第8話 『下着調達・上』
初の魔獣との遭遇、そして魔を極めた魔神であり、その中でも『治癒』に特価した銀髪美少女の治癒神、エルシアとの邂逅から一日が経過していた。
身体の疲れは簡単に取れてはくれず、錘をつけられた様にも感じる怠さが全身を覆っている。
黒鹿亭の与えられた自室のベッドの上で目を覚ましたオルフェリスは、視線だけで左側を向いた。
「……すー…………」
彼の目線の先には左腕にしがみつき、寝息を立てて眠る美少女の姿があった。
小さな手と腕でしっかりと抱きしめられた左腕は動きそうにない。
(こんな事が毎日続けば、流石の俺も……。悟りを開くしかないのか?)
相手が小さい女の子で、しかし中身は神様だという特殊なステータス上、理性が引っ掻き回される様な状況には陥ってはいないが、長く続けばどうなるかは分からない。
内心で冗談交じりに嘆息しつつ、空いた片方の手でエルシアの頬を軽く引っ張った。
「おーいエルシア、朝だぞ」
「うー、むにゅ」
「この子本当に神様なのか……?」
寝ている所だけを見れば、本当に小さな女の子にしか見えない。これでその身に二つの権能『不傷』と『命刻』と言う、凄まじい力を宿しているのだというから驚きだ。
如何なる『傷』から身を守り、代償として痛みは受ける『不傷』。
如何なる『傷』を治し、代償として己の命を削る『命刻』。
どちらも万能ではない力だが、役に立つことは間違いないだろう。
「『命刻』ね……痛いのは『不傷』の権能だけで十分だぞ……?」
まだ使った事のない未知の力に若干不安を感じつつ、頬を引っ張る強さを少しばかり強くした。
「おーーーい」
「んあ、フェリス……?」
「朝だぞ。手を離してくれ」
「んあぁ……ごめん、迷惑だった?」
「いや、別にそういう訳じゃないんだけどな……?」
目覚めて突然しおらしくなるエルシアを見てオルフェリスは否定する。
「それよりそろそろ朝飯の時間だからその寝癖、何とかしろよ」
本来居候である彼には、色々と任されている仕事がある訳なのだが、ラウラが来ている間は、と免除されている。
彼は自分の長めの髪に手櫛を入れながらエルシアの寝癖を指摘した。
対する彼女は寝癖? と首を捻って頭を触った。
「……フェリス、我の寝癖、直してくれないかな?」
「それぐらい自分で……まあいいや。ほら、あっち向いて」
「ん」
オルフェリスに言われるままに身体の向きを変えたエルシア。彼女の髪に手櫛を通していく。輝く銀色の髪は柔らかくサラサラで、触っているだけでとても心地よく感じた。
思い出すのは、母アリシア=ウォーカーの姿。
碧眼美人だった彼女も、エルシアと同じ様に綺麗な銀色の髪を携えていた。
「……、」
「……フェリス」
「ああ、何となく俺の考えてること、分かるんだったな。気にしなくていいよ」
「君の両親に、何があったんだ?」
エルシアはオルフェリスの方に向き直って正座した。
昨日の時点で疑問に思っていたことだった。
まだ十六歳のオルフェリスが、どうして町の宿で居候をしなければいけない状況にあるのか。更に言えば先日、血に濡れた草原の帰り道でのラウラとの会話。あの時も少し引っかかる点があった。
「もしかして、フェリスの両親は……」
