第二話、その1
第二話、最後の夏の高校生活
妙子はみんなの意見を募って黒板に書き込んだ。
まず美由のコミケ参加、これは勿論行くつもりで妙子も賛成だ。初参加した時は人の多さに驚いたが今では楽しみになっている。
「他にやりたいことある人いる?」
「野球の応援! 本田が地方大会の応援に来て欲しいって!」
「甲子園目指してる本田君のお願いね、三上君としてはどう?」
「俺はそれでいいと思う。俺ずっと応援される立場だったから、今度はする側になろうと思う」
一輝の意見を聞いて妙子は黒板に「地方大会応援」と書き込むと鷹人は挙手。
「じゃあ俺は夏らしく……みんなで海に行ったり花火見たり、お祭にも行きたいな」
「ほほう、桐谷君王道ですね」
妙子はニヤニヤする。この前の零との接し方といい、さっきの言動からして鷹人はきっと零の浴衣姿は勿論水着姿とか見たいに違いないと確信する。
このムッツリスケベのおっぱい星人め! 空野さんってスタイルいいし、特に妬ましいくらいの巨乳ちゃんだからねと妙子はニヤけると、零に訊かれた。
「どうしたの井坂さん? ニヤニヤして?」
おっといけない、妙子はゴホンと咳き込んで訊いた。
「失礼、空野さんはどう? 何か意見とかやりたいこととかさ」
「私はそうね、みんなと一緒に何か大きなことをしたいかな? みんなで集まって世界の終わりに乾杯とか……文化祭みたいに……流石にちょっと無理かな」
「つまり、世界の終わりを祝おうって感じ? 素敵なブラックジョークじゃない!」
妙子はそう言うと他のみんなが笑うと、鷹人は言う。
「要するに空野さんはたくさんの思い出を作りたいってことかな?」
「うん、そんなところかな?」
零は肯くと妙子は黒板に鷹人の意見である「海、花火、お祭」と書き、エーデルワイス団最大の目的とも言える「みんなと思い出作り!」と黒板に書いた。
さて、こんなものかと妙子は仕切る。
「それじゃ、あたしの意見はとにかくみんなで夏休みを遊び倒す! 終業式の七月一九日までは最後の学校生活を楽しみたいと思います!」
妙子は胸を張って言うと「最後の夏休みはみんなで遊び倒す!」と躍るような文字をデカデカと書く。先生に見られたらどうなることやら……と思うが構うもんか! あたしたちの最後の時間はあたしたちのものだ! 妙子は堂々と鼻息を鳴らした。
すると、教室の扉が開く音がして先生か!? 妙子は反射的に反応して身構えると最悪の事態を覚悟した。
「何やってるの井坂さん?」
守屋さんはそう言うと黒板に視線を移し、露骨に眉を顰めた。
「高校最後の夏休み、一番大事な時期をみんなで遊び倒すつもり? 正気なの?」
守屋恵美の声は決して大きくないが威圧感満点の口調だ。守屋さんは成績優秀な生徒会長で、どこかの有名大学に進学するつもりらしい、背丈は妙子並だがいかにも真面目で頭の固そうなオーラを放っている。
「しょ、正気よ。あたしたちは最悪のケースを考えてるの」
妙子は両膝の震えを必死で抑えながら言い放つ。
後ろには課外授業を受けて戻ってきた生徒が七~八人、恨めしそうな目で見ている。自分たちは将来のことを考えてるのにこいつらは、と言わんばかりに。
「あの噂信じてるの? それって単に受験勉強や就職活動から逃げたいんだけでしょ井坂さん、期末テストの成績どうだった? 言ってみてよ、悪くなかったなら言えるでしょ?」
妙子は何も言えなかった、すると美由は凛とした表情で立ち上がった。
「守屋さん、あたしは守屋さんが夏休みをどう過ごすかはとやかく言わない。でも高校三年の夏休み=受験勉強や就職活動というのは固定観念に縛られてると思うの」
「俺も、俺はテニスをやめたが受験勉強は正直どうでもいい。夢を断ち切られて現実に従って生きていけなんて、正直拷問意外なんでもない……野球部の奴らはもうすぐ甲子園出場をかけた地方大会だ、そいつらに同じことを言うつもりか?」
一輝も立ち上がりながら反論すると、鷹人も立ち上がって正に鷹のような眼光で睨みながら反論する。
