第一一話、その1
第一一話、最後の夏の決意。
コミケ翌日の夕方、羽田空港国内線第二ターミナル。
夏那美は達成のことがあまりにも羨ましすぎて、嫉妬に近い感情が芽生えそうで、それで自己嫌悪に陥りそうな気持ちで立っていた。
保安検査場前で最後の挨拶を終えたが、達成と一輝は人目を憚らず、男泣きしながら別れを惜しんでいた。
「達成……いつか絶対に熊本に遊びに来いよ! 俺は、俺は……いつまでもずっとお前を待ってるぜ!」
「うん、僕も一輝に出会えてよかった……必ず行くから! 必ず熊本に来るから!」
一輝と達成はたった五日間、熱くて、眩しくて、固くてそれでいて下品な絆で結ばれた友情を育んでいた。コミケという過酷な状況が、二人の友情を育んだのかもしれない。
やがて熊本から来たエーデルワイス団の仲間たちが保安検査場に入り、姿が見えなくなると、展望デッキはまだ明るいが、東の空は薄暗くなっていた。
夏那美は達成の後ろをついて行きながら、心地良い爆音を響かせ、夕焼けの空へと飛び立って行くボーイング777-9を目で追う。見下ろすと、着陸したボーイング787-10がターミナルに近づいていた。
「ねぇ夏那美、僕さぁこのまま熊本までついて行こうと言ったら……夏那美も一緒に行く?」
「勿論どこまでも行くよ……まだ……止まらない?」
「うん……ぐすっ……楽しかったなぁ、もし……みんなが生きてたらと思うと」
達成の肩が震えるように上下し、嗚咽を漏らしていた。夏那美は意を決して後ろからギューッと抱き締めた。自分からこんなことするのは初めてで、実は達成とのキスもまだで、それくらい達成も実はウブで純情だった。
「夏那美?」
「大丈夫……私が、私がずっと傍にいるから、だから絶対に行こう……死んだ友達の分まで沢山の思い出を作ろう」
達成の背中に身を寄せると彼の心臓の鼓動が聞こえた。
「そうだね、夏休みは……まだ終わってない」
達成はそう言って抱き締められたまま振り向く、目は赤くなっている。それでももういつもの爽やかな笑みを浮かべていたが、どこかぎこちない。
「じゃあ一つ思い出作りたいけどいい?」
「うん、どんな思い出?」
「僕と……キスしよう」
照れ臭そうで決して大きくないが、ハッキリ聞こえる声で少しも目を逸らさなかった。
夏那美は心臓の鼓動が急加速して爆発しちゃいそうだったが、夏那美はハッキリと「うん」と肯き、ゆっくりと唇を重ねた瞬間、747-8が四つのエンジンを全開にして爆音を鳴らしながら滑走路を離れた。
それは冷やかしてるようにも聞こえたし、祝福してるようにも聞こえた。
ボーイング787の機内で鷹人は窓の外の光景を見るが、暗くて今どの辺りにいるのかわからない。大きな空港は離陸に時間がかかることがあるのだ、羽田にはA、B、C、Dと滑走路が四つあってターミナルを離れたら一番遠い滑走路で離陸することもある。
すると前の席で和泉と美由の話し声が聞こえる。
「あの、和泉さん……今日、お父さんとお母さんに会って話して来ました」
「それで……どうなったの?」
「あたし、翔お兄ちゃんの残した場所を……自分の手で守っていきたいって、それでやっと納得してくれました」
今回の旅行の終わりに美由は両親と真っ向から思いをぶつけ、そしてようやく部屋を売り払う話しはなしにしてもらったという。
「よかった……翔さんとの思い出の場所、守ってくれたのね。ありがとう」
和泉の安堵した声が、何よりの証拠だった。
「あっ、いいえ……妙ちゃんが傍にいてくれたから、妙ちゃん?」
「あらあら、もう寝てるわ……今日も沢山はしゃぎ回ったからね」
