△ショート
【ショートケーキ】
―チンッ
「あ、焼けた」
電子レンジを開けると甘い匂いが鼻をついて、風もないのに部屋中にふんわり充満していく感覚……ふっくらと仕上がったスポンジケーキをお出迎えできるのは、見る前から分かって思わず吹き出してしまう。
「よし、大成功!」
自信はあった。何度も何度も、この日この時の為に予行練習してきたんだから。
けど、本番は別物だとも思う。まだ、胸の奥がドクドクいってる。喜び半分、不安半分? ただ、ここまで来てケーキを失敗したら、恥ずかしいどころじゃないって。
「油断しない、油断しない……」
スポンジケーキを柔らかな白色で彩って、前の日から用意していた、水飴で薄らと固めた苺をバランス良く奇麗に飾り、さらにデコレーションを……
「よし、出来上がり!」
完成だ! 彼女の大好きな、苺のショートケーキ。これで、ようやくホッと出来る……いや、まだか。食べてもらうまでが、本番だ。
ちょっとおしいけど、1ホールのショートケーキを8分の1にカットして、ひと切れずつ小皿へのせる。いつも小食の彼女なら、これだけでもお腹一杯だろう。いや……デザートは別腹って、可愛らしく小首を傾げながら、笑っておかわりするかな?
ああ……想像すると、とても楽しみだ。
「さあ、お待たせ」
フォーク・コーヒーカップと一緒にケーキ皿を乗せたお盆を、キッチン隣のリビング、テーブルの前に座って待っている彼女の元へ届ける。
「さあ、どうぞ」
静かに、待ってくれていた彼女の目の前へ、僕も静かに差し出した。
さあ、召し上がれ……?
「……ああ、そうか」
ああ、そうだった!
「最初、君からすれば僕が初対面だからって、いつもの可愛らしい君の姿にはなってくれなかったから」
最初、僕は君を説得しようとしたのだけど、写真の中にいる君の様に、君は答えてくれなかったから。
「つい、首締めちゃって」
つい、殺しちゃったね。
「せっかく成功したのに」
僕はまた失敗したのか。
「いや、まだ……一緒に、なれるよね」
飾り付け用のロウソクとライターをポケットから取り出して、彼女の前のショートケーキを、赤く彩る。
彼女と僕は、同じものを見詰めて、同じ暖かな朱に夢中になっていく……そっと、じっと、ずっと続けていきたい……もっと。
【ショートカット】
気分は最高、足取り軽し、ふんふふーん。
「なんてね」
妙な口調の上機嫌。歩調は、十数年振りのスキップ。真っ直ぐ自分のマンションに向かっているか、あまり意識してられない。
それだけ、私は浮かれちゃっている。まあ、それでいい。
そこそこメジャーな事務所のオーディションに受かってなんと7年、グラドルから女優に転向して苦労の2年。親や親戚一同、誰もが恥ずかしく思わないだけの人気と実力を地味に付けてきた。
ただ、それは……それも全ては、生涯のパートナー、色んな意味で最高の人と出会う女の幸せの為! アイドルや女優でも、最大のゴールはやっぱりそこでしょ?
そしてようやく、これだって人と出会って、明日が初デートなんだから、浮かれてもいいはずだ。
「気に入ってくれるかなぁ」
2時間あまりで淡いブラウンに染まった上にショートになった、跳ねる髪先を撫でる。彼が好きな髪色と髪型。好きな服装も、食事も、趣味も、あの人の事なら何でもリサーチ済み!
「ちょっとストーカーっぽいかな? まあ、愛情の表れって事で!」
とかひとりぶつぶつ言って、マンションに到着。頭は浮かれていても、身体は真面目だったみたい。彼との妄想で道中の記憶があまりないから、何か帰り道をショートカットした気分。
ショートヘアーがショートカットでちょーっとお得?
「つまんね」
けど、笑っちゃう。まだまだ足取り軽く、エントランスに入って、エレベーターに乗って、7階の部屋までずっとスキップ続けちゃう位。
おまけに、「ただいまっ!」とか、独り暮らしなのに、元気良く言っちゃった。
「おかえり」
……はぁ?
「誰よ」
誰。オートロックマンションの私の部屋で、勝手に玄関に座ってる小太りのおっさん。
私は、知らない。
「僕だよ」
けど、相手は知ってるみたい……って!