「俺も同意見だ。周りの人が一生懸命死ぬ気で頑張ってるからお前も同じように頑張れ、と言いたいなら言ったらどうなんだ? 夏休みの終わりに世界が滅びなかったらその分取り戻せばいい、決して簡単じゃないが仲間と力を合わせればいい」
「あなたたち知ってるわよ、あのエーデルワイス団なんでしょ?」
女子生徒の誰かが言うと、妙子は顔を顰めそうになり、更に男子生徒の誰か言う。
「知ってるぜ、人類滅亡を言い訳にして受験勉強や就職活動から逃げてるという胡散臭い新興宗教だろ?」
「新興宗教じゃない、秘密結社だ」
一輝が言い返すと別の男子生徒が言う。
「どっちも同じだろ? 人類滅亡をマジで信じてるのか? 今のことより現実を見て将来の心配をしろよ、このままじゃ負け組だぜ。夏期講習受けないのか? 進学塾にも行かないのか? この時は今しかないんだぜ、後で後悔してもいいのか?」
正論だ。この人たちの言うことは正しい、だけど妙子は負けたくない! だんだん口調が強く、尖っていくのが自分でもわかった。
「後悔したくないからよ……今しかない時を自分たちで過ごしたいの。それに、あたしたちのこと……あんたたちには関係ないでしょ? こうやってあたしたちのこと言ってる暇なんてあるの? ないでしょ? 守屋さんたちが将来に向けて勉強するのはとやかく言わない、それが自分の考えならね!」
よく見ると生徒たちの一番後ろで織部さんが不安げに見つめている、妙子は彼女に目を合わせて無理して不敵な笑みを浮かべて肯いた。
大丈夫よ、織部さん。絶対に織部さんのことは話さないから。
「井坂さんたちってさ、空気読むことを知らないの? 私たちだってやりたいことを我慢して勉強してるのに、来年の今頃は働いてる人たちだっているのよ。どうして今を我慢できないの? そんなに今が大事なの? 馬鹿じゃない? 夏休み終わった後のみんなの顔を見るのが楽しみだわ」
女子生徒の一人、誰かが言うと妙子は爆発寸前にまで込み上げてくる。
あんたたち好き放題ボロクソ言いやがって! 怒りを露にしようとした瞬間、思いっ切り机を両手で叩いて零が立ち上がり、殺気に満ちた表情になっていた。
「うっさいわねあんたたち!!」
誰もが零に注目した、勝ち気だが落ち着いて人当たりのいい女子生徒である零が激情を露にしていた。
「あんたたち好き放題言って! 今をどう過ごそうと私たちの勝手でしょ!? 私はあんたたちと違って今しかない今を全力で生きたいのよ! あんたちは今を人生のリハーサルか準備とでも思ってるの!?」
そうだと妙子は思う、人生にリハーサルなんかない。そんなことしてたらいつが本番なのか見えなくなってしまう。
「私はいい中学に行くためと言って親に勉強ばかりさせられて小学生の頃はまともに友達と遊べなかった! 中学だってそう! いい高校に行くためだけに親に入学した日から勉強ばかりさせられて中学生の頃もまともに遊べなかった! だから親に反抗するためにわざと城下高落ちてここに来たのよ! でも親は大学受験のためと、まともな高校生活を送れずじまいよ! 大学に言ってもどうせいい会社に就職するために束縛されるくらいなら……いっそ……いっそ、死んでやると思ったわよ!!」
零は目に涙を浮かべながら左手首のリストバンドを取り、リストカットした痕を見せた。妙子はゾッとして血の気が引いて寒気を感じた。零の傷は躊躇いながら何度も浅く切り刻んだものじゃない、躊躇いもなく一撃で手首の動脈を深く切り裂いたものだ。
発見が遅れてたら確実に死んでただろう。
「たった一度しかない青春時代を……友達と遊んだり、恋もできないまま勉強漬けや辛いことばかりの無味乾燥な青春で……本当に大事な物が得られると思うの? 来年は……もうないのよ! 大学に行けばまだチャンスはあるかもしれない、でもね! 今という時はもう二度と戻って来ないのよ! 私たちの時間は私たちのものよ!」
零は悲鳴に近い声で叫んだ、すると美由はハンカチを出した。
