第九話、その2
それは一周忌を終え、鷹人の実家のリビングで親戚一同集まり美由の両親が卒業したら、マンションを売ると話しを切り出した時だった。
「そんなの! あたし絶対認めないわ! 売りたいなら翔お兄ちゃんに言ってよ!」
「でも美由、翔はもういないんだぞ。あの広い部屋を女の子一人で暮らすなんて、それよりも東京に帰って一緒に暮らそう。大学進学するなら東京の方がいい、成績もいいしもったいないぞ」
伯父さんがなだめるように言うが、それが逆に火に油を注ぐようなことになってしまい、美由は怒鳴り散らす。
「どうして東京に戻らなきゃいけないのよ!! あんな所、遊ぶだけで十分だわ!! あたしは熊本の大学に行く!!」
「美由……翔だって心配してるわよ」
伯母さんの言葉で美由は仔猫から、怒り狂った手負いの野良猫のような顔に豹変して熱いお茶が入った湯呑みを掴み、それを伯母さんのすぐ横の壁に叩き付け、砕ける。
「勝手なこと言わないで!! 彩さんが死んだ時、お母さんなんて言ったか覚えてる!? 生きてればまた素敵な人に会えるって、それで翔お兄ちゃん。お母さんのこともう二度と親だなんて思わないって!! あたしのことをいくらでも罵っていいわ!! でも、翔お兄ちゃんの気持ちを言える人はもうこの世にはいないのよ!! だからあたし、あの部屋は売らない!!」
美由の瞳には怒りと悲しみ、憎しみの炎がメラメラと燃え、その視線を周囲の親戚にも向けた。
「大人たちはみんなそうよ!! 翔お兄ちゃん、カナちゃんや山森君が苦しみ抜いて死んだ時も、気持ちもわからないくせに綺麗事だけを並べて、あんたたちは綺麗事で踏み躙ったのよ!! あたし、もう帰る、二度と顔も見たくない!!」
そう言って美由は実家を飛び出し、和泉さんと二人で謝って先に帰った。
「綺麗事で踏み躙った……か」
「どうしたの鷹人君、動き出したよ」
零にポンと肩を叩かれ、顔を上げると列が動き出した。さあ、いよいよ最後の大決戦が始まる、エーデルワイス団最大の試練の時かもしれない。
丁度逆三角の真下であるエントランスプラザを経て会議棟一階で別れて散開する、中は外よりマシとはいえ濃厚な人口密度で蒸し暑かった。
鷹人は零と二人で行動し、北コンコースブリッジで一度列は止まると、緊張の時が流れる、初参加の零も肌で感じたのか緊張してる表情だった。
そしてアナウンスを告げる電子音、メロディが鳴り響き、鷹人の心は高揚して大きく手を叩く。
『ただいまよりコミックマーケットXX一日目を開催します』
ここにいる参加者はみんなきっとこう思ってるだろう、最後の三日間を悔いなく楽しもうと。鷹人はこの時気付かなかったが清々しく、凛々しく、爽やかな顔で言って手を握ったのだ。
「行くよ零! 僕から離れないでね」
「う、うん、離さないでね」
零は照れ臭そうな顔をして肯くと、ガレリアから東1・2・3ホールに入ると高濃度の人口密度と東ホールの広さに零は目を見開き、口を「あっ」と驚きの表情を浮かべた。
「うわぁ、凄い! これ全部同人誌とか作ってるサークルさん?」
「ああ、本のみならずグッズや雑貨、音楽CDやPCゲーム、とにかくなんでもありさ」
初参加の零を考慮して人ごみを避けるコースを取り、最初のサークル――壁サークルだがすぐに買えた。中身は全年齢なので零にも見せてみた。
「うわぁ、可愛い絵ねきわどいけど――」
ページを捲った瞬間、思いっ切り鼻血を噴出した。
「れ、零! 大丈夫!?」
「や、やだもう……お、女の子同士でキスなんて」
零は鼻血を垂らし、顔を真っ赤にしながらもティッシュで拭いた。今の漫画家さんのサークル、百合漫画描いてる人のだったから不味かったか。
「せ、戦利品は帰ってから見よう! それからでも遅くないから」
「う、うん。ちょっと見ちゃいけないもの見たような気がしたけど、見てよかった!」
鷹人は謎の罪悪感を感じながら次のサークルへと向かうと、零は何かに気付いた。
「あれ、あの絵柄……どこかで見たことがある」
「寄って行く?」
立ち止まった零に鷹人は寄り道して、島中お誕生日席のサークルさんに来ると零は年配の女性に声をかけた。
「あ、あの……見ていいですか?」
「はいどうぞ」
零は真剣な表情で薄い本を取り、ページを捲る。鷹人はその横顔をジッと見守ってると零は女性に訊いた。