和泉もきっと微笑んでるに違いない、すると『ポーン、ポーン』とベルト着用サインが点滅してCAの落ち着いた声が機内に柔らかく響く。
『皆様離陸いたします、シートベルトをもう一度お確かめ下さい』
787がD滑走路に進入すると、一時停止。
そしてロールスロイス・トレント1000エンジンが唸り、吠える。全長五六・七メートル、全幅六〇・一メートルの巨体が押し出され、加速すると後ろに引っ張られる感覚になる。
人によっては座席に押し込まれるようなGを感じながら機体は滑走路を駆け出す。
V1(離陸決心速度到達)スピードに乗った。
VR(機首上げ)機首が空に向き、やがて地上を離れる。
V2(上昇開始)空に向かって上昇すると地上の景色がどんどん離れていく。
眼下に見える羽田空港がどんどん小さくなり、やがて東京を離れて行く。
さよなら……東京、もう来ることはないかもしれない。
鷹人は切ない気持ちになって口にするのを抑えながら心の中で別れを告げた。あっという間の五日間だった、もうすぐ夏休みも終わる。
「もうすぐ、夏休みも終わりか……寂しいな」
「あーらコミケの時はまだ時間がある、まだ終わってないと言ったクセに」
鷹人の隣に座ってる零が痛い所を突いてくる、通路側に座ってる一輝は泣き疲れた子どものように眠ってる。
「なぁ零、夏休みってさ……七月二〇日から八月三一日までの約四〇日だよね? だとすると八月一〇日で半分過ぎたってことになるよね?」
「うん、確かにそうだけどこの時点ではまだ二〇日ぐらいはあるね」
「不思議なことにさ、八月一五日の終戦の日を過ぎるともうすぐ夏休みが終わるっていう感じが一気に来るんだ……まだ二週間くらいあるのにね」
「それなら、残りの二週間も楽しもう。鷹人君が言ってたようにまだ終わってないし、終わらせないわ!」
零の言う通りまだ夏休みは終わっていない、まだ二週間もある。きっとまた楽しいことが待ってるはずだと鷹人は窓の外を見る、何も見えず787の翼端にある衝突防止灯だけが点滅していた。
二日後、エーデルワイス団一行はそれぞれ自由に過ごしていた。昨日は旅行の疲れがドッと押し寄せてきた。その日はエアコンの効いたリビングでテレビゲームのオンライン対戦したり、翔お兄さんの部屋で読書したり青春アニメ映画を見て過ごしていた。
だらけた一日を過ごすと、鷹人は一度実家に戻ってセロー250で自由気ままに走っていた。高校二年になる前、翔お兄さんがきっと役に立つと言って、免許を取らせてくれたのだ。
あの時は零の気を引こうと、免許を取ってバイトで稼いだ金で中古だが状態のいいセロー250を買った。燃料代も嵩むので乗るのは休日くらいで、夏休みに入ると空いた日にはバイクで気ままに走るのが日課になっていた。
国体道路沿いのコンビニで休憩してると、嫌な天気だとふと鷹人は曇り空を見上げる、昨日は大雨で今日は曇りのち晴れだが、午後になってもまだ嫌な雲が空を覆っていた。まあ今年は猛暑で空梅雨だったから今日くらいいいだろうと思ってた時だった。
マナーモードにしてるにも関わらずアラームが鳴る、緊急地震速報かとスマホを取り出した時、鷹人は目を疑った。
その頃、一輝は妙子と学校に遊びに行き、本田たちと野球で遊んでいた。
「さあ、どんな変化球でも投げて来い! 消える魔球だろうが剛速球だろうが打ち返してやる!」
夏服姿にヘルメットを被った妙子が打席に立ち、ノリノリでバットを握って浜田を挑発し、キャッチャーの橋本が叫ぶ。
「浜田、遠慮はいらねぇ! 真っ直ぐ投げてやれ!」
「OK、手加減なしだ!」
浜田は大きく振りかぶって真っ直ぐ弾丸のような剛速球を投げると、妙子は躊躇いなくタイミング良く振るが、空振り。一輝の隣で座ってた本田が叫ぶ。
