうなずいた。

 大柄の男が低い唸り声を上げ、テッガを警戒の眼差しで睨んでいる。その視線を訝しんだテッガの前で、細身の男が片手を上げた。

「気を悪くするな。九年間も離れていた奴を信用する方が難しいというものだ」

「お互いにな」

「ふん……策はあるのか?」

「ああ、考えてあるよ」

 言った後で、テッガは村の方に向き直った。

村人たちは今ものんびりと、星空を眺めていることだろう。近くに脅威が迫ってきているにも関わらず。

 だが、もはや知ったことではない。

もう、未練などなかった。

「まず村に火をつけるんだ。混乱しているところで、俺が〈星〉を奪う。そしてあんたたちは……」


     〇


 ヒビトは急ぎ足で村を駆け回っていた。

 テッガを探しに外に出たはいいものの、どこへ向かったのかまるで見当がつかなかった。

 広場に出ると、やぐらを囲んで村人たちが星空を見上げている。こういう状況でなければ、平和な光景だとのんきな気分でいただろう。

 テッガがこの輪の中に加わっているとは到底思えない。

広場ではないとすれば、鍛冶場か、川原か、星見の丘か……あるいは、長老のところも考えられる。

 探して見つけ出してどうするつもりか、まるで考えていなかった。

ただ、このままだと大きくすれ違ったまま、誤解し合ったままで朝を迎えることになるだろう。そんな気分で 夜を越えるのは御免こうむりたかった。

 それに――妙な胸騒ぎがする。

 広場の隅にマンマの姿を見かけ、ヒビトはそちらへ向かった。木製の杯を持ち、すっかり星空を堪能している。

「マンマ。テッガを見かけなかったか?」

「テッちゃんを? いいや、見てないねぇ」

 ぐい、と一口あおる。「急用かい?」

「急用といえば、急用かもな……」

「なんだい、煮えきらないねぇ。喧嘩でもしたのかい?」

 ヒビトが押し黙ったのを見て、マンマはわずかに目を細めた。

「なるほど。その様子だと、ちょっと深刻みたいだね」

「今すぐ会って、話をしなくちゃいけないんだ。じゃないと……」

「じゃないと?」

「……いや、なんでもない。邪魔して悪かった、おれは行くよ」

 マンマに背を向けたところで、「お待ち」

「ここであたしと少し、お喋りしていきな」

「なんだよマンマ、そんな暇は……」

「頭を冷やす時間が必要だっていうのさ。あんたにも、テッちゃんにもね」

 ヒビトは口をつぐみ、しぶしぶとマンマの元へ引き返した。マンマは杯を口に持っていった後で、「ご覧よ」と空に掲げてみせる。

「今年もいい空じゃない。毎年見ているのに、ちっとも飽きないよねぇ」

「……ああ」

「テッちゃんだって村のどこかで、この空を見ているはずさ。だったら、何も心配することはない」

「なんでそう言い切れるんだよ?」

「あの子はとっくに村の一人だからさ。例え、じい様たちに認めてもらえなくたってね」

「…………」

「〈星〉のことで、喧嘩したんじゃないのかい?」

 ヒビトは空から、マンマの顔に視線を移した。「なんでそれを……」

「もしも今この時に喧嘩するとしたら、それしかないと思ってね。あんまり面には出していないけれど、テッちゃんは〈星〉や〈星守〉にこだわっていた。その理由は、あんたにもわかるはずだよね?」

「ああ。テッガはおれの親父に憧れていたからな」

「英雄、〈星守〉カガミか……そんなにいいもんかね」

 マンマは重たげな吐息をついた。

ヒビトは眉をひそめ、わずかに首を傾げる。

 杯を柔らかい草の上に置き、「知ってるかい、ヒビトちゃん?」

「何をだ?」

「この村のことさ。今やこの村で若い奴といえば、あんたとテッちゃんぐらいのもんさ。後は子供に、あたしらいい歳こいた大人に、年寄りたちだ」

「そうだなぁ……」

「他の若い奴はみぃんな、〈街〉に行っちまって、それっきりだ。〈星夜祭〉に帰って来てくれる子もいるにはいるけれど、今年はとうとう一人も帰って来ないときた。村に愛想を尽かしたか、〈街〉の刺激的な生活に魅入られちまったのか……なんにせよ、若者がどんどんいなくなるってのは村にとっては困ったことになるのさ」

「…………」

「だからあたしは、テッちゃんに〈星〉を継いで欲しいと思ってる。頑固なじい様たちがテッちゃんを認めたとなれば、村を出て行ったあの子たちも、村は変わったと思ってくれるかもしれない。テッちゃんが〈星守〉になって、皆を引っ張ってくれれば、もしかしたらこの村も……」

