第五話、その1
第五話、最後の夏の登校日。
地方大会から数日後の七月三一日、相変わらずうだるような暑さの中でエーデルワイス団の面々は呉服町電停で路面電車を待っていた時、ふと妙子はこんなことを言った。
「なんか今年は登校日多くない?」
妙子の言葉で鷹人はそういえばと気付いた。例年なら一日だが今年は、八月に二日あった。
今日の予定は市内でお買い物、八月上旬に毎年開かれる火の国まつりに行くための浴衣と、天草にある茂串海水浴場で遊ぶための水着を買いに行くのだ。
「そうね、あたしがいた頃も一回だったのに」
和泉は考え込んで言う、やはりあの噂が関係してるのかもしれないと鷹人は考える。
「でも明日と八月三一日だろ? 最後の夏休みにクラスメイトの連中と最後の挨拶のために登校日を設けたようにも感じるぜ、俺は」
一輝の言うことに鷹人は苦笑すると、美由も不安げに同調する。
「そう思うわ、最後の挨拶の日になるのかな?」
美由の言う通りだ、もしかすると大人たちも薄々信じてるのかもしれない。そう考えてると零は朗らかな笑顔で美由の肩をポンと叩く。
「考えても仕方ないわよ、私たちにできることは最後の日まで悔いなく過ごすこと! それがエーデルワイス団なんでしょ? この前の地方大会決勝、凄く楽しかった! これが青春! って感じたった!」
クサイ台詞だと鷹人は「ぷっ」と吹くと、零は頬を赤らめて詰め寄ってきた。
「ああ桐谷君、今笑ったでしょ!?」
「うん、空野さんの言葉があまりにも的を得ていたからね」
鷹人は感想をそのまま口にすると、市電がやってきた。
呉服町から乗って辛島町で降りると、数年前に桜町再開発で開館したばかりの複合施設に向かう、そこにはショッピングモール、バスターミナル、コンサートホールや会議場も備えている。
六人は浴衣を買うため売り場に向かうと早速妙子が先陣を切り、どれにしようかと言わんばかりに品定めする。
「みんな早く早く! 浴衣見ようよ!」
「はいはい、妙子ちゃん慌てなくていいわよ」
和泉は微笑むと、零と美由もそれに続いた。
エーデルワイス団の五人が浴衣を選んでる間に和泉は隣にある楽器屋さんに自然と足を運ぶ、その奥にあるアップライト・ピアノが目に入った。
そういえば高校の頃はピアニストかシンガーソングライターになりたいと言ってたわね……和泉は椅子に座って蓋を開けると白と黒、合わせて八八の鍵盤。懐かしい気持ちになって自然と鍵盤に手が伸びる。
およそ一〇年振りに鍵盤に触れて音を出す。
自分の出す音――まるでもう会えないと思っていた親友に偶然の再会をしたような感覚で、次の瞬間には弾きたいという衝動に駆られた。
高校時代に作曲した名もない曲、それはいつも気分がいいときに歌ってる鼻歌だ。
和泉は楽譜なしでも体が覚えていることに驚きながら、あの青春時代を思い出す。小学生の頃、幼馴染たちにさよならも言えずに転校したことを、それを背負って中学高校を過ごしたことを。
和泉の弾くピアノの腕は明らかに衰えたが、頭では忘れても体が思い出させてくれる。
いつからだろう? ピアノを弾くことも忘れて時間や仕事に追われる日を送るようになったのは? 最後に触れたのは確かそう……高校三年生の夏休みの時だった。
作曲し、ピアノを弾いてる間、自分の世界に入り浸ることができた。みんなと一緒に駆け抜けた日々を思い出していた。みんなと繋がっている気がして、心に決めていた。
また会えた時に聞かせてあげよう、あたしの曲を。
みんな……どうしてるかな? 弾く途中で手が止まってこの先のメロディがわからなかい、ふとその言葉が頭を過ぎった。
「今……みんな、どこにいるんだろう? どこで何をしてるんだろう?」
和泉の消え入りそうな問いに、誰も答える者はいなかった。
「その曲いいわね、なんて曲なの?」
聞き覚えのある声がして、顔を向けると和泉は立ち上がった。
「一年振りね、和泉さん……真島君の葬儀以来かな?」
綾瀬玲子だった。和泉の思い人である翔の高校時代の同級生で、今は母校で数学の先生をしている。
そして従弟である鷹人の担任の先生だ、当時は翔の再婚相手とも仲が良かったから和泉のことを露骨に白い目で見ていた。
「元気にしてた? 四月の時、早まるような真似はしなかった?」
玲子先生は安堵したような笑みを浮かべる。
「ええ……この曲、高校時代に作ったんです……曲名は決めてなかったんですけど」
