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最後の夏のエーデルワイス  作者: 尾久出麒次郎
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第二話、その2


 教室を出ると、重苦しい空気に支配されて誰一人口を開こうとしなかった。

 

 妙子はあいつらや先生に言い返せない自分の無力さに。


 鷹人は自分の不甲斐なさと従妹や同級生たちを侮辱された怒り。


 零はいつも自分の望む方向とは逆に進む現実の理不尽さと悲しさに。


 美由は友達が落ち込んでるのに何もできない悔しさに。


 一輝は最期の時さえみんなが思い通りに過ごせない虚しさに。



 校門に出ると妙子が静かに沈黙を破った。

「ごめんねみんな、あたしの我侭のせいでこうなっちゃって」

「井坂さんの考えは決して良いことじゃない、だけど悪いことじゃないよ。あの人たちの言うこと……間違ってはいないけど、だからと言って絶対に正しいとは言わない」

 口が裂けても絶対に鷹人は守屋さんたちが正しいなんて言わない。すると一輝も同調してくれた。

「俺も同意見さ……互いの意志を尊重し合い、自分の意志を信じること。あいつらがどう過ごそうが考えようがそれはあいつらの考えだ」

「でも、やっぱりあたしたちのやることって、傍から見れば現実から逃げてるように見られて当然よ。もう先生たちにも存在を知られちゃったし……もう、無理よ」

 妙子は泣き出しそうな子どものように弱音を吐く、すると鷹人は表情を顰めた。

「井坂さんらしくないよ、無理だなんてさ」

「あたしだって諦めたくなることあるわよ! 桐谷君にあたしの気持ちなんて、わかるわけない!」

 妙子は自分に向かって本気で声を荒げた。鷹人は頭が真っ白になってしまいそうだっただが次の瞬間には静かに、冷静に反論する。

「もう無理だと諦めるには早すぎる、まだ始まってないんだよ夏休み。楽しいことはさ……これから始まるんだよ」

「始まるって……もう何もかも終わりよ、来年なんてないんだよ! だったらいくら頑張っても無駄だし、意味ないよ!」

「じゃあ諦めるのか? お前が諦めたらみんなどうなるのかわかってるのか!」

 一輝は声を荒げる、鷹人には焦ってるようにも聞こえた。

 それを察したのか妙子も声を荒げて反論する。

「どうなるかなんて知らないわよ! 挫折したあんたならわかるでしょ!? どうにもできないということがどういうことか!」

「妙子、一輝君、少しは頭冷やしなさいよ! どうにもできない状況ってこんなものじゃないわよ!」

 零が割って入ると、一輝は気に入らなかったのか矛先を零に向けた。

「それじゃあどうしろと言うんだよ! あいつらに知られたということは全校の生徒や先生にも知れ渡る、時期に親にも知らされて俺たちは明日から卒業まで日陰者だ!」

「そんなもの無視すればいいじゃない! なに弱気になってるのよ一輝君は! 妙子、あなたが言い返さなかったからよ! 先生やあいつらのいいようになってしまうわよ!!」

 零も火が点いて口調が荒くなり、美由はオロオロしていると妙子も言い返す。

「あんたこそ! あんなにヒステリックに怒鳴り散らすからよ!」

「ああでもしなきゃ黙らせられなかったのよ!! 悪い!?」

 零はさっきのようなヒステリック起こして妙子に睨むと、美由は自分が睨まれたかのようにビクッと縮こまると、一輝も怒鳴り散らす。

「悪いに決まってんだろ!! これだから女って奴は面倒なんだ!! 開き直ってんじゃねぇよ!!」

「ああ面倒でごめんなさいね!! あたしだって考えるのが面倒だから動きながら考えてるのよ!!」

 妙子も負けじと言い返す、いつしか言い合いに発展。鷹人も苛立ちは最高潮に達し、顔が赤くなるのを通り越して顔が白くなって気が付いたらドスの利いた声で叫んでいた。

「いい加減しろ!! お前ら!! 俺たちは喧嘩するために集まったのか!?」

 それでピタリと三人は口喧嘩をやめ、そして美由が一人すすり泣いているのに気が付いた。

「やめて……やめてよ……みんな……みんな、何も悪くないんだから……妙ちゃんに頼りっぱなしだった……あたしが……あたしが……しっかりしてなかったから」