 マンマの言葉はそこで途切れる。うつむいた彼女の瞳は、寂しげなものだった。

 ヒビトは肩を落とし、ぽつりとつぶやいた。

「〈星守〉は、おれに決まったんだな」

「……そうさ」

「テッガじゃないんだな」

「そうだよ。……長老から聞いたのさ」

 ヒビトは十秒ほど時間をかけて、マンマの言葉を飲み込んだ。その後で口から出てきたのは、呆れと疲労の入り混じったため息だった。

「なんで、おれなんだろうな」

「それは……」

「わかってるよ。言ってみただけだ。でも、言わずにはいられない。そうだろ?」

 マンマは複雑そうな表情で、ヒビトの顔を見返していた。

 ヒビトは腕を組み――「おれさ、この村から出るよ」

「えっ」

「そうすれば、村にいる若い奴はテッガだけになるだろ? それなら、じいさんたちだってテッガを……」

 後に続く言葉は出てこなかった。自分でも、突拍子もない発言だということがわかっていたからだ。本気で〈星守〉になりたくないのなら、他の若者たちと同様に、村を出るべきだった。

いつまでも村に留まり続けていたのは、テッガがいたから。

 父が命をかけて守り抜いたテッガを、一人にさせるわけにはいかなかったから。

 それが逆にテッガの願いを阻むことになるのだとしたら、なんという皮肉だろう。

 片手で頭を抱え、ヒビトは懊悩した。

どうすればよかったのか――その言葉だけが頭の中でぐるぐると駆け巡る。

「ヒビトちゃん……」

 マンマの呼びかけに、ヒビトはかろうじて応じた。ゆっくりと頭から手を離し、マンマの顔をひたと見据える。

「長老はさ、最後までテッちゃんを推していたんだよ」

「……そうなのか?」

「あの人ももう、歳だからね。じい様たちの反対を覆すだけの体力と気力が続かなかったんだろう。テッちゃんみたいに若くて、力があって、外の世界と村を知る人に〈星守〉を任せたかったんじゃないかな……」

「…………」

「本当のところはわからないけどね」

 マンマの声が風に乗って運ばれ、その後に静寂が訪れる。それが空気に馴染むよりも先に、耳をつんざくような鐘の音が、二人の耳を打った。

「なんだ……?」

「何事だい?」

 一度だけではない。規則的な音が何度も。

 敵が来たという知らせの音だ。

 それと同時にいくつもの火の玉が、空から降ってきた。


     〇


なぜ、自分は〈星〉を求めているのか。

 なぜ、自分は〈星守〉になりたがっているのか。

 自分の父――いや、ヒバは〈星狩〉の構成員の中でも最下位に属していた。

いわゆる、下っ端だった。

〈星〉を手にする機会も実力もない。強い者にこびへつらい、女にも子供にも――幼い自分にも容赦なく手を上げる、最低で惨めな男だった。毎日酒に浸っては、「なぜ俺は〈星〉を手にすることができないんだ……」と言っていた。

 ヒバの息子であることを、哀れに思われることすらあった。

 自分は母親似であるらしいことが、せめてもの救いだった。

 その母親だって、自分とヒバを残して消えてしまったのだから、父母ともにろくなものではないが。

 ある時、〈星狩〉の一人が戯れに、自分に〈星〉を見せてくれた。

今までに見てきたどんなものよりもはるかに美しく、力強い輝きを放っている。

じっと見つめているだけで、例えようのない充足感が胸に広がっていくのを確かに感じていた。他のどんなものを犠牲にしてでも、手に入れる価値がある――そう思わせるほどの、輝き。

 欲しい、と思った。

あの輝きを手にしたいと思った。

 それだけならば、〈星〉に力と金銭的価値を見出しているヒバや〈星狩〉の連中と、そう変わらなかったかもしれない。

 自分にとって〈星〉にまったく別の価値がついたのは、ヒビトの父――〈星守〉カガミに助けられたことがきっかけだった。

九年前のことだ。

〈星狩〉から逃げ出し、ヒノエ村に逃げ込もうとした自分を、〈星喰〉が襲ってきた。

そこを助けてくれたのがカガミだ。

 カガミは〈星〉の力を用いて、〈星喰〉と勇敢に戦った。

雄々しく、力強く、〈星〉と共に戦う戦士。

その姿は、まだ幼いテッガの目に、強烈に焼きついた。

金銭や名誉のためなどではなく、まだ幼い自分や村を守ろうとする戦士。

〈星狩〉の世界と矮小な父親しか知らなかったテッガにとって、カガミの存在は自分の価値観を大いに揺るがすものだった。

 こんな人間がいるのか――そう思った。

 戦いの果てに、カガミは命を落とす。

 最後まで、自分を守ろうとしてくれて。

 名前も顔も知らない、会ったこともないはずの自分を。

 馬鹿みたいだと思った――人のことなんて、放っておけば良かったのに。

 死ななくて済んだのに。

 ヒビトやヒビトの母親だって、悲しまなくて済んだだろうに。

 なぜ危険を冒してまで、戦ったのだろう。

〈星守〉だからだろうか? 

村へ降りかかる災厄を放っておくわけにはいかないという、義務感が働いたのだろうか? 

