プロローグ
プロローグ
二〇二〇年一二月二三日
『このジェネシス彗星の直径は約一〇キロ、地球に衝突すれば人類の滅亡は免れません……六度目の大量絶滅が起こることは確実で、私たち人類は恐竜と同じ運命を辿ります』
昼食後、ダージリンを淹れて空野零は何となく午後のワイドショーを見ていた。
ストレートに伸びた長く艶やかな黒髪を二つ結びで纏め、女子生徒にしては背は高くて日本人形のように綺麗な顔立ち、座っている姿勢や紅茶を飲む動作一つ一つも上品で大和撫子と呼ぶに相応しい。
学校では人当たりも発育も良いことから、男子生徒たちの憧れの的であると同時に上品な見た目に反して、お転婆な高嶺の花として見られている。
「零、何やってるの? そろそろ行くわよ」
母親に急かされて紅茶を飲み干すと、零は返事もせずにジャケットを着てマフラーを巻いた。
これから冬休みの間、ずっと江津湖近くにある父の実家で過ごすのだ。
祖父母や親戚の人たちがお年玉をくれるのはいいけど、年末年始ずっと過ごすのは零にとっては退屈以外なんでもなかった。
父親は荷物をトランクに詰めながら訊いた。
「ちゃんと教科書や参考書、ノートは荷物に入れたかい? お祖父ちゃんの家にこれから出るって電話した?」
「連絡はさっきした。参考書とかも入れたわよ」
退屈しのぎにアニメ・映画・漫画をダウンロードしたタブレットPCもね。と零は内心付け加えた。
着替えと勉強道具を入れたバックを振り子のように勢いをつけて乱暴に投げ入れ、退屈しのぎ用の物が入った物は手前に置いた。
いっそのこと、地球に落ちればいいのに! 零は内心毒づいた。
『衝突すれば地球の生物は蒸発した高温のガスと、巨大津波で大半以上が絶滅します。残りは衝突時に大気中に巻き上げられた塵や煤が大気を覆いつくして太陽光線が激減、地球全域が寒冷化し、氷河期に入って死に絶えるでしょう。生態系の回復には約一五〇万年以上はかかります』
人類滅亡か……どうなるんだか、まあそん時はそん時だ。
三上一輝は家のリビングのソファーで達観したような顔で思った。右腕にはギプスが巻かれて三角巾で吊るしている。
一七九センチの長身で筋肉質の鍛えられた体に、垂れ目だが鋭い目つき、坊主頭がそのまま伸ばしたような髪の一輝はつい先日、二度目の怪我をしたばかりだった。
一年生の頃、インターハイに出場して将来有望と期待されたが、次のインターハイ前に足を怪我した。リハビリを続けてたが実力は取り戻せず。リハビリを兼ねて練習を続けたが先日、利き腕に怪我をした。
松岡修造や錦織圭に憧れて始めたテニスだ、勿論やめたくない。小学生の頃からひたすらテニスに打ち込み、青春を捧げた。
結果はご覧の有様だがと一人自嘲した。元々勉強が嫌いだった一輝にはテニスから受験勉強にシフトするのは苦痛以外何物でもない。だからインターハイは絶対出場してやる! と意気込んでいた。
すると一緒に見てた母親が心配そうに呟いた。
「彗星が地球に衝突ね……それよりも一輝の進路が決まるといいね」
「母さん……俺はスポーツ推薦で大学に行ってテニスを続けたいんだ……今までも、そしてこれからもだ」
一輝は呆れて溜息吐いて立ち上がり、リビングを出ると自室に篭ってイメージトレーニングすることにした。
くそっ! 絶対に治してインターハイに出てやる!
