第六話、その1
第六話、最後の夏のお祭り。
意識を失くした鷹人はすぐに一輝が抱えて保健室に運び込まれ、養護教諭とたまたま来ていた学校医の先生が診察を行うと失神と判断され、命に別状はないという。
ホッと胸を撫で下ろすエーデルワイス団一同と高森先生だが、玲子先生は全身の力が抜けたかのように倒れこむように椅子に座る。
「よかった……桐谷君、もう大丈夫だと思っていた……私がしっかりしていれば」
「いいえ、学年主任である私にも責任があります」
高森先生はかつての教え子を気遣う表情で、両手を玲子先生の肩に乗せる。
美由は気を失う直前、鷹人の言動や表情を思い出しながら考える。目の焦点があっておらず何かを呟いていた、助けられなかった? そして零の左手首の傷を見て気を失った。零がリストカットしたのは確かあの事件の日……鷹お兄ちゃんは確か、山森君と香奈枝ちゃんの自殺を止めようと屋上に上がった、だけど間に合わなかったと聞いてる。
「あの時のこと……思い出しちゃったのかな? あの日、山森君と中野さん……桐谷君の目の前で……」
玲子先生が憔悴し切った表情で言うと、美由はそれでピンと来た.
もしかしたら……と美由は訊いた。
「あの玲子先生、あの日鷹お兄ちゃ――桐谷君に何があったんですか?」
玲子先生は弱々しい表情で高森先生を見つめると、高森先生は渋い顔をしながらもゆっくりと首を縦に振って肯く。
それで玲子先生は話し始めた。
「あの日……私は職員室で仕事していた時……担任してるクラスの生徒、山森君と中野さんが屋上で飛び降りようとしてるって生徒が報せてくれたの……すぐ外に出て屋上見て……間違いないって確信したわ……あの日、全国で沢山の子どもや若い子たちが一斉に自殺してるって、ニュースになってたけど……私は書類の整理や作成に忙しくてニュースを見る暇もなかったから、その時始めて知ったわ」
玲子先生は悔やんだ表情になって首を横に振る、あの日熊本県内でもわかってるだけで五三四人、細高の生徒だけでも一〇人は自殺したという。
「もし、あの時朝から知っていたら……山森君と中野さんを助けらたのかもしれない……すぐに屋上に上がって説得しようとしたら、桐谷君と鉢合わせしたの……一緒に飛び降りるんじゃないかと不安で制止したけど、止められなかった……私の制止を振り切って桐谷君説得してたんだけど、二人は目の前で飛び降りたわ……その瞬間、桐谷君は自分の命も顧みず手を伸ばして助けようとしたけど、私が後ろから引っ張って止めたの……それから桐谷君は魂の抜殻のようになってしまったわ……親御さんが迎えに来て新学期の始業式にはいつもと変わらない顔で登校した時はホッとしたけど、同時に気味が悪いと感じたわ……あんなに仲の良かった山森君と中野さんが死んだのに」
玲子先生の話しを聞いて、みんな絶句してるが美由は間違いないと確信した。
「たぶん……PTSD――心的外傷後ストレス障害に侵されてるのかも」
「PTSD? それってアフガンやイラク戦争で帰還したアメリカ兵が患ってる心の病のこと?」
妙子が言うと美由は肯いた。
「うん、PTSDは妙ちゃんが言ったように戦争は勿論、災害や犯罪、事故とか……自分の命が脅かされたり、いじめや暴行とかで尊厳が蹂躙される出来事に遭ったり、目の前で命が失われる瞬間を見たりと様々だけど……鷹お兄ちゃんの場合、目の前で山森君や中野さんが死ぬ瞬間を目の前で見たことで、心に深い傷を負ったんだと思う。症状としては何かの拍子にその時の記憶が鮮明にフラッシュバックしたり、関係ある場所を避けようとしたり、常に神経を尖らせて落ち着かないと様々よ……あるいは生き延びてしまったことの罪悪感、サバイバーズ・ギルトかもしれない。あの事件の生存者の中にそう言う人も沢山いたのよ……ASD――急性ストレス障害とも言えるのかも」
