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最後の夏のエーデルワイス  作者: 尾久出麒次郎
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第四話、その2

 数日後、今日は地方大会の決勝戦だ。

 宿題も片付いたし、あの日から鷹人と一輝はとても仲良さそうに話していて零はホッと胸を撫で下ろしていた。朝食は食パン二枚とダージリンのアイスティー、日焼け止めクリームを塗ったら制服に着替えて深い切り傷のある左手首にリストバンドを巻くと、鞄を持って家を出る。

「いってきます」

「待ちなさい、朝からどこ行くつもり?」

 母親に呼び止められて、零は素っ気なく言う。

「野球の応援よ、今日甲子園出場をかけた試合なんだから」

「テレビで見ればいいじゃない。あんなに暑い所でこの前倒れそうになったんでしょ? 担任の先生から電話あったわ、友達の家で休んで迷惑かけたでしょ?」

「それは……」

「宿題は? やるべきことはやったの? 自分の立場はわかってるはずよ、この前の期末テストの成績全部よかったのはわかったわ、でもそれで好きできるはずないわ」

「くっ……」

 零は敵意剥き出しにして睨むと、母親は冷たい瞳で睨み返す。

「それが親に取る態度? 失望したわあなたに、このまま来年苦労しても知らないわよ」

 零の頭の中で「来年」と言う言葉で何かがキレるような音がした。

「失望!? 最初からお母さんの期待に応えようなんてこれぽっちも思ってないわ! それに来年なんてもうないのよ! 世界の終わりなんかとっくの昔に受け入れたわ!」

「な、何言ってるの零、やっぱりあの噂を本気で信じてるの!?」

「ええそうよ!! 私にとってはこれが最後の希望よ!! 滅亡しなかったらお姉ちゃんみたいに家を出て行くわ!!」

 零の言葉に母親は明らかに動揺する、効果ありだと零は確信した。

 三年前、姉の和泉は大学卒業と同時に家を出てそこから一切の連絡手段を断ち切って音信普通となった、一方的に絶縁された両親――特に母親は激しく動揺していた。

 一年前、そして今年の夏、密かに帰省していたことも知らない。

「それじゃいってきます」

「零! ちょっとあなた本気なの!? 待ちなさ――」

 零は母親の制止を振り切って乱暴に扉を閉め、自転車に乗って藤崎台球場へ向かうため幹線道路に出る。

 私の居場所はあのエアコンの効いた狭い家じゃない。

 この広い外、夏は蒸し暑くて冬は凍えるように寒く、危険も多い外だ。

 零は自転車で真夏の空気を切り裂いて駆け抜ける、水槽に入れられた魚がある日突然、危険に満ちた自由な大海原に戻ったかのように。

 味噌天神あたりまで来ると、前方にVメガホンを括りつけた馬鹿でかい軍用バックパックを背負った鷹人が、自転車を苦もなくスイスイとペダルを回していた。

「おはよう桐谷君、朝からこんな物背負って重くない?」

「ああ、おはよう空野さん、重いけど平気。この前空野さんが倒れそうになったからね」

 鷹人の顔は額に絆創膏、頬には湿布みたいなものが貼られて左目の上に痣ができていて申し訳なく思った。

「ごめんね桐谷君……この前は迷惑かけちゃって、一輝君と喧嘩してから大丈夫?」

「ああ、三上君は夢中になると周りが見えなくなるって、本人も気にしてるみたい」

「そう、やっぱり気にしてたんだね」

 零は罪悪感を感じて言うと、鷹人は首を傾げた。

「やっぱり三上君と何かあったんだね、三上君と空野さん幼馴染なのになんというかその……必要以上に気を遣い合ってる感じがするんだ」

 赤信号で止まり、鷹人は心配そうな眼差しで見つめる。やっぱり話した方がいいかもしれない、零は唇を噛んで話すこと決意した。

「去年のインターハイ前かな? 一輝君、ダブルスの相手と喧嘩したの。それを聞いた時、私は呆れちゃって幼馴染としてガツンと言ってやらないといけないと思ったの」

 今にして思えば余計なお節介だった、と零は今でも後悔している。

「そしたら大喧嘩になっちゃってね、一輝君も私も凄く怒って……お互い小さい頃からよく喧嘩してたけど、あんなに喧嘩したのは始めてだったわ」

 俯くと今でもあの時のことは今でも鮮明に思い出し、一輝の罵倒が今でも耳に残っている。

「もう二度と俺の前に姿を現すなと言われて、私は家に帰って思い出の品やアルバム、写真、泣きながら捨てたわ……その直後よ、一輝君が試合中足を怪我したって」

「そうか……それで三上君が怪我してインターハイに出られなくなったのは自分のせいだって思うようになり、疎遠になった」

 鷹人の言葉は零の胸を容赦なく、冷酷に、的確に刺す、それは残酷にも聞こえたが受け止めなければいけなかった。

「そうね、お互い避けちゃって……その後かな? 桐谷君や美由に会ったのは……一輝君どう思ってるんだろう? あの時のこと、私はもう気にしてないけど……一輝君の青春壊しちゃったからね」