自分を助けたのはついでか? 

考えてみて……違う、と感じた。

その理由はわからなかった。

カガミの気持ちがわからなかった。

だから彼と同じ立場になれば、彼と同じ目線に立てば、彼のことを理解できるのではないかと思った。


カガミのような〈星守〉になることで、彼に近づきたいと思った。


 カガミという男を育てたヒノエ村にも、興味があった。

そこで暮らしていく内に、いつしか愛着がわいてきた。だが同時に、出生の違う自分を歯がゆく感じたものだ。老人たちからの冷え込んだ視線――それに我慢しきれないことも、一回や二回ではなかった。

〈星守〉になれれば、村から認めてもらえる。

〈星狩〉だった自分を、過去のものとして切り捨てることができる。

 そのために、ヒビトよりも励んだ。

来る日も来る日も、村のために尽くした。

 だが、結果はどうだ。

 結局ヒビトが〈星守〉となり、どこまでも自分はよそ者のまま。どれだけ励もうが、決してひっくり返せない壁。自分にはたどり着けない境地。

 カガミと同じ目線には、立てない。

 カガミのような〈星守〉には、なれない。

 それがわかったから――もう、迷いはなかった。

「…………」

 長老の家の裏側に、ほこらへ通じる洞穴がある。草が生えっぱなしの道を踏みしめ、無言で突き進む。

 不用心なことに、見張りはいなかった。

テッガの背よりやや上の高さまである洞穴の奥に、そのほこらはあった。洞穴に入ったばかりの時は冷たさを感じていたものだが、奥に進むごとに、熱が高まっていく。自分が来ることを歓迎しているのかどうか、テッガには判別がつかなかった。

 そのほこらは、明るかった。中央にある木箱から赤い光が漏れていて、石を、土を、テッガの顔を照らしている。

テッガは無意識に、木箱に近づいた。

幼少時、不用心に近づけば怪我をするという言いつけをされていたが、忘却の彼方に送り込んでいた。

 木箱に手を近づける。

熱いが、触れないほどではない。

ゆっくりと蓋を開けると、無数の木端が詰まっていて、その中央に〈星〉があった。

 掌に収まる程度の大きさだ。形状は丸く、透き通っている。〈星〉の中心からは、赤と黄色、そしてほんの少し銀色の混じった光を放っている。

テッガは木端に両手を突っ込み、すくい上げるようにして〈星〉を手にした。

「綺麗だ……」

 熱くて、美しくて、懐かしい。

〈星狩〉にいた時に見た〈星〉など、比べ物にもならない。

 完璧な球形である〈星〉を見るのは、九年前以来だ。あの時はしっかり見る余裕がなかったため、ついつい見入ってしまう。

 できればこの場でずっと〈星〉を見つめていたかった。

だが、それは難しい相談だ。〈星狩〉の連中と打ち合わせした通りに、事を運ばなくてはいけない。

 ほこらから離れ、洞穴から出る。

〈星〉を胸に収め、テッガは大きく息を吸った。

体中に気力と熱が満ちてくる。どんなものでも燃やし尽くせそうな熱が。

試しにテッガは掌を村の方へ向けた。村人は広場に集まっているはずだから、居住区は無人のはずだ。

そこに、狙いを定める。

掌が熱くなる。神経の一本一本が脈打ち、熱がほとばしっていく――

掌の中心から、火の玉が放出された。

当たり前のように、その事実を受け止めている自分がいた。火の玉は空に向かって飛び――やがて落下した。

 爆音と同時に、村に火の手が上がった。それを確認したテッガはすぐさま、二発、三発と続けて撃った。

 自ら村を焼く行為に、不思議と何も思わなかった。


     〇


 嫌な予感が的中した。

 敵が来ている。そして、村に火の手が上がっている。

これは〈星喰〉の仕業ではない。〈星喰〉が火を操るなどという話は聞いたことがないからだ。

ならば敵は当然、〈星狩〉だ。

村の近く――あるいはすでにもう、村の中に潜り込んでいるのかもしれない。

 敵は何人だ? 

〈星〉が狙いか? 

なんにせよ、すぐに村の入り口に向かわなければならない。この村は険しい山に囲まれているため、土地勘のない者が山に踏み込めば、あっという間に迷ってしまう。夜であるということも、悪条件に拍車をかけている。