「きゃ」
馴染みない悲鳴を上げようとした瞬間、体当たりしてきた男に倒されて、玄関奥まで引きずり込まれて……ドアが、静かに閉まってく。
「僕だよ」
ツンとする匂いと、粘っこい声。どんなに聞かされても、嗅がされても、思い出せない。てか、考えもしたくないし。
「あんた、誰! 私はあんたみたいな気色悪い奴知らないっ!」
だから、悲鳴代わりに思いっきり叫んでやった。腕や足を振って暴れてやる!
「私は」
あんたみたいな奴、出会おうとも思っていない!
ギチッ
あれ?
急に、手や足が動かない。言葉が出ない。空気が、口から吐き出せない。それが、喉を締められているからってのはすぐ分かったけど、それ以上は無理。
「ショートカットもいいね」
ただ、最悪の褒め言葉を聞いて、私は……笑えなかった。
【ショート・ショート】
「……五月蝿いな」
隣の部屋から響く物音がヘッドフォン越しに伝わり、記事の締め切りが迫って焦る脳を揺さぶってくれる。我ながら、変にロジカルな文句が浮かぶ。
確か、隣はまだ若い、マンション内の噂では芸能人って話の女性が、独り暮らしの筈……まあ、男を連れ込むのは自由だが。
ただ、まだ夕方だぞ?
「何を暴れてるんだ」
好奇心と苛々が、隣に文句を言いに行けよと、さっきから身体に訴えてくる。一方で、無視してさっさと仕事をやれよとも。
無論、俺は大人であり、社会人だ。自然に、後者を選ぶ。
面倒なのは、仕事だけで十分だ。
「はぁ」
……ただ、効率は上がらなかった。それから2時間あまりで進んだのは、10行程度。
「最悪。こりゃ、駄目だ」
気掛かりが、心の奥底に根掛かりしてしまっている。つまり、結局は……取り払わないといけないのだ、うん。
ドタンッ
タイミング良くか、悪くか。再び、大きめの物音が隣から響いてくる。それまでとは違って、単調な、何かが倒れた様な音だ。
「仕方ないな」
理由を見付けると、さらに気楽になった。考えていたことが、頭から抜け落ちていく。これはダメだと、要点だけメモをとる。
さらに、もう10分程、少し悩んだ振りをしてから立ち上がり、玄関を出て隣の部屋に向かう。正直、何かあっても何もなく治まってくれればいいから。
「……はあっ?」
しかし、玄関を出て隣の部屋に視線を送る……だけで、足が止まってしまった。
隣のドアの隙間からは、灰色の煙が薄らと、けれど勢い良くこぼれ出ていて……焦げる匂いが、鼻についたから。
「か、火事だぁっ!」
あとで振り返っても何年振りか分からなかった程の絶叫をして、俺は自宅にとんぼ返り。携帯電話と原稿ネタのメモだけ手にして逃げ出したのは、人命救助以上に、もう病気かな。
その後日、第1通報者であり隣の住人として、消防と警察から聴取を受けた。
無論、俺には何の罪もない。うちのベランダが少し焦げたから、むしろ被害者だ。相手も申し訳なさそうだったし、ただの確認だろう。
面倒だったけど、締め切りに間に合わなくなった正当な理由が公的に出来てくれて、こっちとしては感謝だ。
少しだけど、隣の状況も聞けたし。
全焼した部屋の発火地点、リビングからは、寄りそう様に重なった男女2人の遺体が見つかったそうだ。
発火地点にいたから、2人は真っ黒焦げで、確定するのは詳細なDNA鑑定の結果待ちらしいが、女性は隣室の住人でほぼ間違いないらしい。歯型がどうとか、言っていたな。
男性は、身元がまだ判明していないらしい。でもまあ、間違いなく……
「人気若手女優に何があったのだろうか、ねぇ」
手に広げたスポーツ新聞を折りたたみながら、物思いを解いてふと呟く。
人が人だけに世間ではかなり騒がれているが、元・隣人としてはそっとしてあげてほしいものだ。
もっと交流すべきだった、サイン位はもらっておきたかったとも、俺は思えない。
ただ……どこかで、救われてほしいとは思う。
それ以上を思わない。これ以上は、頭がショートしてしまう。
「それで、いいじゃん」
どんな理由があろうとも2人は、愛する人の事を強く思って、終えたのだろう?
【了】