「今のでストライク! バッターアウト、チェンジだ!」
「くぁぁああもう、速過ぎるわよ!」
妙子はバットを浜田に向けて文句を言うと、橋本がフォローする。
「いや井坂、お前マジで打ちそうだったからさ。浜田が本気で投げざるを得なかったんだよ!」
「井坂さん、二球目はマジで打たれたかと思ったんだ。すまんすまん」
浜田は首を横に振りながら言う、一輝はボーッと眺めながら先日のことを本田に話していた。
「それで、最後の夜は達成と一緒の部屋で朝までお喋りしながら過ごしたよ。おかげで帰りの飛行機で席に着いた途端、寝ちまったがな」
「そんだけいい友達ができたんだろう、あいつが熊本に来るんなら俺たちにも紹介してくれよ。俺と三上がいい友達になれたように、俺と市来と仲良くなれそうな気がするんだ」
「そうだな、お前とならすぐ打ち解けると思うよ」
「へぇ、待てよ! お前桐谷の部屋から市来の部屋に移ったんだよな!? 桐谷の部屋には誰が入ったんだ?」
一輝は思わず「しまったと」口に出し本田は疑心に満ちた目で一輝を見る。
「桐谷の部屋、まさか女が入ったのか?」
「ああ、零だ……火の国まつりにデートして翌日海水浴に行ったんだ、その時に付き合うことになって最後の夜は一緒の部屋になったよ」
「ま、マジか!?」
「ああ、しかもあいつ。線香花火した時ちゃっかり零の隣になって、みんなで一斉に最後の線香花火に点火したんだ……そして最後の花火が消えた瞬間、暗闇に紛れてみんなの前でキス――」
顔を上げると細高元野球部の三年生たちが集まって食い入るように聞いていた。
「お前ら……いつの間に」
「話を続けてくれ、三上」
本田は全身から嫉妬に満ちたオーラを放ち、他の奴らも同じように嫉妬と殺気に満ちたオーラを放っていた。参ったな、本田たちに嘘を言うわけにもいかないと話を続ける。
「いいか、落ち着いて聞いてくれ――」
その時、スマートフォンのアラームが鳴り響いて張り詰めた空気を破って一輝はスマートフォンを取り出すと「嘘だろ……」と呆然と呟いた。
一年四組の教室にある掃除用具箱上の天井裏のハッチ、そこにはあるものが隠されているという。
「結局、エーデルワイス団を復活させたのは何者かはわかりませんでしたけど……一つだけ気になることを加藤君が話してくれました。卒業式の後、真島君たち四人グループが教室の天井裏に何かを隠すのを見たそうです」
「それが……エーデルワイス団の謎を解く鍵になるかもしれないと?」
「はい、佐久間君も柴谷君から聞いたんですけどどこに隠したのかは言ってくれなかったそうです」
歩みながらお話しする二人はまるで仲の良い先生と生徒同士にも見える。一年四組の教室に入ると和泉はあの時と変わっていない。と微かに目を細める、ここは和泉の通ってた教室であり、翔も通っていたという。
「玲子先生、ここですよね? 教室の天井裏だから……」
和泉は机を動かして土台を作って上り、掃除用具箱の上にある埃を払って真上にある点検用アクセスドアを開ける。これがなかなか重い、開けてずらすとスマートフォンを取り出し、ライトを起動すると怪しい箱を見つけた。
「ありました! 取り出します!」
和泉は埃被った金属の箱を取り出す、これもなかなか重くて大きい。暗くてわからなかったが箱はお土産のお煎餅を入れる箱のようで、金属の箱に蓋をされて更にビニールテープで厳重に密閉されていた。
「これね、開けるわ」
受け取った玲子先生が、手近な机に置いて爪でビニールテープを剥がす。その間に和泉は降りて机を元の位置に戻すと、玲子先生は箱の蓋を開けて封印を解いた。