「空野さん、いえ泣かないで零ちゃん……零ちゃんはあたしのことをどう思ってるかわからない。けど、あたしは零ちゃんの友達でいたい」
「ありがとう……真島さん」
「美由でいいわ」
「うん、美由」
零の瞳は真っ赤になっていた。
美由ちゃん、翔さんが亡くなってから大分お節介になったね。
「何を言うかと思えば泣き落としかよ、これだから女って奴は――」
「口を慎めMother fucker! さっさと帰って勉強して合間にマスかいてろ!」
男子生徒の誰かが鼻で笑うと、鷹人はサラリと下品な言葉を言い放ち右手でファックサインした、うわぁ……誰から教わったんだろ? 妙子が表情を引き攣らせてると最悪の事態が更に悪化した。
「一体何の騒ぎですか?」
先生、それもよりにもよって高森先生だ。守屋さんは勝ったと言わんばかりに意地悪な笑みを浮かべ、妙子を見つめる。
高森先生が黒板を見ると表情を変えずに妙子を真っ直ぐに見る、妙子はライオンに睨まれた仔犬になった気分だった。
「井坂さん、あなたが今どんな立場かわからないはずはないですよね?」
守屋さんが可愛く見えるくらい威圧感バリバリで妙子は石のように固まり、言葉が思い浮かばなかった。
「は……はい」
「高校三年生なら夏休みをどう過ごすか、わかってるはずです……あの噂が本当か否かは確かめる術はありません、ですがあなたたちにはやるべきことが決まってるはずです」
「はい……」
妙子は力なく返事するしかなかった。
「わかったなら、さっさと解散しなさい。あなたたちもよ」
高森先生は課外授業を受けていた生徒たちに向けて言うと「はい!」と決して大きくないが覇気があった。
高森先生は黒板消しを取って消していく、妙子にはそれが悔しくてたまらなかった。
やめて……消さないでよ、あたしたちの夏休みなのよ……。
あまりにも無力だと実感した、野球の応援もコミケ参加も、みんなで過ごす夏休みの予定もいともたやすく消されていき、高森先生はチョークを取って淡々と「受験勉強」「就職活動」と書いた。
その文字は躍動感も何も感情も込められてなく、ただ冷酷な現実を表していた。
「これが、皆さんの予定です。来年には社会人になる人もいます、今を我慢すれば将来報われるでしょう」
「それ……いつ報われるんですか? 報われなかったら誰が補償するんですか?」
無駄だよ空野さん、高森先生はどうせテンプレ通りの答えしかしてくれないよ。
「それは誰にもわかりません、自分で補償するしかありません。それが大人になることですから」
そう言って高森先生は教室を出て行った。
課外授業を受けた生徒たちが帰るとエーデルワイス団のみんなは呆然と座り、立ち尽くして悔しそうな顔を浮かべ、沈黙していた。
「エーデルワイス団が表に出てしまった……明日からどうなるんだ? 俺たち?」
一輝は沈黙を破るかのように呟くと、美由も口を開いた。
「少なくとも、卒業まで肩身の狭い思いをしなくちゃいけないと思うわ……あたしね、東京に住んでた時、中学三年の頃に夏コミ行ったの、でもそれがみんなにバレていじめられて……高校でもそうだった。一年生の夏には学校に行かなくなって、ここに来たの」
「どうにかしないと明日から気まずい日々だ、このままじゃナチスに迫害されるユダヤ人みたいになるぞ」
鷹人は溜息吐いた、妙子もそうだ。
この学校にも少なからずいじめが原因で不登校になった生徒がいる。
いじめてる奴らは常にいじめの対象を探してるような奴らもいて、最初にグループを壊すことから始めるだろう。
「私悔しい……こんなことで今しかない最後の時間が誰かに決められるなんて」
零はボロボロと涙をこぼしながら怒りを込めていた、もしかしたら四月に死んだ人たちもこんな思いだったのかもしれない、妙子も悔しくて言葉が出ない。
「あたしたち……無力なの?」
妙子は自分に問うが誰も答える者はいなかった、ここはエーデルワイス団の居場所ではないことを否応なく思い知らされた。