 手をこまねいていては、〈星〉を奪われるかもしれない。

 そうなってはもはや〈星継〉どころではないのだ。

 今すぐ村の入り口へ――理性がそう命じていたが、ヒビトはあえてそれを無視した。

混乱している村人たちの脇をすり抜け、村の居住区へと向かい、隅にあるテッガの家に足を踏み入れた。

足を踏み入れてすぐ、違和感に気づいた。

部屋があまりに綺麗過ぎる。

 戸棚は空っぽだ。寝床も、床も、今しがた掃除を終えたばかりに見える。以前遊びに来た時は、こんな光景ではなかった。

 書き置きの類はない。

 ヒビトは家を飛び出した。

予感が確信に切り替わろうとしている。

火を消しに来た村人たちとすれ違い、林の中に突っ込む。飛び出した木の枝がヒビトの腕に小さな傷を作ったが、まるで意に介さなかった。

 そんなことはない。

ありえない――

だが一方で、こうなることを予期していた自分がいる。起こり得ただろうという諦めにも似た感覚が、ヒビトの胸の中に確かにあった。

 開けた空間に出る。

地面には砂利が敷き詰められており、林と林との間に川が流れていた。

その川を挟んだ反対側に、見慣れぬ「敵」が二人いる。

 細身の男と、大柄な男の二人。

彼らはヒビトを見ても、意外そうな顔をしなかった。「やれやれ」と細身の男がため息をつき、首を振っている。

「何をやってるんだ、あいつは……時間はかけないとか言っていたくせに」

「手間取っている……のでは……」

「もしくは、まだ村に未練があるか」

 その口ぶりでヒビトは、何が起こったのかを一瞬で察した。

「お前たち、テッガに何をしたんだ!?」

 細身の男が馬鹿にするように、鼻を鳴らす。

「何をしただと? 心外だな。これはあいつが決めたことだ」

「嘘だ!」

「嘘じゃない。今のこの状況は、あいつ自身が考えて、選んだ結果なんだ。それに――あいつは元々、こちら側の人間だ。お前たちとは元々住んでいる世界が違う」

「なんだと……」

「あいつは生まれついての〈星狩〉――お前たちと対極にいる人間だ」

「そして……おれたちもだ……」

 大柄の男が前に出る。鼻息が荒い。すでに臨戦態勢に入っている。

 細身の男も右腕を水平に持ち上げた。その目つきは鋭く、左手にはまばゆい光を放つ、角ばった〈星〉が握られている。

「邪魔をされると面倒だ。一気に始末をつけるぞ」

「おお……!」

 周辺の空気が一変する。

 細身の男が水平に伸ばした腕を、薄い刃に変化させた。

 大柄の男の上半身が一回り大きく膨れ上がり、茶色の体毛に包まれる。

 細身の男の背中から、自分の体半分ほどの羽が生える。

 大柄の男の口の両端から、牙が伸びる。

 細身の男は人間大のカマキリに。

 大柄の男は二足歩行のイノシシに。

 時間にして三秒ほどで、彼らは変身を遂げた。

ヒビトは息を呑み――ぎり、と歯を鳴らす。

「〈星憑き〉……いや、〈星使い〉か」

両の拳を握りしめ、一歩踏み出した。その歩みは止まらず、ヒビトの両目は異形となった二人の姿をしかと見据えている。

「ほぅ、我らのこの姿を見ても、臆しないとはな」

「ただの、やせ我慢だ……!」

 イノシシも前に出る。

一拍遅れてカマキリも、上空に舞い上がった。

「おおおおおッ!」

 イノシシがその外見通り、一直線に突っ込んでくる。川を越え、激しい水しぶきを立て、前傾姿勢で牙を光らせた。

ヒビトはためらうことなく、その牙を両手で掴んだ。ほぼ同時に、両足で砂利を踏みしめる。大きく後退したものの、林の手前で押し留めた。

「こ……こいつ……ッ!」

「ぐぅう……!」

 ヒビトは牙を掴んだ状態で、思いきり膝を振り上げた。イノシシのあごに命中し、体中にのしかかっていた圧力が消える。

イノシシの体が崩れ、がくりと膝を落とした。

 羽音が急接近してくる。

ヒビトは牙から手を離し、とっさに横に飛んだ。上空からのカマキリの斬撃を回避し、ヒビトは二人から距離を取る。

 地面に着地したカマキリはイノシシを見下ろし、「立てるか?」

「あ、ああ……」

「まさかお前の突進を真正面から受ける奴がいるとはな」

「あいつも……〈星〉を持っているのか……?」

「いや、テッガからそんな話は聞いていない。恐ろしいことだが……あれはただ単純に、馬鹿力なだけだろう」

 カマキリの言葉に、ヒビトがわずかに身じろぎした。テッガの名を聞くだけで、心がかき乱れそうになる。

無意識にヒビトは胸を押さえていた。

 カマキリが両腕の鎌をこすり合わせる。

「次は私が仕掛ける」

「ああ……わかった……」

 カマキリが背中の羽を動かし、足先が地面から離れた。

わずかに浮遊したかと思うと、次の瞬間には両腕を突き出し、ヒビトに向かって飛んでくる。距離が先ほどまでの半分までに縮まったところで、いきなりカマキリが急上昇。その動きにつられて面を上げたヒビトは、イノシシの動きに反応するのが遅れた。

 イノシシが突っ込んでくる。

今から腕を突き出しては、止め切れない。

やむなくヒビトは右方向に体をずらすが、回避しきれなかった。イノシシの肩がぶつかり、その衝撃で川の方に転がる。すぐに体を起こすと、カマキリが旋回して襲ってくるのが見えた。

