第八話、その3
空港の保安検査場を抜けて零と手を繋いで四番搭乗口に向かう、搭乗口には待ちわびる人たちで溢れ、席が足りずに立ったまま待っている人も多くいる。一輝は首を横に振った。
「人多いなぁ、空いてるところがないぞ」
「でも……みんないい顔してるわ。あの中にどれくらいいるのかしらね?」
和泉はサングラス越し感慨深そうな目で見回す、鷹人もよく見ると自分と同年代――上は大学生くらいで下は小学校高学年の子達が家族や友達、恋人と、楽しそうに話しながら待っている。
零は何気なく口する。
「ねぇ鷹人君、あの中にさ……この夏の私たちみたいに恋を成就させた人たちってどれくらいいるのかな?」
「それはわからない……けど、みんな最後の日まで幸せにいて欲しい、今しかない今を」
「そうね、おっ。夏那美ちゃんもう彼氏と空港に来たんだって、早くないかな?」
「きっと彼氏さんは飛行機が好きなんだよ、今空港のどこにいるって?」
「聞いてみるね」
零はスマートフォンを操作すると、すぐに返事が来た。
「えっと国際線ターミナルにいて、降りて来た飛行機にはしゃいでるってあっ、写真も来てる。この飛行機だって」
零のスマートフォンの画面を見ると、鷹人は「おおーっ」と唸った。画像にはターミナルに駐機されてるドイツのアイゼンフォーゲル航空ボーイング747-8だ、エアバスA380と並んで今時珍しい四発エンジンの大型機だった。
「僕もこの飛行機好きなんだよ、会ってみたいな彼氏さんに」
「どんな人なんだろうね」
零は微笑みながら言った。鷹人は零と手を繋いで歩き、前面ガラス張りのウィンドウに近づいて細長い777-300を間近で見ると、すぐ隣に立っていた女性が呟いた。
「受験生にも関わらずみんなで夏休みに旅行なんて、褒められたものじゃないわね」
鷹人は瞬間的に反応した、まさかこの日に行くなんて。僅かな可能性はあったが今日この日、しかも同じ便に乗るまでは夢にも思わなかった。
「思ってた通りね桐谷君、川に飛び降りて生きてるなんてさすがだわ」
「玲子先生……この飛行機に乗るんですか?」
「そうよ、これから高校時代の友達に会って探すのよ。そしてエーデルワイス団の正体を明らかにするわ」
玲子先生は鷹人に体を向ける。冷たい笑みを浮かべ、その目は疲れて憔悴し切っているようにも見えた、鷹人は反射的に零を庇うように前に出る。
「桐谷君、エーデルワイス団のおかげで社会がどれだけ迷惑を被ってるのかわかる? 学生たちが就職活動を放棄して企業にはインターンシップに来ない、就職フェアやセミナーには数えるくらいしか来ない……進学塾には夏期講習や受験勉強をやめてどこも遊んでる学生で溢れかえってる……それに大人たちはどう思ってると思う? 大迷惑よ、こっちは毎日職員会議でしっちゃかめっちゃかよ……」
玲子先生は苛立ちを秘めた口調でゆっくりと歩み寄ってくる、その目は疲れ切っているようにも見える。鷹人は構えると、玲子先生は悲しげな笑みを浮かべた。
「だんだん、真島君に似てきたわね……でもそんな眼差し今は嫌いよ。今日のこと……帰ったらご両親や先生にも報告してたっぷり指導してあげるわ」
次の瞬間、恐るべきスピードで間合いを詰められて構えを崩された! が、すぐに翻して逆に投げ技をかけるが華麗に受身を取って立て直した。
「先生に投げ技かけるなんて、あなただけじゃなく一緒に来てる子たちの処罰を検討した方がいいわね」
「くっ! 俺だけ十分じゃないですか!?」
汚い! 大人はいつもそうだ! 鷹人は担任の先生を初めて憎悪の目で向けた。
「そんなことしたらあなた、暴れるでしょ? 誰がエーデルワイス団のメンバーでどの団にいるか、こちらはもう押さえてるわ。新学期になったら……一斉指導にかかるから、厳しい処罰を覚悟しなさい!」
さっきよりも速いスピード、いや違う鷹人は今でも心のどこかで思ってるのだ。
世界は終わらず、いつも通りの新学期を迎えてエーデルワイス団は解散する。それがあるべきはずのにそれを恐れていて、あの噂は本当なのだと信じ込んでいた。
鷹人は攻めようとするがどうしても躊躇ってしまい、本来の力が出せない。体が言ってるのだ、この人の言うことは正しいのだと。
搭乗口はたちまちギャラリーで溢れ、撮影する人もいた。この中にどれくらいエーデルワイス団がいて、どれくらいの人がエーデルワイス団を快く思ってないんだろう?
