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最後の夏のエーデルワイス  作者: 尾久出麒次郎
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第一〇話、その1

 第一〇話、最後の夏の大決戦。(後編)


 あの日、美由が出て行った後、鷹人は翔お兄さんに熱いアッサムティーを淹れた。

「美味しく淹れるようにようなったな、鷹人君……これで僕も安心だ」

「翔お兄さん……やっぱり今でも彩さんのこと愛してるんですか?」

「はっはっはっ当然だ。愚問にも程があるぞ鷹人君」

 翔お兄さんはやつれた笑顔でアッサムティーを口に運ぶ、そしてゆっくりとアッサムティーの入ったカップを置き、思い出話しを始めた。

「高校二年の文化祭の日、僕の両親が美由を学校に連れてきたんだ」

 翔お兄さんが学校の話をするのは珍しいと、鷹人は手を止めて傾聴する。

「クラスに一歳の美由を連れた両親がやってくると、あっという間に人だかりができたんだ……僕は恥ずかしくて不機嫌を装っていたよ」

 翔お兄さんは苦笑しながら首を横に振る。

「それでクラスメイトの綾瀬――君の担任、玲子先生が小さい美由を抱っこしたら泣き出してね。おふくろがあやしても泣き止まなかったんだ。そんな時、彩が美由を抱いてあやすと不思議なことに泣き止んだんだよ……あれは本当にみんな不思議な出来事だと言ってた……それから、美由は彩に懐いて、彩も美由を可愛がっていた」

 翔お兄さんの言う通り、彩さんは美由を実の妹のように可愛がり、伯母さんも彩に感謝していた。

「いや、ずっと成長を見守り、姉のように接した。一緒に遊び相手したりして、育児を手伝っていた。もしかすると愛していたのかもしれない。あんなに手厚く幼い美由を世話してたのにおふくろは『生きてればまたいい人に会えるって』……僕は許せなかった。彩の代わりなんていくらでもいるような言い草だった、だから僕は……見限って海外を彷徨った、まるで亡霊のようにね」

 翔お兄さんは彩さんが死んだ後、まるでゾンビのような抜殻となって自衛隊を退官して蒸発、その間は傭兵として世界中の紛争地帯を渡り歩いたという。

「転機が訪れたのは二年前……親父からだった。美由が学校でいじめられてると訊いてね、病気が見つかったのもその頃だ。おまけにかなり進んでいてね……入院生活してたら美由を救えない……なぜなら青春と言うのは一度切りだから……選択の余地はなかった。僕と彩が愛した美由を強い子にするのが、最期の任務だと思ってる」

 翔お兄さんはアッサムティーを飲み干し、カップにテーブルを置こうとした時だった。

 急に手の力が抜けたかのように、カップが手から零れ落ちて床に叩きつけられて砕け散った。


 そして翔お兄さんはその日の夕方、太陽が沈むと同時に息を引き取った。



 そして最後の日が訪れる。


 今日はコミケ最終日、今日も猛暑で蝉が鳴き、ビッグサイト前で鷹人ははぐれないように零と手を繋ぎ、開場まで五分を切っていた。

 この三日間ですっかり友情を育んだ達成と一輝は気合十分だった。

「いい一輝、買う決めた時は恥ずかしがらずに堂々と下さいと言うんだ!!」

「ああ、ありがとう達成。俺はもう……躊躇わないぜ!」

「その意気だよ、もし買えなくても落ち込まないで! その悔しさが、次のコミケに繋がるんだから!」

「なるほど、テニスやってた時みたいに次は負けないっていうのと同じだな! おっしゃあ行くぜ!」

 一輝と達成は拳をぶつけ合う、それに和泉は微笑む。

「なんか一輝君と市来君、すっかり仲良くなっちゃったね」

「ええ、私以外の人とあんなに楽しそうに会話してるの見るの初めてです。ちょっと妬いちゃいますけどね」

 夏那美も苦笑してる様子だった。その後ろにいる妙子と美由は昨日と一昨日、慣れた様子でリラックスしてたが、今日は緊張気味になっていた。

「さあ妙ちゃん、泣いても笑ってもこれが最後よ!」

「うんうん、三日目も沢山薄い本買い漁るわよ!!」

 妙子も拳を握り締めてるが今日は男性向け、つまり言わずもがなの日だぞ。何を買うつもりだと思いながら振り向き、妙子と目が合う。すると、任せろと言わんばかりに精悍な笑みを浮かべて肯いた。

