最終話、その3
屋上の扉を開けると一面、満天の星空と開放的な空間が広がっていた。この星空を見たのは夜の茂串海岸の時以来だった、あの時妙子が言ってた。はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル、こと座のベガ、あれが夏の大三角……それが翔お兄さん、喜代彦、香奈枝の魂が星になっているようにも見える。
鷹人は両膝付くと涙で視界が揺らいでぼやけ、コンクリートの床に涙が落ちる。顔を上げると真っ暗なのにも関わらずフェンスの向こうの人影がハッキリ見えた。
鷹人は立ち上がって、走り出すと山森喜代彦と中野香奈枝だった。
「よお鷹人、待ってたぜ! いい夏休みを過ごしたな」
「喜代彦……」
「あんたまた泣いてるの? 泣き虫だなぁ桐谷は」
「中野さん……二人とも、ずっと見ていたの?」
鷹人はフェンスに身を押し付けながら言うと、二人は満面の笑みを浮かべて首を縦に振った。
「馬鹿野郎、なんであの時死んだんだよ。お前たちがいれば――」
「それ以上は言わないの、あんた泣き虫で甘えん坊ね……でも、見ていて楽しかったよ」
香奈枝は満面の笑みでニカッと言うと、喜代彦も優しげに微笑む。
「空野さんにちゃんと思いを伝えられたんだな、偉いぞ! さて……俺たちもそろそろ行こうか、香奈枝」
「うん、もう大丈夫だよね」
香奈枝も安堵の笑みを浮かべると徐々に姿が薄くなっていく、待ってくれ! 行かないでくれ、あの言葉を言わないと!
「中野さん! 喜代彦! お前ら二人ともエーデルワイス団の仲間だ! 例え幻でも、誰が認めなくても俺が言ってやるよ! お前らもエーデルワイス団の仲間だ!」
消える間際、二人は嬉しそうな微笑んで肯き、そして夏の終わりの夜に消えた。
「鷹人君……今の、山森君と中野さん?」
零は信じられないと言わんばかりに呟く。
「ああ、間違いない。あいつらだ」
一輝は確信したという口調だ。
「間違いないよ、香奈ちゃんと山森君よ……ずっと見守ってくれたんだよ」
美由はすすり泣いていて、妙子が優しく言った。
「山森君と香奈枝ちゃんも仲間に入りたかったんだよ。あたしは言うわ、香奈枝ちゃんと山森君も、立派なエーデルワイス団の仲間よ」
妙子の言葉で鷹人は空に向かって泣き叫んだ。それは二人の死をようやく向き合って、受け入れたことを示していた。
零は黙って鷹人をギュッと優しく包むように抱き締めた。
和泉はゆっくりと画面から見て真ん中の、ピアノを背にした位置で椅子に背筋を伸ばして座る。
「いつでも行けます、いいですか?」
「こちらの機器に異常はない和泉、準備はいいか?」
翼は全てのチェックを終える、庄一はまるで作戦開始前の兵士の表情で、和泉も肯いた。そして庄一が右手でパーを作り、カウントダウンを開始する、五・四・三・二・一、スタート!
