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最後の夏のエーデルワイス  作者: 尾久出麒次郎
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第一話、その1

 第一話、最後の夏の始まり


 七ヶ月後、二〇二一年七月一日、熊本県熊本市。


 空野零はアッサムティーと食パン二枚を食べ終えると私立細川学院高校――通称:細高の夏服に着替え、髪を二つ結びにして左手首にリストバンドを巻き、鞄を持って玄関でローファーを履く。

「いってらっしゃい零、帰ってくるまでに夏期講習とか予備校のこと、決めておいてね」

 母親に言われると零は露骨に顔を顰め、振り向かないまま辛辣な口調で言った。

「どうせ受けさせるんでしょ?」

「零、あなた受験生でしょ? だから――」

「受けなさいって言いたいんでしょ? 私に散々理不尽を押し付けて受け入れろと言ったくせに! お母さん世界が終わる現実に目を背けてるんだね」

「なっ――」

 辛辣な言葉に母親は絶句した表情になると、勢いに任せて家を飛び出す。

「それじゃいってきます」

「待ちなさい零! 話は終わってないわよ!」

 母親の制止を振り切って零は扉を乱暴に閉め、逃げるように家を出て苛立ちを露にしながら歩く。

 母親はいつもそうだ! 私にああしろ、こうしろと言ってるくせに私の頼みや願いは全く聞き入れてくれない! 紅茶を飲んでるのもコーヒー好きな母親への露骨な反抗だ。

 零は将来留学して世界中を旅したいと思ってるが当然反対された。それ以降、親には大学に行くとだけ言っている。親は大学に行って一流企業に就職するよう勧めてる、勿論行くつもりはないし、姉は家を出て県外の大学を卒業して東京の広告代理店に勤めている。

 家を出ると久しぶりの幼馴染にバッタリ鉢合わせしてお互い「あっ」と目と口を開いた。

「おはよう零、久しぶりに一緒に学校行かないか?」

「……一輝君……うん、行こうか」

 零はどんな言葉をかければいいか? もやもやしてわからなかった。一輝は春の大会で予選敗退してインターハイ出場も叶わないという。今日は鞄しか持っておらずいつものスポーツバッグを持っていない、零は思わず訊いた。

「一輝君……テニスは?」

「やめたよ。もうインターハイ出場も無理だって……ま、これからは自由気ままに遊ぼうと思ってるのにさ! あ~あ、受験勉強か……かったるいな」

 一輝の明るく振舞っているようだが、その瞳は酷く悲しげだった。今までやりたいことを思う存分にできたのに、できることなら代わってあげたいと歯がゆい気持ちだ。

「そうね、私も……留学しようと思ってるけど、勉強が――」

「おおっ、頑張ってるよな零! お前、映画を見ながら台詞を真似てたのはのそれだったんだな」

「き、聞いてたの!?」

 零は頬を赤らめた。留学するため英語の特訓の一つとして、洋画の字幕スーパー版を見て台詞を覚える練習をしていた。そのおかげか発音に厳しいALTの先生も舌を巻くほど英語を話せるようになった。

「努力家だな、俺も将来テニスで世界を目指したいと思ってたけど、英語が全然駄目なんだよ……これじゃ将来が見えないな」

 そう……一輝君がこうなったのも私のせいだ、零は唇を噛んで言った。

「私のせいよ、こうなったのも――」

「それ以上言うな!」

 一輝に一喝されて零は口を閉ざすと、一輝は青くなった空を虚しそうに見上げる。

「あれは俺がテニスに夢中で周りが見えかなった故の過ちさ……あーあ……これからどうしようかな?」

 耳を傾けると、梅雨明けを待ってたかのように蝉たちが一斉に鳴き始めた。



 蝉の鳴き初めを聞くのも今年で最後か……。

 

 気象庁の発表では昨日例年より二週間以上早い熊本の梅雨明けが発表され、昨日とはうって変わってどこまでも広がる美しい晴天が広がり、鷹人は蝉の鳴き初めを聞いてしみじみとした気持ちで学校に向かっていた。

 九月には世界が滅びるのかもしれない。そう思うと、容赦なく照り付ける陽射しに、陽炎が見えるほどうだるような暑さ、流れる汗さえも愛しく心地よく感じた。

 見上げる空は果てしなく続きそうに見えて、世界が美しく見えた。

「おはよう桐谷君、どうしたの? 朝からしんみりとした顔して」

 後ろから同級生の妙子に声をかけられて鷹人は立ち止まる。

「ああ、井坂さんおはよう……」

「どうしたの? もうすぐ夏休みなのに」

「それなんだ、夏休みの終わりは世界の終わり、そう思うと……目に映るもの全てが愛おしく、美しく見えるんだ」

「ぷっ、あはははははっ! 桐谷君将来は哲学者か詩人にでもなるつもり? マジうける!!」

 妙子は腹を抱えて笑うが不思議と怒る気がせず、鷹人は自分の言った言葉に不思議な自信を感じながら微笑んだ。

「笑われても文句言えないね。でも、夏休みの終わりに世界が滅ぶっていうあの噂……あの世で後悔したくないな……こんなことになるなら、あの時こうしておけばよかったって」

