第一〇話、その3
鷹人はエーデルワイス団の仲間――自分たちだけでなく、バッカニアにアクセスして会場内にいるかもしれないエーデルワイス団にメッセージを一斉送信した。
現在コミケ参加中のエーデルワイス団の皆さんに緊急のお願いがあります! メンバーの一人とはぐれました。もし見かけましたら情報提供お願いします!
年齢一八歳、身長約一五〇~一六〇センチ、紺色に近い黒髪ショートボブに右耳の上には焼け焦げた二対の赤い髪留め、服装は灰色のジーンズにスニーカー、水色の上着に白いキャスケット帽の女の子です!
「探しに行こう! 零ちゃんはスマホに情報が入ってないか常時確認しながら桐谷君と一緒に西館方面に行って! あたしと玲子先生はここの東1・2・3ホールを探すわ! 三上君と和泉さんは向かいの東4・5・6ホールと7・8ホールにいる、市来君と夏那美ちゃんは今企業ブースにいるからそこを中心に探すって!」
すぐに妙子が動いた、さすがうちのエーデルワイス団のリーダーだ。鷹人は零と顔を合わせてもすぐに肯くと、しっかり手を繋ぎ零は凛とした目で鷹人を見る。
「いい? 絶対に手を離さないでね!」
「ああ、翔お兄さんの最期の言葉を伝えないと!」
「最期の言葉ね!」
「ああ、翔お兄さんが美由に残した最期の言葉を――なんでもっと早く伝えなかったんだろうと思う、だから今日伝える!」
鷹人は一年間伝えてなかった言葉ある、伝えるチャンスはいくらでもあったのに! 無意識に先延ばしし続けていた。
「鷹人君、私が美由を物理的に押さえておくから! 任せて!」
零は決して責めるようなことは言わなかった。人混みを掻き分けながら進んで西館に通じる外に出ると、零は声を張り上げた。
「みんな応えてくれたわ! かなりの数よ……東1ホールトラックヤード付近で情報が集中してる! まだ遠くには行ってないわ!」
意外と情報提供は早かった、ここには一体どれくらいのエーデルワイス団がいるんだろう? 鷹人は頼もしさと同時に畏怖の念を感じた。
どれくらいの時間が経ったんだろう?
気が付くと美由は海に面した有明ふ頭公園に来ていた。ここは第八七回以降コスプレエリアとして解放されていてボロボロと流れ出る涙を、強い潮風が拭い去って行く。
美由は罪悪感と後悔でガタガタと震え、寒気を感じてた。
「あたし……酷いこと言っちゃった……翔お兄ちゃん、あんなに……あんなにあたしを愛してくれたのに……あたしは……翔お兄ちゃんに我侭ばっかり言って……あたしは……何もしてあげられなかった!」
すすり泣きながら足早に歩く、美由は誰にも声をかけられたくなかった。どこでもいいから一人で泣ける場所に行きたかった。いや、もう自分の殻に閉じ篭っていっそのこと冷たい海の底に沈んでしまいたかった。
もうこのまま外に出てホテルに帰ろう、後のことはもう妙ちゃんにお願いしようとスマホを取り出した時だった。
「あの……迷子さんの仔猫さんは君?」
恐る恐る声をかけたのは舌足らずな女性の声だった、美由は腫れぼったい顔で振り向くと幼い顔立ちの魔法少女のコスプレイヤーだった。
「ゆめみ……ちゃん?」
「うん、そうよ『ゆめみ☆テイクオフ!』知ってるのかな?」
美由は無言で肯いた。数年前に見たアニメ『ゆめみ☆テイクオフ!』は来る時に乗った航空会社のFEAとアニメ制作会社がコラボして作った魔法少女アニメだ。
二〇一〇年代から作られた重く陰惨で凄惨な魔法少女とは違い、ありふれたものだが懐かしさを感じさせるようで見る人を温かく、優しい気持ちになれるストーリーと、綿密なロケハンを世界各地で行ったことが話題になって放送終了後からも根強い人気があり、ブルーレイボックスが出た時には予約が殺到した程だ。
「ちょっと、そこに座って休まない? さっき君を探してるってメッセージが来たの」
「あ、あの……もしかしてあなたも?」
「そうよ、あたしもエーデルワイス団なの……あちこちに仲間がいるわ」
ゆめみは微笑んでハンカチを差し出すと、見ず知らずの人なのに親切にしてくれることに少し恥ずかしく感じながらベンチに座る。丁度一般参加の人だったが休憩を終えて立ち上がってどこかに行った所だった。
まるで察してくれたかのように。