「だから今日の放課後、屋上に通じる階段で桐谷君を見つけた時……凄く顔色悪かったのね」
零はなるほどという表情になると、一輝はすがるように言う。
「それで桐谷は……治るのか?」
「PTSDとかの治療には薬物治療とかあるけど……根本的な治療には長い時間がいるわ。数ヶ月、長いと何年もかかるかも……」
その言葉がエーデルワイス団のみんなに重く圧し掛かった、滅亡までもう一ヶ月しかないのだ。その今しかない一ヶ月を鷹人の治療に専念させる? いや、今年の夏は今しかないし来年生きてれば、みんな散り散りになってるかもしれないのだ。
美由もなんて言えばいいかわからず、みんな沈黙して口を開こうとしない、先生でさえもこんな大事な時期にと言えるはずがない。
「鷹人君には……今まで通り接してあげよう、何かあったら……あたしたちが守ってあげよう。鷹人君はあたしたちの……大切な仲間だから」
和泉の言葉にみんな肯いた。
目覚めた鷹人は保健室で寝ていたとわかるのに少し時間がかかり、みんなや先生に大丈夫かと問い詰められた後は両親が迎えに来て、精神科の病院に連れて行かれた。
そこでPTSDと診断され、その日は家に帰って大好物の焼肉だったが不思議に食欲はわかず、ご飯を半分以上残して早めに寝ようと思ったが眠れなかった。
零はその日の夜、スマートフォンで東京にいる従妹――野本夏那美に電話をかける、数回のコールの後彼女は出た。
『もしもし? 零お姉ちゃん?』
「こんばんわ夏那美ちゃん、今ちょっと大丈夫かな?」
『うん、どうしたの?』
「実は今日ね――」
零は夏那美に今日の出来事を話していた、自分に恋心を寄せてる同級生の男の子があの日の事件で友達を亡くしたことを思い出し、PTSDの類を発症したことを。
『そうか……前に話してた達成君のこと、覚えてる?』
「うん、市来達成君のこと? 覚えてるわ、彼氏君でしょ?」
『達成君ね、あの大量自殺事件の時に幼馴染の彼女と友達を亡くしたんだって……目の前で学校の屋上から飛び降りて……救えなかったことに今でも悔やんでるみたい。ねぇ零お姉ちゃんはその人のことをどう思ってる? その人のこと好き?』
夏那美に問われて零は一瞬、戸惑いそうになるが率直に答える。
「ちょっとわからないわね。でも桐谷君は大事な仲間だし……大きな存在よ、危ないところを何回も助けてくれたり……一輝君と仲直りもできたり……かけがえのない仲間に出会えたり、思い出もできたり……かな?」
『まんざらではないわね。でもそんなに助けられたなら……今度は零お姉ちゃんが助けてあげる番だと思うの、勿論一人じゃ無理だけど……私と違って仲間がいるんだから、一緒に相談して支えてあげて』
「うん、ありがとう。夏那美も頑張ってね……二人っきりのエーデルワイス団を」
『うん、今度東京に来るの楽しみにしてるわ……コミケ参加、凄く楽しいわよ』
「わかったわ、じゃあね」
『うん、またね』
電話を切ると、零は鷹人のことを考えた……出会いから今日の日まで。
考えれば考えるほど、あの時の鷹人の行動は自分のことが好きだ。という理由で動いてたのかもしれないという出来事が次々と頭に浮かんでくる。
筒抜けね、ホント桐谷君って純情なんだからと自然と笑みが零れた。
翌日の朝、鷹人は仕方なく制服に着替えていつものように朝食のパンとダージリンを無理矢理胃の中に詰め込む。夏休み中は規則正しい生活を送らないといけない、翔お兄さんはいつも言っていた。
美由のマンションに出かけようと玄関を出たが自転車がない、そうだ昨日は両親が迎えに来たんだ、すると仕事に出かける父親が出てきた。
「鷹人、美由ちゃんの所に行くのかい?」
「ああ、これからみんなで受験勉強と……遊びに行く計画かな? 火の国まつりに行こうと思ってるんだ」