『この彗星は日本時間の八月三一日の深夜から九月一日の早朝にかけて地球に最接近します、その前に月に衝突する瞬間が見られるかもしれませんが、それは地球の歴史においても知られてる限り今回限りです、人類の歴史上最大の天体ショーになるのは間違いありません』
真島美由はテレビのワイドショーを見ながらキーボードを高速で叩き、パソコンからSNSに書き込む。
《明確に衝突するとは言ってない。衝突するかどうかわからないか、衝突するけど明言は避けたいのかもしれない》
すると衝突することを隠してる、衝突するかわからない、衝突しないと三つの意見が分かれ、美由は溜息吐いてSNSを閉じて、行きつけの動画サイトへとアクセスした。
紺色のショートボブで両耳の上には右だけ焼け焦げた二対の赤い髪留めを付けている。仔猫のような愛らしい目鼻立ちに、キュッと結んだ桃色の唇はとてもオタクとは思えない中肉中背の少女、どちらかと言えば町で友達とカラオケやゲームセンターで遊んでいそうな少女だが、その瞳には悲しさが漂っていた。
高校最後の夏休みの終わり、もしかしたら翔お兄ちゃんの所に行くかも……その時は許してね。
美由はPCの横に立てられた歳の離れた亡き兄、真島翔の遺影を見つめる。彼は二年生の夏休みに膵臓癌で亡くなった、まだ三二歳だった。
美由は翔と暮らしていたが彼が亡くなってからは莫大な遺産と、東京の両親からの仕送りで一人暮らししている。
でもあと一年少しで終わる、卒業したら部屋は引き払うと両親は勝手に決めていた。
『もしこの彗星を破砕に成功した場合でも、無数の破片が地球に降り注ぎ破滅的な被害を受けるでしょう。滅亡を免れたとしても既存インフラは破壊され、地球規模の混乱と世界秩序の崩壊により、最悪の場合、世界規模の戦争に発展する可能性もあります』
「うわぁ……映画かゲームみたい! 今から特大サイズの巨大レールガン作っても間に合わないかも! その後はきっとモヒカン頭の悪党たちがヒャッハーしながら大暴れするのかな!?」
井坂妙子は世紀末と化した熊本の町を想像した。
きっとヨハネスブルクより酷い状況になるかもしれない、それ以前に破片が降り注いで生き残れないかもしれないと思った。
仔犬のように人懐っこそうな童顔、小柄な体格に栗色の長い髪はどうみても小学校高学年にしか見えない、胸がないに等しく嗜好も幼いが陽気で前向きで、誰とも仲良くする性格からか、一部の男子生徒たちから人気があった。
すると母親が単刀直入に訊いた。
「妙子、あんた高校最後の夏休み、彗星衝突を口実にして遊び倒すつもり?」
「当たり前じゃない! 受験勉強で費やしたあげく、彗星衝突で消し飛ばされてあの世で後悔するくらいなら思い出をたくさん作った方がいいんじゃない!?」
「じゃあ衝突しなかったら? 進路は? 受験は?」
鋭い指摘に妙子はギクリ、として棒読みになる。
「そ、その時はその時よ! さあて最後の冬休みだから美由ちゃん誘おうっと!」
妙子は席から立ち上がってコートを着ると、母親が引き止める。
「こらっ! あんた進路どうするのよ、待ちなさい!」
「少なくとも人類の危機を乗り越えてから考えるわ!」
妙子は母親の制止を振り切って家を飛び出した、後で後悔しないために。
『衝突により人類が滅亡する可能性も五分五分です、彗星は地球に最接近すると重力に引かれて衝突するか? 月に衝突するという可能性もあります、対策会議は現在も行っておりますのでくれぐれもパニックを起こさず、落ち着いて行動してください』
桐谷鷹人はサンロード新市街、家電量販店に置かれてるテレビでニュースを見ていた。あまり先のことは考えない性分の鷹人も、これには流石に考えさせられるものだった。
端整かつ、中性的な顔立ちで、切れ長の瞳と伸びた髪は名前の通り、鷹の目や翼のような印象を与えるようなクールな顔立ちの美少年だ。背丈も水準より少し高く、体も相当鍛えられている。
服装はジーンズで上はジャンパーを着てキャップを被り、目立たない服装だ。
地球には落ちるか落ちないかは五分五分か? 親や先生だったら……後者を信じろと強要されそうだ。すると高校最後の夏休みはどうなる? 滅亡するか、しないか? 意見が分かれそうだと鷹人は思った。
さっさと買い物を済ませると、ふとスーツのサラリーマンとすれ違った。若いサラリーマンだったが顔色が悪く、老けてるようにも見えていずれ自分もああなるのか?
そう思うと鷹人はいっそ大人にならないまま人生を終えた方が幸せか? と思ったが首を振った、僕はまだ死にたくない。
滅亡するなら高校の卒業式まで待って欲しい、明日はクリスマスだ。もしかしたら人類最後かもしれない、だったら悔いを残さないようにするべきだ。
鷹人はそう決意して家電量販店を後にした。