 信号が変わり、横断歩道を渡ってペダルを漕ぐ、鷹人はそのことには触れなかった。

「……今日は空野さんの隣、いいかな?」

 鷹人に真剣な眼差しで見つめられ、零は思わずドキッとして桐谷君の顔ってこんなにかっこよかったっけ? クールに見えて実はワイルドだったりして。

「うん、じゃあいいかな? 今日の対戦相手は強豪八代第一商業よ」

「話には聞いてるよ、細高からすればかつてないほどの強敵だって?」

「うん、春の選抜優勝した学校だって」

「うわぁ……最後の最後で最強の敵登場か……大丈夫かな?」

 鷹人は思わず苦笑すると零は微笑む。

「なに弱気になってるのよ、私たちがしっかりしなきゃ勝てる試合も勝てないわよ」

「野球部の人……特に本田君は大丈夫かな?」

 鷹人と本田は面識がないにも関わらず心配した表情を浮かべた。



 その頃、細高のグラウンドで野球部は最後の調整を終え、藤崎台球場に向かう準備をしてるところだった、一輝は本田に会うと案の定直球で問い詰められた。

「おい三上どうたんだその顔!? 痣だらけじゃないか!」

「まぁ……この前ちょっと喧嘩してな」

「どうして? 駄目だろ殴り合いなんかしちゃ! そういう時はこれでコミュニケーション取るんだよ!」

 本田は一輝にグローブとボールを見せる、一輝は明るい表情と口調で言う。

「……おおっ! なるほど! これであいつにボールを思いっ切りぶつけるのか?」

「お前頭おかしいだろ、病院行けよ。まだ試合には間に合うぜ」

 マジで心配された。

「すまん、冗談だ。つまりこれで?」

「キャッチボールに決まってるじゃないか」

「単純すぎないか?」

「なに言ってるんだよ俺シャイだからさ、野球部に入ったばかりの頃これでみんなや先輩や後輩たちと打ち解けたんだ。なぁ、みんな」

 本田は周囲の野球部員に同意を求めると。


「まぁ確かにお前のおかげで打ち解けたのは事実だな」「おかげで先輩たちに笑われたがな」「つーかキャッチボールでコミュニケーションなんて古臭くね?」「二〇世紀どころか昭和臭い」「本田、お前シャイじゃねぇだろ」


 みんな苦笑しながらも肯定も否定もしない。その光景に一輝は「ぷっ」と吹いた。

「ああ!? 三上お前今笑っただろ! 絶対笑っただろ! そんなにおかしいか!?」

「すまんすまん、それで相手の高校は八代第一商業だろ? 大丈夫なのか?」

「正直プレッシャーで血圧と脈が上がって心筋梗塞か脳梗塞の類を起こしそう……あんなに沢山応援してくれる人がいるのに負けたらどうしようと考えると、倒れそう」

 本田の表情が一気に沈んだものになる、表情豊かというか感情の起伏が激しいだろ。一輝は溜息吐いた。

「お前は病床のジジイかよ、あのな……勝っても負けても今年が最後だろ? 前にも言ったじゃん? 一球一球悔いのないように魂を込めて投げて打つんだったか? 勝っても負けても野球やってよかったと思えるように全力を尽くすんじゃなかったのか?」

 一輝が言うと、本田は顔を下に向けたままだった。しまった! 返って逆効果だったのかと冷や汗が流れ出る。本田は石のように固まった表情で一輝を見つめると、一瞬で頬を膨らませて吹き、大笑いした。

「ぶっわっはははははははははっ!! なんて馬鹿だったんだ俺は! そうだよな、俺は野球が面白くて面白くてしょうがないんだった、ありがとう。三上、おかげで吹っ切れてプレッシャーなんか気にしてた俺が馬鹿みたいだったよ!」

「ああ、俺もお前の単純ぶりが正直羨ましいよ」

「そうか? 俺繊細な方だと思うぞ」

「全く、試合頑張れよ……俺も頑張るからさ」

「ああ、それと喧嘩した奴とはどうなった?」

「勿論仲直りしたさ、あいつ無謀にも俺の幼馴染に惚れてるんだぜ」

 思わず口を滑らせると、野球部の連中の手が止まった。しまった……零は確か入学した時「野球部のマネージャーに」としつこく勧誘されたと話してたことを忘れてた。

「おい、三上……そいつを教えろ、勝ったら全員でボコボコにしてやる」

「勝っても出場停止だ!!」

 金属バットを持って静かに殺意を剥き出しにした本田に一輝は叫んだ。


 試合開始三〇分前、一輝は自転車を藤崎台球場の駐輪場に止める。既に多くの人だかりができていて鷹人が一塁側スタンドで座席を確保してるから、三〇分前には来て欲しいと言っていた。