「それで、君はどうして泣いてたのかなぁ?」
レイヤーさんは少し躊躇った口調で訊く、その口調はゆめみそのものだった。美由がしばらく泣き止むまで待ってくれた。
「あ、あの……どうしてあたしなんかのために……」
「今のあたしはゆめみよ、ゆめみは泣いてる人がいたら……迷わず後先考えずに助けようと声をかけるの……私にできることはない? ってね。それにコミケはみんなで作るイベントよ、困った時はお互い助け合わなきゃ!」
レイヤーさんは可愛らしい笑顔でウィンクする、迷わず後先考えない……まるで妙ちゃんみたいと、美由は少し微笑んだ。
「ああ笑った! やっぱりその顔が一番よ」
レイヤーさんは鷹人の頬を指で突く零のようにプニプニと美由の頬を突いた。なんかちょっと照れ臭いなぁ。
「あたし……去年の今頃……お兄ちゃんを病気で亡くしちゃったんです……最後に言葉を交わした時は酷いこと言っちゃって、あんなにあたしのことを愛してくれたのに……あたしは我侭ばっかり言っちゃって」
「わかるわ、最後に言葉を交わしたのが喧嘩だったなんてね」
レイヤーさんは視線を海のむこうに向ける。
「あたしもね、兄を四月の事件で亡くしたの……亡くなる前日、私に優しくしてくれて高いレストランに連れて行ってくれたのよ。気味が悪いって思いながら素直にありがとうって言ったら、兄は爽やかな笑顔でお安い御用だよって……もしあの時、何かあったのって聞けば助けられたのかもしれない……仕事もしないで意地悪な兄だったけど、大切な家族だったよ。そのお兄さんきっと幸せだったわ……ああっ、これはあくまであたしの考えだから……そのお兄さん優しい人だった?」
レイヤーさんに訊かれて、美由ははっきりと肯いた。
「はい……小さな頃から可愛がってくれていろんな所に連れて行ってくれて、いろんなことを教えてくれたんです」
「なら、その人はきっと幸せだったわ。きっとあなたのこと愛してたし……きっと許してくれるわ」
そうかな? ちょっとわからないと思ってると遠くから呼び声が聞こえた。
「おーい美由ううぅぅぅっ!! どこだあぁぁっ!!」「美由ちゃあああん!!」「真島!! 聞こえてるなら返事してくれっ!! 真島!!」「ねぇ、あれ美由じゃない!?」「本当だ! 美由ちゃん!!」
「みんな?」
美由は立ち上がって呼び声の方へ向くと、レイヤーさんも立ち上がって背伸びした。
「さて、私もそろそろ行くね。冬コミの三日目……この時間帯にいるから、それが叶わなかったら来年夏の三日目、それが駄目なら次の三日目にね」
「はい、ありがとうゆめみちゃん! 必ずここに帰ってくるわ」
「じゃあね! 待ってるわ!」
ゆめみちゃんと約束を交わすと、それぞれ反対方向へと歩いて行った。
「みんな……」
美由はどう言っていいのかわからず、どうしたらいいんだろうと思いながらエーデルワイス団のみんなと真っ直ぐ向き合う。
「よかった……見つかって」
「もういきなりどこ行ってたのよ、心配したのよ」
鷹人と零はホッと胸を撫で下ろし、一輝も苦笑していた。
「全く、買い忘れでもあったのか?」
「よかった、エーデルワイス団のみんなに報告しなきゃね」
和泉は鞄からタブレットを取り出して操作する。一人だけ――妙子は口元をへの字にしていて、美由はみんなに謝る。
「みんな、ごめんね……勝手にどこか行っちゃって」
「美由ちゃんの馬鹿!! あたしを置いてくなんて!! 弱虫!! 美由ちゃんの……馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、馬鹿!! あたしを一人にしないでよ!! 泣きたいならあたしの胸の中で泣いていいんだよ!!」
妙子はぽかぽかと両手で叩くような動作をする。美由はまた涙が込み上げてきた、自分のことをここまで心配し、叱ってくれる友達がいるのが嬉しかった。
「ごめんね、妙ちゃん……みんなも……ごめんね」
美由が謝ると、鷹人はエーデルワイス団一人ずつ目を合わせる。すると一人一人みんなが肯くと、鷹人は真剣な眼差しで言った。
「美由……目を背けず、耳を塞がずに聞いてくれ。翔お兄さんから伝言を預かっている」
「あたしに……だよね」