 あの鎌を受け止めるのは無理だ――

 カマキリが腕を振りかぶった瞬間に、ヒビトはあえてカマキリの方に頭から飛び込んだ。

「なんとッ!?」

カマキリは仰天し、思わず飛び退る。

すれ違い、カマキリを背後に置き去りにして、ヒビトは今度は逆に、自らイノシシに突っ込んだ。

イノシシは虚を突かれた形になったが、かろうじて牙を突き出す。だが、そこまでの勢いはない。ヒビトは再びその牙を掴み、その場で半回転。イノシシの体を肩で持ち上げ、そのままカマキリに向けてぶん投げてやった。

「なっ!?」

 面食らったカマキリは硬直し、宙に投げ出されたイノシシとまともにぶつかる形となった。両者はでたらめに絡み合い、川に叩き落される。カマキリはイノシシの下敷きになり、二人ともぴくりとも反応しなかった。

「ふぅ……」

 ヒビトは肩で息をついた。

〈星使い〉を、しかも二人同時に相手にするのは初めての経験だった。

 だが、気は抜けない。先ほどのやり取りから判断するに、この二人はまだテッガと合流していないはずだ。

 そのテッガは、今どこに――

「さすがの馬鹿力だな」

 その声に、ヒビトはすぐさま振り向いた。

冷ややかな口調と目つきと共に、テッガが林の中から姿を現す。左手には、赤く輝く〈星〉が埋め込まれていた。

〈星〉と人が、同化している。

〈星憑き〉となった友の姿を前に、ヒビトは愕然としていた。

「テッガ、お前……」

「あんまり驚いてないってツラだな?」

 ヒビトはわずかに、顔をうつむけた。拳を握りしめ、歯ぎしりする。

そしてテッガに向かって、声を荒げた。

「なんで、こんな馬鹿なことをした!?」

「馬鹿なことを、だと?」

「そうだ! わかってんのか!? お前は今、とんでもないことをしてるんだぞ! こんなことをしたらお前……」

 言いかけ、ヒビトはあることに気づいた。

 ヒビトの家でのやり取り――

もぬけの空となっていたテッガの家――

そして今しがた襲ってきた二人――

 それらから考えられることは、ひとつしかなかった。

「まさかお前、村を捨てるつもりか?」

「…………」

「そうなのか、テッガ……?」

 テッガは答えなかった。

ゆっくりと〈星〉の埋まった手を、胸の高さまで持ち上げる。

腕を前方に伸ばすと、大気に熱が帯び始めた。最初は蒸し暑い程度だったが、瞬く間に肌が焦げつきそうな程の熱が、テッガを中心に発している。

 ヒビトは思わず腕で口をかばった。

思い切り息を吸い込んだら、肺が焼けかねない。

 テッガの足元から、縄のような火がほとばしった。両足から伸びるそれは交錯しつつ、テッガの頭上へと伸びていく。

 熱は留まるところを知らない。木々にも火がつき、川の水が蒸発している。両目を開けるのも困難な状況の中、なおもヒビトは一歩も下がろうとしなかった。

「テッガ、テッガ……!」

「…………」

 火がテッガの腕に収束する。

そして〈星〉の埋まった手の先に、人間一人を丸々包み込めそうな大きさの火の玉が出現した。

そしてテッガはためらいなく、火の玉をヒビトに向けて放った。

大気を焦がし、

地面を焼き、

全てを燃やし尽くさんとする業火の塊。

呆けている暇も、考えてる暇もなかった。

火の玉から大きく距離を取るべく、川に向かって飛び込む。それでも靴や服に火が点いてしまった。もはやお湯といってもいい川の水でなんとか消火したが、後方での爆発音に気を取られた。