躊躇いを断ち切れず、たちまち組み合ったまま動かなくなって一度間合いを取る。ほぼ互角だった、玲子先生は笑みを浮かべながら言った。
「やるわね、一ついいこと教えてあげるわ。エーデルワイス団の名付け親はあなたの従兄、真島翔君よ」
えっ? そんな、どういうことだ? 翔は目を丸くしてたちまち無防備になると玲子先生の攻撃が直撃――寸前で止められた。最初は空港の警備スタッフかと思ったが、和泉だった。
「和泉さん? ここで何してるの?」
「鷹人君たちの引率よ」
和泉が単刀直入に言うと、玲子先生は目をキッと尖らせて相手を和泉にシフトしたが圧倒的な玲子先生の攻撃を一瞬で全て受け流し、腹部に拳を叩き込んだ。
「あたしの方が上よ、あなたは翔さんの動きを見よう見真似で覚えただろうけど……あたしは直に教わったわ」
「くっ、和泉さん……あなた、エーデルワイス団の味方するつもり?」
「ええ……あなたとは……今度も敵対することになったわ」
去年の夏、玲子先生と和泉さんは泥沼の争いを繰り広げていた。自殺した同級生の中沢舞さんは玲子先生に後押しされて翔お兄さんと再婚するために来たが、翔お兄さんのことが好きになった和泉さんは舞さんと玲子先生と水面下で泥沼の争いを繰り広げていた。
結局は舞さんは自殺し、翔お兄さんは誰も選ぶことなくこの世を去った。
「本当なんですか!? 翔お兄ちゃんが……エーデルワイス団を作ったって!」
美由の言葉が大きく響いた、美由の目は玲子先生に真っ直ぐ向いている。搭乗口で待ってる人たちがざわつくが、ひそひそ話しをしてる人たちはみんな若い人たちで、恐らくはこの中にエーデルワイス団がいるのかもしれない。
「いいわ、話してあげる。和泉さんEの44よ。機内で席を変わってくれる?」
「ええ、そろそろ知ってもいい頃だと思うわ」
和泉は快く肯いてるようにも見えた。
和泉さんと玲子先生はボーディングブリッジで座席を交換し、777-300の機内に入ると機体後部の右窓側の席を零に譲ってその隣に座る、左隣に一輝が座ってその前の席に美由、隣に妙子、窓側に玲子先生が座った。
『皆様、ステラアライアンス・メンバー、FEA東京行き六四三便を御利用いただきましてありがとうございます。この飛行機はFEAとステラアライアンス・パートナーとのコードシェア便でございます。機長は堀川、チーフパーサーは永谷でございます、御用がありましたら遠慮なく客室乗務員にお知らせください――』
機内アナウンスが流れ、鷹人はシートベルトを慣れた手つきで締めた。
プッシュバックで機体が動き出し、ターミナルを離れると窓の外には地上スタッフが笑顔で手を振っている。あそこにいる人たちはエーデルワイス団のことをどう思ってるんだろう?
やがて六四三便は離陸して旋回、モクモクと煙を噴く阿蘇山を見下すコースを飛んでやがて水平飛行に入り『ポーン、ポーン』とベルト着用サインが消えた。
「そろそろ話すわね。真島君の高校時代を」
前の席で玲子先生は話し始めた。
もう二〇年近くも前になるのねぇ……。
細高に入学した時、今の理事長先生に変わるまで校則は今では考えられないくらい厳しかったって話し、聞いたことあるわよね? 男女交際禁止に休日は私用外出時も制服、頻繁な持ち物検査に休日は繁華街でボランティアの方たちと見回り……昭和の時代に取り残された学校だったわ。
あの時は入る学校間違えたって思った。それでも、先生たちの目を掻い潜って友達と遊んだりしてそれなりに楽しんでたわ……クラスメイトの真島君は他のクラスメイトとは付かず離れずで、昼休みは柴谷太一君、クラスのリーダー役でジャニーズにいるイケメンアイドルみたいで独特の感性を持ってたわ。
最初は、彼と二人で食べてたけど……連休明けに二人の女子生徒と食べて四人グループになってた。
これには私を含めてみんな驚いてたわ。
クラスの人気者の柴谷太一君。何を考えてるのかわからない真島翔君。無愛想で無配慮で口の悪く、孤立してた中沢舞さん。そして誰もが羨むほど美人だった神代彩さん。
以来、体育祭の日も、文化祭の日も、修学旅行の日も一緒に行動してたわ。