 美由は幼い子どものように泣きじゃくっていた、妙子は下を向いて消え入りそうな声で言った。

「ごめん、今日は帰ろう……頭冷やすべきね」

 妙子は逃げるように走り去っていった。

「あっ! おい井坂! すまん……俺も帰るわ、頭冷やしてくる」

「私も……帰るわ」

 一輝と零も逃げるように横断歩道の方へと走り、市電に乗って帰る。

「俺たちも帰ろう美由」

「鷹お兄ちゃん……今夜は一人にさせて」

「……ああ」

 美由の言うことに鷹人は肯くしかなかった。



 マンションに帰り着くと、美由は鍵を取り出して回すと閉まってる。そうだ、和泉さんがいるんだと思いながら再度回して開けると靴を脱いでリビングに入る。

 美味しそうなカレーの匂いと一緒に、上機嫌で鼻歌を歌う和泉さんが夕食の支度をしていた。

「お帰りなさい美由ちゃん、どうしたの? 泣いてたでしょ?」

 エプロン姿の和泉は心配そうな顔をして訊いてきた、その真っ直ぐでチャーミングな瞳は嘘を言っても見抜かれそうだったからコクリと肯いた。

「失恋?」

 首を横に振ると和泉は少し考えて訊き直した。

「じゃ……喧嘩?」

「……はい」

「誰と喧嘩したか知らないけど、すぐにきっと仲直りできるわ。本当の友達ならごく自然に、一言ごめんねって言えばきっと許してくれるわ」

「違うんです……みんなが、みんなと」

 美由は首を横に振ると和泉は優しく頭を撫でる、そうだ彩さんもそうだった。

「大丈夫よ、その時はあなたが……修復してあげて、お互いきっと仲直りしたいと思ってるわ」

 そしてギュッと抱き締める。温かくていい匂い、彩さんとは顔も雰囲気も違うのになんだかホッとするぬくもりで美由は肯いた。

「はい」

「お腹空いたでしょ? カレー作ったわ、食べ終わったら紅茶にしよう」

 翔お兄ちゃんもそうだった、夕食を食べたらいつも紅茶を飲んでいた。



 翌日からエーデルワイス団の噂はあっという間に学校中に広まっていた。と言うよりばら撒かれたに違いない、学校と言うのは意外と狭く、友達から友達、そこから更に先輩や後輩にまで広がって翌日の朝には全校生徒に噂として知れ渡っていた。



「ねぇエーデルワイス団の噂知ってる?」「うん、受験生なのに呑気な人たちだよね」「三年生の先輩たち、あの噂を信じてるのかな?」「信じるなんておかしいのに空気読めない人たちね」「でも、本当に世界が終わるとしたら、どうすればいいんだろ?」



 一輝はこの数日間、四六時中冷ややかな視線を感じて苛立っていた。

 以前の羨望と賞賛、時折嫉妬の混じった視線を浴びていたがあの時とは違う。

 一輝は正直言って不愉快だった、冷ややかに見るくらいなら面と向かって言ったらどうだ! と思い舌打ちした。

「よぉ三上、なんか大変な噂が流れてるみたいだな。ヒソヒソヒソヒソで気味が悪いし胸糞悪いぜ」

「はははっ、そうだな」

 本田は変わらず接してくれる、どこまでも純粋な奴なんだと一輝は申し訳ない気持ちだった。エーデルワイス団に入れば野球の応援に連れてくることができるかもしれないと思ったのに。

「すまん本田……応援のメンバー、まだ四人しか集まってねぇ……けどエーデルワイス団のみんなに野球の応援を提案したら賛成してくれた」

「本当かよ? 俺は超嬉しいぜ!」

「えっ?」

 一輝は思わず顔を上げると、本田は嬉しそうな濁りのない笑顔を輝かせている。

「その人たちが実際に野球の試合を見てくれるんだろ?」

「野球なんてテレビでも――」

「わかってないな三上! 野球観戦や応援というのは映像を通して見るのではなく、実際に球場に赴いてこそ価値のあるものなんだぜ! ガキの頃テレビで野球に興味持って福岡まで見に行ったんだ、そしたらあの熱狂! ヒット打ってランナーが走る時のドキドキ! セーフだった時の躍動感や、アウトになった時の焦燥感! ホームランを決めた時の最高潮に達するテンション! 試合に勝った時の嬉しさ! 負けた時の悔しさ! 何より勝敗にも関わらず素晴らしい試合ができた時の感動! あの試合はもう二度と来ない! だから俺は一球一球に魂を込めて、投げて、打つんだ! この時しかない青春を! だから俺、野球に青春をかけるんだ! 誰がなんと言おうと、俺にとって青春とは野球! 野球とは俺の青春だ!」