火の玉が林に激突したのだ。

あっという間に燃え上がり、広がり、天に向かって火の粉が舞う。

林は火の壁に変貌を遂げ、ヒビトはその光景を呆然と見つめていた。

そのため、自分に近づいてくる敵の存在に気づくのが遅れた。

気配を察知して振り向く。

それと同時に、重い衝撃が全身を走る。

そのまま川面に叩きつけられ、ヒビトの意識はそこで消えた。


     〇


 気絶から立ち直ったイノシシが、ヒビトに強烈な一撃を叩き込んでいた。

 ヒビトは川に顔を突っ込み、起き上がる気配を見せない。

イノシシは蹴りでヒビトの体を起こし、じっと観察していた。

「死んだのか?」

 そう尋ねたのはカマキリ――いや、細身の男だった。すでに、元の姿に戻っている。肩を抱えており、その顔は忌々しげに歪められていた。

 イノシシは「いや……」と首を振った。

「息をしている……とんでもなく、頑丈だ……」

「これで〈星〉を持っていたら、完全に手がつけられなかったな、ええ?」

 棘を帯びた最後の言葉は、テッガに向けられたものだった。

細身の男はずかずかとテッガに近寄り、胸元を掴み上げる。

「あんな奴がいるなんて、聞いてなかったぞ」

「『手こずるかもしれない』と伝えたはずだが?」

 細身の男は舌打ちし、乱暴に手を離す。それ以上は何も言わなかった。

「おい……こいつ、どうする……殺しておくか?」

 イノシシが尋ねる。

細身の男が、無言でこちらを見てくる。

テッガはかすかなため息をつき、「放っておけ」

「これ以上時間はかけられないだろ? どうせ、そいつには俺たちを追ってくることはできないんだ」

「わからんぞ。こいつはどうやらお前に、ご執心の様子だからな」

「…………」

 テッガはその言葉を無視して、村の入り口に向かって歩き出した。

イノシシが元の姿に戻り、細身の男と視線を合わせる。細身の男は肩をすくめ、テッガに続いた。大柄の男もそれにならった。

 林に入る直前、テッガは肩越しに振り返った。あおむけで気絶しているヒビトを見て、そして更に後方――火の手が収まりつつある村の方角を見つめる。

目を細め、誰にも聞こえない声でつぶやいた。

「じゃあな、ヒビト。じゃあな……ヒノエ村」


     〇


 父の姿を見た。

 父は九年前に亡くなっている。

これは幼い頃の記憶だ。

 自分は夢を見ている。

ヒビトの父――カガミは組んだ手に額を押し当て、背中を丸めていた。〈星守〉の役目を担ってから一年経った、ある日の夜のことだ。

 幼い自分は戸の隙間から、父の姿を見ていた。

父の傍らには心配そうな目で見つめている母の姿がある。

 母は父が〈星守〉であることを、快く思っていないようだった。カガミが出かけている間、母はいつも父が無事に帰ってくることを強く願っていた。父が帰ってくる度、生きていることを確かめるかのように、強く抱擁していたものだ。

 この日も同様だったが、それ以上に父の表情は重かった。

「どうしたの、カガミ。最近、表情が暗いわ」

「いや……なんでもないさ」

父は首を振ったが、しばらく経ってから、重たげに口を開いた。

「今日、〈星喰〉と戦った。最近、無秩序だった奴らの動きに、統制が見られる。もしかしたら奴らを束ねる主がいるのかもしれない。それだけじゃない、〈星狩〉も近くに来ている可能性が高いんだ」

「〈星狩〉が……?」

 父は組んだ手を額から離し、うなずいた。

「〈星喰〉も〈星狩〉も、〈星〉を求めているという点においては共通している。今はなんとかなっているが、大勢でかかって来られたら、食い止めるのは難しい。村や〈星〉……そして、君やヒビトを守りきることも」

「…………」

「最近、思うんだ。〈星〉があるから、この村は常に狙われる危険性があるのではないか……と。しかし、〈星〉をむざむざと手放すことはできない。〈星〉を手放したところで、この村が絶対に襲われないという保証はないからだ。〈星〉は村を守るために必要だが、〈星〉のせいで狙われるとしたら……」

 カガミは胸に手を当てた。

そこには〈星〉が埋め込まれているはずだった。

カガミは痛ましげに、胸にある〈星〉に視線を落としている。

「これがある限り、この村は襲われる。そして〈星守〉は、これを狙う者たちと常に戦い続ける運命にある。私の父も祖父もそうだった。〈星〉にはかつての〈星守〉の記憶や感情も込められていて、彼らの戦いの歴史と運命を知った……」

 ゆっくりと左右に首を振る。

「ヒビトにもそんな運命を背負わせてしまってもいいのだろうか……そんな迷いが、私の中に確かにあるのだ」

 母が息を呑むのが聞こえた。

父の言葉で、瞳が困惑と不安に揺れている。

「私の息子は〈星守〉の息子だ。今から九年後に〈星〉を継ぐ可能性が一番高いのは、ヒビトだろう。私や父や祖父のように、常に戦いに身を置くことになる。そして……戦いの果てに、命を落とすことになるかもしれない」

 母が息を呑み、手を口に当てた。

「そんな……」

「〈星守〉は誇らしい役割だと思っていた。しかし、実際なってみて考えが変わった。〈星〉が狙われた時、〈星喰〉や〈星狩〉が襲ってきたときに真っ先に命を落とす可能性が高いのは誰だ? ……そうだ、〈星守〉だ。父も祖父も口の固い人だったから、〈星守〉の過酷さを語ろうとはしなかった。いや、語れなかったのではないか……?」

「語れなかった? どういうことなの?」

「〈星守〉は村の期待と運命を一身に背負っている。弱音を吐くような真似など、到底許されない。皆を失望させてしまう。それがわかっていたから父と祖父は、誰にも語らず、戦いに身を投じ……そして、亡くなった。だが、果たして、それが正しいことなのだろうか……?」