「そうね、よりにもよって高三の夏休みだなんて……一年早くこればよかったのに」

「どっちにしろ変わらないと思うよ……井坂さんはあの噂本当だと思う?」

 鷹人が訊くと妙子は腕を組んで「う~ん」と難しい顔になって、首を傾げる。考え込む様子が愛らしいと思った瞬間にはすぐに答えを出した。

「わからない、でもそれ以上にこの状況をどう過ごそうかと思うの」

「どう過ごすって、将来に向けてとかじゃないの?」

「桐谷君が言ってたように、もし世界が滅んであの世で後悔したくないなら、最悪のケースに備えるべきだと思うの」

「つまり、どうせあの噂が本当なら今のうちにやりたいことをやって……後悔なく最期を迎える?」

「そういうこと! あたしは過去を振り向かない人生を送るために今を生きる!」

 妙子は胸を張って言う、子どもじみてるが鷹人にはかっこよく、輝いて見えた。

「もし滅びなかったら? そう考えると二の足を踏んでしまう、僕たちは受験生だ。言うまでもなく進路のことを考えろ、受験勉強しろと先生や親たちは間違いなく妨害を仕掛けてくると思う」

 鷹人は滅びなかった場合を考える。もし彗星が来ないなら鷹人は尊敬する人のいた陸上自衛隊に行き、三~四年くらいで辞めて世界を旅しようとも考えている。

両親には自衛隊に行くと言ったら公務員ということもあってか、あっさりOKしてくれた。

 妙子は胸を張って言った。

「大丈夫! これから対策を考える!」

「これから? 井坂さんはどうするの?」

 鷹人が訊くと妙子は立ち止まって深呼吸。そして大空に向かって叫んだ。

「あたしは人類最後の夏休みを、人生で最も素晴らしい夏休みにしたい! 受験がなんだ! 進路がなんだ! この先の人生がなんだ! あたしはこの、今しかない今のために今を生きる! そのために生まれてきたんっだああああっ!!」

 校門近くで大声で叫んだ妙子に周囲の視線が集中する。通勤中のサラリーマン、他の生徒、校門で服装チェックをしていた先生たち、鷹人はドン引きしたが同時に心のどこかで彼女がかっこいいと思っていた。

 すると校門で指導に当たっていた高森たかもり先生が威圧的な口調でツッコミを入れる。

「おはようございます井坂さん。叫ぶよりも前に、期末テストは大丈夫なのですか?」

「ううっ……おはようございます高森先生」

 妙子はぐぬぬとした顔で唸る。そう、今日は期末テストの日、受験生にとっては否応なく自分の力、そして現実を思い知らされる大事な時期だ。

「井坂さんは確か、中間テストで全部赤点ギリギリだったそうですね」

 高森明子たかもりあきこ先生は生真面目を絵に描いたようなベテランの女性教師で、自分にも生徒、同僚にも厳しい現代国語の先生だ。生真面目ゆえに頭が固くて融通は利かないが授業はわかりやすく丁寧で、生徒たちに信頼されてる。

 妙子は返す言葉が無いのか、悔しそうな目で高森先生を見ていた。

 すると鷹人の従妹である美由が不思議そうな顔して登校してきた。

「おはよう鷹お兄ちゃん。今妙ちゃんが叫んでたけどどうしたの?」

「ああ、高校最後の夏休み……自分の納得のいく形で過ごしたいって」

 鷹人はそう言うと、美由は妙子に視線を向けて呟き、声をかけた。

「あたしもそうしたいな……おはよう妙ちゃん、どうしたの?」

「美由ちゃん! 朝から訊きたいことあるんだけど……いや……ここで言うのもなんだし、テストが終わったらちょっと相談に乗ってくれない?」

 美由は首を仔猫のように傾げた。絶対に何かを企んでるな、と鷹人は嫌な予感がすると思いながら三年三組の教室に行った。



 テスト期間一日目が終わると、妙子は洗いざらい美由に相談しようと思っていた。笑われてもいいし、世界が終わると信じて後ろ指を差されてもいい。

 友達として美由の意見も聞きたかった。

 そんな時だった。

「井坂さん、今朝校門で何か叫んでたよね?」

「あ、織部さん? もし九月に世界が終わるならどうしたい? あたしなら最悪の事態を考えるわ!」

「最悪の事態……つまり九月に世界が終わっちゃうこと?」

「そうなの、織部さんはどう思う?」

 織部優乃おりべゆうのは右人差し指を頬に当てて首を傾げた、セミロングの黒髪に黒のアンダーリム眼鏡だったが最近コンタクトにしてる。文芸部に所属してる読書家で、妙子や美由は彼女に学業面でお世話になったことがある。