そうそう、二年生の文化祭時、真島君の両親が来てたの。その時小さな妹さんをベビーカーに乗せてね。
そう、あなたのことよ……真島さんとても可愛かったわ。当時はまだ小さくて、抱っこしたらたちまち泣き出すのよ。でもね、神代さんが「よしよし」ってすると泣き止んじゃってみんな驚いてた。
先生たちに一泡吹かせようって中沢さんが言ったら、真島君ベビーカーごとあなたを連れ去って僕と彩の子どもですって、言ったらたちまち大騒ぎだったわよ。
高森先生も流石に苦笑いしてた、妹さんに免じて今日は大目に見ますって。
後でわかったんだけど柴谷君と中沢さん、幼馴染で二年生の春に付き合い始め、遅れて三年生の夏に真島君と神代さんは付き合い始めた。
いろんな人から聞いたんだけど、学校の外で四人はいろんな所に出かけていたんだって……三年生の夏休みでもそれは変わらなかったわ。
旧交通センターで遠くに行くバスに乗るところを見たとか。
お盆の空港ターミナルで大阪行きの飛行機に乗るのを待ってたら、別の搭乗口で東京行きの飛行機に乗るところを見たとか。
大阪のテーマパークや東京のイベント会場で四人を見たとか……とにかく色んな所に行ったらしいわ。
四人を快く思わない人たちも大勢いた、先生たちを含めてね……他の生徒たちと手を組んで四人を陥れて、バラバラにしてやろうとしたわ……何度もね。私も神代さんに対する嫉妬で、今なら言えるけど……私も真島君のことが好きだったの。
でも結局できなかった、あの四人の絆は恐ろしいほど強かったわ。
頭のいいムードメーカーで知り合いは沢山いたけど、友達は少なかった柴谷君。
近寄り難くて、愛想も口も悪かったけど根は優しくて寂しがり屋さんの中沢さん。
引っ込み思案だったけど、おしとやかで芯は強くて恐れ知らずな神代さん。
偏屈で気難しいけど、実は真っ直ぐで豊富な知識と行動力を持っていた真島君。
喧嘩するところも見たけどお互いに助け合い、尊敬し合い、信頼し合うそんな関係だった。エーデルワイス団のルールにも書いてあったわね。
そして四人はバラバラになった。
これは去年の夏に真島君が話してたんだけど、卒業式の前の日に中沢さんはバラバラになるくらいなら四人で……一緒に死のうって、真島君は一番賛成してたけど一番反対してたのは神代さんだった。
柴谷君はどっちつかずだったけど、本当はみんな四人がバラバラになるのを凄く嫌がってた、神代さんは例え離れても必ずまた四人になろうって。
真島君は卒業後陸上自衛隊に、中沢さんは介護福祉士になるためどこかの大学に、神代さんは筑波の大学……柴谷君は大学に行くのが決まってたんだけど卒業式の翌日自宅で死んでるのを発見されたわ。
数年後に神代さんは筑波の航空宇宙科学研究所で、宇宙探査機用の試作エンジンが原因不明の大爆発で事故死。
中沢さんは介護福祉士になって東北の施設に就職したんだけど……仕事中に東日本大震災で同僚やお年寄りを見捨てて一人津波から逃れた。それが親族や世間から非難されて静岡にいる祖父母の介護を押し付けられた。
真島君、中沢さんのプロポーズの返事代わりに、親族から逃亡する手引きをしてたけど直前でバレて連れ戻されて自殺。
そして知ってる通り……真島君は膵臓癌による多臓器不全で死去。
そういえば中沢さんの葬儀の時に初めて弱音を吐いてたわ、あの頃に帰りたい……純粋だったあの頃に帰ってみんなに会いたいって……もしかすると、死ぬために病気を治さなかったのかもしれない。主治医の先生に聞いたんだけど積極的に治療していれば助かったかもしれないって、でももう訊くことはできない。
エーデルワイス団の創設メンバーは全員この世を去った。でも何者かが復活させた、いいえ亡霊が現れたとでも言うべきね。
私は亡霊の正体を追ってるのよ、一体誰が何のためにエーデルワイス団を復活さえたのかを。この目で確かめたいのよ。
玲子先生の話しに鷹人は誰が何の目的で、どんな思いを込めてエーデルワイス団を復活させたのか、それはわからない。でも少しは言える、それは今しかない自分たちの時間を自分たちのためにするためだった。
あの大量自殺事件で死んだ人たちの、弔いの意味も込められてるのかもしれない。