「カガミ……」

「このままではいけない。変えなくてはいけない。だが、何をどう変えればいいのか……まったく見当がつかんのだ」

 椅子の背に体重をあずけ、カガミは息をついた。

「〈星守〉が堕ちれば、村はどうなる? 敵が襲ってこないことを祈るだけか? それでは、〈星守〉とはなんなのだ。村が危機に陥れば、真っ先に命を賭ける……まるで生贄みたいではないか……?」

 その時ヒビトは、息を胸に詰まらせた。

その時点ではまだ、「生贄」という言葉の意味はわかっていなかったが、不吉な感触を帯びた言葉であることを察知したのである。

 カガミはなおも言葉を続けた。

「私が子を持っていなければ、〈星守〉という役割を不安に思わなかったかもしれない。しかし今では違う。ヒビトに、私と同じような運命を背負わせたくない。そうだ……ヒビトには、〈星守〉になって欲しくないのだ」

 そこで記憶が途切れる。

 その後、自分がどうしていたのかは覚えていない。

 だが、強烈に覚えていることがあった。


 父は自分に、〈星守〉になることを望んでいなかった。


幼い頃はただ純粋に、父のような〈星守〉になるのだと信じ込んでいただけに、父の言葉は衝撃だった。

 今では父の言葉の真意がよくわかる。

子を危険な戦いに送り込ませたくないという親の意思は、まだ子を持たぬ身であっても、想像はつくものだった。幼い頃からそんな運命を背負わせてしまうことがわかれば、親が不安に思うのも無理はない。

 翌日、父は朝早くから家を出た。

〈街〉から戻ってくる村人たちの警護を務めるためだ。

 空には雲が立ち込めている。今にも雨が降りそうだ。

 母は父の身を案じていた。

明らかに、送り出すことを拒んでいるようだった。

 ヒビトは――自分はこの日珍しく、父が無事に帰って来てくれることを祈った。

 父の帰りを待つ間、何をするにも気が入らなかった。

 雨が降り始めた頃に、危険を告げる鐘が鳴った。出稼ぎに行っていた村人たちが帰ってきて、父が〈星喰〉と戦っているというのだ。

 ヒビトは村の外へ出ようとしたが、母に押し留められてしまう。

自分を抱く母の体は、どこまでも震えていた。

 そして父は帰らぬ身となり――代わりに村に、テッガが来た。


 それから村は、変化を強いられる。

 かねてより〈星継〉や〈星守〉の仕組みを始めとしたこの村の慣習に懐疑的だった若者たちが、老人たちに反発し、村から出るようになったのだ。

この時から村の人口の減少が激しくなる。

そしてテッガが入ってきたことをきっかけに、老人たちが嫌う「よそ者」が村で暮らすようになった。働き手の不足を解消するための、苦肉の策だ。

〈星守〉を失い、村の若い働き手を失ってしまった老人たちの狼狽ぶりは見ていて痛々しいものだった。

 そんな老人たちを嘲笑うように、テッガは村から様々なことを吸収していった。

 カガミが命を落としてから半年後、ヒビトの母が体を壊してしまう。

長く床に臥せるようになり、幼いヒビトは母につきっきりとなった。

そしてヒビトのこれからのあり方を決定づける言葉を、死の間際に聞くことになる。


「約束して。〈星守〉にはならないで」

 

そう言い残して、母はこの世を去った。

〈星守〉という役割を、もしかしたら彼女は憎んでいたのかもしれない。

 わずかな期間に父母を失い、ヒビトは呆然自失の日々を送っていた。

そんな時である。

当時まだよそ者扱いされていたテッガが、ヒビトに贈り物をしたのだ。

 薄い、不格好な鉄細工である。二枚一組となっていて、組み合わせると円形になる。後で聞いたことだが――この村に来て、初めて作ったものらしい。

 ヒビトは「変な形」と言って笑い――

そして、泣いた。


 それから何をするにしても、テッガと行動を共にした。〈星守〉の息子と、〈星守〉に助けられた子が仲良くしているのを見て、村人たちは複雑そうな目で見ていた。ヒビトもテッガも、そんな視線は気にしなかったが。

 テッガが村に来てから一年のことだ。

 星見の丘でヒビトは、テッガに初めてカガミのことを聞いた。

聞きたくて聞きたくて仕方なかったことなのだが、何かと言い訳して聞くのを先延ばしにしていたのである。

改めて父の死を聞くのが、怖かったのかもしれない。

「なぁ、テッガ」

「なんだ?」

「父さんのことなんだけど……」

「…………」

「あの日のこと、聞かせてくれないか?」

 テッガはうなずき、教えてくれた。

〈星狩〉から逃げてきて、その途中で〈星喰〉に襲われたこと。

〈星守〉カガミが命をかけて、テッガを守ったこと。

激闘の果てに、カガミが〈星喰〉を倒したこと。

テッガに〈星〉を託し、そして息絶えたこと。

 ヒビトは、あることに気づいた。

カガミのことを話す時、テッガの口調に熱が帯びていることを。

その時ヒビトは、テッガが〈星守〉……カガミに憧れていることを知る。

〈星守〉になりたがっていることも。

 ヒビトは死の間際の母の言葉を思い出した。

 そして、父の思いも。

 自分は〈星守〉になることを望まれていない。

だが、もしも、自分以外の人間が〈星守〉になりたがっているとしたら?