 しばらく考え込むと、織部さんは何を思ったのかスマートフォンを取り出して操作すると、3Dスクリーン・プロジェクター・アプリを起動させ、調整する。

何もない空間にスクリーンが投影され、周囲に誰もいないことを確認するとどこかのサイトを見せた。

「私も半信半疑だから、まだなんとも言えないけど……これ、井坂さんと同じ考えの人たちの集まりみたいよ」

 妙子が目を引いたのは薄雪草の花のエンブレムだ、どこかで見たことがある。

「知ってるかな? 今年の四月頃にネット上に現れた謎の秘密結社、エーデルワイス団よ。ルールに反しない限り、それぞれで結成して自由に活動していいって」

「エーデルワイス団……噂は聞いていたけど、へぇ……世界の終わりを自分たちの意志で過ごす」

 好奇心旺盛な妙子はエーデルワイス団のサイト――正確には専用のSNSサイト、バッカニアに書かれてるテキストに目を通す。


 ルールは次の通り。


一、互いの意志を尊重し合い、自分の意志を信じること。


二、互いを貶めたり、名誉を傷つける行為等は一切行ってはいけない、互いの名誉を守る努力をすること。


三、互いに助け合い、尊敬し合い、信頼し合う関係を築くこと。


四、二に反しない限り、エーデルワイス団に入団、退団は個人の意志で決めるとする。


五、この夏を自分の意志で過ごしたい者のみ入団を認める。


六、二〇二一年九月一日午前零時をもって解散とする。

 

「井坂さん……もし行動するなら気をつけて、彼らの存在は既に先生や大人たちに知れ渡ってる。残念だけど大半以上が快く思ってないわ」

 織部さんは周囲を警戒するような顔で、そして小声で言った。だけど妙子はとてもありがたく思い、何かが湧き上がって来る感じがした。

「ありがとう織部さん……織部さんって……まさか」

 織部さんは微笑みながら右人差し指を立ててキュッと結んだ唇に当てた。

「シーッ、思ってる通りよ。もう文芸部のみんなと計画も立てて行動開始してるの……頑張ってね」

 優乃は悪戯っぽく、可愛らしい小悪魔みたいにウィンクした。



『本日もステラアライアンス・メンバー、FEAを御利用いただき誠にありがとうございました。座席のベルト着用サインが消えるまで、今しばらくお待ちください』

 羽田発熊本行きの極東空輸(FEA)ボーイング787-8は予定通り熊本に到着し、客室乗務員の朗らかな機内アナウンスが流れる。

 レイバン・クラブマスターのサングラスをかけた空野和泉そらのいずみはホッと一息吐いてベルト着用サインが消えると、座席から立ってカンカン帽を被る。

 翔さん、帰ってきたよ……あなたの、最期の意志を確かめるために。和泉は窓の外に目をやり、一年前の夏の日を思い出す。彼がなんとなく口にした言葉だが、どういう訳か強く耳に残っていた。


「僕の代わりには誰もいないように、誰かの代わりなんて僕にはできない……君や、美由のことも」


 和泉は二〇代半ば過ぎにも関わらず、一〇代の面影を色濃く残し、長いポニーテールのチャーミングな大人の女性だ。和泉は787を降りてスマートフォンの機内モードを解除すると、もうすぐお昼だ。

 預かっていた手荷物を受け取ると、ターミナル内で電話をかけた。

「もしもし零? あたしよ」

『お姉ちゃん? どうしたの、仕事中じゃないの?』

「今どこにいると思う?」

 和泉は悪戯っぽく微笑んで訊くと、館内アナウンスを告げるチャイムが流れた。

『FEAから熊本発東京行きのお客様にお知らせします――』

 あっ、しまった……和泉は冷や汗が流れた。

『ちょっとお姉ちゃん! まさか熊本空港にいるの!?』

「正解よ、お父さんやお母さんには内緒にしててね。仕事を辞めたことも……アパートも引き払っちゃったことも」

『どうするのよこれから! お父さんやお母さんにバレたら間違いなく実家に帰省させられてお見合いに連れて行かれるわよ!』

「大丈夫よ、お世話になった人の家にしばらく居候させてもらうわ」

『そう……あとで会いに来ていいかな?』

「いいわよ、それじゃあ家の人にも連絡するから」

『今からなの!?』

「そうよ、じゃあね」

 そう言って電話を切ると、交通センター行きのバス乗り場へと歩き自然と鼻歌を奏でる。名前も、いつ作ったのかも、もう思い出せない曲を。

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