 笑ってしまうほどクサくて、熱く苦しくて、でも真っ直ぐな言葉に一輝は思わず笑みがこぼれてしまった。

「本田……受験生だから将来を考えてるのかと思ったら、お前は笑ってしまうくらい野球馬鹿だな」

「ああ馬鹿さ! 笑いたきゃ笑え! 野球でみんなが笑顔になるなら本望だ! その代わり応援に来てくれ! 野球の面白さをたっぷり教えてやるよ!」

 一輝は心の底から笑いが込み上げてきて、どんよりした心を本田に救われた。

「ははは……ははははははははっ! なんか気が晴れたような気がするよ」

 諦めるのはまだ早い、できることはあるはずだ。

「ありがとう、俺まだ諦めないよ」

「? なんだか知らないが……俺が野球頑張ってるみたいに、三上も何か頑張ってるみたいだな」

 本田は首を傾げたが、すぐに前向きな解釈をする。そうと決まれば行動に移すまでだと席を立ち上がり、真っ直ぐ目指す。この前の出来事でしょぼくれてる零は席で一人、友達とも話そうとせず、机で次の授業の教科書を開いてチェックをしている。

「零、ちょっといいか!」

「一輝君?」

「まだ諦めるのは早過ぎる、あとで後悔したくないなら俺たちが立ち上がるんだ……この前は発破のかけかたを間違えちまった」

「でも……井坂さんは、妙子はそれで立ち上がってくれるかしら? あんな酷いこと言っちゃったから」

「それで世界が終わってしまったらどうする? 俺だってどうなるかわからない。井坂は今挫折しようとしてる、リーダーを支えるのが俺たちの役目だ。そのためには零、お願いだ。力を貸してくれ」

 一輝は手を合わせて言い放ち、零は複雑な表情を浮かべた。

「初めてね……一輝君が私にお願いするなんて、いいわ。もう一度、立ち上がってみようかな?」

 零は弱々しくもしっかりと自分の意志で立ち上がる、一輝は確信して幼馴染を見ながら、零は真っ直ぐな目で訊いた。

「それで……どうするの?」

「決まってるじゃないか、リーダーを励ますために井坂のクラスに殴り込みだ!」

 一輝は精悍な笑みを浮かべた。この試合、絶対に勝てないかもしれないけど負けはしない! 例え五セットで二セット先取りされたうえに四〇-一五フォーティ・フィフティーンの状況でも最後まで諦めないぞ!

 決意を固めた一輝、すると本田が思い出したかのように声をかけた。

「なぁ、三上や空野もエーデルワイス団だろ? ちょっと、匿名希望の団員から伝言があるんだ……放課後、体育館に集まってくれってさ」

「えっ!? どういうことだ?」

 一輝は驚いた、俺たち以外にもエーデルワイス団はいるのか!?



 鷹人はその日、人生で初めて学校をサボって無意味に出歩いていた。

 今まで無遅刻無欠席だったのに、正確に言うなら来てすぐ早退したのだ。

 この数日間、教室のひそひそ話しが我慢できなかった。

 自分のことはともかく、翔お兄さんが可愛くて可愛くて溺愛していた大事な従妹の美由、自分のモヤモヤした考えをハッキリさせてくれた井坂さん、知り合ったばかりの仲良くなれそうな友達の三上君、誰よりも大好きな空野さん、みんなが馬鹿にされたのが我慢できずに担任の先生には早退すると言ってホームルーム前に学校を出た。

 気が付くと鷹人は墓地にいた、ここには四月に死んだ山森喜代彦と中野香奈枝、そして翔お兄さんの墓もあった。

「喜代彦、中野さん、翔お兄さん……僕はどうすればいい? どうすればいいんだ?」

 滑稽に思いながらも何度も死者に問う鷹人は墓地を歩く。蒸し暑い七月中旬、今年は猛暑になるのは確実で蝉の鳴き声だけが響き、湿った微かな風の中で鷹人は記憶を呼び覚ます。