そんな人間が、自分のすぐそばにいるとしたら?


 それから、村の仕事をあえて怠けるようになった。

適当なことを言っては、テッガに色々と押しつけた。テッガに文句を言われ、ぶつくさ仕事をする羽目になった時も、わざと失敗を繰り返した。そうして村人たちから、呆れた目で見られるようになった。

「〈星守〉の息子なのに、なんでああなっちまったのかね……」

 そう言われることも、一度や二度ではなかった。ヒビトにとってはその評価こそが、むしろ望むところだった。

 自分よりもテッガの方が、〈星守〉にふさわしい。

 皆にそう思ってもらうために、わざと怠け者のふりをした。

 テッガとケンカをする時も、自分が負けるように仕組んだ。

「手を抜いた」と言われれば、そうであるとしか言えない。すべてはテッガを立てるための行為だった。

 だが――すべては無駄だったのだろうか。

 テッガにもマンマにも見抜かれていた。

あげく、今度の〈星守〉は自分に決まった。

父の思いを裏切る形になり、母との約束をも破ることになった。

なんて、馬鹿げた話だろう。

 そしてついには〈星〉を奪われ、しかもその犯人がテッガであるという。

自分の――これまでは一体なんだったのだろうか。

 何が悪かったのだろう。

どこで間違えたのだろう。

 黒く冷たい渦に飲み込まれるような感覚に抗えず、ヒビトは闇に意識を委ねた。


     〇


 馬に乗り、闇夜の中を無心で駆けていく。

 細身の男も大柄の男も、特に言葉を発する様子はない。ただ、時折自分に疑いの眼差しを向けている感覚はあった。

それをわずらわしいと思うことはなかった。

ただ、どうでもよかった。

 村から遠ざかっていく。

馴染みのある風景から、見覚えのないものへと切り替わっていく。

最初は〈街〉に向かうのかと思っていたが、どうやら違ったようだ。九年間の間に〈星狩〉は、拠点を〈街〉から別のところに移したのかもしれない。

 よくよく考えれば自分は、今の〈星狩〉のことを何も知らない。

こいつらの名前も知らない。

それなのに、簡単についていってしまってもいいものなのだろうか。

 いや、と思い直す。何を今さら。

 もうあの村には戻らないし、戻れない。

ずっと求めていた〈星〉も、ようやく手に入った。

未練などないはずだ。

 だが、気分は晴れない。それどころか、ますます滅入っていく。

「沈んだ顔をしているな。気にかかるのか?」

 細身の男が馬の手綱を操りながら、問いかけてくる。

「いや」と顔も見ずに答えた。

「〈星狩〉の拠点まで、あとどれくらいだ?」

「もう少しだ。陽が昇る前にはたどり着けるだろう。月も星も出ているから、迷うことなく行ける」

「そうか……」

 かすかに鼻を鳴らし、細身の男はそれ以上、話しかけてはこなかった。

 蹄が大地を叩く音だけが、規則的に響く。

だが、体中に伝わる振動も音も、自分を取り巻くあらゆるものがひどく遠いように感じられる。世界から隔絶されたような――宙ぶらりんになってしまったかのような。手綱を握っているのかどうかさえ、怪しく思える。

 じわ、と左手の中心から熱が広がった。

いきなり熱くなったので、テッガは少々面食らい、〈星〉の感触を確かめた。まるで「しっかりしろ」と怒られているようだ。

 手綱を握り直す。

すると、ほんのわずかな隙にこちらを見てきた馬が、軽くいなないた。

 どうやら〈星〉にも馬にも、自分の気持ちを見抜かれているらしい。

 なんだかおかしくなって、テッガは音を立てずに笑った。馬に乗った二人がこちらに訝しむような目で見てきたが、無視した。

 笑った後で――ひどい自己嫌悪に陥った。

俺は今、何をしているのだろう。

 村を裏切り、〈星〉を奪い、兄弟同然の友を裏切った。

 そしてカガミとの約束も――

「…………」

 もうすぐ夜明けのはずだ。しかし、自分はこれから闇に向かおうとしている。

〈星〉の力でさえも照らすことのできない、深い深い闇の中に。

 それも、悪くないだろう。裏切り者にはふさわしい。

 しょせん自分は〈星狩〉で、あの村にとってはよそ者に過ぎなかった。叶わぬ夢を見てしまった、己の阿呆さを呪うべきなのだ。

 昇り始めた陽の光が、遠く離れた山の稜線を照らし出す。

これで今年の〈星夜祭〉は終わりか――

そう考えている自分が、馬鹿馬鹿しく感じた。


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