鷹人が肯くと美由はそれで心臓の鼓動が速まる、わかってはいたけどそれを聞くのがずっと怖かった。
それを聞いたら、本当の意味で翔お兄ちゃんとお別れしなきゃいけないのだ。美由はそれが怖かったが、妙子は真剣な眼差しで小さな体から決して大きくないが、力強い声で言った。
「大丈夫よ、美由ちゃん……あたしと、エーデルワイス団のみんながいるから」
「うん」
美由が肯くと鷹人は兄の死に際の伝言を伝えた。
「僕は、最期の時を美由のために尽くすことができてよかった。彩が死んだ時、僕は既に死んでいた……美由が僕を必要としてると知った時……生きることができた。美由が僕の人生を救ってくれた……だから、幸せだった。美由は僕から卒業して、僕のことは忘れて……自分のために精一杯、生きろ……君のことをずっと心から……愛してる」
わかってた。
わかってたよ、翔お兄ちゃんでもどうして? 最期の時をあたしなんかのために、我侭ばっかり言ってたのに、美由も気が付いたら涙が頬を伝う。
「翔お兄ちゃん、どうして? どうしてあたしなんかのために? お兄ちゃん」
美由は鷹人を通して翔に訊く。
「最期の瞬間、翔お兄さん……満面の笑みで言って、そして逝ったよ。妹を愛さない兄がいるものか……ってね」
それが最期の言葉、そして鷹人を通して翔に最後の言葉を送る。
「翔お兄ちゃん……ごめんね、ありがとう……あたしも、愛してる。だから……だから……うっ……翔お兄ちゃん、さようなら!」
最後の力を振り絞るかのように言い終えると、美由は何かが切れたかのように声を上げて泣き出すと、妙子は黙って美由を力一杯抱き締めた。美由は妙子の胸に身を委ね、精一杯泣きじゃくった。
ありがとう……翔お兄ちゃん。でもごめんね、一つだけ我侭言うね、あたし……翔お兄ちゃんのこと、忘れない。だって世界で一番大好きなお兄ちゃんなんだから。
鷹人も堪え切れずに泣いていた。翔お兄さんの言葉を伝えた時、自分の中にいる翔お兄さんは逝ってしまったような気がした。零はそれを黙ってそばにいて「よしよし」と背中を優しく叩いていた。
「ありがとう……零、少し楽になったよ」
「いいよ、鷹人君が泣き虫なの……知ってるから」
その手がとても温かく感じていた。そうだ、書かないと鷹人はバッカニアにアクセスしてエーデルワイス団にメッセージを送る。
先ほど迷子になったメンバーの女の子、無事に見つかりました。皆さん、本当にご協力ありがとうございました。
すると決して多くないが、まばらな人たちが拍手していた。
そして和泉も泣いていた、何かを悟ったかのようで一輝は心配してハンカチを渡す。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう……恥ずかしいところ見せちゃったね、憧れのお姉さんがこんなので」
「お、俺は……その……」
「わかってたわ、一輝君があたしに仄かな思いを寄せていたって、でもごめんね……あたし翔さん一筋だったの、だけど……失恋しちゃった」
あ~あ、悟られていたのか、一輝は何だか嫌な気はしなかった。最後の夏休みに失恋なんて笑えないが、淡い恋心のうちでよかったのかもしれない、待てよそれじゃあ。
「翔さん……美由ちゃんを選んだのよ」
「翔さん、シスコンだったんですね」
「きっと翔さん、開き直って笑うとおもうよ」
和泉は涙を拭いながら微笑むと、不思議と一輝も思わず笑みを浮かべた。
「みんな、ごめんね。最後の時間……あたしのために使っちゃって」
時計を見ると午後三時前だった、あと一時間だ。するとあの後合流した達成は力強く言い放った。
「何を言ってる! こう考えるんだ、まだ一時間もある! 思わぬ宝を見つける、それもコミケの楽しみ方だ!」
そういう考え方もあるのか、鷹人は素直に感心すると賛同した。
「まだ一時間もある……美由!」
「うん、みんな! あと一時間もあるわ、これから再度分散して一六時になったらエントランスホールに集合!」
美由の言葉で再び解散し、零と手を繋いで東ホールへ向かった。
「流石にもう、帰ってるサークルさんの方が多いわね」
「いや、残り物には福があるって言うからね、案外いいものが見つかるかも!」
「鷹人君の大好きな清楚系黒髪ロング巨乳のエッチ本、他にもまだあるかもね」