「『死病』。現時点で、掛かれば治す事はできない……必ず死んでしまう、『枯渇病』の上位種って言われてる病気だ。多分、知っていないのか、覚えていないんだろ?」
「……うん。日常生活に支障をきたさない程度の知識しか持っていないんだ」
「そっか……。その死病って言うのは、二種類あるって言われててな。一つは自然に発生する何かが原因で発症するタイプ。もう一つは、この世界に存在する魔神が操る『病魔』が仕掛けるタイプ」
エルシアは、オルフェリスの口から『魔神』と言うワードが出た途端に、ビクリとその小さな身体を震わせた。
彼女も魔を極めた魔神である。文脈からして何となく言いたい事が分かったらしいエルシアは、深く俯いた。
「……ごめん、フェリス。我は前の記憶がなくて……」
「いや、大丈夫だ。きっと病魔を操る魔神って言うのは、お前の事じゃない」
「え?」
「伝説では、その魔神は男だって言われているからな。更に言えば、その魔神はエルシアとは真逆……治す事に特化してるんじゃなくて、破壊に特化しているらしい」
所詮伝説だから信憑性は薄いんだけどな、と苦笑したオルフェリスは続ける。
「もう分かったと思うが、俺の両親は、死病に掛かって死んだ。リンシアの町を出て、知り合いが住む遠くの街に行って帰ってきたら、二人は死病に掛かっていた」
「……、」
「もしかすれば知らない内に『病魔』……災厄の悪魔に犯されていたのかもしれないし、運悪く死病に掛かってポックリ死んじまっただけかもしれない。とまあ、そんな訳で今に至るのさ。帰る場所を失った俺は、こうしてこの黒鹿亭に居候させて貰ってるって事」
そう言うオルフェリスの声音に、悲しみの感情は感じられなかった。もう、吹っ切れている過去――彼の中で、時効となっているのだろう。
「凄かったんだぜ、二人共。父さんは世にも珍しい黒髪黒瞳の一流剣士で、カッコ良かった。母さんはエルシアの様な綺麗な銀髪と碧眼を持ってる高位魔術師。……まあ、その二人の容姿のどちらとも似ずに生まれたのが俺なんだけどな」
オルフェリスは自分の白い髪を指で摘みながら、
「白い髪に赤い瞳……最初は俺も自分の容姿が嫌いだったんだけど、二人は良いって言ってくれたんだ」
終始黙り込んでいるエルシアを見てオルフェリスは笑うと、その頭に手を乗せて撫でた。
「だから気にするなよ。両親がいないのは寂しいけど、そんなのはとうの昔に乗り越えた」
「……そう。最後に、その二人の名前を聞かせてもらっていいか?」
「ああ。父さんがエルス=ウォーカーで、母さんがアリシア=ウォーカーだ」
オルフェリスがそう言った途端、エルシアがビクンと身体を震わせて顔を顰めた。震える手を目元に持って行き、強く抑える。
「お、おい!? どうした!?」
「エ、ルス……? アリシ……ア……?」
「エルシア、父さんと母さんの事を知って……覚えてるのか!?」
「うぅ、わ、分からない……ただ急に、頭が痛くなって…………、」
態勢を崩し、辛そうな表情で意識を失ったエルシアを抱き留めたオルフェリスは思案する。
(今の反応……俺の父さんと母さんの名前を聞いて起こしたものなんだとしたら、エルシアはもしかして、記憶を失う前に二人との接点があった……? 父さんと母さんの名前が、忘れていたエルシアの記憶に干渉したってことなのか?)