 前に向き直ると零は耳元で囁いた。

「なんて?」

「任せろだってさ、後は美由次第だ」

「そうね、私も翔お兄さんに助けてもらったから……最期の言葉を知りたいわ」

 零の言う通り、鷹人は知っている。翔お兄さんは死ぬ間際に残した言葉、美由に残したメッセージだ。今まで何度もチャンスはあったが、無意識に、意図的に逃して先延ばしにしていた。

 でももう、これが最後のチャンス、八月も後半に差し掛かっているのだ。そしてアナウンスを告げる電子音、メロディが鳴り響き、鷹人の心は高揚して大きく手を叩く。

『ただいまよりコミックマーケットXX三日目を開催します!』

 さあ、これが最後の大決戦だ! 悔いなく楽しもう。

 少しの間、待つと列が動き出して一日、二日目の時のように零と鷹人、一輝と和泉、妙子と美由、達成と夏那美のペアで分散して行動開始した。


 鷹人は最初の壁サークルに向かう、三日目ということもあってか大柄なポスターサイズのエッチなイラストが見られ、零は頬を赤くしながらも周囲を見回す。

「三日目って……こういう日なんだね」

「だから一輝と市来君はあんなに気合を入れてたんだよ」

 鷹人は恥ずかしげに言うと、零は鷹人をおちょくる時のニヤけた顔になる。ヤバイ予感がしてきた。

「ふぅ~ん、それじゃあ鷹人君もそういうの目当てなんだ」

「ここから分散して単独行動にする?」

「ついていくわ。鷹人君、どんなのが好きかシ・リ・タ・イ・ナ」

「うう……」

「モジモジ恥ずかしがらなくていいのよぉ、鷹人君健康なオ・ト・コ・ノ・コだからね」

 鷹人はやかんのように水蒸気を噴き出し、爆発しそうだった。ここで買い控えなんかしたら絶対に悔いが残る、今年のコミケは二度とないんだ。

 呼吸を整えて冷静に状況を受け入れる。そしてきっと零はわかってくれるという、現実的思考と楽観的思考を両立させた。

「そこまで知りたいなら、見せてやるよ! 本当の俺をな!!」

「ええっ!? 鷹人君、そんなかっこいい顔で言っても――」

 零が言い終わる前に鷹人は問答無用で零の手を掴んで手繰り寄せると、人の流れに乗ってサークルへ向かう。

「ちょ、な、何この、人口密度!? 一日目二日目より多くない!?」

「これで平常運転だよ、三日目はね!」

「そ、そうなの!? うわぁぁああっ!!」

 絶対に離すもんか! コミケで一度はぐれたら合流は絶望的だ。鷹人は零を引っ張ってなんとか外に出ると最初のサークルに並ぶ、そして鷹人は手際良く薄い本を買って人の隙間を縫って列を離れる。

「ふぅわぁ、やっぱりシャッターのサークルさんは買うのも大変だけど、抜け出すのも大変ね……因みにどんなのだったかなぁ?」

 零もたった今鷹人が手に入れた同人誌をちゃっかり購入していた。

「ちょ――零、それは」

「あら大丈夫よ、私も一八歳だから……鷹人君、こういうの好きなんだ」

 中身は頬を赤らめながらもニヤけながらジーッと見つめると、鷹人はある種のゾクゾクするような快感に似たものを感じながら、急かした。

「さ、先を急ぐよ!! 見るのは終わってからで遅くないから!」

「あらあら、私におちょくられるのは終わってからってことね」

 零はニヤニヤしながら同人誌を布袋に入れた。終わってからどんな風に弄られるのかと思うと、鷹人は変な性癖に目覚めてしまいそうだ。

 だが変な性癖に目覚めてしまうのは零の方だった。次の壁サークルで同人誌を買うと零も可愛らしいという理由で買った。

「さてさて今度はどんなの買ったのかな?」

 零はドキドキした様子で今買った同人誌を捲った瞬間、動脈を切り裂かれたかのように盛大に鼻血を噴出した。

「やだもうぅ……お、女の子同士で……」

 デヘヘとした表情でティッシュを取り出して鼻を拭う、どうやら百合ものがドストライクらしい、それなら予定を変更しよう。

「零、それは百合っていうジャンルだ。これから回る島中サークル、百合だけど行ってみる?」

「ほ、本当なのそれ!?」

「ま、まぁね」

 まさかここまで食い付くとは!? 零は完全に獲物を射程圏内に捕らえた猛獣のような目になっていた。

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