零はニヤけて茶化すと鷹人は頬を赤くして言う、何も言えなかったがこの三日間鷹人の好きなものを知られてしまった、逆に買いやすいと言えるだろう。
「まだだ! まだ、終わってない! まだ終わらない! いいや、終わらせない!」
鷹人は時計を見るたびに自分に、零に言い聞かせた。時間は容赦なく閉幕の時間へと向かっていく、そのたびに「まだ終わってない、まだ終わらない!」と言い放ち、残り一〇分を切ってもまだ何分もあると言い放った。
やがてアナウンスを告げる電子音、メロディが鳴り響き、各所で拍手が鳴り響く。
『これを持ちましてコミックマーケットXXを終了します! 皆様、お疲れ様でした。また冬にお会いしましょう!!』
鷹人は拍手しながら、終わったとある種の安堵感を感じながら胸を撫で下ろした。
「終わっちゃった、楽しかったわね鷹人君」
「うん、零がそう言ってくれると僕も嬉しいよ」
鷹人は零と微笑を交わし、みんなと合流した。
「これで……コミケも終わりね」
零の言葉がみんなの間に重く圧し掛かるが、妙子はいつものように明るい口調で呑気に言う。
「ええでも、冬があるしそれに帰り着くまでがコミケよ」
「ありふれた言葉ね、それに……また、みんなで冬に行けばいいじゃない! 冬が駄目なら、来年の夏、それが駄目なら次に行けばいい!」
和泉はそう微笑む、鷹人にはそれが儚く悲しい笑顔に見えた。すると一輝も背を伸ばしながて満足げに言う。
「そうさ、また行けばいいさ! 楽しかったぜ!」
「あの、三上さん……ありがとうございました。達成君のこと本当に良くしてくれて」
夏那美は満面の笑みで言うと、達成は照れ臭そうな顔になる。
「な……お礼は僕が言わないと意味ないよ、でもまだその時じゃないさ。それよりみんな、あれ見てよ!」
達成の指差す先には変な人たちがいた。
「さあ皆さーんコミケお疲れ様でしたーここから先は現実でーす!」「学生の皆さーん、夏休みの宿題は終わりましたか? 社会人の皆さーん明日からは、お・し・ご・とでーす良いお仕事ライフを!」「写真を撮るのは構いませんが、帰る人たちの邪魔にならないように配慮をお願いしまーす!」「現実は辛いかもしれませんが、私は明日東京観光行ってきます」
帰り行く人たちを待ち構えてた四人組はそれぞれ「←」「現」「実」のプラカードを掲げた男が三人、残りの一人は「悲報:俺たちエーデルワイス団だから明日も夏休み」と書かれたスケッチブックを持った男がいた。
鷹人は思わず苦笑する。やっぱり今回も現れたか、現実! 鷹人は零と目を合わせると彼女も微笑んで肯き、手を繋いで近づいてスマホを取り出し、大声で叫んだ。
「すいません撮っていいですか!」
「どうぞどうぞ、何ならツィッターやバッカニアに上げてもいいですよ!」
「←」さんがノリノリで肯くと、鷹人は丁度ライフルを撃つ時の膝射の姿勢でスマホで撮ると、零もスマホを構えて撮りながら言い放つ。
「あの、私たちもエーデルワイス団でーす!」
「おお、仲間! そういえば迷子さんも見つかってよかったですね!」
スケッチブックの男が嬉しそうに言うと、鷹人はお礼を言うことにした。
「はい、僕の仲間です! 本当にありがとうございました!」
すると数人の人が拍手した、ありがとうみんな! すると「現」さんがプラカードを振りながら零に言ってきた。
「ねぇエーデルワイス団の彼女さん、後で俺と渋谷で打ち上げしない!?」
こやつめ、ナンパかよ! 鷹人は笑いながら眉間に皺寄せた。
「ごめんなさーい、私この夏休みに彼氏ができて一緒に来てまーす!」
「ちっく生!! リア充爆発しろ!! そしてお幸せに!!」
「でもこの彼氏ったら、私の目の前で黒髪ロング巨乳のエッチな薄い本を沢山買い漁ってました!! 下心と趣味が見え見えのおっぱい星人でちょっと引いちゃいました!」
零の大声で鷹人は凍り付き、一斉に笑い声で満たされる。奇妙な一体感だった、すると「実」さんが気を遣ったのかこんなこと言いだす。
「大丈夫、彼氏さんは健康優良な男の子だ!! だから彼女さん、安心して!!」
「実」さんはそう言って力強くサムズアップしてウィンクした、再び笑い声が響いて鷹人は恥ずかしい気分になった。