「これは……MD? それにMDウォークマンに封筒? 懐かしい……よくCDにコピーして友達と交換していたわ」
中身は膨大な数のMDとMDウォークマンが一つ、それにノートがあった。玲子先生は懐かしそうにMDの一枚を取る、和泉もそのうちの一枚を取るとラベルにはマジックで『№1 2003.5.10』と書かれていた。
MDは全部で四〇枚近く、それは高校入学からしばらくした日から、卒業の日まであり最後の日付は卒業式の日だった。高森先生が封筒の中を開けると、その中には写真が大量に入っていた。
「まあ、こんなに沢山……真島君に柴谷君、神代さん……中沢さんも、こんなにいい顔してのね……そういえば柴谷君、いつも使い捨てカメラ……えっと確か」
「写るんです? いつも持ってたカメラですよね?」
「そうです! それですよ、あの頃は携帯電話で今はスマートフォンで撮る子もいたのにいつも持ち歩いてたわ……あらあら中沢さんのこんないい笑顔、教室では見せなかったわ」
高森先生の顔は和泉が知ってる厳格な教師ではなく、巣立った卒業生たちを懐かしむ年老いた優しい先生の顔になっていた。
写真を見ると、高校生の翔が照れ臭そうに笑顔を向けている、写真を見れば見るほど自分の青春時代は……と胸が痛くなってきた。
写真の裏にはご丁寧に日付と番号が書かれていて、それこそ三〇〇枚を超えていた。
いいなぁ……羨ましい、和泉は一枚一枚写真をじっくり眺めていた時、スマホのアラームが鳴った。それも和泉のだけでなく玲子先生と高森先生のスマホもだった。緊急地震速報かと思いながらほぼ同時にスマホを取り出すと、高森先生は目の色を変えた。
「綾瀬先生! 今すぐ校庭にいる生徒を中に!!」
「はい! 和泉さん、ここで待ってて!!」
二人の先生はダッシュで教室を出て行った。
零は美由と二人で市内の繁華街であるサンロード新市街に来ていた、マンションで洗濯物を干した後、二人で外食に来ていて。レストランで食べ終えるとなんとなく二人でブラブラしていたのだ。
すると、話しが一段落すると美由は少し恥ずかしそうに訊く。
「それで……零ちゃん、妙ちゃんから訊いておいてって言われたんだけど……いい?」
「うん、どんなこと?」
「た……鷹お兄ちゃんとさ、あの日の夜……しちゃったの?」
「ええ? 何をしたの? 言ってごらんなさい」
零はニヤけてとぼけて、美由の頬をプニプニと突いた。
「うう……そ、その……ああもう、妙ちゃんが訊いてって言われたけどごめん! 訊かなかったことにして! あっそうだ! 二八日に江津湖で花火大会があるの、それみんなで見に行かない?」
「いいわね、みんなで浴衣着ていこうか! 火の国まつりの時着れなかったから……着て行こう!」
「うん、鷹お兄ちゃんもきっと喜ぶよ」
美由は嬉しそうに肯くと零も笑みを浮かべ、耳元で色っぽく囁いた。
「それと、鷹人君とはもうエッチしちゃった。もう毎晩色んなプレイをしてるわ」
「!? はっはわ……はわわわ……」
「なーんて、冗談よ。プラトニックで健全なお付き合いしてるわ!」
それでも美由は顔を「あわわわ」と赤くし、水蒸気が噴き出すどころか爆発しそうだった。
そんな時だった。
二人のスマホのアラームが鳴って取り出すその瞬間、まるで空襲警報か東日本大震災のテレビ中継で聞いたような、耳をつんざくようなけたたましいサイレンが鳴り響き、零は本能的かつ直感的に怖いと感じ、背筋が震えるのがわかった。
「零ちゃん! 今すぐ地下に逃げるわよ!! 走って!!」
「ど、どこに!?」
「辛島公園地下駐車場よ!!」
美由はスマホをポケットにしまい、零を励ますかのように強い口調で言った。