「……皆さんこんばんわ。エーデルワイス団最後の夜をいかがお過ごしですか? 私の名前は空野和泉……エーデルワイス団の代表者です。私が何故エーデルワイス団を作ったのか? これからエーデルワイス団の……いいえ動画を見てる皆さんにお話しします」
その表情は重大な演説をするどこかの国の女性大統領のような顔だった。
まずエーデルワイス団の創設者である四人は当時高校生でしたが、事故、自殺、病気で既に全員この世を去りました。
私は創設者の一人である女性と一度小学生の頃に出会い、大学時代に再会してお話しを聞きました。
当時四人の通っていた高校はゼロ年代前半の時点から見ても、異様なほど厳しい校則で昭和の時代に取り残された学校と聞いています。
現在は理事長先生が変わり、大幅な方針変更と校則の見直しが行われたましたが、当時は男女交際禁止に休日は私用の外出時も制服、頻繁な持ち物検査に休日は繁華街でボランティアの方たちと見回り等をしていたそうです。
当然ながら、生徒たちは先生や大人たちに対する反発を招き、水面下で先生たちの目を掻い潜って友達と遊んだり、恋をしたりして青春を謳歌していました。
その中で、彼らは先生たちの目や手の届かない外に居場所を見出したのです。
四人はそれぞれで交際し、連休にはハイキングや日帰りで旅行に行き、夏休みに至っては県外へ旅行に出かけました。三年生の夏休みや冬休みでも、東京、沖縄に行ってたそうです。
規範を強いる大人たちに反抗するための秘密結社、それがエーデルワイス団でした。
スマホの画面の中に現れた和泉に、零は動揺していた。
「お姉ちゃん? どうしてお姉ちゃんが……エーデルワイス団を?」
「そうか! 和泉さんがエーデルワイス団を復活させたのなら辻褄が合う。翔お兄さんや彩さんと交流があったならその話しを聞いてもおかしくない!」
鷹人は最後の最後でしてやられたと思ったが、不思議と怒る気はしなかった。
妙子も微笑みながら星空を見上げる。
「そうか……和泉さんも、あたしたちと同じように戦ってたんだね」
「でもどうして――いいえ、きっとあたしたちのことを憂いでエーデルワイス団を作ったんでしょうね」
美由は和泉の心中を察したのか、首を横に振って画面を見つめて一輝はただ黙って話しを聞いていた。
やがて高校卒業とともに四人はバラバラになり、エーデルワイス団は解散。普通なら四人とそれを知る人たちの思い出として、記憶の中に消えていていくはずでした。
そう、あの噂と言われてた今日の深夜から朝、地球にやってくる彗星の発見と……四月四日に起きた大量自殺事件が起こるまでは……私の大学時代の友達や後輩、職場の同僚も犠牲になりました。
彗星発見後パニックが起こり、収束しましたが……滅亡する確率は五分五分、これは同時に滅亡を信じてに備える人たちと信じない人たちを生み出す結果になったのです。
彗星発見一ヵ月後、ネット上で取られたアンケートでは信じる人の年代は一〇代~三〇代前半の若い世代が圧倒的で、逆に信じない人たちは上の世代という結果が出てます。
これは皆さんもご存知でしょう、彼らはみんな滅亡をどうにかして受け止めて限りある最後の日々を過ごそうとしていました。でも、世間はそれを許さなかったのです。
彗星接近の噂はあの噂と呼ばれ、世間はタブー視するようになり、信じる人たちをまるで魔女狩りのように扱った! そして……あの大量自殺事件。
事件の首謀者は私の友達でした、歌うのが好きで歌い手として……動画サイトにも投稿していました、しかし同時に催眠術にも長けていました。
彼女はリスナーに自殺を誘発せる暗示を歌に仕込み、あの事件を起こしたのです。
私が気付いた時には既に遅く彼女も自殺、皆さんもご存知の通り夥しい数の人が犠牲になりました。残された私たちは喪った悲しみと、彼女たちを死に追いやった社会への怒りと憎しみ、彼女たちの残した滅亡の時まで規範を強いる世間への怒りと無念。
夏那美は達成と深夜の羽田空港国際線ターミナル展望デッキに寄りかかってニコ生を見ていた。イヤホンを片方ずつ耳に挿し、和泉の話しを聞いていた。
飛行機は国内線国際線ともに全便欠航となった。後ろ向いてターミナルを見下ろすと、沖止め(ターミナルビルから離れたところに駐機する)スポットにまで飛行機が溢れていた。
夏那美は俯いてボソッと呟く。
「和泉さん、どんな気持ちだったんだろうね」
「それは彼女にしかわからないよ、でも……これは――」
そこで言葉を断ち切る、和泉は怒りの篭った話しを続けた。
そんな時、私は思いついたんです。
あの四人がいた時代とは違って自分の主張を手軽に世界に発信できる、私はすぐに行動を開始して万が一エーデルワイス団の創設者を探してる者に問い詰められてもいいように、自分が代表者であることを忘れて必要な時が来れば思い出すように、自己暗示をかけたのです。
一度、問い詰められたことがありました。けど……あの時は本当に自分がエーデルワイス団の創設者であることを知らなかったんです、騙してしまって……ごめんなさい。
会社を辞めて夏にはアパートを引き払って田舎に帰り、妹たちのエーデルワイス団の支援者として潜伏する。
最初は……最初は影から支援するつもりだった、でもあの子達が私を仲間として認めてくれたの……エーデルワイス団のみんなに感謝すると同時に……私は、私は謝らないといけない。
和泉の言葉は次第に震え始めた、最後まで毅然とした態度で話さないといけないのに溢れてくる感情はなんだろう?