「僕たちは今を生きる人間だよ、今を精一杯楽しく生きる……それが未来を託すことにも繋がる思うよ。時代は変わってしまっても、今と言う時間は誰のものでもない。自分のものなんだから」


 喜代彦、すまない。俺たちは未来を諦めて終焉を受け入れてしまい、今と言う時間さえも諦めようとしている。このまま滅亡を迎えてあの世に行ったら喜代彦は許してくれるだろうか? いや、例え喜代彦が許してくれも自分が許さないだろう。

 鷹人はやるせなさに拳を握り締める。


「ねぇ、人類滅亡ってさ、する時点で最悪だけど一番最悪な滅亡の仕方ってなんだと思う? あたしとしては、将来を託す子どもたちがみーんな滅亡を受け入れちゃうことだと思うの、でも受け入れる側からしたら見たか! あんたたち大人の思い描いたちっぽけな未来は断ち切られ、世界はあんたたちの代で終わりだ! ってね」


 中野さん、君の言う通りだった。俺たちは最悪のシナリオを描いてる、どうしてだろうな……滅亡を口実に受験勉強や就職活動から逃げて遊びたいだけなのかもしれない、でも学校はそんな奴に居場所はない。


「鷹人君……青春時代は学校が全てではない、居場所は狭い所より広い所にある。僕は授業よりも大切なことは全て学校の外で得た、教室に居場所ないなら外に居場所を見出せ……必ず君の考えに共感する仲間が……どこかにいるはずだ」


 翔お兄さん、鷹人は立ち止まった。外? そうだ! 翔お兄さんは高校時代、彩さんや友達と外で遊んでる時の話をよくしていたし、高校三年生の夏休みなんかコミケにも行ったし沖縄にも仲間たちと旅行に行ったと話していた。

 翔お兄さんは学校行事の思い出はあまり話さなかった、翔お兄さんは外に居場所を見出した。

 鷹人は徐々に高揚してくるのを肌で感じた。そうだよ! もうすぐやってくる夏休みは先生やあいつらと手の届かない所へだって行ける、和泉さんみたいに相談するば協力してくれるかもしれない大人だっている!


 鷹人は気が付いたら走り出した、最高気温が三七度と予報されて気が滅入りそうな暑さにも関わらず、心が晴れやかになりそうだった。

 なんで俺はこんな簡単なことを気付かなかったんだろう!

 ありがとう、喜代彦、中野さん、翔お兄さん! 鷹人は全速力で学校を目指す、息が上がりそうだ。でも一刻も速く昼休みまでに学校に戻ってリーダーを叩き起こさないと、みんなはきっと学校にいる。

 エーデルワイス団は誰一人欠けたら成り立たないんだ! こんな俺じゃ空野さんにだって顔向けできない、最後の時を空野さんと……みんなと過ごしたい。

 爽やかな気分で高校最後の夏を、人類最後の夏を終わらせたいんだ! 全身から汗が噴き出る、それがとても心地よかった。翔お兄さんも高校時代に猛暑日にみんなで自転車で突っ走って、シャツが汗だくになるくらい走った。

 僕は……俺は……俺たちは、今しかない今のために今を生きるんだ!


「桐谷君、あなた今朝早退するって言ってたわよね?」

「すいません玲子先生。みんなが頑張ってるのに俺だけボーッとしてるのがなんか申し訳なくて」

 鷹人は四時間目の数学、丁度担任である綾瀬玲子あやせれいこ先生の授業の真っ最中に入ったところだった。翔お兄さんの高校時代の同級生で細高のOG、婚期を逃してるが美人でスタイル抜群な鷹人の担任の先生だ。

 栗色シニヨンがトレードマークでみんなからは玲子先生と呼ばれてる。

「全く、何を考えてるのかよくわからないところ、お兄さんに似てるわね」

「すいません」

 玲子先生に呆れられて鷹人は素直に謝って席に着き、授業を受けた。

 昼休みになるとそそくさと弁当を食い、午後の授業を受けて真っ直ぐ三年三組の教室へと急ぐ、待ってろよ……俺が叩き起こして立ち上がらせてやる。

「桐谷! ちょっと待ってくれ!」

 男子生徒に呼び止められて立ち止まり、振り向いた。

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