「あ、あの……えっと、失礼ですが……もしかして」
「はい、夏風風鈴です」
「ええっ!? な……夏風先生……あ、あの私小さい頃からこの『空賊と飛行機とお姫様』読んでます!」
「あら、ありがとうございます、いかがですか?」
「えっと……全部一冊ずつ下さい!」
「はい、全部で二五〇〇円になります」
「あ、ありがとうございます。でも、どうしてここに?」
零は興奮しながらも首を傾げると、鷹人は表情を引き攣らせて答える。
「普通にプロの人も参加してるよ、このイベント。さっきのサークルさんも、プロのイラストレーターさんだったんだ」
「ここは趣味でやってる人もいればプロの人も参加してるわ、あたしはコミケでスカウトされてプロになったのよ。あっ、戦闘機や飛行船、銃とかは夫が描いてるわ」
確かに同人誌に描かれてる戦闘機、空中空母型飛行船等のメカニックは緻密でよほどの人が描いたに違いない。
「あ、あの私……初恋の人が、ラインハルト・フォン・メルダース大尉なんです。敵ながら凄くかっこよくて小学生の時に一二巻で戦死した時は一晩中泣いちゃいました」
「ああメルダース大尉ね、彼が死んだ時ファンレターが沢山届いたわ。どうしてメルダース大尉を死なせちゃったの? ってね」
夏風先生は懐かしそうに話す、零は握手してサークルを後にするまで、しばらくの間話しに熱が入り、鷹人は肯きながら話を聞きながら回る。
「よかったコミケに来て、ねぇ鷹人君! 帰ったら『空賊と飛行機とお姫様』貸してあげるわ。飛行機好きな鷹人君も気に入るよ! 少女漫画だけど主人公のお姫様――ソニア姫は可憐で世間知らずだけど芯は凄く強いの、ある日両親から政略結婚のために育てられたと知ったソニア姫は一人お城を出て旅に出た……そして飛行船に乗ってその中でお城の兵士に見つかって連れ戻されそうになった時――」
その頃、達成に案内されながら一輝は和泉と回っていた。行くサークルも少なく達成の言う島中を回ると、西館駐車場外周部を回ってコスプレエリアに到着。一輝は辺りを見回しながらここも人の多さに圧倒された。
「ここがコスプレエリア……みんな凄いな」
「うん、今日はまだ狭い方だよ。あそこ――企業ブースに並んでる人がいるから、三~四時間は並ぶね。列の捌き具合にもよるけど」
達成の言葉で一輝は随分物好きな人たちだと思ってると、今度は和泉が分厚いカタログを広げ、素朴な疑問を投げかける。
「企業ブースっていろんなゲーム会社や出版社、アニメ制作会社とかが出展してるんだよね? あんな長蛇の列が沢山あるとトラブルとか起きないの?」
達成は大きく溜息吐いて話す。
「はぁ……トラブル満載だよ、許容範囲を超過して列がグチャグチャになったり、開場後に並んで閉会後まで買えなかったり、何より許せないのは一部の心無い人たち――会場で前夜から待つ徹夜組。本来サークルさんが入るためのサークルチケットを使って開場前に並ぶチケ組。おまけに限定品を大量に買ってオークションサイトに売り出す転売屋……数えたらキリがない……おまけにイベントが一般にも知られてきたせいかな? ここに来る自分のことをお客さんだと思ってる人がいてね……」
「なぁ、スタッフもコスプレしてるけどいいのかあれ?」
一輝の視線の先にはスタッフの帽子を被り、アニメの美少女キャラのコスプレをしたスタッフがいる。
「そうでもしないとやってられないからね。ボランティアだし」
「ええっ!? ボランティアなの!? あたし広告代理店の仕事でこういう屋外イベントスタッフの仕事してたけど死ぬほどキツくて、熱中症で倒れる同僚もいたわ……あまり思い出したくないけど」
和泉は首を横に振りながら眉を顰めた表情になる。そうだせっかくだから、と一輝スマホを取り出して、魔法少女のコスプレしたスタッフに近づいて声をかけた。
「あの、すいません撮ってもいいですか?」
「はい、いいですよ」
にこやかに肯いてくれたコスプレイヤー、だが一輝は凍りついた。声がやけに低く、完全に成人男性の声だった。
「あの……失礼ですが、男の人ですか?」
「ええ、そうです。女装してる方沢山いますよ、逆のパターンもあります」
一輝は思わず凝視するどっからどう見ても女だ、声を出さない限り気付かないだろうと思いながら何枚か撮った。