私はあの事件で死んだ人たちの無念を晴らすためという建前を利用した……あなたたちを社会……社会への復讐のために、あなたたちを利用したの! ごめんなさい、私は社会が、大人たち上の世代が憎かった!
今なら言えるわ。幼い頃、幼馴染とさよならも言わせずに引き裂いた親を、大人たちを憎んだ。
私だけならまだいいわ! 弱みや無知であることをつけ込み、エゴを満たすために下の世代を利用する社会を、この滅亡は……復讐するにはまたとない機会だったの!
もう和泉は抑え込むのは意味がないと悟っているのか、ありのまま憎悪の感情を吐き出し、涙を流して言葉をぶつけていた。
庄一もあの日のことはよく覚えている、朝学校に来ると和泉の姿はなく、和泉のクラス担任は淡々とした言葉で転校したとだけ伝えて、まるで最初からいなかったかのように振舞った。
その時に抱いたのは憎悪だった。それは次第に肥大化していき高校に入る頃には日本を出ることを決意し、やり場のない怒りを世界にぶつけるため、フランス外人部隊に入隊した。
翼もジッと共感してるかのように和泉を見つめている、彼女も四月に兄を亡くした。一度会ったことあるが、気さくなで面白い人ですぐ友達になれた。
そしてやがて和泉は涙を流し続けながら、凛とした声で話し続けてやがて終わりの時がすぐそこまで来ていた。
もうすぐ零時だった。
情けない所をお見せしてしまいましたね。私はエーデルワイス団のメンバーとして、高校野球の地方大会や海水浴、お祭りや東京旅行にも行った。
あの子達の仲間として凄く楽しかった……人生で最も充実した夏休みだった。
あなたたちも、きっと私たちのように育んだ絆がある、それを大切にしてね。そして忘れないで、この夏を。
みんな……本当にありがとう! エーデルワイス団はただ今を持って解散します!
それで一呼吸置いて目を閉じる、次に開けた時はもう創設者の目ではなく口調も凛としたものから、いつもの知ってる空野和泉のものに戻っていた。
最後に……あの時のみんな、見てる? 合唱部のみんな、あの時は心ない言葉を言ってごめんなさい。あの時のあたしではできなかった歌……『最後の夏の歌』を今から歌うわ。
あたしね、ピアニストかシンガーソングライターが夢で音楽の道に進みたかったの。
画面の中の和泉がゆっくりと立ち上がってピアノの前に置かれた椅子に座り、演奏を始める。やっぱり、昨日零が教えてくれた歌だと鷹人は零、一輝、美由、妙子と笑みを交わした、みんな知ってたんだと思うとやることはもう決まっていた。
スマホの音量を全開にして一緒に歌う、一番は過去を悔いての悲しみ。二番は決意を固め、成し遂げようとする意志。三番は遠い過去の記憶の中にいる者たちへ。そして最後はこれから未来を担う子達に託すメッセージが込められていた。
特に最後はエーデルワイス団へのメッセージそのもの、和泉さんってこんなに綺麗な歌声だったんだ。
演奏を終えると、和泉はさっき座ってた椅子に戻ってカメラに向き合う。
『ありがとう、もうすぐ終わりが来る。組織としてのエーデルワイス団は解散だけど……ルールに反しない限り、今しかない今があなたたちのものであるように……解散するのもいいし、そのまま活動を続けるのもいいわ。あなたたちが作ったエーデルワイス団はあなたたちのものよ! あなたたちにエーデルワイス団、そして未来を託すわ!』
和泉の凛とした声が響く、鷹人は思わず妙子の顔を見た。それは覚悟を秘めた笑みをしていた。
「そうか、なら……エーデルワイス団はまだ終わらない、終わらせないわ!」
妙子の言葉でみんなが肯いた。
『みんな、どうかこの滅亡を生き延びて! そして新しいエーデルワイスの種を蒔き、花が咲くのをこの目で見届けて! あたしからの、最後のお願いよ!』
そこで放送は終わった、空を見上げると流星がぽつぽつと現れ始めた。