エルス=ウォーカーとアリシア=ウォーカーの名前が関わっていることは間違いない。
しかし、これ以上二人の話をして、今の様にエルシアが苦しむところを見るのも心が痛む。
(エルシアが自分から早く記憶を取り戻したいって言うなら手伝うけど、そうじゃないなら俺は――、)
ベッドの上にエルシアを再び寝かせ、彼は再び彼女が目を覚ますまで付いている事にした。
2
さて、ラウラと町の外に出る約束の時間までまだ数時間ある。
身体を休ませろと言われても、いつもならこの時間帯は何らかの仕事を請け負っていたオルフェリス=ウォーカーな訳なので、何もしないでジッとしていると言うのは少々難しかった。
長年リンディに色々とやらされていたお陰か、身体がそういう風になってしまったらしい。
暇な時間をどう過ごすか考えながら、ベッドに座って腕を組む。
ちなみに今、黒鹿亭にはオルフェリスとエルシアの二人しかいない。
ラウラと雇われの冒険者パーティは外で魔物を掃討に。
リンディはいつもならオルフェリスが済ませていた仕事をしに外へと出掛けている。
暇な時間をどう過ごすか考えていた彼の隣――つまりベッドの上をそわそわとしながら歩き回っていたエルシアが、不意に彼の着るTシャツの裾を引っ張った。
「どうした?」
「あのな、フェリス。我は町の中を見てみたいと思うんだけれど……」
窓の外から見える町の風景をチラチラと見ながら上目遣いでそういうエルシア。ハッキリ言って、その仕草がもたらす破壊力は絶大なものだった。
もう少し成長した女の子だったら、並大抵な男ならイチコロだろう。
改めて女神であるエルシアの姿を見直す。
腰まで届く程の綺麗な銀髪に、金色のつぶらな瞳。陶器の様な白くて滑らかな肌に、小柄で華奢な体格。そして極めつけに、二度見してしまうような美少女ときた。
反則的過ぎる。
小さな女の子の姿をしていなければ、自制心と言う名の堤防が決壊していてもおかしくなかった。いちいちオルフェリスに対する仕草が可愛すぎるのも悩みどころだ。
(って、まだ出会って一日しか経ってないのに――ッ!)
「ねえフェリス、聞いてるの?」
「え? ああ、うん聞いてるよ。町を歩きたいんだね」
心を読まれなかったことに内心でホッとしつつ、エルシアに確認を取った。
「でもさ……俺が作った設定だから俺が言うのもおかしいんだけど、シャイで恥ずかしがり屋って言う性格設定はどうするの? アレはラウラに対してのみ有効って事にするのか?」
「……本当だよ。もともとフェリスが変な設定を付けるから……」
「いやスマン、マジですまん。あの時は対して考えず、エルシアは人前で姿を晒す事自体を嫌がってるのかと勝手に……」
「実際、我は記憶が無い所為で多少世間知らずなところはあるかもしれないけど、会話ぐらいは普通にできるよ。口数が多いわけではないけどね」
溜息をつきながらそう答えるエルシア。
もう本当に、全面的にオルフェリスが悪い。
「仕方がない。適当に合間を見計らって話せばいい。じゃあそのお詫びと言う事で町を案内してもらおうかな」
「詫びなんて事にしなくても、案内ぐらいしてやるよ。……でもやっぱりその格好はマズいよな」
エルシアは現在オルフェリスのTシャツ一枚と言う、風が少し吹けば超ヤバい格好をしていた。裾は太ももが少し隠れるくらいで、色白で欠点の付け所がない綺麗な素足が直に晒されている。下着なんてものは履いてない。
「それは確かにそうだね……」
「つっても、言うまでもなく俺は男物の下着しか持ってない訳だし……こうなったら、ロエルちゃんとノエルちゃんに頼むしかないかなあ……?」
「下着を貰うのか?」
「それはー、女子的にどうなの? まあ、適当に店で見繕って持ってきてもらうとか。流石に俺が女性の下着の店とか入るって言うのはちょっとアレだからな」
という事でエルシアの下着を手に入れるべく――じゃなくて、エルシアが町を見て回りたいという望みを叶えるために、ロエルとノエルに力を借りようとしたオルフェリスだったが、事態は思わぬ方向へと進んでいた。
「どうしてこうなった?」
「いきなり女物の下着を用意してくれ、なんて言い出すから何事かと思ったけど……」
「お兄さんっ! 少し考えてからモノを言ったほうがいいと思いますよ!」
年下の女の子ノエルに少々冷めた目で見られ、年下の女の子ロエルに言葉遣いの訂正を促されるオルフェリスは、肩を落としてとある店の前に立ち尽くしていた。