「そうか、何かあったら遠慮せず美由ちゃんや友達に頼っていいんだぞ、エーデルワイス団は変な奴らだが……悪い人たちではなさそうだと思う」
父親はニヤけながら釘を刺す。真面目を絵に描いたような男だが、決して堅苦しい人ではない。
「どうしてここでエーデルワイス団が出てくるの?」
「課長の息子がエーデルワイス団をやりはじめてちっとも勉強しなくなった。来年は高校三年生なのにってね」
「いいんじゃない? この時は今しかないんだから、遊べるのは今のうちさ」
そう来年はもうないのかもしれない、だから悔いのないように今を生きる。それがエーデルワイス団なんだ、という意味を込めて言った。
「そうか、まあ確かに遊べるのは今のうち……鷹人の言うことも一理あるな」
「うん、それじゃ行ってくる」
鷹人がそう言うと父親も行ってくると行って自転車に跨り、会社に向かって行った。大人になったら学生のみんなを羨ましがるのかもしれない。
鷹人は一度市電で学校に向かい、自転車を取り校内に入るとついでだからと職員室に行って玲子先生を探したが大神先生によれば、今日は高森先生と市内で会議に行ってるらしい。先生に夏休みはないのかと思いながらお礼を言って学校を後にした。
「おはようみんな」
美由のマンションに到着し、玄関に上がってみんながいるリビングのドアを開けた瞬間だった。
「桐谷君大変!! エーデルワイス団最大の非常事態よ!!」
いつものように妙子が真っ先に元気に挨拶してくるはずが、血走った目になり、切羽詰った表情で駆け寄ってきた。
「なぁ井坂さん、夕べ寝た?」
「昨日ことで眠れなかったわよ!! それに今朝のこのニュース見てよ!!」
妙子の突きつけたスマートフォンの画面にはどこかのニュースサイトが表示されていて、それをよく見ると思わず目を見開いた。
「エーデルワイス団……特別一斉補導月間!? 全国で!? 熊本だけじゃなかったのか!?」
鷹人の眠気が吹っ飛ぶほどの衝撃だった、すぐに一輝が頭を抱えながら言う。
「昨日大神が言ってたんだけど、昨日から市内で昼夜問わず先生や警察、ボランティアを総動員するって……さ。参ったな……全国でやるから行動に支障をきたすぞ」
「あたしのクラスの高森先生も言っていたわ、特に火の国まつりの二日間は昼夜を問わず補導員の人たちを配置して発見した場合は相応の処罰を与えるんだって……これじゃ最後の夏……部屋で過ごさないといけないなんてカビが生えちゃうよぉ……それにうちの学校って制服のリボンやネクタイの色で学年を識別するから、三年生は行動が大幅に制限されるよ」
美由は肩を落として憂鬱そうな表情だ。細高の制服はブレザータイプで女子生徒はリボン、男子はネクタイで今年度の一年生は青、二年生は紺色、三年生は赤のチェック柄で識別する。よりにもよって三年生が最も視認されやすくて目立つ。
零はソファーで長くて綺麗な足を組み、両腕を組んでるおかげで豊満な胸が乗っかり、艶かしい胸のラインがくっきりと浮かんでるが、不機嫌を露にしていた。
「ホントムカついたわ! 今日制服着て外に出ようとしたら――」
「またお母さんと喧嘩したんでしょ」
姉の和泉は微笑みながら言うと、零は正解と言わんばかりに肯く。
「そうよ! お母さん最近頻繁に外に出るから変なところに出入りしてるんでしょ? って言ったのよ、それで友達の家って答えたら何やってるのか詳しく言いなさいって……ホントふざけてるわ! ……それでどうしよう、浴衣着るの楽しみにしてたのに……お祭りの時に制服で回ってたら絶対見つかるわよ」
鷹人は少し考える、翔お兄さんならどうする?
「鷹人君、僕の青春時代は先生たちとの目を掻い潜る戦いの日々だったよ。例えば街に出る時は制服だったから――」
鷹人は少し考えて提案した。