 それにしても今日は一段とクソ暑い! 一輝は顎に滴る汗を手の甲で拭う。

 梅雨の時は各地で豪雨災害と三月に逆戻りしたかのような寒い気候が続き、気象庁は冷夏を予想していたが梅雨明け前後から猛烈に暑くなり、地球温暖化と相まって三五度以上の日々が続き、熱中症で倒れる者や死ぬ者さえいた。

 一塁側スタンドに入ると、既に人で埋まっていたが鷹人の位置はすぐにわかった。スタンド最前列に鷹人の軍用バックパックが置かれていて、その隣に鷹人が座っている。

「おはよう桐谷」

「ああ、おはよう三上君、ここに座って」

 鷹人はベルゲンを足元に置いて席を空けると一輝は「悪いな、ありがとう」と言って座る。鷹人は腕時計を見ると、ベルゲンからキンキンに冷えたスポーツドリンクを出した。

「はいこれ」

「悪いな桐谷……他のみんなは?」

「もうすぐ来るよ、僕はここの見張りさ」

 鷹人の言う通り空いてる席には鞄が置かれてる、一輝は冷えたスポーツドリンクを一口飲むと鷹人は話を切り出した。

「三上君……去年のインターハイ前、試合で怪我したんだって?」

「ああ、今にして思えばここから転落人生の始まりだったな」

 いきなり何を言い出すんだとこいつは? 一輝は内心動揺しながらも自嘲気味に言うとあの時、零と喧嘩しなかったらどうなってたんだろうと思う。

「やりたいことができないと言う点では正に転落人生だね、本当はテニスを続けたかったとか?」

「ああ、去年のインターハイ前に零と大喧嘩してね……酷いこと言っちまった、その後足に怪我をしてしまってな……リハビリ頑張ったけど焦って今度は利き腕を骨折しちまってな、最後のインターハイも駄目になってしまった」

「それで本田君に自分の夢を託し、応援に来る人を集めるためにエーデルワイス団に入った?」

 鷹人の言葉に一輝はそうかもしれないし、そうでもないと思った。

「わからない、ただ……俺はやりたいことを全力で挑んでる奴が羨ましいんだ」

「やりたいことね……俺は恋かな?」

「お前がロマンチストだと言うことはわかったよ」

 一輝は苦笑すると、鷹人も笑みを返す。

 すると鷹人は一瞬だけ視線を後ろに向けたか、と思ったら零のことを切り出す。

「空野さん、三上君と喧嘩して酷いこと言われたのは気にしてないよ。だけど、未だに三上君のこと心配してるよ……一輝君の青春壊しちゃったって」

 そうか、零も苦しんでたのか……あの時のこと、一輝はこの一年間零は自分から逃げて新しい友達と遊んでいたのかと思っていたがそうではなく、むしろ苦しんでたのかもしれない。

「あれはある意味俺の自業自得だ、零が気にする必要ない」


「私も悪かったわ一輝君、あの時はごめんね」


 零の言葉で一輝は安堵の息を吐き、ホッと胸を撫で下ろした。

「こっちこそ悪かったよ、すまな――ん!? なんで零がここに!?」

 改めて見ると零は席のすぐ後ろに立って思わず見つめた。

「あれ? 桐谷君が一輝君と男同士で話したいから少し席を外して欲しいって」

「なぁっ!? 桐谷まさかさっき腕時計を見たり、後ろに視線をやってたのはまさか」

 一輝はブルブル震えながら鷹人に指差すと、鷹人は不敵な笑みを浮かべた。

「これで心置きなくお互いエーデルワイス団で活動できるだろ? 試合、始まるよ」

「お前……俺を嵌めやがったな……」

 一輝はもはや怒るのを通り越して笑うしかなかった、すると妙子と美由、和泉がやってきて前列に零、鷹人、一輝、後列に和泉、美由、妙子が座る。

 一輝が振り向くと、美由は慣れない雰囲気に緊張してるようだ。

「いよいよ甲子園出場をかけた決勝戦ね、妙ちゃん……ものすごく緊張するけどワクワクする!」

「うん、この試合でエーデルワイス団のその後の活動が決まるわ! 予定変更の可能性もあるからみんな、覚悟しててね!」

 後ろにいる妙子がみんなに言うと、一輝は力強く肯いた。

「ああ! 勿論だ! 俺たちエーデルワイス団があいつらを甲子園に連れて行くんだ!」

「クサイ台詞!」

 鷹人に容赦なく指摘されると、一輝は恥ずかしくなって言い返す。

「放っとけ!」

「でもカッコいいし好きだよ!」

「お前そっちの気があるのか?」

 落として上げるのかよ! 一輝が右手を斜めにして親指を頬に当てて言うと、美由が頬を赤らめて両手を交差させて口元に当てる。妙子はそれを見逃さず、ニヤニヤしながら冷やかす。

「ああ、美由ちゃん反応した! まさか妄想してないよね?」

「ち、違う違う! し、試合始まっちゃうよ!」

 美由は首を横にブンブンと振って否定した。

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