「ありがとうございました!」
お礼を言って達成と和泉の所に戻ると、和泉も飛行服を着た美少年キャラのコスプレイヤーに驚いていた。
「えっ!? 女性の方なんですか!?」
「はい、このためにわざわざ髪切りました。私『空賊と飛行機とお姫様』が好きで特に主人公のロルフが好きなんですよ」
「姉妹で大ファンなんです。一二巻が発売されたその夜、妹が一晩中泣いてました」
「ああ、メルダース大尉の戦死エピソード……敵ながらかっこよかったですね。もう七年にもなるんですね……読んだことあります?」
和泉はコスプレイヤーと話しに耽っている、達成も隣のコスプレイヤーを撮影していてみんな楽しそう、いい顔してるな……そう思いながら口元を緩めてる時だった。
「えっ? あ、あのちょっ――あの、すいません、俺おわぁああああっ!!」
一輝は人の波に流され、気がついた時には達成、和泉とはぐれてしまった。
「こ……ここ、どこ?」
気が付いた時、一輝は和泉に電話をかけようとしたが、繋がらなかった。
しかたない、合流が不可能な時は品川駅で会おうと言ってたからいいか、楽しもう! 迷子を。
「あれ? 一輝君は?」
「いない……まあはぐれた時は品川で合流しようって言いましたから大丈夫ですよ」
和泉は一輝がいないことに気付くと、達成は呑気に言った。
みんなとの合流は一七時三〇分頃、品川駅の高輪口と決めていた。一日目が終わり、閉会すると会場を後にして品川駅に戻る。一七時少し前で品川駅中央改札を通って高輪口に通じるエスカレーターを降りる。
「一日目、何事もなくてよかったね妙ちゃん」
「うん、でも今日の美由ちゃんいつもなら考えられない顔が見れたわ。積極的に困ってる人を助けたり、話しかけたりしてさ」
妙子は今日のことを思い出しながら笑みを浮かべて言うと、美由は照れ臭そうに俯いた。美由とコミケに来るのは初めてだが、まさかあんなにみんなを纏めたり、一輝君を叱ったりするとは思わなかった。
妙子も一人で来たことがあるが、こんな気持ちは単独参加では味わえないだろう。すっかり二人に懐いた夏那美も興味津々で訊いた。
「真島さんは普段大人しい方なんですか?」
「うん、美由ちゃんエーデルワイス団の中では一番大人しい方なのよ。ね、美由ちゃん」
美由は俯いたままだ。エスカレーターを降りて高輪口に出ると一輝が一人、解散時は達成君と和泉さんと一緒だったからはぐれたのかもしれない。妙子はちょこちょこと仔犬のように駆け寄り、にひひっとした顔で言った。
「お疲れ三上君、はぐれたでしょ?」
「ほっとけ!!」
図星らしく、一輝は恥ずかしげに顔を背ける。
しばらくすると、和泉と達成が到着した。達成は戦利品を満載した、右腕に大手サークルの紙袋、左腕に自前の布袋をかけて満足げな笑顔で手を振った。
「やぁみんな、お待たせ!」
「みんなお疲れ、疲れた……でも楽しかった、みんな凄かったよ!」
和泉も満足げに爽やかな汗を拭く、一輝はジッと見ていて暑さなのかそれともツボなのかほのかに顔が赤いようにも、見える。
「あとは鷹お兄ちゃんと零ちゃんね。ちゃんと真っ直ぐ帰ってきてるかな?」
美由は少し心配そうに言うと、零と鷹人が帰ってきた。流石経験者である鷹人の表情は晴れやかで、お目当ての物を手に入ったのかもそれない。
「みんな、ごめん遅くなって! 水上バスに乗って帰ってきたから遅くなった!」
「疲れた……水上バス降りたら浜松町まであんなに歩くなんて」
「でも楽しかったでしょ? 夏風風鈴さんに会えて」
「うん。お姉ちゃん、『空賊と飛行機とお姫様』の作者に会ってきたよ」
零は誇らしげなに大きな胸を張ると、和泉は一瞬固まって驚愕する。
「ええっ!? 本当に来てたの!?」
「うん、ほらこれ出してたわ」
零は鞄から戦利品の同人誌を五冊取り出して、和泉に渡すと目を輝かせながらページを捲る。
「ええ凄い! 会いたかった!」
「これでみんな揃ったね。ホテルに帰ろ、六時になったらフロントに集合して夕食に行こう! 食べ終わったら早めに寝て明日に備えてね」
美由はみんなに目を配って言う。妙子は思わず口元が緩んだ、なんだか美由ちゃんの方がリーダーに向いてるのかも?
一日目はトラブルなく終わり、二日目を迎えた。