「そうなの? でも聞いてて感じたわ、悲しくて……でも健気に明るく精一杯生きて、そして最期を迎えようとする人たち……まるでエーデルワイス団ね」
「楽譜……捨てられてなければ学校にあると思います」
和泉は高校時代は合唱部でずっとピアノを弾いていた、与えられた課題曲を完璧に弾きこなして同級生や先生たちからも一目置かれてたが、同時に奇異の目で見られていた。
「学校に? なら明日来てみる? 高森先生も会いたがってたわ」
「高森先生が?」
和泉はまだ勤めてたんだと、少し驚きながらかつての厳しくも根は心優しい担任の先生の顔を浮かべながらも、唇を噛んだ。
「あなたのこと心配してたわ、明日来れる?」
「はい、時間ならいくらでもあります……八月の終わりまで」
和泉が肯くと、玲子先生は安堵の笑みを浮かべてそして深々と頭を下げた。
「ありがとう、高森先生きっと安心するわ。それから……去年はあなたのことを白い目で見てごめんなさい、悪かったわ……真島君、結局誰も選ばなかったもの」
「えっ?」
選ばなかった? 和泉は目を見開いて訊こうとしたが玲子先生は「それじゃあ」と人ごみの中に消えていった。
「玲子先生?」
鷹人は隣の店から玲子先生らしき人が出てきて、そそくさと人ごみの中に消えていくのが一瞬だけ見えた。女子三人は水着選びを終え、浴衣選びに夢中になっていた。
「どう? 浴衣や水着は決まった?」
間を置いて和泉が楽器屋さんから出てきて訊いてくると、妙子が手を振りながら呼ぶ。
「和泉さんどこに行ってたんですか? 和泉さんのだけ決まってないんですよ!」
「えっ? あたし?」
和泉は驚き、困惑した表情になる。
「で、でもあたし水着や浴衣なんて……もう見せる人もいないし」
「いいから着ようよお姉ちゃん!」
「ああ、ちょっと零」
妹に引っ張られ、和泉は妙子と美由の所へと強引に連れて行かれる。もう見せる人もいない……鷹人は翔お兄さんの寂しくて、悲しげな表情が頭に浮かんだ、あの人は……和泉さんは今も翔お兄さんのことを思い続けてるんだ。
もういない人なのに、と鷹人は亡き人を思う切なさを感じ、それが自然と顔に出てしまい、一輝に悟られた。
「どうした桐谷、急に表情が暗くなったぞ」
「ああ、悪い……ちょっと翔お兄さんを思い出してね」
「そうか、大丈夫ならいいんだが……水着と浴衣選びもう少し時間かかりそうだ」
一輝は少し伸びた髪をかき乱して溜息吐く、妙子は水着コーナーで真っ先に黒のビキニを取って見せる。
「ねぇ和泉さん、これなんてどう? 大人の魅力全開よ!」
「ちょっと、あたしそんなの似合わないわよ……そうだ、これなんてどうかな?」
「ええお姉ちゃんには似合うかしら? これいいと思うわ」
零はニヤニヤしながら姉をからかう、その横顔を見ると鷹人も自然と口元が緩みそうになる、すると一輝がポンポンと肩を叩く。
「なぁ……桐谷、ちょっといいか?」
「えっ? うん、なに?」
「ちょっと来てくれ」
「えっ? ええっ? どこ行くの?」
「いいからいいから」
一輝はニヤニヤしながら鷹人を強引に連れて行き、やがて家族連れやカップルで賑わう屋上庭園まで連れて行かれると、屋上の端にある手すりによりかかってアンニュイな表情で訊いた。
「なぁ、桐谷……この前の喧嘩覚えてるか?」
「……その続きをここでやるのかい?」
「ちげぇよ、お前話しをワザとずらそうとしたな?」
鷹人を眉を微かに動かすとあっさり悟れ、気持ち悪い笑みを浮かべながら言う。
「ほらやっぱり、お前言ってたよな? 最後の夏休みを好きな女の子と過ごしたいって」
「……そうだ、俺は空野さんが好きだ」
鷹人は決して大きくないが、強い口調で言い放った。
「もうすぐ、火の国まつりだ……月末には江津湖の花火大会もある。お前に……零のことを託そうと思ってる」
「えっ? 幼馴染を僕に?」
「ああ、そうさ……俺はこの夏休みをとにかく意味のあるものにしたいし、本田の試合を見て決心した。エーデルワイス団のみんなを……見守っていこう、そして迷った時は導いていこうってな」
一輝は空を見上げて遠くを見るような目で見上げる。七月の終わりの空はどこまでも雲一つない空が広がっている、地球の遥か数億キロ先には人類の歴史にピリオドを打とうとする彗星が時速七二〇〇〇キロで近づいてる。
鷹人も空を見上げていると、一輝は見計らったように前に向いた。
「そうだ、ちょっとトイレ行ってくる。すまんがここで待ってくれ!」
「あ、ああ……」
鷹人が肯くと、一輝は猛ダッシュで走り去って行った。




